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第三章 黒羽の朧宮主
第56話 後宮にて
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ととと、と手早く包丁を動かし、細かくした青菜を鍋に入れる。近くにあった調味料入れに鼻を近付けて匂いを嗅ぎ、葉雪はうんと満足げに頷いた。あとはこの調味料で香り付けをして完成だ。
「……よし、これで4品出来そうだ……」
「すごい……! 助かりました」
千樺がぱちぱちと手を叩き、葉雪を憧憬を含んだ目で見上げる。
大したことはしていないが、と微笑むと、千樺はぶんぶんと頭を横に振った。
「とんでもない。今日の食事をどうしようか、悩んでいたんです。料理人は皆、取り調べ中だったから……」
「こんなもんで良いのか?」
「味見しても?」
「勿論。毒は入れてないぞ?」
「ずっと見てましたから、分かってます」
千樺は口元に笑みを浮かべて、葉雪が作った料理を口に運ぶ。そして驚いたように目を瞬かせた。
「お、美味しい!」
「そりゃ良かった」
久しぶりに鍋を振れて、葉雪自身も思いがけず楽しかった。千樺に笑顔を向けた後、誰もいない厨房を見回す。
千樺のおかげで後宮へ入ることが出来たが、聞いた通りの深刻な人手不足だった。宮女と最低限の侍女が、わたわたと走り回っている他は、使用人らしきものは見当たらない。
もうすぐ昼餉だというのに、宮女たちの準備も出来ないままだと聞き、葉雪が料理人の代わりを買って出たほどだ。宮廷料理は作れないが、この場しのぎの腹を満たすものなら作れる。
始めは疑っていた千樺も、軽く数品作る葉雪に安心したようだ。無事に昼餉の準備ができて、葉雪もほっと胸を撫でおろす。
「ところでさ、ここ、訓練場に近いのか?」
前掛けを外しながら、葉雪は窓の外へと視線を移した。先ほどからずっと、女の園らしからぬ音が聞こえるのだ。
剣がぶつかり合う音。怒号や歓声。まるで軍営にいるような気さえする。
葉雪に問われた千樺は、可愛らしい唇をもごもご動かしながら、また首をこてんと倒した。
「いいえ。宮女と宦官らが手合わせしている音でしょうね」
「うん?」
「黒羽の宮女は、強者揃いですから。丁度いい。昼餉の準備が出来たと伝えに行きましょう」
思う存分味見が出来たのか、千樺はぺろりと舌なめずりしながら立ち上がり、葉雪の手を引いた。
素直について行くと、後宮の中にあるとは思えないほどの大きな訓練場へ出る。そこにいたのは多くの宦官と、見目麗しい女性たちだった。
訓練場の真ん中で、一人の女性と宦官が剣を交えている。宦官の身体は大きく屈強に見えるが、どう見ても女性が上手である。
「ったく、骨のあるやつはいつになったら入るのよ!」
宦官の喉元に剣を突きつけ、女性は眉を吊り上げながら言い放つ。反して宦官らは、ひぇっと声にならない声を上げていた。
「か、勘弁してくださいませ、我らは宦官なんですからぁ……」
「宦官だからとて、女に負けて良いのか!」
そうだそうだと、観戦していた女性らが息巻く。彼女らは揃って美形であるが、纏う空気が柔らかくない。男勝りという言葉がぴったりの女性ばかりだ。
隣に立っていた千樺が、葉雪の後ろにそっと隠れる。
「おお、こわ。相変わらず蓮花妃はお強い」
「あの人らは、妃なのか?」
「黒羽の後宮は少し変わっていましてね。ここに入るには条件があるのです」
「条件?」と口に含みながら千樺を振り返ると、ふと風が変わるのを感じた。
葉雪は咄嗟に千樺の腰に手を回し、一歩後退する。同時に少しだけ身体を逸らすと、横凪に一閃された剣が、葉雪の目の前を通り過ぎていった。
躱されたのが予想外だったのか、目の前に迫った女性の目が見開かれる。
「躱した? 嘘でしょ」
「……こらこら、困ったことをなさる。髪を断ち切るつもりだったでしょう?」
千樺の方を振り返っていた葉雪は、女性に背中を向けていた。女性の狙いは葉雪の後頭部。そこにある葉雪の髪紐か、結った髪を切り落とすつもりだったのだろう。
相手の髪を崩して、自分の力を示す。幼稚な思考を持った武人がよくやる、煽り行為である。
葉雪が呆れたように千樺に目線をやれば、彼は慌てて口を開いた。
「後宮に入るには、強さが条件です。男性に負けないほどの剣技を持つ者、豪胆な者、弓の名手、ここには強い女性が集まっているんです。それが現黒羽王、鵠玄楚からの『妃になるための条件』でした」
「はは、なるほど。王は強い女性がお好みか」
見回せば、女性たちはみな武器を携えている。面持ちは揃って芯があり、強さを感じさせる瞳はこちらを威嚇するように見据えていた。
ぎらぎらと、まるで獲物を見つけたかのような瞳は、他の後宮では感じえないものだろう。
千樺が蓮花妃と呼んだ女剣士は、剣を下ろさないまま葉雪を見据えた。
「あんた新入り? 手合わせ出来るわよね。私の剣を躱しといて、出来ないとは言わせないけど」
「良いですけど、見ての通り丸腰です」
肩を竦めながら言った瞬間、外野から剣が飛んで来た。葉雪の足元に落ちたのは、先ほど宦官が使っていたものと同じものだ。
当たり前のように拾い上げると、千樺がまるで猫のように縮みあがり、葉雪の元から離れて行く。どうやらこれが、手合わせの合意の合図であったらしい。
「れ、蓮花妃は本当にお強いですから、無理したら駄目ですよ!」
「う~ん、長剣か。長く扱ってないんだよなぁ」
指を折って数え、葉雪は首を傾げる。昊穹を去ってから一度も、長剣を使うどころか触ってもいない。魂与殿で瀾鐘と剣を交えたが、あの時は短剣だった。
久々に柄を握ると、重さと慣れた感触に頬が緩んでしまう。久々の感覚を味わっていると、もう目の前に蓮花妃が迫っていた。
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