天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

文字の大きさ
上 下
11 / 60
第一章 最期の試練

第11話 冥府の王

しおりを挟む

***

 雲嵐の運命簿には、彼の過酷な人生が記されていた。
 葉雪は薄くなった文字をなぞりながら、彼のこれまでを辿る。
 
  肖雲嵐は、数多くの武人を輩出した名家に生まれた。
 父親は北方の国境を護る将軍で、数多くの功を立てている。息子たちも揃って優秀で、若くして武官や官僚への道を駆けあがっているようだ。 

 その息子たちの中で、唯一官僚への道を絶たれているのが、雲嵐だ。
 彼は身体的理由で、科挙を受ける資格がない。

 雲嵐は、生まれた時から身体が弱かった。
 生死をさまようような大病を何度も経験し、6つの時に聴力を損なった。その上、様々な薬を多用したせいか、心臓に後遺症が残っているとも記されている。

 武官になれない雲嵐は、肖家では冷遇されているようだ。
 しかも雲嵐の母親は第3夫人で、かつては肖家の侍女だった。後ろ盾になる母親に力にも力がないのだ。

「……あいつ、心臓も悪かったのか……」

 しかし、男らを蹴散らしていた雲嵐の姿は、とても身体の弱い人間には見えなかった。辛い生い立ちも立場も、微塵も感じさせない凛とした姿だった。

 運命簿の続きを、葉雪は指でなぞる。
『科挙の受験資格は無いが武術に秀でており、国の武術大会で多数の入賞を果たす。しかしそれが評価されることは無く、武官への道は閉ざされる』

「なるほどなぁ……」

 従者の態度が悪かったのも、これで頷ける。雲嵐は敷石女が言った通り、冷遇されているのだ。

  葉雪は嘆息し、もう一度運命簿に目を落とす。それと同時に、蝋燭の火が突如として消えた。
 まるで指で揉み消されたような消え方だ。

 蝋燭に呼応するように、窓の外がじわじわと漆黒色に覆われる。外には月が出ていた筈なのに、部屋の中は闇に染まっていく。

 葉雪は慌てることなく、運命簿から目を離さない。すると闇を蝕むようにして、消えた蝋燭に青色の炎が灯る。
 その明かりを頼りに頁を捲り始めると、背中にずしりと重みを感じた。

 開いた運命簿の上に、銀色の髪が落ちてくる。葉雪が煩わしそうにその髪を払うと、背中の重みから声が漏れてくる。

「葉雪、葉雪、なぁ、葉雪。お願いだよぉ」
「……嫌だ。どけよ、重いんだから」
「冷たいじゃないか、葉雪。私が冥府でどれだけ凍えていると思うんだ? 茶でも出しておくれ」
「ったくあんたらは。……ここを茶屋だとでも思っているのか? 冥王様、どいてくれますかね?」

 「いやだ」と駄々を捏ねている男を葉雪は振り返り、半目で見つめながら嘆息する。

 真っ直ぐに垂れた銀の髪と、青味を帯びた真っ白な肌。面布で隠れている顔面は中性的で、絶世の美女にも、麗しい美男子にも見える。
 彼こそが禄命星君の上司であり、冥府を統べる冥王だ。

 冥王は昊穹の宮から少し離れた場所で暮らしており、昊王と四帝以外にはその姿を見せない。おまけに彼はその美しい容姿を隠すように、いつも真っ白な面布で顔を隠しているのだ。
 その神秘的な存在ゆえに、人間界のみならず、昊穹内でも人気の人物である。

 冥王は昊穹きっての希少人物(レアキャラ)だ。
 本来ならこんなボロ屋に居てはいけない存在なのだが、彼はさも当たり前のように現れる。

 葉雪の背後から首に抱きついている冥王は、長い銀の髪を耳に掛ける。そして葉雪の首の脇から、雲嵐の運命簿に指を這わせた。
 ずし、と冥王の重みが増えるが、葉雪は彼の言葉を待つ。

「……この魂、ご新規さんだね。まだ来世の事も記されてない」
「そうみたいだな。生まれたてだ」

 雲嵐の運命簿には、前世がない。彼の魂は司天帝によって生み出された、新しい魂だった。
 肉体が滅びるように、魂もいつしか滅びる。そして新たな魂が、司天帝によって作られるのだ。

 葉雪は運命簿を冥王の手に持たせ、自分は茶器に手を伸ばした。
 茶を入れてくれそうな雰囲気を察したのか、冥王から嬉しそうな笑い声が漏れる。しかし指先は、引き続き運命簿の文字を辿ったままだ。

「うん、なんとも……生まれたてなのに、なかなか苛烈な人生だ」
「そうだな……」
「葉雪は、彼の最期を読んだか?」
「ああ、読んだ」

 茶器に葉を投げ入れ、葉雪は損在に言い放つ。

 そう、葉雪は雲嵐の最期を知った。その最後がいかに凄惨であろうと、葉雪に何が出来る訳でもない。
  冥王は運命簿を持ったまま、まるで母に甘える童子のように、葉雪の腹に腕を回す。

「この新規さん、お気に入り? 運命簿を書き換えようか? 僕ならできる」
「駄目だ。司天帝がお決めになった運命は、余程の事情がない限りは変えてはいけない。それにお前に頼むと、書き換え代が高くつきそうだ」
「え~何で分かっちゃうかなぁ。昊王に頼み込んで、葉雪の運命簿を入手しようと思ったのに。そしたらばんばん書き換えて……」
「やめろやめろ。ろくな人生にならなさそうだ」

 葉雪は舌打ちを零して、座卓の端に茶を置いた。冥王がやっと葉雪の背から剝がれ、茶の前へと座る。

 青いほどに真っ白な手に、真っ黒に塗られた爪。冥王が茶を持つと、通常なら一瞬で茶が冷える。しかし葉雪が煎った茶葉で入れた茶は、冷えることがない。

 冥王がそろそろと茶に口を付け、ほうっと息を吐き出した。面布が揺れて、彼の喜ぶ顔が露わになる。

「うまいなぁ、葉雪の茶は。とても温かい。……なぁ葉雪、いつ昊穹に帰ってくる?」
「戻るもなにも、追放されたんだぞ、私は」
「いやだぁ。葉雪のいない昊穹は、とてもつまらん」
「……ところで蘇慈そじ、お前何しに来た?」

 蘇慈と本名で呼ぶと、冥王の身体がぼんやりと光を放った。彼は嬉しいとこうなるが、闇夜でぼんやりと光を放つと、薄気味悪さは拭えない。

 冥王はどこかうきうきした様子で、何かを差し出すように空の両手を突き出した。手の平の上が光り輝いたと思えば、長い銀色の箸が現れる。 

「三尸の件で、これを葉雪に貸そうと思って来た」
「……なんだこれ」
「これは、指箸しちょ。冥府特製、三尸挟み」

 冥王が指箸を箸を持つように握り、葉雪の小指をつまむ。
 やけに愉しそうな冥王をじとりと見て、葉雪はまた嘆息する。

「……これ、宝器だよな? さっき貸すとか言ったか?」
「そうそう。魂から三尸を取り出すには、これがいる」
「どうして三尸を取り出す話になってる? というかな、大前提でな、宝器はほいほい貸すもんじゃない」
「葉雪の指は、本当に綺麗だ……とても武人の指とは思えないなぁ……」

 指箸でつまんだ葉雪の小指を、冥王はうっとりと見つめる。対する葉雪はげんなりして、肩を落とした。冥王の調子に狂わされるのは久しぶりで、どっと疲れが押し寄せる。

 宝器は昊穹で使われる貴重な力具りょくぐだ。司天帝から賜ったもので、基本的に贈られた本人しか使ってはならない。

「禄命から聞いたよね? 運命簿の該当者の三尸を確認して、もしそいつが葉雪の呼び掛けに応じなかったら、これを使ってぴっと引っ張り出してね。指箸がそのまま三尸を中に取り込んで、冥府に強制転送させるから」
「おいおい、話が違う。私は話を聞いただけで……」
「お願いだよ葉雪。今冥府は大忙しなんだ。特に黒羽の王である鵠玄楚こくげんそが不在だからか、陰の気が多くてね。餓鬼やら人食い鬼やら堕獣やらわらわらでわらわらなんだよ」
「黒羽王か……力の継承がまだ不安定なのか?」
「ぽちぽち復活しているけど、まだ完全ではないのかも。お陰で瘴気が溜まって減ることがない」

 黒羽は人間界にある国で、それを統率する現王が鵠玄楚こくげんそだ。
 黒羽は人間の国であるが、王だけは違う。人間界でたった一人、天上人と同じ位となるのが黒羽の王である。

 彼はこの世界で最も瘴気が濃いといわれる『屠淵池とふち』という場所を守っている。その重要さから、昊王、四帝と同じく、司天帝直属の臣下だ。

 葉雪は指箸から挟まれていた指を外し、冥王を咎めるように見据える。

「彼ひとりが、瘴気の始末を負うとは決まってない」
「そうなんだけどさ……。敵ながらやっぱり彼の存在は大きいというか」
「黒羽は敵ではない。本来なら切磋琢磨すべき相手だろう」
「あっちが敵視してるんでしょ」

 冥王が指箸を置き、面布の下にある口を尖らせる。
 「なぜそこで拗ねる」と言いたいところだが、この件については説いても無駄だと葉雪も解っている。

 昊穹と黒羽の確執は深い。黒羽は自国こそが司天帝の下に居るべきだと考えている。つまり昊穹と取って代わりたいのだ。

 彼らは自国の優秀さを司天帝へと示し、時には腕試しと称して牙を剝く。この両国の関係を司天帝も咎めないため、小競り合いのようなものは加熱する一方だ。

 かつては親交を深めようとした時もあったが、逆に両国の溝を深める事態へと発展してしまった。
 もう取り返しがつかないほど、黒羽との関係は悪くなってしまっている。

「司天帝のお心の中では、昊穹と黒羽は同等だろう。しっかり仕事せんと、立場はたちまち反転だぞ」
「あ~出た出た。お堅い昊黒烏こうこくお殿だぁ」
「うるせぇ、茶を飲んだら早く帰れ」

 葉雪が顎をしゃくり、冥王の茶を差し示す。早く帰れと言われているのに、冥王は嬉しそうに顔を綻ばせる。
 何かを期待しているような顔に、葉雪もふ、と笑いが零れた。

「茶葉も持っていけ。蘇慈用に取っておいた」
「や~っぱり。葉雪、大好き」
「うるせ。早く帰れ」

 再度顎をしゃくると、冥王の笑い声と共に蝋燭の火が消える。それと代わるように暖色の火が灯った時には、もう冥王の姿はなかった。
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

出戻り聖女はもう泣かない

たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。 男だけど元聖女。 一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。 「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」 出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。 ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。 表紙絵:CK2さま

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。

小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。 そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。 先輩×後輩 攻略キャラ×当て馬キャラ 総受けではありません。 嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。 ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。 だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。 え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。 でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!! ……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。 本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。 こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

処理中です...