天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

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第一章 最期の試練

第5話 師弟関係

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「辛さは? 大丈夫でしたか?」
「はい、とても。でも美味しかった」
「……」

 葉雪しょうせつ肖雲嵐しょううんらんの肩越しに、彼が座っていた卓を見た。
 まだほとんど手つかずのままの激辛料理を、連れの男が顔を顰めて見つめている。

 そうなのだ。
 肖雲嵐は、まだ激辛料理を一口しか口にしていない。
 一口だけで『辛かったけど美味い』と思えるものなのか。彼の言動はどうもおかしい。
 前の職場で人間というものを思い知ったためか、葉雪は初対面の人間への警戒心が芽生え始めたばかりだった。

 しかし何か裏があるのでは、と肖雲嵐を見るものの、彼の表情は澄み切った湖のように清い。まったく表裏が掴めない。

(……邪推し過ぎか? この場は流しておくか……)

 相手は貴族である。面倒な事態を避けるためにも、適当に合わせるのが吉だろう。

 そう思った葉雪が返答を選んでいると、肖雲嵐が突然俯いた。僅かに微笑みを湛えながら、ぽつりと呟く。

「……とても…………った」
「え?」

 肝心な箇所が聞こえなかった。意図的に聞き取りにくくしたようにも思える。
 葉雪が戸惑っていると、肖雲嵐が顔を上げた。

「あなたの料理に感動しました。これから毎日、通わせて頂きます」
「……ま、毎日? この激辛料理を?」
「はい。食べに来ます」

 強く頷く肖雲嵐を見て、葉雪は思わず困惑気味の笑みを向ける。

「毎日は良くない。胃が悪くなってしまう」
「構いません。胃は丈夫です」
「いや、それでも……」
「あなたも」

 葉雪の言葉にかぶせるように、肖雲嵐が言葉を放る。じっと葉雪の双眸を見据えて、彼はどこか切なさを湛えた表情を浮かべた。
 その泣き出しそうな顔は、少しも演技掛かっていない。感情が真っ直ぐに伝わって来るような表情だ。

「あなたも、辛いものがお好きでしょう? ……毎日食べているのでは?」
「……確かに、そうだが……」
「では私も、食べにきます」
「……そ、そこまで言われると……」
「ありがとうございます」

 押し切られてしまったが、そもそも店に通うのは客の自由である。止める権限などない。
 しかし今までの言動からすると、彼は激辛料理にそれほど情熱が無いように思える。毎日通いたいと思えるほどの動機が希薄だ。

 ますます目の前の青年の事が分からなくなった葉雪は、また拱手の姿勢を取ろうとした。
 別れの挨拶をして、早くこの場を終わらせたかったのだ。しかしまたもや、その手を制される。

「白劉帆殿。師匠とお呼びしても良いですか?」
「あぁ?」

 『今なんつった?』の言葉を呑み込んで、葉雪は肖雲嵐を見上げる。

 葉雪よりも身長の高い彼は、視線を落として葉雪の唇をじっと凝視していた。わずかな言葉も漏らしたくないという意思がひしひしとを伝わってくる。

「劉師匠、とお呼びしても?」
「……どうしてそうなるんでしょうか? 私はあなたに何も教えていませんし、そもそも貴方様のような方に、師匠と呼ばれる身分ではありません」
「どうか、お願いいたします。そして私の事は、阿嵐(あらん)とお呼びください」
「……あ、阿嵐?」
「はい、師匠」

 葉雪に名を呼ばれ、肖雲嵐は顔を蕩けさせ、破顔する。
 しかし葉雪としては、おいおい待て待て、と首を横に振るしかない。

 今日出会ったばかりの貴族の美青年に、激辛料理が美味かっただけで師匠認定されてしまう訳にはいかない。

 その上、青年がどれだけの身分か知らない状態で、彼を付けで呼ぶのも恐ろしい。
 地方によって違うが、親族やごく親しい人でなければ、名前に阿など付けないものだ。
 しかし彼は、さも当然のように自分を阿付けで呼べという。

 葉雪が困惑に困惑を塗り重ねていると、肖雲嵐の連れの男が近付いてきた。年は30歳ほどだろうか。身なりから、肖雲嵐のお付きといったところだろう。

 彼は葉雪と肖雲嵐の間に割り込むと、肖雲嵐に向けて目線だけを下げた。
 
「若君、もうお時間です」
「……分かっている。下がれ」

 肖雲嵐が小さく口にする。

 それは、先ほどまで葉雪に向けていた声とは思えないほど、抑揚のない声だった。
 対するお付きの男も、どこか冷ややかな態度だ。従者に必要不可欠な、主への敬慕というものが希薄に感じる。

 視界から従者がいなくなると、肖雲嵐は仕切り直しのように葉雪へ視線を注ぐ。
 まるで葉雪しか目に入っていないかのように、また穏やかな笑みに戻った。 

「……申し訳ありません、師匠。料理を包んで頂いても?」
「ああ、勿論……」

 葉雪が言うと、どこから聞いていたのか、明明が厨房へと疾走していく。そして竹の皮を手に戻ってくると、肖雲嵐の食べ残した料理を包み始めた。
 従者が包みを受け取ると、肖雲嵐は名残惜しそうに葉雪を見る。

「では師匠。また明日」
「……あ……」

 師匠じゃない。
 その否定の言葉を、葉雪は飲み込んだ。肖雲嵐の表情が、あまりにも寂しさに満ちていたからだ。
 葉雪の返事を待たず、肖雲嵐は踵を返して料理屋を去っていった。

(……不思議な男だったなぁ……。しかし大丈夫か? あれ)

 従者に対する肖雲嵐の態度は、まるで別人のようだった。対する従者の目にも、どこか侮蔑のようなものが見て取れた。

 雲嵐とは初対面である。しかし一度に様々な表情を見せられたせいで、強烈な印象を残さずにはいられない。

 しかし葉雪の心配を余所に、肖雲嵐はその日以来は従者を連れず、毎日店に通うようになる。
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