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第二章 執念の後、邂逅へ臨む
第33話 遠い遠い昔の君は
しおりを挟む「___おい……! ……だい……か!?」
揺らいでいく意識の中、鵠玄楚の声も遠ざかっていく。
小さく届くその声が、どこか懐かしい。
(……遠い遠い昔……青年だった頃の……君の声のようだ……)
+++++
『……』
『……さま……』
『____ 黒烏様! ご無沙汰しております!』
池の向こうから、快活そうな青年が駆けて来た。群青色の髪を高めに結い、葉雪へ惜しげもなく溢れんばかりの笑みを向ける。
青年の瑞々しさは残っているが、上背もあり体格も逞しい。
雄々しい眉山を描いた美眉、すらりとした鼻梁は少しの歪みもない。瞳は燃えるような橙だ。
見惚れてしまうほどの美男だが、彼は呆ける隙を与えないほどに葉雪へと詰め寄った。
『お会いしたかったです! お変わりないようで良かった!』
『殿下、いらっしゃっていたのですね』
『そんな堅苦しい! 敬語なんて止めてください!』
拱手する葉雪の腕を掴み、青年は葉雪の顔を覗き込む。
彼の全身から、抑えきれない喜びが伝わってくる。葉雪が思わず吹き出すと、瀾鐘は幸せそうに笑った。
破顔、とは良く言ったもので、瀾鐘が笑うとくしゃりと顔が崩れる。
周囲は『せっかくの美男が』と呆れているが、葉雪はこの笑顔を見ると、心の凝りが溶けていくような気がした。
『黒烏様、手合わせして頂いても?』
『もちろん』
瀾鐘の姉である紗々が辰炎へ嫁ぎ、それから黒羽と昊穹は親交を深めた。
今はこうしてお互いを行き来するまでの仲になり、関係は良好と言える。
特に瀾鐘は足繫く昊穹へと通い、姉の顔を見た後、葉雪の元を訪れる。
彼は葉雪の剣の腕に傾倒し、教えを乞いてくるのだ。それに葉雪も快く応えていた。
『殿下は筋が良いですから、直に私を越えてしまうでしょうね』
『殿下は止めてください、瀾鐘です! ……では、行きますよっ!』
打ち込んできた瀾鐘の剣を躱し、葉雪はくるりと身を返す。その場で規則的に足踏みをすると、瀾鐘が橙の瞳をきらきらと輝かせた。
獲物を狩る猫のような瞳だが、もう暫くすれば虎に変わるだろう。彼には素質が十二分にあった。
第二王子であることが、勿体ないほどに。
葉雪にとって、瀾鐘の成長は喜びだった。弟子と言えば烏滸がましいが、彼が力を付けていく様をずっと見届けたいとさえ思ってしまう。
微笑ましい思いで剣を振るっていた葉雪だったが、瀾鐘が突然剣を納めてしまった事で、動きを止める。
『どうした?』
『……もしや……お怪我をされてはいませんか? 血の匂いがします』
『? ……ああ、すまん。血の匂いは嫌いか?』
葉雪は袖を捲り上げ、肘から手首に走る裂傷に手巾を当てた。
既に血は止まっていたが、手合わせで傷が開いたのだろう。
溢れ出す血を拭いながら、瀾鐘に申し訳ないという気持ちが募る。
『……手合わせを止めてしまって申し訳ない。直に血は止まるから、待っていてくれるか?』
『な、何を言っているのです?』
『……すまないな、興を削がれたろう? また次の機会に、手合わせを……』
『違います! 腕をこちらに!』
瀾鐘の気迫に押されながら、葉雪は自らの腕を彼に渡した。
おずおずと、まるで腫れ物にさわるように、瀾鐘は葉雪の手を取る。そして傷痕を見ると、雄々しい眉をぐにゃりと曲げた。
『こ、このような傷………。どうしたのですか?』
『今朝まで塊鬼の駆除に当たっていたからな。その時に出来た傷だ』
『今朝!? もう夕時です! どうして治療しないのです!?』
『……どうして? これくらい、放っておけば治るだろう? どのみち、次の任務が控えているから、治療しても手間が増えるだけだ』
『次の……任務? この怪我で?』
瀾鐘の問いは、どれも葉雪にとって理解できないものだった。
戦いがあれば傷はつく。それが癒えないまま次の戦いに身を投じることは、決しておかしい事ではない。
むしろ葉雪の日常だ。
しかし目の前の瀾鐘は、今にも泣きそうな顔をして、葉雪に訴えかける。
『何を言います! あなたが痛いでしょう!』
『私が、痛い? そんなもの……』
『痛みに作用する軟膏を持っています。……こちらに座って』
木陰に誘導され、瀾鐘から軟膏を塗り込まれる。鋭く感じていた痛みが角を失くし、丸みを帯びたものになった。
しかし葉雪にとって、それは無駄な行為に思える。
『軟膏が、惜しくないのか?』
『どういう意味ですか?』
『とても良い軟膏だ。私に使うのは勿体ない』
『……!』
瀾鐘の瞳が、まるで異質なものを見ているような目に変わった。
何かを疑っているような、目の前にあるものが信じられないような、そんな視線が葉雪へと向けられる。
それは昊穹に来て、何度も向けられたものだった。しかし弟子のように思っている瀾鐘に向けられるとは思わず、葉雪は瞼を伏せた。
『……すまない。私はまた、間違ってしまっただろうか……。不快に思ったのなら、謝る』
『……ち、違います。……ただ……』
言葉半ばで瀾鐘が黙り込む。目線を伏せ、葉雪の腕の傷をまるで憎いものでも見るように睨んでいる。
暫く後、瀾鐘は俯いたまま口を開く。その声は意外にも穏やかで、優しいものだった。
『そういえば黒烏様、どうして仮面をつけているのです?』
『……? 昊王の命だ』
『どうして昊王は、仮面をつけろと?』
『私が醜いからだと』
葉雪が答えると、瀾鐘はぴくりと肩を揺らす。
事実だった。昊穹に来た日から、ずっと葉雪は昊王の指示で仮面を付けている。
『見るに堪えないから付けろ』と言われた日からずっとだ。
司天帝と二人きりの生活をしていた葉雪は、自分の顔が醜いという事をその時初めて知った。
四帝と顔合わせする前の事だったので、昊王が指摘してくれて良かったとほっとした事を覚えている。
不快感を覚えるほど醜い男に、護衛はされたくはないだろう。
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