天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

文字の大きさ
上 下
47 / 60
第三章 黒羽の朧宮主

第47話 甘えが許される場所

しおりを挟む
「でもな、瀾鐘。私は、昊穹から逃げたかったんだ。愛着があると言いながら、彼らから逃げた」
「……逃げた?」
「うん」

 頷いて、葉雪は目の前の花畑へ視線を移す。
 蝶が自由に跳び回っているのを見ると、どこまでも気持ちが穏やかになっていく気がした。

 ここは昊穹ではない。だから葉雪の想いも、ここでは通じるかもしれない。
 優しい瀾鐘ならば、きっと分かってくれるだろう。

 小さく息を吐いて、葉雪は穏やかに微笑んだ。

「……情けないんだが、私はもう長くない」

 ふよふよと漂う蝶を目で追っていて、葉雪は鵠玄楚の表情の変化に気付けなかった。

 返事を返してくれない彼を疑問に思いながら、花から花へと移る蝶を、頬を緩ませながら見る。
 ついでとばかりに口を開けば、昊穹の愚痴が零れだしてきた。

「もう随分前に、私の役目は終わっていてね。色々なことを急いたせいか、魂はぼろぼろなんだ。しかし昊穹の者らはまだまだ私を使いたがる。……私だって、彼らの力になりたいが、とうに限界は迎えている。……でも彼らは、説得しても聞きやしない。頭が堅い奴らばかりで困る」
「……そ……」
「うん?」
「……っうそだ……」

 視線を鵠玄楚へ移せば、その表情は一変していた。顔は青ざめ、唇は小さく震えている。

「瀾鐘、どうした? 冷えたか?」

 葉雪は鵠玄楚へ手を伸ばし、指先で頬へ触れる。冷やりとした温度が、指先に伝わって来た。
 温めるように頬を包むと、鵠玄楚がまるで何かを乞うような表情へと変わる。

「………嘘だろう……!?」

 鵠玄楚が、頬にあった葉雪の手を握り込む。その手は冷えているのに汗ばんでいて、葉雪は彼の顔を覗き込んだ。
 その白くなった顔色を見て、葉雪は慌てて笑顔を繕う。

「いやいや、長くないとは言っても……天上人ほど長生きしないという意味だぞ? 今すぐ死ぬわけじゃない。恐らくあと数年は大丈夫だと思うが……」
「……す、数年?」
「ああ、恐らくな。通常なら、天上人は三千年以上生きるだろう?   しかし私はもう駄目だ。……そもそも私という存在が、司天帝から与えられた期間限定の宝器みたいなものでね。壊れることが前提だから、仕方ないんだが……。余程使い勝手が良かったんだろう、使い倒されてしまった」

 約千年もの間、葉雪は昊穹のため働いた。その無理が祟ったのか、今では魂と肉体両方とも、深刻な状況になっている。

 天上人にとって昊黒烏こうこくおは、正に強力な道具だった。それを急に取り上げられては、文句の一つも言いたいことは分かる。
 しかし物には寿命が来る。使い方が荒ければ尚更、その寿命は短くなるだろう。

「もう先は短いと思ったら、ちょっといとまが欲しくなってね。……話しても無駄だから、逃げた、という訳だ。……私は物かもしれんが、なんせ意志があるからなぁ。最後ぐらい好き勝手したかったんだよ」
「……っ!」

 手を引かれ、葉雪はそのまま鵠玄楚の胸へと倒れ込んだ。
 痛いほど抱きしめられると、鵠玄楚の胸からどくどくと、早鐘を打つ心臓の鼓動が聞こえてくる。

「瀾鐘?」
「……っ」
「……? 泣いて、る?」

 鵠玄楚の背を撫でると、その逞しい背中は震えていた。
 
 

 *****


 いつからだ。

 鵠玄楚は混乱した思考を叱咤した。
 葉雪を胸に抱きながら、幾つもの記憶を辿る。

 塵竹に至るまでの人生で、昊黒烏の辛い表情など見たことがなかった。彼はいつも前を向いており、何の憂いも抱いていないように見えていた。

 しかし塵竹の時だけは、昊黒烏から距離を置かれていて、彼の感情を窺う事が出来ていなかったように思う。
 
(……今思えば……昊黒烏このひとが誰かに冷たくするなど、考えられない事だ……。もしかして塵竹に問題があった訳ではなく、何か他に理由があるのか……?)

 鵠玄楚は葉雪の背中に腕を回し、薄くなった身体に問いかけた。

「……いつ、限界と悟った?」
「いつ……。そうだな、もう駄目だと思ったのは……塵竹という部下が死んだ時だ」
「っ……どうして?」
「色々あってね。その時に何もかも、ぽっきりと折れた」
 
 深い息を吐いて、葉雪は鵠玄楚の胸へと更に凭れかかった。
 身体全てを預けられているはずなのに、葉雪の重さはまったく感じない。
 その軽さが、彼の深刻さを物語っている。
 
「……身体も、小さくなった……」
「うん。緑刑がな、思いのほか効いてしまったんだ。そのせいで肺がやられてしまった。これは私も予想外だったが……多分もう、肉体も限界だったんだろう」

 言い終えると、胸の中の葉雪がくつくつと笑い出す。

「ああ、すまないな。瀾鐘が相手だと、私はすぐ甘えてしまう。年を取るとさ、身体がどうのこうの言いたくなるだろ? あれと思って、許してくれ」
「許すも何も……。あなたは甘えなさ過ぎだ」
「……っふ、そうかぁ? ……瀾鐘はほんと、優しいな……」

 抱え込んでも腕が余るほどの、華奢な身体。それが一時的なものではないと分かると、途端に恐怖が襲ってくる。
 適切な食事、そして療養すれば、また元の彼に戻ると思い込んでいた。

 魂が受けた傷は、治癒することは無い。そして魂が弱れば、いずれ肉体も弱っていき、死に至る。

 魂の死は、真の死である。崩れてしまえば、この世界から消えてしまう。

(……っふざけるな……! 絶対、許さない……)

 誰がここまで追い詰めた。
 そう問い詰めたいが、腕の中にある華奢な身体を前にすると、壊れそうで恐ろしかった。

 『色々あって』と口にする彼の、表情が少し怯えていたのも気になる。

 不屈の精神を持った昊黒烏。その心をへし折る、何か恐ろしい事があったのだろう。
 しかしそれを、葉雪本人に聞くのは避けたかった。どれだけの傷が潜んでいるか計り知れない。

 鵠玄楚はもう、葉雪を少しも傷つけたくなかった。何の憂いもなく、隣にいて欲しい。願いはそれだけだ。

 鵠玄楚は腕に力を込め、葉雪の身体を更に抱き寄せる。

「……っ、あなたは、……頑張った。ほんとうに……頑張ったな……」
「……う、ん?    ……頑張った? ……私が? ……なに、を?」

 鵠玄楚に問いを投げかけながら、葉雪は言葉を所々詰まらせた。その身体からは、じんわりと少し高い体温が伝わってくる。

「あなたはもう、好きに生きていい」
「……すき、に……? すきって…………あぁ、瀾鐘……ねむ、い……」
「眠っていい。俺はもう少しここにいるから」

 てんてんとあやすように脇腹を叩けば、葉雪の身体は徐々に力を失くしていく。
 胸の中から安らかな寝息が聞こえると、鵠玄楚はその身体を抱いたまま立ち上がった。
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

出戻り聖女はもう泣かない

たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。 男だけど元聖女。 一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。 「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」 出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。 ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。 表紙絵:CK2さま

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

婚約破棄された王子は地の果てに眠る

白井由貴
BL
婚約破棄された黒髪黒目の忌み子王子が最期の時を迎えるお話。 そして彼を取り巻く人々の想いのお話。 ■□■ R5.12.17 文字数が5万字を超えそうだったので「短編」から「長編」に変更しました。 ■□■ ※タイトルの通り死にネタです。 ※BLとして書いてますが、CP表現はほぼありません。 ※ムーンライトノベルズ様にも掲載しています。

処理中です...