天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

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第三章 黒羽の朧宮主

第54話 毒の出処

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***

 頭頂部で髪を一つにまとめ、麻の髪紐で括る。夜のうちに入手していた使用人の服を身に着け、葉雪は口元に抑えられない笑みを浮かべた。

(……よし、急ごしらえにしては上出来じゃないか?)

 垂らしていれば目立つ髪も、幞頭をつければ只の白髪頭に見える。変装ともいえないほどの簡易なものだが、短時間であれば悪目立ちもしないだろう。

 ちらりと外を見れば、木々たちの影が小さくなっているのが見えた。

 時刻は真っ昼間を少し過ぎたところで、ちょうど侍女らも休憩の時間である。鐸巳も午後に向けて、使用人らに指示を出しに出掛けたばかりである。

 葉雪は気配を消し、難なく宮を抜けた。使用人らの作業場を突っ切り、懸念していた黒冥府の門も、衛兵の目を盗んで潜り抜ける。

 上々の出来である。不穏な行動をしている訳でもないが、こうも上手くいくと気分がいい。


 毒の一件があってから、葉雪の周りはどことなく慌ただしい。穏やかだった黒羽の人らがそわそわしだすと、こちらも落ち着かなくなるというものだ。

 葉雪には何の情報も回ってこないが、大ごとになっているのは雰囲気で分かる。騒動の中心になった身としては、気になることが多すぎた。

 葉雪は気になったら、気が済むまで追及する性質である。教えてくれないのであれば、自分が動く他ない。


 黒冥府を抜けてしまうと、途端に人出が減る。もう忍ぶ必要は無かった。

 悠々と歩を進めていると、見えてきたのは畑と、広大な果樹園だ。すぅと息を吸い込めば、豊かな緑と土壌の香りが鼻へと届く。

(……ああ、気持ちが良いな。確かこの大きな農園を挟んで、黒羽の王宮があると聞いたが……あの壁の向こうかな?)

 広大な緑の奥に、横に伸びる黒い建造物が見える。恐らく黒羽の王宮を囲む、壁のようなものだろう。

 黒羽国の王宮を、葉雪は見たことがなかった。青年の頃の瀾鐘は『馬鹿でかくて仰々しい王宮』と零していたので、かなり立派な王宮があるのだろう。

 ここのところ瀾鐘は、毎日のように葉雪がいる黒冥府にやってくる。彼の寝床である宮や仕事場は黒羽の王宮にあるため、毎日この広大な農園を抜けているのだろう。

(……随分な距離だな。瀾鐘も毎日来なくても良いだろうに……)

 ぐるり見渡すと、草原の真ん中で荷車を引く老人が見えた。まったく動いていない車輪を見て、葉雪は思わず駆け寄る。

「爺さん、加勢するよ」
「おお、助かる」

 顔を上げた老人は、額から汗をたらりと垂らし、葉雪を見上げる。しかし白濁した瞳は、しっかりとこちらを捉えていない。
 はて誰だったかな、と首を傾げるのを見て、葉雪はからからと笑った。

「つい最近入った新入りだ。それより爺さん、そりゃ無茶だろ。代わろう」
「ああ、いけると思ったんだが……」

 荷車には雑穀やら藁やらがこんもりと盛ってある。家畜の餌だろうが、どう見ても一人で運ぶには量が多い。

 葉雪は老人をひょいと持ち上げると、荷車の上へと乗せた。そして持ち手を握り、ぐっと押し込む。
 沈黙していた車輪がごとりと音を立てて、生き返ったように荷車が進み始めた。

「おお! すごいなお前さん! そんな細い身体で、よう力が出るのお!」
「っはは、細いは余計だよ、爺さん」

 ごとごとと危なげなく進む荷車にほっとしたのか、老人がほう、と息を吐いた。

「ほんに助かった。今日は若手が全部出払っていてなぁ」
「そういえば爺さんしかいないな。どうかしたのか?」
「……ああ、新入りだから知らねぇか。実は数日前、大変な事があってのぉ……」
「……もしかして、毒の件か?」
「なんだ、知っておるのか? あの件で、取り調べがあっての、他は出払っとる。儂は目が悪いし、家畜の世話しかしとらんから免除じゃと」
「……そりゃ大変だな」

 返しながら、葉雪の心中は複雑だった。事態は使用人らにも波及している。やはり大ごとになっているようだ。
 被害は無かったが、黒冥府は黒羽の核となる場所だ。そこに害を成そうとする者がいるとなると、一大事なのだろう。

 しかし葉雪の言葉に、老人は項垂れながら頭を振る。

「いやぁ、当然じゃ。本来なら使用人を総入れ替えしたいほどの案件じゃろうが、お優しい主上はお赦しになられるのだろう。……しかし今後、あちらはどうするんじゃろうのう?」
「……あちら?」
「左様。黒羽の後宮じゃ」
昊穹こうきゅう?」

 こてんと首を傾げる葉雪を見て、老人が声を立てて笑う。

「天上の昊穹じゃのうて、後宮じゃ。お前さんは、本当になんも知らんようじゃの」
「ああ、そっちか!」

 葉雪もからから笑い、何度も頷いた。黒羽の国にも、もちろん後宮はあるだろう。
 跡継ぎを残すために無くてはならない場所である。

「あそこは華やかな場所じゃが、水面下は毒沼のような場所じゃ。王に見向きもされん者は、五体満足のまま一生を終えれるが、気に入られたものは修羅の道を歩まないかん。嫉妬と欲望に塗れた、末恐ろしい所じゃよ」
「随分と物騒だな」
「後宮の常じゃよ。しかし今回の件は、主上にとっても捨て置けないものじゃろう。後宮の歪んだモノを、黒冥府に持ち込んではいかん。……まぁ後宮の気質を考えれば、不思議ではないが」
「おん?」

 老人の確固たる言葉に、葉雪はぱちぱちと目を瞬かせた。先ほどからの話を聞く限り、毒を盛ったのは後宮の誰かであると判明しているようだ。そしてその動機も判明しているような口ぶりである。

「……どうして後宮が、黒冥府へ毒を?」
「さっき言ったじゃろ。女の嫉妬ほど恐ろしいもんは無い」
「なぜ嫉妬する?」

 葉雪の様子を不審に思ったのか、老人が真っ白の眉をぐっと寄せた。

「もしかして、お前さん……。朧宮主の事を知らんのか?」
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