冷酷非道な魔神様は、捌き屋に全てを捧げる

墨尽(ぼくじん)

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前編

第7話 違和感

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 羽を大きく振り下げて、クラーリオは地上に降り立った。

 エリトの元を去ってから、丸2日ほど経っている。「ノウリ」に身体を変化させながら、クラーリオはエリトの家へと急いだ。

 まだ夜の匂いがする路地を抜け、少しだけ太陽が当たり始めた道を走る。
 赤い扉の家に、まだ灯りはついていないようだった。

 扉に身体を押し当て、ゆっくりと開く。やはり施錠はされておらず、少し開いた隙間から身体を潜り込ませた。


 火が消えた暖炉の前で、エリトは蹲るようにして眠っている。薄いブランケットを巻きつけて寝る様は、出ていった時と同じに見えた。

(エリト……置いて行って、すまない……)

 クラーリオはブランケットを咥え、エリトの肩まで引き上げた。起こさないようにゆっくり引き上げたつもりだったが、エリトは薄く瞳を開く。

「……? ノウリ!!」

 寝ぼけ眼から一転、エリトはガバリと身を起こした。嬉しそうに眉を下げ、クラーリオの顔を挟む。

「また来てくれたんだな! 嬉しいよ! ……ん?」

 いつものように毛並みを撫でようとして、エリトはぴたりと止まる。クラーリオの首元に鼻を寄せ、くんくんと匂いを嗅ぎ始めた。

「ノウリ! どこで遊んで来たんだ? 酷く汚れているし、魔獣の血の匂いもする。怪我は? どこもない?」

 エリトはそう言いながら、あちこち毛を掻き分ける。細い指が身体を撫でるたび、クラーリオはくすぐったさに身を捩った。
 クラーリオの脚の裏まで確認し、エリトは満足そうに頷く。

「怪我は無さそうだな! 待ってろ。湯を沸かして、早速お風呂だ!」

(風呂……! 好き……)

 エリトに身体を洗われるのは、クラーリオにとって至福の時だった。思わず尻尾をブンブン振り、エリトもその姿を見て笑う。

「ノウリは風呂が好きだな! 犬で風呂好きなんて、可愛い奴だなぁ」

(可愛いのはエリトだ。どうしてそんなに可愛いのか)

 わうわう言いながら尻尾を振ると、エリトはまた嬉しそうに笑った。
 その瞬間、クラーリオの頭からカマロのことは吹き飛んだ。


_________

 エリトに風呂へ入れてもらい、クラーリオは暖炉の前に敷かれたタオルへ飛び込んだ。タオルに身体を擦りつけていると、後から来たエリトがタオルを手に飛びついてきた。

 エリトはクラーリオに抱きつきながら、タオルで器用に毛並みを撫でる。

 暖かい暖炉の前で、クラーリオとエリトはもつれるようにじゃれ合った。
 エリトの首にクラーリオが鼻を擦りつけると、彼はくすくすと鈴が鳴るような声で笑う。
 その声に胸を蕩けさせていると、エリトの腹が可愛く鳴った。

 エリトは鳴った腹を押さえながら、途方に暮れたかのように溜息をつく。

「困ったなぁ……。ノウリも腹減ってる? 芋ならあるけど……」

 そう言うとエリトはのっそりと立ち上がり、玄関脇に置いている麻袋をひっくり返した。中から転がり出てきた芋は小ぶりで、とても単体で食べるようなものではない。

「5個か。足りる? ノウリは大きいからなぁ……」

(? どういう事だ……?)

 クラーリオは前回去る前、たっぷりと素材を残した魔獣を置いていったはずだ。
 ここに来る際に置いた場所を確認したが、魔獣は綺麗に捌かれて木の幹に寄せてあった。 こんなことが出来るのはエリトしかいない。

(一か月は贅沢できる量だったぞ? エリトはどこにやったんだ?)

 固まってしまったノウリに、エリトは不思議そうに首を傾げた。
 その仕草もクラーリオにとって褒美でしかないが、今は蕩けている場合ではない。

 しかしエリトは、その可愛い顔を急に歪める。玄関が乱暴に叩かれ、彼は弾かれたように扉を睨んだ。
 下唇を噛み、顔に浮かぶのは嫌悪のみ。来訪者が招かれざる客というのは、容易に想像できる。


「おお~い、捌き屋。いるんだろぉ?」

 響いてきた声に舌打ちを零し、エリトはクラーリオへ駆け寄った。そしてクラーリオの耳を落ち着かせるように撫でる。
 
「ノウリ、大きな声は平気? 怖くないからね。大丈夫だよ」

 そう言うと、鼻梁に皺を寄せて立ち上がる。扉に向かいながら、エリトは威嚇するように叫んだ。

「朝からうるせぇ! 今開ける!」

 普段のエリトからは想像できない口の悪さに、クラーリオは虚を突かれた。きっと犬らしからぬ顔になっているとは思うが、どうせ誰も見ていない。

 エリトが扉を開けると、そこには2人の男が立っていた。朝日を背に受けて顔がしっかり見えないが、下賤な笑みを浮かべているのが嫌に目につく。
 エリトを見る視線がこの上なく腹立たしい。クラーリオは思わず喉を鳴らすが、エリトはそれに気付くことはなかった。

「何の用だよ!」
「お前さぁ、まだ素材隠し持ってんじゃねぇか? 買ってやるから、寄越せよ」
「……昨日売ったので全部だ。また金も貰ってないのに、次を強請るのか?」

 エリトが忌々し気に吐き捨てると、男たちが嘲笑を零す。

 明らかにおかしい会話に、クラーリオはエリトの背中を見た。
 エリトは「売った」と言っているが、金を貰っていないなら売ったとは言えない。
 しかもエリトは、金を貰っていないことにさほど怒りを示していない。


(どういう事だ? 素材をくれてやる恩があるのか? こんなに飢えているのに?)

 エリトの年齢は二十歳を超えているはずだが、その身体は少年のように華奢だ。
 華奢な肩、薄い背中。初めて会った時より、明らかに痩せている。

 人間がどれほどの食事量を必要とするのか、クラーリオには分からない。しかし玄関口に立つ男達は、でっぷりと肥えている。
 その差を感じるにつれ、クラーリオの腹の底から言いようのない感情が湧き上がった。

 クラーリオが唸ると、エリトが驚いたように振り返る。その顔には焦りも浮かんでいた。

 エリトが玄関を塞ぐように立っているのは、ノウリの存在を男たちから隠すためだろう。クラーリオにもそれは分かっていたが、黙ってはいられなかった。

 クラーリオは威嚇するように吠え、エリトの前へと身体を滑り込ませた。
 突然目の前に現れた犬に男たちは後退するも、直ぐに下賤な顔へと戻る。

「おう、捌き屋。とうとう普通の犬も捌こうってか? よく見りゃ良い毛並みをしてるなぁ。捌いたら俺に寄越せよ?」
「……! ノウリにそんなことしない!!」

 吠えるクラーリオの身体に抱きつき、エリトは宥める様に毛並みを撫でる。
 しかし撫でられるほどに、男たちへの敵意は増幅していった。

 こんなに愛しいエリトを搾取している男たちを、許すわけにはいかない。
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