天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

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第二章 執念の後、邂逅へ臨む

第二章 章末

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 嘲るような笑い声に煮えたぎる感情を含ませ、鵠玄楚はまるで呪いを吐くように冥王へと捲し立てる。

「お前ら天上人は、俺を道化か何かに仕立てるつもりか? 昊黒烏だった男は、もう昊穹にいるじゃないか」
「……っなにを……」
「なにを?」

 目線だけを葉雪へと落とせば、それだけで冥王は理解したようだ。 
 緊張を警戒に変え、唇を引き結ぶのが見える。

「……確立した俺の力量が分からず、追放している彼を呼び戻して警護をさせていたのか? 呼び出すことが出来るのならば、迎え入れればいい。……それが出来ないという事は、昊黒烏自身が昊穹に戻ることを望んでいないという事ではないのか? 聞けば、昊黒烏は自分の罪を認めたうえで追放されているらしいじゃないか」
「……っそれは……」
「宴の場での発言を撤回する。俺は昊黒烏の無実を証明しない」

 昊黒烏は無実だ。
 それが解っている鵠玄楚は、彼の無実を晴らしたかった。彼ほどの人材が汚名を着せられたままなのは、正直腹に据えかねる。

 しかし魂与殿での彼は、昊黒烏が自供したと情報を寄越し、自分自身を貶めるような発言もしていた。

 昊黒烏は復帰を望んでいない。そう考えるのが妥当だろう。
 鵠玄楚としても、彼がまた昊穹という檻に囚われるのは良しとしない。

(……もしも彼が復帰を望み、汚名を雪ぎたいとしたら、全力で協力するつもりでいた。……しかし、今なら解る。……あなたはきっと、望んでない)

 冥王に見せつけるように、鵠玄楚は葉雪の身体を抱き込んだ。
 片手で抱え込めるほどの儚さに胸が痛み、奥歯を噛み締める。

 対峙している冥王の気配が、冷やさも増して鋭く尖り始めた。

「その文衛を、返してくれ」
「どうしてだ。もう彼は昊黒烏ではない」
「お願いだ。昊穹側の非は認める。もう協力は求めない。……だけど彼だけは返して欲しい。彼は、家族なんだ」
「……っおいおい、家族だと? ふざけるのも大概にしろ」

 鵠玄楚は笑って見せ、葉雪を見下ろした。

 耳に届く小さな寝息は、細くか弱く、かつての力強さはそこにはない。

「……家族であれば、彼の変わりようが心配では無いのか? それとも何か? 彼がこうなった原因でも知っているのか?」
「……」
「この人の足の傷は、外に向かって斜めに付いている。恐らく、自分で断ち切ったものだろう。……自分の罪を認め、腱まで断ち切った。彼は追放されたがっていたのでは?」
「え……? 腱を?」


「鵠玄楚! 彼を放せ!」

 まるで会話を断ち切るように、中庭に雷光が走った。

 閃光と共に庭へ入ってきた雷司白帝は、鵠玄楚の前へと来ると高く跳躍した。そして長剣を振り上げ、躊躇うことなく鵠玄楚へ斬りかかる。

 その剣には明らかな殺意が感じられた。一太刀で敵を葬ろうとする気力が籠められている。
 しかし鵠玄楚は、向けられた敵意を好都合とばかりに、口端を吊り上げた。

 鵠玄楚は葉雪を片手で抱え、腰の剣に手を掛ける。そして渾身の力で抜刀し、雷司白帝の剣を受け止めた。

 片手で剣を防がれた事に、雷司白帝は目を見開く。その瞳を、鵠玄楚は殺気をもって睨みつけた。

「お前たちは、俺が脅威かどうかを判断したかったのだろう? それならば教えてやる」

 鵠玄楚は剣を振り払い、雷司白帝の剣を易々と弾き返した。続いて剣撃を加え、彼の長剣を叩き割る。

 その剣は宝器だったのだろう。叩き割られた長剣は霧散し、その場から立ち消える。
 後に残ったのは、驚愕に目を見開く雷司白帝だけだ。

 雷司白帝の剣の腕は、あまりにもお粗末だった。あまりの手ごたえの無さに、乾いた笑いさえ漏れる。

(これが四帝の力か……? 昊黒烏の力に護られ、享受して……ここまで堕落したか……)

 四帝は昊穹を支えるべく、司天帝から強大な力を授かっている。宝器も数え切れぬほど所持しているだろう。
 しかし雷司白帝の剣技は、昊黒烏の足元にも及ばない。

 鵠玄楚は、ある時は人、ある時は獣と、様々な瞳で昊黒烏を見てきた。彼はいつでも四帝らを真摯に護り、人間にも加護を与えていた。

 特に彼の下で動いていた塵竹の時代は、その任務の過酷さを目の当たりにしている。

 だからこそ、心底腹が立つのだ。

「お前の力は……塵竹にさえ劣る」
「……な、なに?    き、貴様は……」

 雷司白帝の喉元に剣を付きつけ、鵠玄楚は肺に溜まった空気を押し出した。

「お前たちの望み通り、俺は今から脅威となる」

     鵠玄楚は葉雪の身体を抱き込み、口元に顔を寄せた。
 雷司白帝を威嚇するように見据えたまま、葉雪の仮面の嘴を歯で挟み、まるで噛みちぎるように仮面を剥ぎ取る。
 仮面が外れたことで、頭に引っかかっていた頭巾もはらりと落ちた。

 目の端に映ったのは、雪のように白い髪だ。

 雷司白帝の表情が、憤怒へと変わる。
 感情の猛りを隠そうとせず、鵠玄楚へとまっすぐ突き刺さるような怒りの念だ。

 四帝としての彼はもうそこにはない。鵠玄楚の目の前にいるのは、ただ怒りに身を焦がす、一人の男だった。

「その男を返せ! 彼は昊穹のものだ!」

 雷司白帝は鼻梁に皺を寄せ、魂を押さえつけるような声を放つ。
 しかしそれも、鵠玄楚には駄々をこねる男の声にしか聞こえない。

「この人は物ではない」

 鵠玄楚は雷司白帝から視線を外さないまま、葉雪の髪に頬を寄せる。

 まっさらな、産まれたての陽の香り。
 千年焦がれ続けた、彼の香りだ。

「…………この人を、返してもらう」
「っつ、何をほざく! 返すのは貴様の方だ!」

 雷司白帝の怒りを体現したように、空に幾重もの稲妻が光り、槍のように周囲へと降り注ぐ。

 鵠玄楚はゆっくりと後退し、何も無い空間へと腕を差し入れた。空間がねじ曲げられ、ぽっかりと人ひとりが入れるほどの穴が空く。
 空間の先に見えるのは、黒冥府へ続く赤い門だ。

 次の瞬間、まるで機会を計っていたかのように、周囲が真っ白に染まった。

「いまです!」

 声とともに、葉雪の腹の上に柔らかな毛玉が飛び乗る。
 鵠玄楚は口端を吊り上げて、悠々と赤い門へと歩を進めた。



 ***

 ゆっくりと意識が浮上していくが、なかなか瞼は開かなかった。

 深い眠りに落ちていたのか、未だに意識には靄が掛かっている。しかし不快感はなく、心はまるで清い水の中に漂っているように穏やかだった。

 手を動かすと、柔らかな寝具の手触りが伝わってくる。その手触りに覚えがなく、葉雪はようやく瞼を上げた。

 目を開けてみれば意識はすっきりと冴え、久々に良い休息を得られたのだと気付く。身体の不調も和らいでいるのが感じ取れた。

 ゆっくりと身体を起こしてみても、大きな問題は無さそうだ。しかし目の前に広がる光景に、葉雪はぽかりと口を開けてしまう。

(……な、なんだこの、馬鹿みたいに豪華な部屋は……)

 葉雪が寝ていた部屋は、寝室だというのに驚くべき広さだった。丈国にある葉雪のボロ家であれば、すっぽり入ってしまうだろう。

 寝かされていた寝台も、良く見れば男が5人は寝れる広さだ。
 寝具には豪華な刺繍があしらわれているが、使われている糸は高級品で、手触りの良さを損なっていない。
 恐らく庶民には一生手が出ない一級品だろう。

 部屋は藍白に統一され、落ち着きのある室内だ。しかし葉雪の心中は、だんだんと焦り色が濃くなり始める。

(……お、落ち着け。………意識を失う前は、確か辰炎が……って、五狼は!?)

 辰炎の姿を思い出した瞬間、五狼と九兎の姿が頭を過った。慌てて立ち上がり辺りを見回すも、毛玉らしきものは無い。

 葉雪は裸足のままぺたぺたと室内を歩き、目の前の一番大きな扉を開く。
 しかしその先には更に驚愕の光景が待っていた。

 寝室よりも広いその部屋は、居間と書斎が兼ね備えられたような造りとなっている。
 組み木で造られた本棚には精巧な細工が施され、冊子と巻物が所狭し肩を並べていた。

 どことなく既視感があるのは、昊黒烏だったときの書斎に少し似ているからだろう。しかしこちらの方が、大きさも調度品の豪華さも桁違いである。

(……ここは……誰かの宮だな。……でもここは、昊穹ではなさそうだ)

 流れる空気が、そして匂いが、昊穹とは違う。

 加えて、知らない場所に居るという現状に、危機感を感じないのも不思議だった。

 再びぺたぺたと床の感触を味わいながら歩いていると、大開の扉が予告なしに開かれる。
 そこから現れたのは長身の女性で、その腕に抱えているのは大きな毛玉だ。

「……っ五狼!?」
「!!」

 毛玉から耳が飛び出したと思えば、毛玉は女性から飛び降りる。そして葉雪の胸へと飛び込んできた。

「たーしゅ!」
「やっぱり五狼か! お前、大丈夫だったか?」
「ごろうも、よくわからない。きがついたら、ここにいた」
「九兎は?」
「いる。いまはいない」

 尻尾をぶんぶん振りながら、五狼は葉雪の問いに答える。元気に答えている様子からすると、九兎も無事なのだろう。

 五狼を抱き込みながら撫でていると、女性が眉根を寄せたまま近付いてくる。

「まだ起きてはなりません。侍医からの許可が出るまで、まだ安静にしておかねば……」
「えっと……あなたは、というか、ここは……?」

 女性が入ってきた扉からは、煌びやかな庭園が見えた。色とりどりの花が並ぶ庭園は、やはり見覚えが無い。
 女性は左手を鎖骨に当て、小さく腰を折る。

「ここは、黒冥府でございます」
「くろ……えぇ!?」

 予想もしていない答えが返って来て、葉雪は危うく五狼を落としそうになった。ぎゅっと腕に力を込めながら、続けて問う。

「……も、もしかして、この宮は……鵠玄楚の?」

 これほど煌びやかな宮ならば、黒冥府の長である鵠玄楚の宮か、もしくはその伴侶のものだろう。
 しかし造りは女性向けという雰囲気ではなかった。となると、鵠玄楚のものと考えて良いだろう。

 鵠玄楚の宮に寝ていたという事実は疑問でしかないが、今はそうとしか考えられない。

 しかし目の前の女性は、柔らかな笑みを湛えて、首を横へと振る。

「いいえ、この宮は、貴方様のものでございます」
「……はい?」
「宮主、さあ寝室へお戻りを」

 やんわりと腕を掴まれるが、引っ張る強さは女性と思えないほど力強い。五狼を落とさないようにしていると、あっという間に寝台へと辿り着いた。

 女性はてきぱきと葉雪を寝かせると、また腰を折る。

「お目ざめになったことを、主上へお伝えしてきます」
「へ?」

 それは困る。そう思ったものの、言葉にはならなかった。
 疑問符がいくつも襲い掛かり、どれから処理していいか分からない。

「たーしゅ、だいじょぶ!    がいそ、いいやつ」
「……えーと、う、うん……」

 五狼の無邪気な様子を見ていると、この状況の緊急性を忘れそうになる。

 (……どうして私は、ここにいるんだ?    そしてこの待遇は一体……どうして……)

 考えるものの答えは全く出ない。
 葉雪は困惑したまま、寝台の上で落ち着きなく待つしか無かった。




 第2章 おわり


 次の章まで、しばらく間が空きます。不定期更新(週に2~3話の予定)でやっていくつもりです。

 長いお話ですので、気長に待っていただければ幸いです。
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