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第一章 最期の試練

第4話 激辛と美男子

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 ***

 翌日、葉雪は欠伸を嚙み殺しながら、今日も厨房に立っていた。

 大量にあった運命簿を一通り確認していたら存外面白く、気づけば朝方になっていたのだ。
 お陰で鍋を振りながら、うとうとと船を漕いでしまう羽目になった。

 抑えきれなかった欠伸を零していると、厨房の扉が開いて明明が顔を出す。
 
「白兄さん、さっきの料理! めちゃくちゃ辛かったって、お客さんが言ってたよ! 美味しかったから文句はなさそうだったけど、気を付けてね!」
「……あ~悪い。分量間違えたかもなぁ」

 葉雪は辛い料理を好む。その為か、ついつい自分好みの分量を入れてしまう癖があるのだ。

 気を付けてはいるのだが、たまに失敗してしまう。
 しかし最近はこの激辛料理も評判になってきているらしく、激辛指定の注文が来るときもある。

「でも次の注文は、激辛指定だよ! どうやらさっきのお客さん見てて、食べたくなったみたい。これで最後の注文だから、張り切ってね!」
「了解。直ぐに作る」

 自分が辛いものが好きなせいか、辛党仲間がいると素直に嬉しい。目一杯辛さを堪能してほしくて、鍋を振る手にも力が入る。

 大量の、それこそ目が沁みるほどの唐辛子をいれた後、葉雪はまるで何かに挑むかのように鉄勺を叩きつける。
 皿に盛りつけると、如何にも辛そうな深紅の料理が出来上がった。

「明明! 持って行ってやってくれ!」
「はいは~い。まったく、激辛注文が入ると、急にやる気になっちゃうんだから」
「そりゃそうだ。さぁ、私の同志に刺激を与えてやってくれ」

 明明が呆れたように笑いながら、料理を運んでいく。最後の注文をこなした葉雪は、いつものように前掛けを外した。

 しかし激辛料理が口にあったかどうかは気になるところだ。頭巾を取って肩に掛けると、店に続く扉を少しだけ開ける。

 今日はあまり女性客がおらず、男性が何人かいるだけだ。ほっとしながら扉を開け、戸枠に凭れながら店内を見回した。

(……お、あいつかな?)

 店の入口に近い食卓に、若い男が二人座っている。

 彼らが身に着けているのは、美しい刺繍が施された長い袍だ。良く見ると、佩玉も下げている。

 身なりからしても、相当の身分であることが窺い知れた。

 特にこちら向きに座っている青年は、その仕草や佇まいから高貴さが溢れている。そんな彼の手元にあるのが、あの激辛料理だ。

 長い漆黒の髪はしっとりと腰まで垂れ、背筋はまるで鉄板でも入っているかのようにぴんと伸びている。
 彼は流れるような所作で激辛料理を口に運び、驚いたように目を見開いた。

(あちゃあ、辛すぎたかな?)

 葉雪が苦笑いを零していると、青年の表情が変化した。
 眉を下げ、口を引き結ぶ。
 『辛い』と顔を顰めているというより、どこか泣き出しそうな表情だった。

 (これは本当に……いやもの凄く、辛すぎたかも知れないぞ……)

 やらかした、と葉雪は天を仰ぐ。

 装いからすると、彼らは恐らく貴族だろう。
 貴族にも色んな者がいるが、高い立場を利用して弱者を押さえつけてくる者もいる。
 そんな者たちから不興を買えば、この店が何をされるか分からない。

 苦言だけで済めばいいが、と葉雪が一歩踏み出したその時だった。
 ふと、青年と目が合う。

 青年は葉雪の姿を見ると、持っていた匙をぽたりと落とした。

 彼の視線が葉雪の頭へと上り、ゆっくりと足まで降りていく。そしてもう一度確認するように葉雪の顔を見据え、青年はまるで信じられないものを見たかのように目を見開く。

 彼は椅子を鳴らしながら立ち上がると、早足で葉雪へと向かって来る。遠目では分からなかった青年の容姿が、どんどん鮮明になっていく。

 揺れる度に光を纏う、長く真っ直ぐな髪。
 肌は白過ぎず、男性らしく日焼けもしている。しかし彼の肌は、まるで陶器のように滑らかで少しの凹凸もない。

 美麗な眉の下にある瞳は、紫を帯びた藍色だ。その宝玉のような瞳を見ていると、呼吸すらも忘れてしまう。

 青年は葉雪の前に立つと、美しい唇を、僅かの歪みもない弧の形に描かせた。

「ご尊名を伺っても、宜しいでしょうか?」
「は?」
「……あなたの、名前です」

 青年は葉雪をまっすぐに見つめ、ゆっくりと発音した。どこか申し訳なさそうに眉を寄せながらも、瞳はしっかりと葉雪の双眸を捉えている。

 青年の容姿に見惚れていたこともあり、葉雪は直ぐに反応できなかった。慌てて拱手の姿勢をとり、頭を垂れる。

白劉帆はくりゅうほと申します、公子様」
「はく?」

 青年は問いかけながら、葉雪の両手を下から支えた。礼はいらない、という意思表示の所作だ。
 葉雪は頭を上げ、改めて名を名乗る。

白劉帆はくりゅうほです」

 白劉帆は、葉雪が人間界で使っている偽名である。
 人間界に降りてから長い年月が過ぎたので、葉雪にはいくつもの偽名がある。白劉帆はその1つだ。

 再度名乗ったところで、葉雪は青年の視線が唇に向いていることに気付く。
 もしかして、と注意深く見つめていると、青年は嬉しそうに破顔した。

 まるで、初めて恋した相手の名に触れる少年のように、彼は頬を赤く染める。
 青年は自身の耳に触れ、それから唇に触れた。

「すみません。耳が、悪いのです。はく、りゅうほ、で間違いないですか?」
「間違いございません」

 やはり、と思いながらも、葉雪は笑顔で頷いた。

 青年は唇の形と聞こえる音で、相手が何を言っているのか読み聞きしているのだ。
 彼の発音に違和感はないので、恐らく聾ではなく難聴なのだろう。

 しかし葉雪は、彼の耳が悪い事よりも彼の態度が気になっていた。
 葉雪を見つめる視線は、初対面の男に向けるものではない。

 今の彼はまるで、切望していた宝物を前にし、今にも飛びつきそうな表情をしている。しかもその歓喜に満ちた瞳の中に、どこか違う情が潜んでいる気がするのだ。

 葉雪が心中で首を捻っていると、青年は真っ直ぐな姿勢を更に正して、口を開いた。

「私は肖雲嵐しょううんらんと申します。あの激辛料理は、白劉帆殿が作られたものですよね?」
「はい、そうです。……辛かったでしょう? 宜しければ作り直しましょうか?」
「とんでもない! とても……とても、美味しかった」
「美味しかった?」

 葉雪の問いに、肖雲嵐は笑顔で頷く。
 女性が見たら蕩けてしまうほど美麗な笑みだが、葉雪は『美味しかった』の感想に違和感があり、またもや疑いの目を向けてしまう。

 激辛料理を求める者というのは『 どれだけ辛かったか』、それが最優先事項なのだ。
 美味さが不要という訳では無いが、二の次なのである。

 十分な辛さを認めたあと、次に辛さと美味しさの調和がとれている事を追及する。これが出来ていて初めて、賞賛してくれるのが常だ。

 『辛かった』もしくは『もっと辛くて良かった』などが先に来ない感想など、葉雪は聞いたことがない。
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