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第三章 黒羽の朧宮主
第42話 最適解が見つからない
しおりを挟む帯を締め終わると、葉雪は衣の軽さに驚いた。加えて、まるで自分のために作られたかのような着心地に、つい身体を動かしたくなる。
肩を回して突っ張りが無いのを確認していると、鐸巳からの熱い視線に気付く。
鐸巳は切れ長の瞳を垂れさせ、まるでお預けを食っている子供のように口を引き結んでいる。
先程までのてきぱきとした態度とはかけ離れていて、葉雪は思わずぱちぱちと目を瞬かせた。
「どうした?」
「さて、宮主……御髪に櫛を通しても?」
まるで今からが本番であるかのように、鐸巳は口にする。
葉雪は目をまん丸にしながら、自らの髪に手を伸ばした。
いつも髪は結わずに寝ているし、朝から手入れすることもあまりない。
指を通してみても、特段絡んでいるという感じはなかった。しかし瞳をきらきらさせている鐸巳を前に、にべもなく拒否などできない。
「……分かった。高めに結ってくれないか?」
「結っていいのですか!?」
「……一つ結いで、垂らしてくれよ。編み込みとかはしないように」
「……御意……」
肩を落とす鐸巳を見て、葉雪は「やっぱりか」と眉を下げる。
葉雪の白い髪は珍しく、触りたがる者も多いのだ。侍女は人の身支度をするのが仕事のため、髪を編み込んだりする事に拘りを持つ者も多い。鐸巳もその類だろう。
葉雪の返答を聞いて、九兎もにわかにそわそわし始めた。
二人で嬉々として支度をし始めるのは、見ているこちらもほっこりと和んでしまう。
本来葉雪は、髪を結うのが苦手だった。
昊黒烏として任務する際は、髪を垂らしていた方が良く動ける気がしたからだ。
しかし今はもう、気にする必要はない。
葉雪は窓の近くの長椅子に腰掛けて、自身の髪が結われる間、窓の外を見て過ごした。
*****
黒羽の王宮では、毎日朝議が行われる。
朝議と言えば、官僚たちが報告し合う場であるが、黒羽の場合は違う。黒羽国の朝議は盛んに意見を交わし、全員で案件を吟味する場である。
王である鵠玄楚も、朝議には都合がつく限り参加していた。
今日もいつものように、朝議が始まろうとしている。しかし集まった官僚たちは、玉座の間が暗い雰囲気に包まれている事に戸惑いを隠せない。
古株である官僚の一人が海市を手招きし、耳打ちする。
「主上はどうなされた?」
「……あー。落ち込んでるんですよ」
「主上が? いったい何があった?」
「そりゃあ……俺の口からは言えません」
海市は言いながら、ちらりと玉座を見た。
鵠玄楚が朝議に参加するのは数日ぶりだ。しかしいつもなら玉座から降りて意見を交わす鵠玄楚が、今日は眉根に深い皺を刻んだまま、むっつりと黙り込んでいる。
海市はひとつ溜息を吐いて、官僚へと耳打ちを返す。
「先に始めといてもらえます? 主上は放っておいて結構です」
「承知した」
官僚は遠慮なく頷き、玉座へ軽く一礼した。
鵠玄楚が指先でちょいちょいと空をはらうと、官僚は口元に困ったような笑みを浮かべる。
まるで拗ねた子を見守るような表情だ。
官僚らは鵠玄楚が試練で不在である時も、力を合わせて国を守ってきた。鵠玄楚を支えることに喜びを感じ、共に戦ってきた戦友という意識も強い。
そのため彼らは他国の官僚と違い、王に対しても貴賤なく意見する。しかし鵠玄楚という王を敬う気持ちは揺るぎない。
さっそく始まった盛んな論争を聞きながら、海市は玉座へと近付いた。
「主……。まだ落ち込んでいるんですか?」
「…………」
「結果的に、彼は主の手の中ですよ? 良かったじゃないですか」
「良いはずないだろう、阿呆が!」
鵠玄楚の怒鳴り声に、官僚たちがしんと静まり返った。しかし海市が手をひらひら振ると、徐々に元の騒がしさに戻る。
鵠玄楚は眉間を揉み込んで、溜息と共に言葉を吐き出した。
「……こんなはずではなかった。千年越しの再会だぞ? それが、あんな形で……」
「確かに。なぜ主は気付けなかったんでしょうね? 自信満々だったでしょうに」
「……ちっ」
鵠玄楚は海市を恨めし気に睨み上げるも、海市は一つも動じなかった。しかしこの件に関しては、鵠玄楚も返す言葉がない。
「あの生意気で小さな文衛が、まさか彼だとは……。俺が塵竹だった頃の彼とは違いすぎる」
「肖雲嵐だったころはどうだったのです?」
「……華奢な男性、という認識だった。身長も平均に見えていた。ただし、人間界においてだが」
「なるほど。肖雲嵐は人間で、その目から見れば平均的だった。という事ですか」
「……それにしてもだ。……気付くべきだった」
自信はあったはずなのに、鵠玄楚は文衛の正体に気付くことが出来なかった。その上昊穹への苛立ちを彼にぶつけ、無体も働いてしまったのだ。今になって悔やむものの、無かったことには出来ない。
そのため鵠玄楚は、念願かなって昊黒烏を手中に納めたというのに、未だに彼に会いに行けないでいる。どう謝罪しても、許されない気がしてならないのだ。
何より、昊黒烏の事なら誰よりも知っている、という自身の驕りに、唾棄したいほど腹が立っている。
「……昊穹の動きはどうだ?」
「特になにも。静かすぎるくらいです」
「ではこちらも動くな。もし動きがあれば、全力を上げて対応しろ。黒羽の脅威は鵠玄楚だけではないと示してやれ」
「御意。……まぁあちらも、屠淵池を守る要が無くなれば困るでしょうしね」
屠淵池はこの世で一番厄介な場所だが、黒羽の王が確立しなかった間に、更に危険な地となっていた。
ここで要である黒羽を失えば、昊穹にとっても痛手であるだろう。
「……昊穹にはもう昊黒烏もいない。戦力は確実にこちらが……」
「主上」
鵠玄楚の声を遮るように、王座の間に声が響いた。同時に巨大な蛇がするすると、腹を擦りながら現れる。
大蛇は鵠玄楚の足元でとぐろを巻くと、ぱかりと真っ赤な口を開けた。
「宮主が庭園を散策されます。……そろそろ会われては?」
「……」
口を開いたまま、鵠玄楚がぴたりと黙り込む。側にいた海市が、呆れたように溜息をついた。
「主、そろそろ腹を括っては如何です? あの方のために造った庭園でしょうに。喜ぶ姿を見なくていいので?」
海市が言うと、会議をしていたはずの官僚たちが騒ぎ始めた。
「おお! 宮主は庭に出れるまで回復なされたか! さすが神獣の生みの親、大主ですな!」
「我々も早くお姿を拝みとうございます! 主上、どうか仲直りを!」
「喧嘩などしておらん! 会議に戻れ、阿呆ども! ……おい、鐸巳」
鵠玄楚は視線を落とし、大蛇を見下ろす。鐸巳と呼ばれた大蛇は、鎌首をぺこりと下げる。
「あの人は、どんな様子だ?」
「はい。宮主は終始朗らかな様子で、幼獣と戯れる様は、特に美しく可憐で目が離せないほどでございます。……侍女らも待ちに待った宮主に湧いておりますので、主上が会わないと仰るなら、これから皆でお茶会などしようかと思っております。ああ、そうだ、主上が選ばれた服もお召になっていますよ。もうそれは、語彙力が欠如するほどの美しさで……」
「……会う」
「仰せのままに」
鐸巳はするりととぐろを解き、また王座の間を我が物顔で横切っていく。その姿を見送りながら、海市は口を開いた。
「あのお方は、鐸巳の正体に気付かなかったようですね」
「おう。鐸巳は昊黒烏が生み出した神獣だが、あれの主はもう俺だ。名も付与したし、繋がりは切れているのだろう。……彼が生み出した神獣は数多ある。その全てを覚えてはいまい」
昊黒烏は神獣つくりの天才だった。神獣の核を見つけては生み出し、昊穹や人間界へ送り出していたのだ。黒羽にも多くの神獣が送り込まれた。その恩恵は計り知れない。
送り込まれた神獣は新たな主を得るが、昊黒烏は神獣の大元の主だ。神獣たちは彼を『大主』と呼び、主よりも敬っている。
立ったまま動こうとしない鵠玄楚に、海市はまた呆れたように溜息を吐いた。
「主、行かないんですか?」
「……行くが、ちょっと待て」
「謝罪の言葉は、もう何日も吟味したでしょう?」
「煩い、黙れ。まだ最適解には至っていない。……もっと時が欲しい」
「千年も待ったのに、これ以上時を掛けるおつもりで?」
海市の言葉に、鵠玄楚はぐっと喉を鳴らす。恨めし気ににらみつけたあと、彼は意を決したように玉座を後にした。
官僚たちの声援を背中に受け、「喧しい」と怒鳴りつけながらも、鵠玄楚は昊黒烏のもとへと向かう。
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