天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

文字の大きさ
上 下
41 / 60
第三章 黒羽の朧宮主

第41話 居心地の良い場所

しおりを挟む
 五狼の毛並みを撫でながら、考える。
 葉雪の置かれている状況は、どう考えても芳しくない。しかしいつもなら過敏なほどに働く危機感が、まったく湧いてこないのだ。
 現に葉雪は、五狼と戯れる余裕があるほどに、落ち着いてしまっている。ここは知らない場所であるのに、居心地が良すぎるのだ。


 意図してでは無いと思うが、黒羽のこの宮には葉雪の好きなものが散りばめてある。

 葉雪の好きな香が控えめに焚かれ、丸く切り抜かれている窓からは、白い花の咲く梅の木が見える。
 寝台は豪華過ぎるが寝心地は抜群で、窓の外を眺めながらのんびりするのも悪くない。

(……こんなにゆっくりしたのは……生まれて初めてかもしれないな……)

 昊穹にいた頃は、言うまでもなく多忙だった。人間界に降りてからも料理人として過ごすのが楽しく、休日も食材探しなどで動き回っていたのだ。
 こうして何をするわけでもなくのんびりと過ごすのは、初めての経験だった。

「宮主」

 呼ばれて視線を上げれば、寝室の扉に人影が映っている。この宮で働いている侍女の長である、鐸巳たくみだ。

(……おお、気が付かなかった。ふふ、相変わらず気配が薄い)

 鐸巳は侍女であるはずなのに、立ち振る舞いや雰囲気がどこか人間離れしている。
 しかし悪意はまったく感じず、さばさばとした性格も相まってか、葉雪はすっかり彼女に信頼感を抱いていた。
 葉雪は立ち上がると、五狼を抱いて声を返す。

「鐸巳、入って構わない」
「失礼いたします」

 鐸巳は寝室へ入ると、寝台から出ている葉雪に眉山を吊り上げた。小言を言われるか、と葉雪が構えていると、予想に反して鐸巳はにこりと笑う。

「体調はいかがですか? 宜しければ庭へとご案内しますが……」
「……っ良いのか? 行く!」

 ちらちらと見えてはいたが、この宮の外には大きな庭園がある。風に乗って運ばれてくる香りは、瑞々しい樹木と花から放たれているものだろう。

 そして耳に届くのは、清らかな水の音。きっと庭園には池がある。
 見てみたくて仕方がなかったが、頼める立場でもない。今日まで大人しく寝室に留まるしかなかった。

 飛びつくように返事を返す葉雪に、鐸巳はくすくすと笑いを零す。

「宮主は、庭園が好きなので?」
「うん。そうだな、好きだ」
「殿方なのに、珍しゅうございますね」
「そうか?」

 鐸巳の言葉に答えながら、葉雪は最低限の身だしなみを整えた。中衣の襟を整え、扉に手を掛けようとしたところで、鐸巳の声が耳へと届く。

「宮主。まさかその格好で外へ出られるおつもりですか?」
「そうだけど、どうしてだ?」
「いけません。お召替えを致しましょう」
「面倒だ。このままでいい」

 ちょっと庭に出るだけだろ、と葉雪は小首を傾げる。
 確かに寝間着姿ではあるが、ここの中衣はかなり造りがしっかりしている。だらしなさは無いはずだ。
 しかし鐸巳は許さず、女性にしては逞しい眉をきっと上げる。

「身体を冷やすといけませんし、宮主の中衣姿など人の目に触れさせてはなりません」
「……私は危険物か何かか? 男の寝間着姿など、見たくないなら見なければいいだろう」
「いいえ、宮主を守るためです」

 鐸巳がきっぱり言い放つのと同じくして、扉の外に新たな人影が現れた。小さな影は扉を押し開き、寝室へと入ってくる。

 満面の笑みで寝室へ入ってきたのは、青年になって間も無いほどの男児だ。
 真っ直ぐ切り揃えられた前髪、その下にある瞳はくりくりと大きい。着ているものが男物でなければ、女児と見間違うほどの愛らしさだ。
 
 青年は葉雪に目を移すと、更に眉を下げる。

「大主!」
「……ん?」
「ぼくです! 九兎です!」
「九兎!?」
「はい、太主!」

 青年は元気に返事をすると、振り返って腰を突き出した。尻のあたりに生えているのは、紛うことなく兎の尻尾だ。
 得意げに笑う九兎に、葉雪は歩み寄った。

「九兎! すごいな、立派な人型だ!」
「黒羽の方々に教えてもらったのです!」
「そうなのか。こんな短期間で……大したもんだな」

 黒羽の神獣は、人型への変化に長けていると聞く。獣の姿を捨て、人と共に生きていく者らもいるようだ。変化の仕方だけみれば、昊穹の神獣よりも長けているかもしれない。

 尻尾以外は見事に人間になり切っている九兎が、へへ、と得意げに笑う。そして抱え込んでいた服を、鐸巳へと差し出した。

 きっちりと畳まれているその服は、誰がどう見ても一級品だ。
 特殊な糸で刺繍が施されているのか、光を受けると様々な色へと変化する。高い地位を持つ者しか身につける権利のない逸品だろう。
 葉雪は仰け反りながら、その衣へ視線を落とした。

「まさかとは思うが……それを私が?」
「もちろん宮主のものです」
「どうして私がこんなものを着るんだ? 今更だが、人違いじゃないか? 私はこんな待遇を受ける身分では無い」
「まさか。人違いなどありえません」

 九兎から服を受け取り、鐸巳はてきぱきと支度を始めた。袖口を広げ、ささやかな抵抗を示す葉雪の腕を、問答無用とばかりに服へと突っ込んでいく。

「主上本人が、貴方さまを直々にここへと運んだんですよ? 宮主は仮面も付けていませんでしたし、主上本人も宮主の顔を何度も見ていました。……もしも人違いであるなら、黒羽の王はとんだ間抜け野郎です」
「……い、言うねぇ」
「……まぁ……ほんとに少々間抜けかもしれませんが」
「うん?」

 小さく呟く言葉が聞き取れず、葉雪は鐸巳の顔を覗きこんだ。鐸巳は誤魔化すように小さく微笑むが、言葉を続ける。

「うちの主上は、国民に愛され、尊敬されている偉大な王です。黒羽の王族は天上人と同じく長命なので、崇拝されているといっても過言ではありません。そんな超絶完璧な王ですが……弱点はあります」
「そりゃあ、王だって人間だからな。柔い部分だってあるだろう」
「はい。その弱点の為に尽力していたはずなのに、いざとなると失敗するんです。……何より大事な人を傷つけたと、ひどく落ち込んでいます。困った王です」
「そうなのか。意外だな」

 帯を締められながら、葉雪は頬を緩ませた。
 書庫では正に『暴君』だった鵠玄楚こくげんそにも、意外に人間臭いところがあったようだ。国民に愛されているという事実も、旧友として微笑ましい。
 やはり鵠玄楚は、瀾鐘としての優しさを失っていないのかもしれない。
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

出戻り聖女はもう泣かない

たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。 男だけど元聖女。 一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。 「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」 出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。 ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。 表紙絵:CK2さま

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

婚約破棄された王子は地の果てに眠る

白井由貴
BL
婚約破棄された黒髪黒目の忌み子王子が最期の時を迎えるお話。 そして彼を取り巻く人々の想いのお話。 ■□■ R5.12.17 文字数が5万字を超えそうだったので「短編」から「長編」に変更しました。 ■□■ ※タイトルの通り死にネタです。 ※BLとして書いてますが、CP表現はほぼありません。 ※ムーンライトノベルズ様にも掲載しています。

処理中です...