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第三章 黒羽の朧宮主
第53話 最恐の癒し手
しおりを挟む「っら……瀾鐘?」
「……っっこの、大馬鹿者!! 何を冷静に……!」
瀾鐘からぐっと目線が合うまで抱え上げられ、双眸を見据えて叱られる。
まさに親が子を叱るような構図だ。しかも片手で保持されているため、葉雪は瀾鐘の首に手を回さねば心許ない。
かなり情けない状況だが、葉雪は怒り狂う瀾鐘を見据えて、きっぱりと言い放った。
「大丈夫だ、瀾鐘。あの毒は弱いものだから、女性や子供にしか効力が無いだろう。お前を狙ったものではない」
「……っ!? はぁ、この……っ!」
瀾鐘は口をぱくぱくさせた上、顔色もくるくる変えている。そして時おり憎らし気に葉雪を睨んだ。
ぶちまけたい怒りを無理やり抑え、四苦八苦しているようにも見える。
怒りの矛先はどうやら自分らしい。葉雪はそれに気付いたが、何に謝ればいいか分からない。
「瀾鐘? なんか、すまん。えっと……」
「あなたも吐け!」
「う、うん? いや、私は大丈夫だ。毒は効かんと知っているだろう?」
葉雪が言うと、瀾鐘は雄々しい眉をぐっと吊り上げた。鉤爪のように折れ曲がった眉山が、ぐっと強張る。
「肺を損なった人が、何を言っている!」
「それでもこれぐらい大したことない!」
「知らん! 吐け!」
有無を言わさず指を突っ込まれ、葉雪は目を白黒させた。
瀾鐘の手は大きく、その指はかなり節張っている。思わず噛みそうになって口を開けると、ずるりと指が奥へと入ってきた。
こうなってしまえば、吐き出すほかない。涙目になりながらえずくと、ころりと赤い大根が飛び出した。
思えば朝から大根しか口にしていないのだ。毒を摂取したとて、ほんの僅かだろう。
目に涙を浮かべながら、葉雪は瀾鐘を睨み上げた。すると彼は、ぐっと顔を強張らせる。
またその顔か、と思うものの、今回ばかりは恨み言を言わずにはいられない。ぐずぐすと鼻を鳴らしながら、鼻梁に皺を寄せる。
「瀾鐘のあほ。ばか。……こんくらいじゃ、どうもならんわ、あほ」
「……い、いや……」
「私を、誰だと……っけほ」
おそらく吐き戻した際に、胃液が喉を刺激したのだろう。喉がやけにひりついて、違和感がある。
けほけほ、と再度乾いた咳を零すと、瀾鐘の顔色がみるみる変わるのが見て取れた。
「呂鐸(ろたく)を呼べ! 今すぐだ!」
「っ!? だぁあ、呼ぶな!!」
呂鐸とは、つい最近葉雪の専属となった医官だ。呂鐸と鐸巳は兄妹らしく、見た目もかなり似ている。しかし身体つきは、鐸巳よりひと回り以上大きい。
医官とは思えないほどの逞しい身体と、鐸巳とそっくりの威圧感を持つ彼を、一言で表すのならば『容赦がない』に尽きる。
葉雪の身体をまるで赤子のように扱い、有無も言わさず療養させるのが呂鐸だ。浮かべる笑顔は圧を乗せた脅しであり、少しも癒される要素がない。
しかし医官としての腕は一級品で、黒羽の軍医をしていたところを、瀾鐘がわざわざ葉雪の専属へと引き込んだのだと言う。
「ろ、呂鐸はやめろ。他の医官にしてくれ」
「駄目だ。他の医官を当てると、あなたは直ぐに誤魔化す」
「誤魔化すってなんだ! 私は嘘など……」
「宮主」
背後から聞こえてきたのは、地の底すらも震えるような声だ。びくりと肩を揺らすと、瀾鐘の腕に力が籠る。がっちりと抱き込まれて、少しも身動きが出来ない。
「呂鐸、肺の音を聞け」
「失礼します」
「お、おい待て待て。取り敢えず部屋に戻らせろ」
瀾鐘に抱き上げられた状態で、葉雪は周囲を見回す。先ほどの騒ぎもあってか、使用人たちの人数は増えていた。
しかし瀾鐘と呂鐸は、観衆の目など気にしていない。まったく意に介さず、呂鐸に至っては葉雪の背中に耳をぴったりと付けている。
「瀾鐘な、お前の立場を考えろ。こんな場所で男を抱き込むなんて、国の長として……」
「しっ黙って。肺の音が聞こえません」
「こら、静かに」
「……むぅ……」
葉雪が黙り込むと、どうしてか使用人たちもしんと静まり返る。しばらくして呂鐸が一つ頷いた。
「大丈夫のようです。いつも通り、少し濁ってはいますが……」
「濁ってて悪かったな」
不満を口にするも、呂鐸も瀾鐘も碌に聞いてはいない。
「毒の影響は?」
「無いようですね」
「ほらみろ瀾鐘。今すぐ降ろせ」
とんとんと促すように瀾鐘の肩を叩きながら、葉雪はぐるりと周囲を見回した。
使用人の作業場は広く、調理場や洗濯場、そして寝泊まりする居室がひとまとめにしてある。居室の裏には畑もあるらしい。
ここ黒冥府は、黒羽の王宮からは離れた場所にある。毒を仕込める者は限られてくるが、問題は誰を狙ったかだ。
宮の裏には冥府があり、昊穹よりも小さいながら魂与殿もある。そこには黒冥府で働く文衛や官僚もいるのだ。
「……あの食事、あとは誰が食べるんだ? 漬物だったら、皆が口を付けるものじゃないのか?」
「すまない。すぐに対処するから、とにかくあなたは身体を休めてくれ。食事も、新しいものを作らせる」
伏目がちに葉雪を見て、瀾鐘は悔し気に眉根を寄せる。食事中は楽しそうだったのに、気難しい顔に逆戻りしてしまった。
葉雪は大げさに溜息を吐いてみせ、瀾鐘の額をぺちりと叩く。
「……お前はその、すぐに謝る癖をどうにかしろ。一国の王が、情けないぞ」
「その一国の王の額を、ぺちぺち叩くのもどうかと思うが……」
「はは、そりゃそうだ。しかし誰を狙ったものだろうな? ……ここでは私の正体は知られているのか?」
「いや。ごく一部の限られた者だけだ。それに、姉の件を覚えている者は……もっと少ない。
となると、昊黒烏を狙った可能性は低いだろう。
加えてあの毒は本当に弱いもので、男性が摂取しても効果がない可能性が高い。その点は毒を盛った者も分かっているはずだ。
(……そして、もう一つ分からないのは……)
ちらりと瀾鐘を見上げると、彼の意識はもう別の方に向いているように思えた。その別の方向に、ふつふつと煮えたぎるような怒りを向けている。不機嫌そうに溜息を吐き、舌打ちも零れてきそうだ。
怒りの方向がどこなのか、大いに気になるところである。
「なぁ、瀾鐘。今回のような弱い毒は、管理したとて阻止できるようなものじゃないぞ? この手の毒は、摂取するごとに症状が浮き彫りになるし、死ぬ前に露見するのが殆どだ。つまりは、お粗末な攻撃だよ。相手もそんなに脅威ではなさそうだ。……何もなかったんだから、使用人らを責めるなよ」
「……分かっている」
「じゃあ、誰に怒っているんだ?」
「……」
黙ったまま瀾鐘は歩を進める。せめて降ろしてくれ、という願いも空しく、葉雪は瀾鐘の足で宮へと帰ることになった。
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