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前編

第15話 エリトと、エリト

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『もしかして、名前を呼べば、何かを思い出してくれるのではないか』


 クラーリオが抱いていた身勝手で小さな希望は、粉々に砕かれた。


 そしてその瞬間、残酷にも「あの時の彼」の姿が蘇る。
 今目の前にいるエリトと同じ顔をして、彼は呟いたのだ。


『僕の名前はエリトだ。あんたの名前は?』
『……クラーリオ』
『くらーりお。……じゃあ、クリオだね』

 有無も言わさず、その日から彼はクラーリオをクリオと呼んだ。

 薄緑の瞳に見つめられるだけで、幸せだった。
 薄桃色の唇から紡がれる言葉を、僅かでも聞き洩らしたくなかった。
 ブロンドの髪に触れると、心が高鳴った。


(それでも、君はエリトだ。エリトなんだ)

 僅かな希望を砕かれても、やはりクラーリオの確信は変わらない。




 『あの人』を失ってから数百年が経ち、クラーリオ自身も胸に残る面影だけを見つめている時期。魔泉で偶然エリトを見つけた時は、クラーリオは立っていられないほどに動揺した。

 顔も同じ、体格も、捌き屋という生業も、彼と一緒だった。
 ただ髪色だけが違っていて、ブロンドの髪が真っ白に変わっていた。


(彼のはずがない。あれから何百年経ったと思っている……!?)

 不可能な話だった。人間は百年も生きられない。
 
 あり得ないと思うものの、エリトに会うたびにクラーリオの胸に確信が湧き上がった。


 この人間が彼であると、本能が叫び声を上げる。
 でも、この人間が彼ではないと、全てが否定する。

 クラーリオは彼に会うたびに喜びを感じながら、彼であるという確信を深めた。しかし反対に、その確信が誤りであると何度も打ちのめされる。


 しかし何度打ちのめされても、クラーリオの中にある確信は消えなかった。




____________

「____  タオ」
「……ここに」

ナークレンの森でタオを呼ぶと、直ぐに返事が返ってくる。タオは姿を現すと、狼狽えながらクラーリオへ走り寄った。

「そ、宗主、そのお姿は……! お怪我も……」
「大事ない。それより伝言を頼む」


 昼過ぎにウトウトと眠り始めたエリトを置いて、クラーリオは森へとやってきていた。
 いつエリトが起きるか分からないため、クラーリオは矢継ぎ早に言葉を滑らせる。

「ヘラーリア近辺の森と、ここの森。魔獣の数が桁違いだ。ヘラーリア側には魔素が停滞し、あまり良い状態ではない。小隊を組んで、ヘラーリア側を偵察せよと、ジョリスに伝えろ。……あくまで偵察だ。強い個体には、俺が帰るまで手を出すな」

「御意」

 タオの返事を聞きながら踵をかえしたクラーリオが、その足をぴたりと止める。
 しばらく沈黙したのち、ぽつりと呟いた。

「スガノに……今日中に帰ると、伝言を」
「! はい!」

 側近であるスガノに黙ったまま出てきた事は、宗主としてあるまじき行為だ。クラーリオが今回の自分の行いを悔いることはないが、スガノの尊厳を貶めるのは本意ではない。

(帰ったら、謝るか)

 クラーリオは溜息を零しながら、エリトの家へ急いだ。
 傷ついた脚が痛むが、魔神になればすぐに癒える。構わず歩を進めると、玄関先にエリトが立っていた。

 クラーリオの姿を認めると、慌てて駆け寄ってくる。

「クリオ!! どこ行ってたんだ!」
「……ごめん、散歩に……」
「散歩? 馬鹿!! まだ毒が残ってるかもしれないのに、身体を動かすなんて!」

 また肩を貸してくれるエリトに甘えて、クラーリオは身を寄せた。そして彼の身体から漂ってくる血の匂いに、鼻をくんくんと動かす。

「エリト、風呂には入らないのか?」
「あ、ごめん。臭かったか? 昨日は川に入ってなかったから……」
「川?」
「うん、家の裏に川が流れてて、そこで汚れを落とすんだ」
「……」

 クラーリオがノウリの時、エリトは湯を沸かして風呂に入れてくれた。
 それがノウリの為だけの特別だったとしたら、いよいよエリトの考え方に疑問が浮かぶ。

「エリト……自分のために湯は沸かさないのか?」
「……俺のために? 考えた事なかったな」
「……なぜだ。エリトも風呂に入りたいだろ?」

 クラーリオの問いに、エリトは首を傾げた。玄関先の椅子にクラーリオを座らせて、顎に手を当てながら「うーん」と唸る。

「? 入らなくても、生きていけるから、不要だろ?」
「……そうか」

 自己犠牲とも言えない、それ以前のエリトの思想。まるで自分を愛することを禁じられたかのような考え方。それがクラーリオにはまったく理解ができない。

(まさかこれが人間の考え方なのか? 魔族と思想は変わらないと思っていたが……)

 人間ではないクラーリオには、人間のことが分からない。その異常性を量るためには、人間の事をもっと知る必要がある。
 『穢れの子』の事も、調べなければいけないだろう。


「………エリト、色々ありがとう。そろそろ帰るよ」
「え? 帰れるのか?」
「うん。家の者が、そこまで迎えに来ている」

 クラーリオの言葉に、エリトは明らかな寂しさを顔に滲ませる。
 鋭く痛む胸を抑えながら、クラーリオは笑みを浮かべた。

「エリト、また遊びに来て良いか?」
「……ここに? ……い、いい、けど……」

 僅かに顔を赤くするエリトを見ながら、クラーリオは頬を緩ませた。

 「また来るよ」の言葉が残せるのは、やはり嬉しい。ノウリでは出来なかった「またね」が、クリオだと出来るのだ。
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