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第三章 黒羽の朧宮主
第48話 緑刑の痕
しおりを挟む庭の入口で、海市は鵠玄楚を出迎える。そして鵠玄楚の腕に抱かれている葉雪を見て、片眉をついと上げた。
「眠ってしまわれたのですか?」
「……ああ」
海市の脇を通り抜け、鵠玄楚は宮へと入った。寝室へ入ると、鐸巳が整えた寝台の脇で小さく頭を下げる。
鵠玄楚は葉雪の身体を横たえると、水桶から手拭いを取り出した。
「世話は俺がする。お前は下がれ」
「駄目ですよ。毎度、主上の手入れは丁寧すぎて、宮主の具合が悪化しないか冷や冷やするんですから」
「……では、手伝え」
「御意」
鐸巳が葉雪の髪を解き、鵠玄楚が首元に浮かんだ汗を拭う。海市はその様子を、寝台の端っこに座って見ていた。
鐸巳はてきぱき動き、鵠玄楚の抗議の声も聞かず、葉雪の中衣を剥ぐ。
葉雪の身体には、未だ痛々しく包帯が巻かれていた。患部である背中の包帯には、血液が沁み出している。
鐸巳が顔を近付け、くんくんと鼻を動かす。
「血は既に止まっているようです。……しかし体温が高いですね。医官を呼びますか?」
「包帯の交換にも体力がいるからな。……暫く寝かせる」
葉雪の服を整えると、鵠玄楚は寝台の脇に腰掛けた。
「……昔は……この人が眠っている姿など、見たことがなかった」
「主が、塵竹だった時ですか?」
「ああ。この人は一度も、俺に背中を預けたりしなかった。……俺はこの人の右腕だったが、肩を貸すことも無かったな。誰一人として、彼に敵う者はいなかった」
「今のお姿は、そういう感じには見えませんね」
「そうだろうな…」
鵠玄楚は葉雪の髪に、指を通した。
純白の髪の中に、一房だけ緑色が混じっている。この緑が、昊黒烏の肉体を蝕んだ緑刑の名残だという。
昊黒烏の特徴である白い髪は、鵠玄楚の胸を焦がす象徴とも言える。
試練中は、触れることさえ叶わなかった。
しかし千年の試練が終われば、いつかそれにも届く。
鵠玄楚はそれだけを糧に試練を乗り越えてきた。
大きな存在であった昊黒烏と肩を並べ、彼の髪に触れる存在に成り上がる。それが出来れば、望みは叶うかもしれない。
黒羽の皇子に転生したのは、鵠玄楚にとって大きな好機だった。黒冥府を使って必死で昊黒烏へと近付きつつ、力を蓄えていたのだ。
しかし今、変わるはずもないと思っていた昊黒烏の方が、一変してしまった。
昊黒烏の髪に触れることが叶ったが、彼が死にゆこうとしている事を受け入れられるはずもない。
「……少し落ち着いたら、傷だけでなく全身の状況を診させよ。……恐らくこの人は、自分というものを押し殺して生きてきたんだろう。そういう生き方を強いられてきたんだ」
葉雪の頬に手をやれば、さらりとした感覚が指に伝わる。
体温は高いものの白い肌は儚げで、今にもさらさらと崩れ去っていきそうだ。
「しかしそれにも限界が来たんだろう。だから彼は昊穹を去った。数百年耐え忍んでいた彼の精神が、崩れるほどの何かがあったんだ。…………俺自身も、原因の一つかもしれん」
「それを知るには、昊穹に聞くしかないんですね」
「ああ。……しかし知ったところで……彼の状況が良くなる訳でもない。彼の心の傷を抉る可能性だってある」
「しかし昊穹はまだ宮主を諦めていません。今後関わることの無いよう、やつらの罪を暴き、報復すべきでは? ……そういえば、九兎は何か知らないの?」
鐸巳が振り返り、部屋の隅に佇んでいた九兎を見遣る。
九兎は身体の脇にある拳をぎゅっと握り、鐸巳の縦長になった瞳孔を見返した。
「僕は神獣としては新入りで、何も知りません。しかし先輩らからは、昊穹の神獣の在り方についての理は教わりました。そしてそれを、未だに呑み込めていません……」
眦に涙を溜めながら、九兎は絞り出すように言う。その姿を見て、鵠玄楚ははたと思い出した。
思えばこの九兎は、葉雪を昊穹から逃がす事に尽力してくれた。
九兎はあの時、新たな黒羽の王である鵠玄楚の素性をあまり知らなかったはずだ。
年若い神獣ならばなおさらだろう。得体の知れない者に、自分の主を任せられるものなのか。
(……それとも……得体が知れないと分かっていても、鵠玄楚に託す方がましだと判断したのか……?)
九兎を見ると、耐えていたはずの涙がぼろりと流れ出していた。
彼はおずおずと、まるで怖いものを見るように葉雪の方へと視線を移す。くしゃりと顔を歪め、その頬を涙が幾筋も流れていく。
「昊穹にいる神獣たちは、大主から二つの約束事を守るように言われていました。一つ、昊穹の神獣である限り、昊穹へ尽くす事。二つ、大主である昊黒烏の役割を理解し、干渉しないこと。……どれだけ大主が辛い状況にあっても、護らないのがしきたりだったのです」
「……役割……。本人も言っていたが、昊黒烏の役割とはなんだったんだ?」
『____もう随分前に、私の役目は終わっていてね』
先ほどの葉雪の言葉が頭に過る。
昊黒烏の役割は、昊殻の長として昊穹を守る事だと思っていた。
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