天上人の暇(いとま) ~千年越しの拗らせ愛~

墨尽(ぼくじん)

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第一章 最期の試練

第2話 禄命星君

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 陽はすっかり落ちて、闇夜が町を包んでいた。

 葉雪の住む町は、都から少し離れたところにある。良く言えばのどかな場所、悪く言えばド田舎だ。

 提灯の灯りもまばらで、男でも一人で歩くには心細いだろう。そんな道を、葉雪はゆったりとした速度で歩む。
 すると、何もない空間から声だけが響いてきた。

『____ 昊黒烏こうこくお殿。……昊黒烏殿……』

 葉雪はふさりと瞼を揺らした後、聞こえないふりをして歩を進める。
 先ほどよりも速度を早めると、柔らかい風がまるで縋るように身体へと纏わりつく。

『聞こえているのでしょう? 知らん顔は止めて下さい』
「……」
『……えっ? え? 聞こえないんですか? うっそ、本当に? 黒烏こくおどの? こくおどのっ、返事して!』

 声の主の慌てぶりに、笑いが漏れそうになる。堪らず唇の端を噛むと、風がぴたりと止んだ。次いで、目の前の空間が水面のようにゆらりと揺れる。

 小さな波の中から、徐々に輪郭や色が浮き上がり、目の前に一人の男が現れた。
 
 髪は頭頂部でぴっちりと一つにまとめ、金色の冠で留めてある。瞳は今にも流れていきそうな垂れ目で、顔つきもどことなく頼りない。

 男は葉雪の目の前で手をぱたぱた振り、顔を覗き込む。

「昊黒烏殿? 見えてますよね? 今、笑いましたね? 良い笑顔ですよ~素晴らしい」
「……」
「聞いてます? ああ、そういえば、泉嶽せんがくがまた見合いに失敗したんですよ。見合いが楽しみ過ぎて寝られず、当日になって寝坊したとかで……」
「っぷ」
「また笑いましたよね? ね、ね?」
「はははは、は」

 わざとらしく笑いながら、葉雪は何もなかったかのように歩き続ける。しかし男は当たり前のように横に並び、ついに葉雪の家にまで付いてきた。

 葉雪の家は古い造りの一軒家だが、一人で住むには十分な程の広さがある。繁華街から離れているため、安く借りることが出来たのだ。

 職場からは離れているが静かで住み心地が良く、葉雪の自慢の城である。

 安っぽい木戸を開けると、左手に座卓が置いてある。その下に敷いてあった敷布に腰を降ろし、葉雪は独り言のように呟いた。

「……困りましたなぁ。こんなボロ屋、天上のお人を迎えるような場所では無いんですけどねぇ」
「や、止めてくださいよ……」

 男は座卓の向かいに座り、茶器を取り出し始めた葉雪を手で制する。そしてそのまま湯沸かしに手を翳すと、炭がまるで生き返ったかのように煌々と燃え始めた。

 男は葉雪から茶器を取り上げ、慣れた手つきで茶葉を入れ始める。

 葉雪は男の様子を見ながら、胡坐をかいた膝に肘を立てた。拳を頬に当て、ゆっくりと溜息を吐き出す。

「……何度も言うが、昊黒烏はもういないんだよ。私はただの人間で、お前は名高き天上人である『禄命星君ろくめいせいくん』だろう? 本来なら人間界で、茶を入れる事自体がおかしいぞ」

 禄命星君といえば、冥府の長である冥王の右腕だ。

 冥府は昊穹と人間界の魂を管理し、運命簿によって転生などを指示する機関である。
 昊穹の中でも特別な機関で、冥王は四帝と並ぶほど尊い身分だ。

 そんな冥王の右腕となって冥府を回すのが、目の前の禄命星君である。

 言わば、人間の生き死にを握っているような人物だ。
 決して人間界のボロ屋に、ほいほい来て良い身分ではない。
 しかし目の前の禄命星君はボロ屋を背景に、真顔で茶を煎じ続ける。

「あなたに茶など入れさせては、昊王こうおうからお叱りを受けます」
「はっはー、馬鹿な事を。追放された者の事など、もう覚えてはおられまい」
「何を仰るやら。あなたの運命簿は未だ冥府に無いんですよ。人間界に堕とされた天上人で、運命簿が冥府に落ちて来なかったのはあなただけです。昊黒烏殿」
「……そ、それは知らん……」

 葉雪は頬を突いていた拳を開いて、今度は指で眉間を揉み込んだ。どうしてそんな事態になっているのか、未だに自分でも分からない。

 そもそも、天上人が目の前にいるこの状況からしておかしいのだ。
 天界である昊穹とは、きっぱりと縁が切れたはずだ。葉雪は追放されたのだから。


 この世界を統べるのは、天上の最高神である『司天帝』だ。司朱帝は昊王にしか姿を見せず、昊王は彼の言葉の代弁者となる。

 その昊王が統べる『昊穹こうきゅう』は、もっとも最高神に近しい場所に位置している。
 天上にあるその場所は天界とも呼ばれ、昊穹の民は人間たちから天上人として崇められる存在だ。

 しかし昊穹も、元は瑠京るきょう国という小さな国だった。遥か昔に司天帝から忠誠心を認められ、国ごと昊穹へと召し上げられたのだ。

 その昊穹から、葉雪は追放された。人間界に堕とされ、天上人でも無くなっている、はずだった。
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