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第一章 最期の試練
第6話 葉上の雪
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***
葉雪の一日は入浴で終わる。
たっぷりの湯が張られた湯桶に身体を沈ませ、葉雪は大きく息を吐き切った。
湯桶の外に出した髪に、誰かが優しく触れる。
「湯加減は如何ですか?」
葉雪は風呂の縁に後頭部を引っかけ、「最高」と一言呟く。視線を上げると、こちらを心配そうに見下ろす顔が見えた。
真っ白な肌に、小さな唇。眉は雄々しく切り上がっていて、瞳の形も吊り上がり気味だが黒目が大きい。年の頃は16歳ほどの少年に見えるが、額から牡鹿のような角が二本突き出ている。
彼は昊穹にいる獣で、人間たちから『神獣』と呼ばれる存在だ。本来なら昊穹にしかいないのだが、彼らはわざわざ昊力を使って人型になり、葉雪の世話を焼きに来る。
髪に温かい湯がゆっくりと掛けられる。心地いい感触に、葉雪は瞼を閉じた。とろとろと眠気が襲ってくる。
その眠気を振り払うように、葉雪は口を開いた。
「一鹿、今日は二鹿はいないのか?」
「本日は、昊穹にて黄地司帝の護衛です」
「そうか。……お前もな、来なくていいんだぞ、こんなところ」
「嫌です。おそばにいとうございます。……俺も、二鹿も、三鹿も、あとは……」
「あ~もういい。分かったから……」
くわ、と欠伸をして葉雪は一鹿の話を打ち切った。このままでは全神獣の名前を述べられそうだ。そんなことをされれば本格的に寝てしまう。
神獣の数は多く、彼らの名付けは葉雪が担当した。もともと大雑把な性格の葉雪は、彼らの名前に数字を入れている。
彼らの名前を順に聞いていたら、耳元で羊を数えられているのと同じようなものだ。
一鹿は石鹸を泡立てると、葉雪の髪の中に指を通した。ごわごわになった髪を解かすように指で梳いた後、優しく揉み込んでいく。
葉雪の髪に使っている染料は特殊なもので、専用の石鹸でなければ落ちることはない。寝具に色移りする心配もなかった。
「ん~……。お前らな、毎日私の髪を洗いに来なくても良いぞ? 毎日洗髪しなくても死にはしない」
「我々は、これが楽しみで生きております。取り上げられれば、我々こそ死にますよ」
「おいおい、脅しかよ……」
本来ならば、風呂など毎日入るものでは無い。
この世界は男女ともに長髪が基本であるため、洗髪は3日に一度ほど。風呂に湯を張って入浴するのは、冬場なら5日に一回が妥当だろう。
しかし葉雪の場合、神獣たちがこぞって洗いに来るのだ。
昊穹でもそうだったが、まさか人間界に移ってまでも洗いに来るとは思っていなかった。
「……禄命星君の用事は、引き受けたのですか?」
「ん? 良く知ってるな」
「自慢しておりましたから……。お優しい大主のことです。引き受けたのでしょう?」
「いや、耳に入れただけだ」
茶色かった髪から染料が抜け、だんだんと白くなっていく。白くなっていくにつれ、一鹿は嬉しそうに顔を綻ばせた。
葉雪の髪は、かつて真っ白だった。その名の通り、葉の上に積もる雪のような白だ。
今でも透けるような白をしているが、追放時に受けた緑刑の影響で、一房だけが緑色に変わってしまった。
その一房を一鹿が梳いていると、葉雪がぽつりと呟く。
「……私は、どうしてこの姿のままなんだろうな。転生もせず、こうして生活に苦労することもない」
「大主が、特別だからでしょう」
「こんな宙ぶらりんな特別はいらん。……これでは罰とは言えん。遊歴と変わらんだろう」
「ゆ、遊歴? 何を仰りますか。……大主は……」
一鹿は手を止めて、抗議をするべく葉雪の顔を覗き込んだ。しかしいつの間にか、葉雪は赤い唇を小さく開け、寝息を立てている。
一鹿は葉雪の髪をきゅっと握ると、まるで祈りを捧げるように頭を垂れた。
「我々は、わすれませぬ。……もう大主は、十分に罪を償われたではありませんか……」
ぽつりと放った声には、絞り出すような重苦しさが宿っている。しかしその声に、葉雪が反応することは無かった。
***
葉雪は夢を見ていた。
150年前、昊穹を追放された時の、何度も繰り返し見たお馴染みの夢だ。
座した葉雪を、地司黄帝と風司紫帝が見下ろしている。場所は雷司白帝の宮だ。
あの日、雷司白帝は不在していた。
もしもあの時彼がいたら、葉雪は追放を逃れられたかもしれない。しかし葉雪にとっては、追放されようがされまいが、もうどちらでも良かったのだ。
毎回のようにこの夢は鮮明で、四帝らの袍の柄まではっきりと映し出されている。その生々しさが憎らしく、同時に自分自身に腹が立つ。
いつまで経ってもこの夢を見るという事に、苛立ちを禁じ得ないのだ。未だあの場所に未練があるのかと思うと、自分を呪い殺したくなる。
『炎司朱帝が害された! 昊殻の塵竹は、黒羽の間者だったに違いない!』
『昊黒烏よ、どうして気が付かなかった? 何百年もの間、お前の部下は敵と通じていたんだぞ!』
『____ 昊黒烏! お前は……腹心に裏切られたんだ!』
馬鹿を言え。とあの時葉雪は思った。
裏切られた。とは露ほどにも思えなかった。
塵竹が黒羽族であるなら、そうなのだろう。
しかし塵竹は塵竹だ。他の何者でもない。
「……塵竹が黒羽の民だったことは、知っておりました。全ての責任は、昊殻の長である私にあります」
それから先は、ただ転がるのみだった。そして葉雪は昊穹を追われたのだ。
葉雪の一日は入浴で終わる。
たっぷりの湯が張られた湯桶に身体を沈ませ、葉雪は大きく息を吐き切った。
湯桶の外に出した髪に、誰かが優しく触れる。
「湯加減は如何ですか?」
葉雪は風呂の縁に後頭部を引っかけ、「最高」と一言呟く。視線を上げると、こちらを心配そうに見下ろす顔が見えた。
真っ白な肌に、小さな唇。眉は雄々しく切り上がっていて、瞳の形も吊り上がり気味だが黒目が大きい。年の頃は16歳ほどの少年に見えるが、額から牡鹿のような角が二本突き出ている。
彼は昊穹にいる獣で、人間たちから『神獣』と呼ばれる存在だ。本来なら昊穹にしかいないのだが、彼らはわざわざ昊力を使って人型になり、葉雪の世話を焼きに来る。
髪に温かい湯がゆっくりと掛けられる。心地いい感触に、葉雪は瞼を閉じた。とろとろと眠気が襲ってくる。
その眠気を振り払うように、葉雪は口を開いた。
「一鹿、今日は二鹿はいないのか?」
「本日は、昊穹にて黄地司帝の護衛です」
「そうか。……お前もな、来なくていいんだぞ、こんなところ」
「嫌です。おそばにいとうございます。……俺も、二鹿も、三鹿も、あとは……」
「あ~もういい。分かったから……」
くわ、と欠伸をして葉雪は一鹿の話を打ち切った。このままでは全神獣の名前を述べられそうだ。そんなことをされれば本格的に寝てしまう。
神獣の数は多く、彼らの名付けは葉雪が担当した。もともと大雑把な性格の葉雪は、彼らの名前に数字を入れている。
彼らの名前を順に聞いていたら、耳元で羊を数えられているのと同じようなものだ。
一鹿は石鹸を泡立てると、葉雪の髪の中に指を通した。ごわごわになった髪を解かすように指で梳いた後、優しく揉み込んでいく。
葉雪の髪に使っている染料は特殊なもので、専用の石鹸でなければ落ちることはない。寝具に色移りする心配もなかった。
「ん~……。お前らな、毎日私の髪を洗いに来なくても良いぞ? 毎日洗髪しなくても死にはしない」
「我々は、これが楽しみで生きております。取り上げられれば、我々こそ死にますよ」
「おいおい、脅しかよ……」
本来ならば、風呂など毎日入るものでは無い。
この世界は男女ともに長髪が基本であるため、洗髪は3日に一度ほど。風呂に湯を張って入浴するのは、冬場なら5日に一回が妥当だろう。
しかし葉雪の場合、神獣たちがこぞって洗いに来るのだ。
昊穹でもそうだったが、まさか人間界に移ってまでも洗いに来るとは思っていなかった。
「……禄命星君の用事は、引き受けたのですか?」
「ん? 良く知ってるな」
「自慢しておりましたから……。お優しい大主のことです。引き受けたのでしょう?」
「いや、耳に入れただけだ」
茶色かった髪から染料が抜け、だんだんと白くなっていく。白くなっていくにつれ、一鹿は嬉しそうに顔を綻ばせた。
葉雪の髪は、かつて真っ白だった。その名の通り、葉の上に積もる雪のような白だ。
今でも透けるような白をしているが、追放時に受けた緑刑の影響で、一房だけが緑色に変わってしまった。
その一房を一鹿が梳いていると、葉雪がぽつりと呟く。
「……私は、どうしてこの姿のままなんだろうな。転生もせず、こうして生活に苦労することもない」
「大主が、特別だからでしょう」
「こんな宙ぶらりんな特別はいらん。……これでは罰とは言えん。遊歴と変わらんだろう」
「ゆ、遊歴? 何を仰りますか。……大主は……」
一鹿は手を止めて、抗議をするべく葉雪の顔を覗き込んだ。しかしいつの間にか、葉雪は赤い唇を小さく開け、寝息を立てている。
一鹿は葉雪の髪をきゅっと握ると、まるで祈りを捧げるように頭を垂れた。
「我々は、わすれませぬ。……もう大主は、十分に罪を償われたではありませんか……」
ぽつりと放った声には、絞り出すような重苦しさが宿っている。しかしその声に、葉雪が反応することは無かった。
***
葉雪は夢を見ていた。
150年前、昊穹を追放された時の、何度も繰り返し見たお馴染みの夢だ。
座した葉雪を、地司黄帝と風司紫帝が見下ろしている。場所は雷司白帝の宮だ。
あの日、雷司白帝は不在していた。
もしもあの時彼がいたら、葉雪は追放を逃れられたかもしれない。しかし葉雪にとっては、追放されようがされまいが、もうどちらでも良かったのだ。
毎回のようにこの夢は鮮明で、四帝らの袍の柄まではっきりと映し出されている。その生々しさが憎らしく、同時に自分自身に腹が立つ。
いつまで経ってもこの夢を見るという事に、苛立ちを禁じ得ないのだ。未だあの場所に未練があるのかと思うと、自分を呪い殺したくなる。
『炎司朱帝が害された! 昊殻の塵竹は、黒羽の間者だったに違いない!』
『昊黒烏よ、どうして気が付かなかった? 何百年もの間、お前の部下は敵と通じていたんだぞ!』
『____ 昊黒烏! お前は……腹心に裏切られたんだ!』
馬鹿を言え。とあの時葉雪は思った。
裏切られた。とは露ほどにも思えなかった。
塵竹が黒羽族であるなら、そうなのだろう。
しかし塵竹は塵竹だ。他の何者でもない。
「……塵竹が黒羽の民だったことは、知っておりました。全ての責任は、昊殻の長である私にあります」
それから先は、ただ転がるのみだった。そして葉雪は昊穹を追われたのだ。
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