天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

文字の大きさ
上 下
6 / 60
第一章 最期の試練

第6話 葉上の雪

しおりを挟む
 ***

 
 葉雪の一日は入浴で終わる。
 たっぷりの湯が張られた湯桶に身体を沈ませ、葉雪は大きく息を吐き切った。
 湯桶の外に出した髪に、誰かが優しく触れる。
 
「湯加減は如何ですか?」

 葉雪は風呂の縁に後頭部を引っかけ、「最高」と一言呟く。視線を上げると、こちらを心配そうに見下ろす顔が見えた。

 真っ白な肌に、小さな唇。眉は雄々しく切り上がっていて、瞳の形も吊り上がり気味だが黒目が大きい。年の頃は16歳ほどの少年に見えるが、額から牡鹿のような角が二本突き出ている。

 彼は昊穹にいる獣で、人間たちから『神獣』と呼ばれる存在だ。本来なら昊穹にしかいないのだが、彼らはわざわざ昊力を使って人型になり、葉雪の世話を焼きに来る。

 髪に温かい湯がゆっくりと掛けられる。心地いい感触に、葉雪は瞼を閉じた。とろとろと眠気が襲ってくる。
 その眠気を振り払うように、葉雪は口を開いた。

一鹿ひろく、今日は二鹿はいないのか?」
「本日は、昊穹にて黄地司帝の護衛です」
「そうか。……お前もな、来なくていいんだぞ、こんなところ」
「嫌です。おそばにいとうございます。……俺も、二鹿も、三鹿も、あとは……」
「あ~もういい。分かったから……」

 くわ、と欠伸をして葉雪は一鹿の話を打ち切った。このままでは全神獣の名前を述べられそうだ。そんなことをされれば本格的に寝てしまう。

 神獣の数は多く、彼らの名付けは葉雪が担当した。もともと大雑把な性格の葉雪は、彼らの名前に数字を入れている。
 彼らの名前を順に聞いていたら、耳元で羊を数えられているのと同じようなものだ。
 
 一鹿は石鹸を泡立てると、葉雪の髪の中に指を通した。ごわごわになった髪を解かすように指で梳いた後、優しく揉み込んでいく。
 葉雪の髪に使っている染料は特殊なもので、専用の石鹸でなければ落ちることはない。寝具に色移りする心配もなかった。

「ん~……。お前らな、毎日私の髪を洗いに来なくても良いぞ? 毎日洗髪しなくても死にはしない」
「我々は、これが楽しみで生きております。取り上げられれば、我々こそ死にますよ」
「おいおい、脅しかよ……」

 本来ならば、風呂など毎日入るものでは無い。

 この世界は男女ともに長髪が基本であるため、洗髪は3日に一度ほど。風呂に湯を張って入浴するのは、冬場なら5日に一回が妥当だろう。
 しかし葉雪の場合、神獣たちがこぞって洗いに来るのだ。

 昊穹でもそうだったが、まさか人間界に移ってまでも洗いに来るとは思っていなかった。

「……禄命星君の用事は、引き受けたのですか?」
「ん? 良く知ってるな」
「自慢しておりましたから……。お優しい大主たいしゅのことです。引き受けたのでしょう?」
「いや、耳に入れただけだ」

 茶色かった髪から染料が抜け、だんだんと白くなっていく。白くなっていくにつれ、一鹿は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 葉雪の髪は、かつて真っ白だった。その名の通り、葉の上に積もる雪のような白だ。
 今でも透けるような白をしているが、追放時に受けた緑刑の影響で、一房だけが緑色に変わってしまった。
 その一房を一鹿が梳いていると、葉雪がぽつりと呟く。

「……私は、どうしてこの姿のままなんだろうな。転生もせず、こうして生活に苦労することもない」
「大主が、特別だからでしょう」
「こんな宙ぶらりんな特別はいらん。……これでは罰とは言えん。遊歴と変わらんだろう」
「ゆ、遊歴? 何を仰りますか。……大主は……」

 一鹿は手を止めて、抗議をするべく葉雪の顔を覗き込んだ。しかしいつの間にか、葉雪は赤い唇を小さく開け、寝息を立てている。
 一鹿は葉雪の髪をきゅっと握ると、まるで祈りを捧げるように頭を垂れた。

「我々は、わすれませぬ。……もう大主は、十分に罪を償われたではありませんか……」

 ぽつりと放った声には、絞り出すような重苦しさが宿っている。しかしその声に、葉雪が反応することは無かった。


 ***


 葉雪は夢を見ていた。
 150年前、昊穹を追放された時の、何度も繰り返し見たお馴染みの夢だ。

 座した葉雪を、地司黄帝と風司紫帝が見下ろしている。場所は雷司白帝の宮だ。

 あの日、雷司白帝は不在していた。
 もしもあの時彼がいたら、葉雪は追放を逃れられたかもしれない。しかし葉雪にとっては、追放されようがされまいが、もうどちらでも良かったのだ。

 毎回のようにこの夢は鮮明で、四帝らの袍の柄まではっきりと映し出されている。その生々しさが憎らしく、同時に自分自身に腹が立つ。

 いつまで経ってもこの夢を見るという事に、苛立ちを禁じ得ないのだ。未だあの場所に未練があるのかと思うと、自分を呪い殺したくなる。

『炎司朱帝が害された! 昊殻の塵竹じんちくは、黒羽の間者だったに違いない!』
『昊黒烏よ、どうして気が付かなかった? 何百年もの間、お前の部下は敵と通じていたんだぞ!』

『____ 昊黒烏! お前は……腹心に裏切られたんだ!』

 馬鹿を言え。とあの時葉雪は思った。
 裏切られた。とは露ほどにも思えなかった。
 
 塵竹が黒羽族であるなら、そうなのだろう。
 しかし塵竹は塵竹だ。他の何者でもない。

「……塵竹が黒羽の民だったことは、知っておりました。全ての責任は、昊殻の長である私にあります」

 それから先は、ただ転がるのみだった。そして葉雪は昊穹を追われたのだ。
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

出戻り聖女はもう泣かない

たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。 男だけど元聖女。 一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。 「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」 出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。 ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。 表紙絵:CK2さま

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

陛下の前で婚約破棄!………でも実は……(笑)

ミクリ21
BL
陛下を祝う誕生パーティーにて。 僕の婚約者のセレンが、僕に婚約破棄だと言い出した。 隣には、婚約者の僕ではなく元平民少女のアイルがいる。 僕を断罪するセレンに、僕は涙を流す。 でも、実はこれには訳がある。 知らないのは、アイルだけ………。 さぁ、楽しい楽しい劇の始まりさ〜♪

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

処理中です...