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第二章 執念の後、邂逅へ臨む
第35話 書庫で暴君に仕える
しおりを挟む地面に足が付くと、葉雪はその場でとんとんと規則的に足踏みをする。
少し怠さは残るが、身体は問題なく動くようだ。
よし、と頷いて、葉雪は鵠玄楚から距離を取った。
視線を上げると、彼が葉雪の足元を凝視していることに気付き、葉雪は首を傾げる。
「……んだよ?」
「お前、いつから冥府にいるんだ?」
「つい最近だが……どうして?」
「……いや。何でもない」
何か考え込んでいるような鵠玄楚に向けて、葉雪は小さく頭を下げた。
もう夜も更けている。置いてきた神獣らも心配なところだ。
「では、何もないようでしたらこれで」
「……待て」
呼び止められ、葉雪は返そうとしてた踵を踏みとどまった。
鵠玄楚は未だに何かを思案していたようだが、ふと口元を緩ませる。
「お前、明日から俺に付け」
「は?」
「拒否すれば、お前が魂与殿の卓を壊したと、冥王へ言う。軽く修復してきたが、検分すれば壊れているのは一目瞭然だ」
「……っな! あれはお前が……!!」
「ああ、そうそう」
鵠玄楚の目尻が不自然に垂れる。その不穏な笑みに、葉雪は背中をぐっと強張らせた。
一歩踏み出した鵠玄楚は葉雪の仮面に手を伸ばし、嘴の部分をついと突く。
「お前が俺の手で達したことも、忘れず付け加えよう」
「……!! ちが……っ達していない!」
「いや達した。意識を失った後、俺が処理したぞ」
「……は?」
ふらりと眩暈がして、葉雪は一歩後ろへと下がった。耳がかっと熱くなり、知らされた事実に唇が震える。
鵠玄楚はそんな葉雪の様子を愉し気に見つめ、二の句を継いだ。
「勃ったままでは可哀想だったからな。意識が無い方が、素直で可愛かったぞ。特に吐息が」
「いっ、言うなッ!! そ、そ、それ以上喋るな!!」
頭巾の上から自身の耳を押さえ、葉雪は叫ぶ。
しかし鵠玄楚の笑い声は、まるで呪いのように耳に忍び込んでくる。
「随分善がっていたぞ? またご所望なら……」
「っつ!? こんのっ外道ッ!!」
近くにあった鵠玄楚の手を叩き落とし、葉雪は踵を返した。
一層増した鵠玄楚の笑い声から逃れるように、全速力で廊下を駆ける。
走りながら、生娘のような反応をしてしまった自分にも、心底嫌気がさす。
『恥辱』
この恐ろしさを、この晩、葉雪は身をもって知ったのである。
***
指の腹で、背表紙をととと、と撫でる。
目当ての冊子は直ぐに見つかり、葉雪は嘆息と共にそれを取り出した。
(……さぁて、次は……)
視線を巡らすが、どこも本棚だらけで代り映えしない景色が続く。
ここは冥府にある書庫で、この世界のありとあらゆる情報が眠る場所だ。
二階建ての書庫は吹き抜けがある造りをしており、敷地もかなり広い。
端から端まで歩けば、熱々だった茶がぬるくなるほどだ。
今日はその距離を何度往復した事か。
冥府の書庫は大好きな場所であったが、状況が状況だけに気持ちは滅入る一方だ。
「おい、まだか?」
階下から声が響き、葉雪は鼻梁に皺を寄せた。
吹き抜けから階下を見下ろすと、だらしなく卓に凭れる鵠玄楚が見える。
手元には書物が広げてあり、脇には何冊も冊子が積み上げてあった。
「……もう読み終わったのかよ?」
「ああ、早く次のを持ってこい」
「……ったく……」
魂与殿の件から一夜明け、葉雪は鵠玄楚の言葉通り、彼に付いて回ることとなった。
朝から彼の部下が迎えに来て、有無を言わさず連行されたのだ。
行きついた先は書庫で、葉雪はもう何時間も鵠玄楚が所望する書物を探しては提供している。
階段を慎重に降りて、鵠玄楚の側に冊子の束を置く。
「ほらよ」
「なんだ、これだけか」
「……今から残りの分を取りに行くから、待ってろ」
鵠玄楚が書物から目線を外し、葉雪を見上げた。
彼の橙色の瞳は、見るたびに印象が変わる。
今日は威圧的な印象が強く、まさに暴君といった感じだろうか。
(……昨日の優しい欄鐘は……いや、ありゃ夢か……)
自嘲気味に笑って回れ右すると、葉雪はまた本棚を目指す。
すると鵠玄楚がふんと鼻を鳴らし、目線を落としながら低く呟いた。
「さっさと動け。昨日の活きの良さはどこへ行った?」
「うるせ。書庫は広いし、駆け足禁止だ」
「人払いをして、俺とお前しかおらん。走れ」
「……規則を破るわけにはいかないのでね」
言葉を返しながら、葉雪は階段を昇る。
ずき、と足に痛みが走り、葉雪は僅かに顔を顰めた。
昨日の戦闘に続き、今日は書庫を行ったりきたりと歩きっぱなしだ。
朝の時点で腫れていた足首は、靴がきついと感じるくらいに膨張している。
ひょこ、と一瞬足を庇うのが見えたのか、鵠玄楚から声が掛かった。
「……どうした? 掘られた尻が痛むか?」
「!!? っ掘られてねぇわ、この変態ッ!!」
近くにあった冊子を掴み、鵠玄楚へ向けて放る。当たるとは思ってはいなかったが、案の定それは鵠玄楚の近くに落ちた。
その背表紙を見て、鵠玄楚がにやりと笑う。
「……ほう? 『実戦で身につく房中術』……。なるほど、昨夜のあれじゃ物足りなかったようだな?」
「ッ!?」
投げた冊子を見ると、本当に鵠玄楚の言うとおりの表題だった。表紙には絡み合う男女が描かれていて、いかにもといった感じだ。
意図的にそれを選んだわけではないのに、居たたまれなくなる。
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