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第二章 執念の後、邂逅へ臨む

第34話 黒い烏(からす)

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 俯いたままでいる瀾鐘の旋毛を見て、葉雪の胸は申し訳なさで溢れた。
 優しい瀾鐘だからこそ、これまで葉雪に親しく接してくれていたのかもしれない。

 心の奥底で感じていた不快感が肯定されれば、それは更に増すだろう。
 これ以上不快な思いをさせるのは、あまりに酷だ。

『……すまない。仮面を付けていても不快感があるかもしれないな。……昊王が仰るように、私は不良品なのだ。美醜も理解できない。……無理をして、私と親しくすることはないんだよ、瀾鐘』
『……っ違う! そんなこと……!』
『違わないだろう。……私は、瘴気に塗れたからすのようなのだと言われた。……名の由来もそれだ』

 瀾鐘の美しい瞳が驚愕に見開かれ、まだ幼さの残る唇が、少し震える。

『昊、黒烏……?』
『……そう。昊穹の黒い烏。それが私だ』
『………っ違う!』

 瀾鐘に手を引かれ、身構えていなかった葉雪は一歩踏み出した。
 瀾鐘の腕が葉雪の背中へと回り、囲われる。

 温かみが伝わって来て、葉雪は自分が初めて抱きしめられていると気付いた。

『……』
『瀾鐘……?』

 肩口にいる瀾鐘は、小さく震えていた。しかし彼の身体からは、溢れんばかりの優しさが伝わって来る。
 触れ合う身体があまりにも温かくて、彼が葉雪を受け入れてくれたのだと悟った。


 瀾鐘は優しい。瀾鐘だけでなく、黒羽の人達はみな、葉雪に優しい。

 昊穹の道具である葉雪を、どうしてか彼らは人間扱いしてくれるのだ。

『俺が、俺があなたを……』
『ありがとう、瀾鐘。私は、大丈夫だ』

 瀾鐘を安心させるために言った言葉だったが、彼は一層肩を震えさせる。

 _____ ああ、また間違ってしまった。

 葉雪は、償いとばかりに瀾鐘の背中を撫で続けた。



 ++++


 意識がゆっくりと浮上する。 

(………夢か。……あの頃の瀾鐘は、とても優しかった……。でももう、800年も前の事だ……)

 ゆっくりと瞼を開けると、視界に入ったのは大きな背中だった。
 自分の身体が緩く上下している事から、背負われているのだろうと葉雪はぼんやりと気付く。

 鵠玄楚は葉雪を負ぶったまま、魂与殿の橋を渡っている。先程の態度とは打って変わって、優しい足取りが身体に伝わってきた。

 驚きは無かった。だって彼は瀾鐘だったのだから。
 あの溢れるような優しさが、欠片もなく消え去るとは考えられない。


 先代昊王の時代を今思い返してみれば、葉雪とて異常だと思う。
 しかし当時は、葉雪本人もその異常さに気付いていなかった。物のように扱われるのが当たり前だと思っていたのだ。

 現昊王に変わってから、葉雪への扱いはぐっと改善した。未だ無理難題を押し付けられる事はあれど、あの頃と比べれば雲泥の差だ。

 しかし葉雪の環境が変わったように、鵠玄楚の環境もこの800年で変わってしまったのだろう。

(……取り巻く環境で、人柄が変わってしまっても仕方がないか……)

 自分を納得させようとするが、先程の鵠玄楚の所業を思うと、葉雪は少しばかり複雑な心境となる。
 男性体である葉雪に対して躊躇がないどころか、随分と手慣れていた。

 口止めの方法として恥辱を選んだところも、昔の彼からは想像がつかない。

 そして少し残念に思えると共に、鵠玄楚に成熟した雄を感じ、戸惑いを隠せないのだ。


「…………起きたか?」
「……」
「軽い身体だ。飯を食わないから、力が尽きるんだぞ。せっかく良い動きをするんだから、もっと筋肉をつけろ」
「……うるせ、この変態」
「っは、一国の王に、随分な言いようだ」

 鵠玄楚の背中から、低い震えが伝わって来る。
 笑っていると気付いた葉雪は、彼の背中へ預けていた顔を擡げる。

 またあの笑顔が見たい。優しく崩れる、あの顔が。

 しかし覗き込むわけにもいかず、また葉雪は彼の背に凭れる。

「まったく……何の痕跡も残らぬようにしたかったのに、卓を壊しやがって……。おまけにあそこで倒れるとは思わなかった。……寮の前まで送ってやるから、あとは歩いて帰れよ」
「……口止めは良いのか?」
「お前は言わん気がするから、今日は見逃してやる」
「一国の王が、手ぬるいな」
「生意気なガキめ。……まぁ、お前の声だけは気に入ったから……許してやる」

「声?」

 葉雪が言うと鵠玄楚の背中が「ん」と鳴った。耳を付けると、そこから彼の声が伝わってくる。

「ここ最近、耳を悪くしていたからな。……未だ調子が出ん。お前の声は……どこか……」
「耳を!? 大丈夫なのか?」
「ああ。少しずつ調子は戻ってきている」
「医者には診せたのか? 重要な器官だ。ないがしろにしてはいけない」

 思い出すのは、もちろん雲嵐のことだ。

 耳が悪かった彼がどれだけ辛い経験をしてきたか、葉雪は知っている。
 その時の彼の心情は計り知れない。

 鵠玄楚もこれまで、辛い想いをしてきた人生だっただろう。更に苦難が待ち受けているなど、あんまりではないか。

 しかし鵠玄楚は悠長に笑いながら、葉雪を振り返る。

「お前は面白い奴だな。先程俺に何をされたか、もう忘れたか?」

「それとこれとは……っ! さっきの事は、もう忘れろ! というか降ろせ!」

 鵠玄楚の背中から身体を放すと、彼はあっさりと葉雪を手放した。
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