天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

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第一章 最期の試練

第9話 想定通りの襲撃

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***

 その晩、 葉雪はいつも通り帰路についた。
 案の定と言えば良いのか、いつも人気のない道が今日はなにやら騒がしい。

 暗い夜道に浮かんだのは、数十名の男たちだ。潜んでいるわけではなく、がやがやと騒ぎながら道を占領している。全員帯剣していて、身体つきから武術の心得もそれなりにあるように見えた。

 彼らは葉雪の姿を見ると、更に騒ぎ始める。中心核のような人物が、葉雪を指差し口を開く。

「明碁亭の料理人だな?」
「そうだよ。お前らは、敷石女に雇われたのか?」
「敷石女ぁ? 李家のお嬢様に、何て口を聞くんだ!」
「李家?」

  眉尻をぽりぽり掻いて、葉雪は記憶を引っ張り出した。
 李という姓で名家といえば、巡邏じゅんら軍を統べている李角仁だろう。王宮ではそれなりの地位を持っていて、最近ではその息子も科挙に合格し、登用されたと聞いている。

「なるほど、李家だったか。それならば敷石も豪華なものだったろうな」
「まだ言うか。貴様は李家の怒りを買った。無事に帰れると思うなよ」
「お前たちは、何なんだ? 寄せ集めに見えるが……私を襲って何を得る?」

 男たちは私兵にも見えない。統率されていないため、どこかの組織に属しているわけでもなさそうだ。揃って年は若く、これから人を襲うというのに、あちこちで私語をしている。
 そのうちの一つの会話が、葉雪の耳に滑り込んできた。

「本当に、加点してくれるんだろうな?」
「解試であれば、可能だと約束して下さった。お父上に口添えして下さるそうだ。あの男が厨房に立てぬほど、痛めつけたらな」

(なるほど、報酬は科挙の加点か。……ま、人間がやることだから……不正は起こるわな)

 数十もの瞳が、葉雪を見ている。そこに浮かぶのは恨みではなく、科挙合格への渇望だ。
 公平を謳う科挙であるのに、裏ではこのような取引が行われているのだ。この丈国では、科挙に年齢制限があるため尚更なのだろう。

「なるほどなぁ。若人は大変だ」

 葉雪が呟くと、それを合図に男たちが飛びかかってきた。剣は抜いていない。殺す気はなさそうだ。

 しかし厨房に立てなくするという事は、すなわちボコボコにするという事だろう。
 料理人として再起できないように、腕を折るつもりかもしれない。そんなことをされては、仕事どころか料理を作れなくなる。

 そもそも葉雪が料理を始めたのは、自分好みの激辛料理をとことん作りたかったからだった。 唯一の趣味でもある。これを取り上げられるのはごめんだ。

 葉雪は一歩大きく飛び退き、後方へ駆けだした。大人数を相手にするのを避けるため、路地に入り込む。しかし葉雪は戦うつもりは無かった。

(……ちっ、差し向けられたのが隠密であれば良かったんだが……)

 今回の襲撃者は素人だ。しかも科挙の受験志望者であるならば、その辺のごろつきとも違う。
 葉雪が手を出し、尚且つ打ちのめしでもしたら、明日には町中が噂になっているだろう。
 葉雪は極力目立ちたくないのだ。平穏な暮らしを心底望んでいる。


 すぐそばまで迫ってきた足音を聞いて、葉雪は素早く身を低くする。地面に手を付いて脚を一閃させると、後方にいた男が豪快に転んだ。側に居た男らもそれに躓き、体勢を崩す。

「体幹が悪いぞ!」

 葉雪は笑いながら、角の小道を曲がる。そこに回り込んでいた男らと鉢合わせるが、想定済みだ。
 先ほど手のひらに握り込んでいた砂を顔をぶつけ、怯んでいるうちに脇をすり抜ける。

「……っ貴様ぁ!」

 男は顔を顰めたまま剣を抜くが、葉雪はもう間合いの外だ。ひらりと身をかわして、更に小道へと入った。

 ここまで問題なく進んでいるが、懸念すべきはこの先だ。もう集落からは遠ざかっており、ここからは家もまばらになってくる。逃げ込む路地がもうすぐ無くなるのだ。

 今のうちに家屋の上へと飛び乗り、屋根を伝って逃げるのが得策かもしれない。しかしそんな芸当が出来るのは、武芸に秀でた者か天上人ぐらいだろう。 
 葉雪は料理人である。を忘れてはならない。

「……しかし……数が多いな……」

 あちこちから聞こえる男らの声は、もうかなり散らばっている。
 四方に散って路地に入り込み、葉雪を待ち受けているのだろう。行く先々で対処しなければならないのは、さすがに厳しい。

 どうしようか思案していると、葉雪の目の前に何かが舞い降りた。

「師匠!」

 闇に溶け込みそうな藍色の袍に、真っ黒な髪。
 黒の外衣を靡かせて降りてきたのは、紛うことなく雲嵐だった。まさかの屋根からの登場に、葉雪は顎が外れそうになる。

「……お、お前……なんちゅう登場の仕方を……」
「師匠、遅くなって申し訳ありません」

 これが講談であるならば百点満点の登場だろう。お前は天上人かという言葉を、葉雪はぐっと呑み込んだ。
 雲嵐は剣を抜き、葉雪を庇うように前へと躍り出た。対する男らも、雲嵐が剣を抜いたためか抜刀する。
 
 葉雪は慌てて雲嵐へ近付き、その髪をちょいと引っ張った。雲嵐が振り向き、葉雪の唇を見つめる。

「阿嵐、殺すのは駄目だ」
「御意」

 そこから先は、雲嵐の戦いぶりに圧倒されるだけだった。彼の剣技は軽やかでありながら隙がない。

 力強さを感じさせない剣のため、男らは雲嵐の剣を叩き割る勢いで切りつけてくる。それを彼は容易く打ち払い、剣の腹や鞘で相手に鋭い打撃を与えていく。見ているこちらも安心できるほどの腕前だ。

 しかし相手は数十人だ。一度に3人が掛かってくると、さすがに対処できなくなる。
 危ない箇所があると、葉雪は密かに手を加えた。相手の脛を蹴り飛ばし、額に裏拳を叩きつける。全て雲嵐がやったことになると思えば、さくさく手も脚も出た。

 楽しくなってきたところで、雲嵐から腕を掴まれる。

「師匠、走りましょう!」

 あらかた男らを片づけたからか、雲嵐は葉雪を引っ張って走り出した。
 路地を抜け、喧騒から遠ざかる。家もまばらになったところで、追手の気配は完全に消えた。
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