天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

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第二章 執念の後、邂逅へ臨む

第37話 下級へ堕とされた男

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 抑えられない涙を隠したくて、葉雪は裸足のまま立ち上がった。
 足を引き摺りながら階段を降りるも、鵠玄楚が追いかけてくる気配はない。

(……呆れられたんだろう。無理もないか……)

 どうして泣いてしまったのか。
 後悔するも、自分自身でも泣いてしまった理由が、そして自身の感情すらも分からない。 

 袖で頬と顎を拭うと、もう涙は止まっていた。
 しかし仮面の中はまだ湿った感覚が残っており、早く拭い去りたくて堪らない。

 自室へ戻ろう。そう決意し、書庫の扉に手を掛けたその時だった。

「鵠玄楚!! 出てこい!」

 外から聞こえてくる声の主に思い当たりがあった葉雪は、そのまま外へと飛び出す。


 書庫の前に造られた中庭には、男が立っていた。
 燃えるような朱い髪はぼさぼさに荒れ狂い、右目には深い傷がある。

 ぶくぶくと肥え太り、かつての姿とは大違いだが、葉雪にはその人物を忘れることは無い。
 炎司朱帝の息子である辰炎だ。
 鵠玄楚の姉を死に追いやった張本人である。

(……辰炎……! なぜここにいる!? 誰が入れた!?)

 紗々妃の一件が起きた時、辰炎は帝位継承権をはく奪されている。
 下級天上人へと位を落とされ、宮からも追放されたのだ。

 下級の天上人は、中級の門すらくぐれない。辰炎は本来ならここにいてはならない者だ。

 葉雪は後ろ手で扉を閉めると、辰炎へと低く声を放つ。

「……立ち去れ。ここはお前の来て良い場所じゃない」
「文衛の分際で、俺に口答えするな! 俺はな、黒羽のやつらのお陰で底辺まで堕とされたんだ! 鵠玄楚! 出てこい!」
「……ふざけるなッ!    ……お前のその顔を、黒羽の王が見たいと思うか?」

 じりじりと怒りが湧いてくる。

 黒羽の王太子や紗々妃、そして先代の黒羽王。

 彼らには何の非も無かった。昊穹に関わらなければ、あの優しい人たちは今も生きていたかもしれない。

 葉雪は姿勢をぐっと低くして、辰炎へと飛び掛かった。辰炎が剣を抜くのが見えたが、葉雪は難なくそれを短剣で叩き落とす。

 鵠玄楚の剣に比べれば、止まって見えるほどだ。

 体勢を崩した辰炎の上へと乗り上げると、素早く腕を捻り上げ、拘束する。

 完全に掌握すると、他の文衛らも集まってきた。
 彼らは葉雪の手際の良さに驚きながらも、短剣を抜く。

「冥府への許可なき立ち入りは重罪だ。下級の者ならば、ここで手を下すぞ」
「待て。この男は炎司朱帝の息子、辰炎だ。……手を下すのはまずい」
「では牢へ。拘束具を!」

 文官の指示で文衛が動き、冥府全体が騒がしくなった。
 取り押さえられた辰炎は、しつこく黒羽への毒を吐き続けている。


「……っあの女……紗々を、俺は愛していたんだ! それなのにあの女の心は、いつも別の男に向いていた! 俺は何も悪くない! あの女が死んだのも」
「黙れ。それ以上何かを吐けば、容赦しない」

 辰炎の身体に体重を掛け、葉雪は唸るような声を零した。
 拘束している腕を捻れば、いつでも骨を折ることが出来る。

 辰炎もそれを解っているのか、ぐっと言葉を呑み込んだように見えた。

「誰か、猿轡を」

 葉雪の声に、また誰かが駆けていく。

 辰炎の声を鵠玄楚に聞かせたくはない。当時の事など思い出したくはないだろう。

 葉雪は身体を倒して、辰炎へ「そのまま黙れよ」と耳元で威嚇するように呟く。すると背後から声が掛かった。

「お前、ちょっと来い」
「……!」

 振り返るまでもない。鵠玄楚の声だ。
 葉雪は姿勢を低くしたまま、彼を振り返る。

「あなたは離れて。書庫に戻れ」
「良いから……来いと言ってる」
「この男は冥府が処理する。……あなたの怒りは分かるが、ここで騒ぎを起こせば……」
「その男じゃない、お前だ」

 肩を掴まれ、葉雪は困惑する。鵠玄楚は真っ直ぐ葉雪を見据えており、その下にいる辰炎など視界にも入っていないようだ。

「わ、私か? 話なら後から聞くが……」
「駄目だ。誰かと代われ」

 有無も言わさず肩を引かれ、葉雪は身体を起こした。
 辰炎への拘束が緩むと、彼は鵠玄楚の姿を見て案の定騒ぎ始める。

「鵠玄楚ぉ! 貴様!」
「誰だお前は」
「忘れたとは言わせない! 俺は紗々の……」
「知らん。姉と昊穹の関係は切れている」

 鵠玄楚は辰炎に一瞥もくれないまま、冷たく言い放つ。
 側に居た文衛が葉雪の代わりに辰炎を拘束すると、鵠玄楚は待ちきれないとばかりに葉雪の腕を引いた。

 その手つきは意外にも優しくて、葉雪は鵠玄楚の背中を驚きのまま見上げる。

 いつもどっしりと構えている鵠玄楚の背中が、どこか焦りを含んでいるように見えた。


(……やはり辰炎と会わせるべきではなかったか……)

 自分が万全であれば、もっと早くに辰炎に対処出来ていただろう。あの場で気絶させ、牢に即刻連れていく選択肢もあったはずだ。

 自身の手際の悪さに、情けなさが湧いてくる。

「……なぁ大丈夫か? 今日は休んだ方が良い。あの男には冥府がしっかりと罰を下す」
「そんな事はどうでも良い」

 鵠玄楚は振り返り、葉雪と目線を合わせるように、少しだけ腰を折る。その表情には、憂いがたっぷりと含まれていた。

 何かを後悔しているような、そしてどうしてか、許しを乞いているようにも見える。

 そんな表情をさせる事をした覚えはない。
 首を傾げながら次の言葉を待っていると、背中に不穏な空気を感じた。

 同時に焙るような熱さも。
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