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第三章 黒羽の朧宮主
第57話 胡夫人
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瀾鐘は海市と共に、後宮へ続く廊下を進む。その足取りは荒く、表情は言わずもがな険しい。
毒を盛った犯人は、後宮の侍女であった。仕える主は、十数年前から後宮にいる宮女だ。
侍女は独断で行ったと証言しているが、調べはまだ続いている。
「独断かどうかは怪しいものですが、妃が絡んだという証拠もありません」
「二度目がないよう、相応の罰を与えよ」
「御意」
「……今後あの人の身体に、少しの害も与えたくはない」
『____ 私は大丈夫だ。毒は効かんと知っているだろう?』
葉雪の言葉が頭に過り、瀾鐘はぐぅと喉を鳴らす。
確かに葉雪の身体は、あらゆる毒を跳ね返す強さを持っている。しかしまったく影響がない訳ではない。
毒を打ち消すためには体力が必要となり、少なからず損傷が残る。全盛期の昊黒烏だったらまだしも、今の葉雪には些細な事でも命取りになるのだ。
「肺は毒に冒され、もう半分も機能していない。ああも元気に過ごせてるのは、元が頑丈だったからだ。……呂鐸は、今でも治療法を探っている」
「呂鐸にとっては、親みたいなものですからね」
「……酷だったかもしれんが……」
「いえ、呂鐸も鐸巳も嬉しいでしょう。自分の生みの親への恩返しが出来るのですから………。あ、主、俺はここで」
海市が立ち止まり、ぺこりと頭を下げる。瀾鐘が睨みを利かせて見下ろすと、彼は癖のある髪を掻き回しながら言い訳を垂れた。
「胡夫人は苦手なんですよ。今から会われるんでしょ?」
「お前のお母上だろうが」
「あの人は、みんなの母ですから」
海市は脇に逸れ、瀾鐘の返事を聞かないまま別の回廊へと向かっていく。
それを見計らっていたかのように、廊下の向こうから人影が現れた。多くの女官を引き連れてきたのは、後宮の女主である胡夫人だ。
癖のある髪を緩く結い、零れた髪は波打って腰まで垂れる。その容姿は見る者によって印象が変わることで有名だ。
或る者には美しい少女に、或る者には強気の淑女に。様々な印象を抱くのは、彼女が持つ神秘的な雰囲気故だろう。
胡夫人は瀾鐘の前に来ると、小さく膝を折って頭を垂れた。
「主上」
「礼は良い。処理は済んだか?」
「はい。関係者は皆、今日中に後宮から立ち去らせます」
「此度の管理不足は、どう説明する?」
「それについては私の責任です。どうぞ、どのような罰でもお受けします。……しかしながら、一つ。今回の件は、朧宮主についての説明不足が原因かと存じます」
胡夫人が目線を上げ、瀾鐘の双眸を見据える。咎めるような視線に、瀾鐘は肺から大きく息を吐いた。いつもなら売るほどに出てくる反論が、喉に詰まって出てこない。
海市と同じく、瀾鐘もこの胡夫人を苦手としてきた。それには訳がある。
「言い訳は聞きませんよ。この胡蝶は、ずっと申してきたはず。あなたは黒羽の王として、世継ぎを残さねばなりません。後宮をないがしろにして、朧宮に入れ込んでいるから黒々とした嫉妬を招くのです。胡蝶は乳母として、あなたが立派な王になることを見届ける義務があります! 何度でも言いますが、あな……」
「胡娘娘、もう良い」
「……っ!」
言葉を遮ると、圧を乗せた瞳で睨まれる。ぐっと言葉に詰まってしまうのは、この胡蝶には随分と苦労をさせたからである。黒羽は、そして瀾鐘自身も彼女には大きな恩がある。
胡蝶は約1000年前に、司天帝から黒羽国に賜った神獣だ。彼女は武力を持たない神獣だったが、その愛らしさから当時の黒羽王に寵愛されていた。皇后だった瀾鐘の母とも良好な関係を築き、国民からも愛される存在だった。
そして800年前、黒羽に悲劇が襲った際に、この国を支えてくれたのも胡蝶だったのだ。
瀾鐘が試練で不在中は、この胡蝶の存在が国の一本柱になったと言っても過言ではない。
司天帝から贈られた神獣であるため、国民から崇拝されるには十分だった。そして彼女は自分の立ち位置を理解し、いつも国を導いてくれたのだ。だからこそ、瀾鐘は胡蝶に強く出れない。
先ほどまで強い姿勢だった胡蝶だが、遂に耐えられないとばかりに涙を零し始めた。
頭ふたつほど大きい瀾鐘を見上げ、ぐしぐしと嗚咽を上げる。
「ああ、冥界に逝ってしまわれた、あなたのお父上やお母上がなんと思われるか……! 齢800年を超えているのに、世継ぎが生まれるどころか、妃すら迎えていないとは……!」
「妃なら後宮に……」
「号だけの妃でしょう! 世継ぎを作ることはおろか、夫婦の契りすら交わしてないでしょうに!」
胡蝶の声は、もう怒号に近い。普段は穏やかな胡蝶だが、世継ぎの事になると抑えが利かなくなる。
瀾鐘とて役割は分かっている。世継ぎを作ることは王としての責務だが、瀾鐘は『葉雪の片割れ』としても生きてきたのだ。折り合いなどつけられない。
「今でも世継ぎが居ないのは、試練があったからだ。試練の合間に子作りなど出来ん」
「朧宮を整える暇はあったでしょう!? 少ない試練の合間も、あなたは宮に掛かりっきりで後宮には目も向けなかった! 確立した今、あなたが真っ先にすべきは正室、側室を迎え、子を成す事です!!」
「朧を伴侶として迎える! その他は考えておらん!!」
「じゃあその朧とやらに会わせなさい!!!」
胡蝶の顔に紋様が走り、瞳の瞳孔が縦長に変わる。彼女が激昂したときの兆候だ。
「胡蝶とて、あなたが宮を大事にしている事を知っています。朧の事を好いているのは咎められません。……しかしその朧とかいう人物、噂によれば男だと言うではないですか! 世継ぎの為には、妃を横に据えなければならないのです! そしてその朧の素性も、害になるのであれば排除しなければ!」
「排除などさせるものか!」
瀾鐘が声を荒げると、胡蝶の肩がびくりと揺れ、紋様がすぅと引いていく。
胡蝶は瀾鐘にとって、母のような存在だ。実母は幼い頃に死に、この胡蝶が瀾鐘へと愛情を注いでくれた。そんな彼女相手に、本来なら声を荒げたくはない。
小娘のように顔を歪め始めた胡蝶に、瀾鐘が更に言葉を続けようとしたその時だった。
「主上!」
慌てた様子で現れたのは鐸巳だ。廊下の向こうから駆けてくる彼女の横には、兄である呂鐸の姿もあった。彼は誰かを俵のように担いでおり、表情は険しい。
「何があった?」
「主上、これを見て下さい」
呂鐸が担いでいたものを下ろす。その正体に、瀾鐘は目を見開いた。
真っ白な髪に、緑色の差し色。華奢な身体のその男は、呂鐸に荒く降ろされたせいか、尻もちをついた。
少し怯えた様子でこちらを見上げる瞳は、透けるような飴色だ。姿かたちは葉雪そのものの男を、瀾鐘は目を見開きながら見下ろす。
「……こいつは誰だ」
「おお、流石でございます。仰る通り、宮主ではありません」
呂鐸が瞳孔を縦長にして、男を見下ろす。すると男はきゅっと縮こまり、眉を波立たせながら瀾鐘を見上げた。
「ごめん、さい。こっそ、ごめんなさい」
「……お前……五狼か?」
「あい」
「……」
こくりと小さく頷く様子は、葉雪の常とは大きく違っている。あどけない子供のような所作など、葉雪はしない。
そうは分かっていても、普段見ることの無い姿を凝視してしまいそうになる。瀾鐘が慌てて目を逸らすと、呂鐸が五狼の腰辺りをばしりと叩く。
「きゃん」という獣らしい声を上げた後、葉雪のような身体がじんわりと光り始めた。そしてもこもこの獣毛が生え始める。
元の姿になり始めた五狼を見下ろしながら、顔色を真っ白にした鐸巳が震える声を零す。
「今日は良く眠っておられると思い、放っておいたのですが……まさかこんな……」
「……五狼、お前の主はどこだ?」
「………こっそ、たいしゅをおこらないで」
「怒らんから、教えろ」
本来の姿になった五狼は、おずおずと呂鐸へ視線を移す。
呂鐸は五狼を睨みつけた後、瀾鐘へ小さな紙切れを差し出した。そこには癖のある字が、ぱらぱらと綴られている。
「ちょっと散歩してくるから心配するな、と宮主からの書き置きがありました。五狼もそう言っているので、間違いないでしょう」
「……っ本当にあの人は……」
「今日は大人しく寝ているな、と思ったらこれですよ。我々をも欺くなんて、なんてお人だ」
「しかし……これほど完成度の高い身代わり擬態は初めてです。……匂いも感触もまったく同じでしたから………」
いつも凛としている鐸巳が、おろおろと視線をさ迷わせる。
黒羽に来てからの葉雪は、かつての鋭さを忘れたかのようにのんびりとしていた。昊黒烏だった過去など忘れ去るような柔らかさで、庇護の対象になるほどの存在になっていたのだ。
そんな彼が、鐸巳の監視を潜り抜けて出て行ってしまうなど考えもしなかったのだろう。
時刻はもう夕時を過ぎている。
陽はとうに沈み、冷たい風も吹き始めた。冬にはまだ遠いが、朝晩が冷え込むようになってきた季節である。
「冷えは身体に悪い。何とかして見つけなければ……」
「こっそ! ごろう、たいしゅのばしょ、わかるよ!」
太い尻尾をぶんぶん振って、五狼が走り出す。
呂鐸の制止も聞かず、少し大きくなった子供狼は、後宮の廊下を全速力で突っ切っていった。
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