天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

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第一章 最期の試練

第8話 弱者

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 突然入ってきた葉雪に、女は小さく悲鳴を上げて、手巾を取り落とした。葉雪は女から視線を外さないまま、雲嵐の方に身体を傾ける。

「どうも、公子。今日もご来店ありがとうございます」
「劉師匠」
 
 雲嵐が一転、顔を綻ばせる。
 師匠と呼ばれた事には苦笑いしかないが、この変わり身は素直に可愛いと言える。

 懐かれた理由は良く分からないが、自分一人に尻尾を振ってくれる存在というのは、素性が分からなくとも愛おしいものだ。
 女の方は予想通りといったところか、驚きの表情を険しい顔へと変化させる。

「誰なの、あなた。二人で話しているんだから邪魔しないで」
「二人で話してた? いや、私にはあんたの声しか聞こえなかったけどな」
「彼は耳が聞こえないんだから、しょうがないのよ。こちらが伝える術を考えながら接しなければならないの。肖公子には助けが必要で、私にはそれが出来る。何も知らないくせに、口を挟まないで!」

 きゃんきゃんと、まるで躾のなっていない小型犬が吠えるように、女は早口で捲し立てる。
 甲高くて耳障りな声である。

 雲嵐の耳に悪そうだ、と隣を見たが、相変わらず彼はこちらを見たままにこやかな笑みを浮かべたままだ。
 葉雪も笑みを返し、また女に視線を戻した。

「誰が助けてくれと言ったよ?」
「彼のような人は、常に助けを求めているものなの。あなたのような学のない人間には、到底分からないでしょうね」
「確かに学はないが、彼が助けを求めてるようにも思えない」
「……これだから馬鹿は。彼はなのよ。私、可哀想な人は放っておけないの」
「……は?」

 漏れ落ちた声は、一介の料理人が発したとは思えないほどに、鋭く冷たかった。
 女の顔がさっと青くなり、傍に控えていた侍女が小さく悲鳴をあげる。

 いけ好かない女だと思っていたが、先程の発言で嫌悪に変わった。女のにごり腐った眼に、雲嵐はどう映っているのか。

  葉雪は卓に置いてあった雲嵐の扇子を手に取ると、打ち開いた。
 大きく開いたそれで、雲嵐の顔を隠す。もう彼に、女の唇を読ませたくなかった。

「誰が弱者か。訂正しろ」
「……っ、なによ……」

 何の感情も含まない無の顔で、葉雪は女を見る。そして声を落とした。

「弱者だと? お前は自分の慈悲深さを示すために、人の矜恃をへし折り、存在そのものを貶めている。最低だ。気色が悪い。同じ空気すら吸いたくない」
「……っ」
「阿嵐が弱者? この面を見てみろ」

 扇子を少しばかりずらし、女に雲嵐の顔を見せる。
 すると店の外に居た女性陣から『きゃあ』と声が上がった。店内に花を投げ込んでくる者までいる。

「この面をもって生まれただけで、もう強いだろうが。つよつよだ。そんなに何かを憐れみたいんだったら、家に帰って庭の敷石でも憐れんどけ。いつもお前に踏まれて可哀想だろうが」
「……っあんた……っ! 私を侮辱したわね⁉ 無事ではいられないわよ!!」
「おいおい、何かするつもりなら、店では避けてくれよ。私の家は沼南の方にあるから、そちらへどうぞ」

 女の様子だと、今日のうちに刺客を送りつけてきそうだ。それならば家を襲撃して欲しいと、葉雪は切に願う。
 店に迷惑をかけて、またクビになっては堪らないからだ。

 職探しは苦手な部類であるし、何度も言うがここは居心地がいい。

 葉雪は扇子を元の位置へと戻し、雲嵐の顔を再度隠した。そして空いた手を、ちょいちょいと何かを除けるように振りやる。

「騒ぎになって、人が集まってきてる。その醜悪な顔を晒したくないなら今すぐ去れ」
「……っ、ただじゃおかないから……」

 自分がすごい形相をしているのを自覚しているのか、女が立ち上がる。
 女が侍女に支えられて外に出ると、明明が外に居た女性陣も追いやった。
 騒がしかった料理屋が、しんと静まり返る。

「さて、と」

 葉雪は扇子をぱちんと閉じて、卓に頬杖をついた。そして雲嵐を見ないまま、ぽつりと呟く。

「あ、と……すまんな……。よくよく思えば……私も、あの女と同じだ。私が守らずとも、雲嵐は一人で大丈夫だったかもしれん。余計なお世話だったな」
「……」

 雲嵐は答えない。それも仕方がないか、と葉雪は鼻からため息を吐く。

 女に言葉を放りながら、 一方で思ったのだ。
 自分だって、懐いてくれる雲嵐に気を良くして、一方的に庇護欲を湧かせただけではないか。

 しかし葉雪は、昔から言いたいことは口にする性分だった。我慢すれば気持ちが悪くなる。

 ぞろぞろと去っていく女性陣を見ていると、頭を突っ込んだ自分に情けなさも湧いてくる。 

「ああ、そういえば。この言葉遣いも駄目だよな。お前とじゃ身分が……」
「……もう一度」
「うん?」

 雲嵐をちらりと見遣れば、相変わらず彼は葉雪を見たままにこにこと微笑んでる。
『もう一度』の意図が分からず、葉雪は首を傾げ顎を擦った。

「もう一度? 言葉遣いのことか?」
「名前です。阿嵐と、呼んでくださった」
「……な……お前……」
「お前ではなく、阿嵐です。それに、言葉遣いもそのままで構いません」

 卓の上にあった葉雪の手に、雲嵐の手が重ねられる。ぎょっとして雲嵐を見ると、彼はさも当然といった顔で葉雪と視線を合わせてくる。

 そこで葉雪は、まだ自身の手が雲嵐の扇子を握り込んでいるのを思い出した。彼は単に、扇子を返してもらいたかっただけなのだろう。

 納得した葉雪は、雲嵐の掌に包まれている自身の手を引き抜こうとした。しかしそれを制するように、雲嵐の手に力が入る。

 痛みを感じるほどに握り込まれた手から、逃さないという執念を感じた。
 その力強さとは反して、雲嵐は優しい声色で呟く。

「礼儀を重んじる事は大事ですが、私と師匠の間では必要ありません。それに、手短に簡潔に、師匠の意図を汲み取りたい。……敬語ほど非効率なものは無いと思いませんか?」
「……た、確かにそうだが……」
「では、不要で」

 葉雪は雲嵐から視線を外す。きっと彼はニコニコしているに違いない。見る者を篭絡してしまうような笑みに、今の状況を誤魔化される訳にはいかないのだ。

(……まず手を離せよ……何なんだ、この手は)

 握り込まれた手は雲嵐に導かれ、次は彼の膝の上へ移った。
 卓の上だと目立つと思ったのか、はたまた違う理由か、葉雪にはまったく掴めない。

 師弟の関係であっても、手を握りあう事はそうそうないだろう。前回と同じく、雲嵐の意図がまるで分からない。
 葉雪は握り込まれている手をぐいぐい動かした。

「わ、分かったから、離せ。私は厨房に戻らなければならない」
「そうですか……」

 名残惜しそうに、そして些細な抵抗のためか、雲嵐はゆっくりと葉雪の手を解放する。
 自由になった葉雪はすぐさま立ち上がり、雲嵐を見下ろした。
 同じ目線でいるよりは、こちらの方が話しやすい。雲嵐の美しさを直視せずに済む。

「料理、作り直すか?」
「とんでもない。このまま頂きます」

 雲嵐はそう言うと、またにっこりと微笑む。

(……ほんと、顔が良いな。こいつ……)

 葉雪は美醜の判断には疎いが、雲嵐ばかりは美形だと断言できる。昊穹も美男ぞろいだったが、雲嵐なら引けを取らないだろう。

 顔だけじゃなく、身体つきも女性好みといったところだ。無駄な脂肪も誇張された筋肉もついてない。

 女が狂うわけだ。

 また料理に手を伸ばした雲嵐を置いて、葉雪はほっと肩の力を抜きながら厨房へと戻った。
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