上 下
90 / 90
戦乱の常葉国

81. 朱楽と、たつとら 前編

しおりを挟む

 森の中で、タックスは一人の人間に出会った。

 血に濡れた金の髪が顔を縁取り、赤い瞳は氷の様に冷たい。
 目を逸らすことが出来なかった。
 その人間が纏う空気に畏れを感じると同時に、どうしても惹かれてしまう。

 見られていると気付いた人間は、タックスである自分を見遣ると、口元を緩ませた。しかしその笑みには寂寥や絶望が混じっていて、増々目が離せない。

「タックスの……亜種か」

 亜種、とは何だろう。

 他のタックスと毛色が違う事だろうか。尻尾が大きい事だろうか。色々と考えすぎる事だろうか。

 この人間は、自分を自分より知っているのではないか?
 そう思った瞬間、少し怖くなった。踵を返して走り去ると、後ろから人間が声を零す。
「……まぁいいか。タックスは、無害だしな」
 なんて寂しい声だろう。
 森の中を駆け抜けながら、タックスは少しだけ鳴いた。


 一つか二つ季節が巡った後、またあの人間に会った。
 冬が始まった森の地面は、枯れ葉で覆われている。その茶色の地面に、黒くて赤い塊が落ちていた。
 それがあの時会った人間だと、最初は気付かなかった。

 金の髪は血と煤で固まり、金にはとても見えない。顔中は赤黒く腫れていて、赤い瞳も閉じられている。目蓋からも血が流れ落ち、その中に眼球があるのかも判別できない。
 左足と右腕が、多分千切れている。タックスとは身体の造りがかけ離れていて、どこが欠損しているのか、タックスには判別出来ないでいた。

 そしてタックスは、絶望という感情をその時に初めて味わった。

 いつかまた会えると思っていたのに、まさかこんな形で再会するとは、露にも思っていなかったのだ。

 見れば僅かだが、胸が上下に動いている。生きている、と気付いた瞬間から脚が動いていた。

 ねぐらに使っている洞に何とか引っ張ってくると、溜めておいた薬草を噛み砕いた。
 タックスには効くが、人間にはどうだろうか。タックスだったら、塗ればすぐ治る。
 自分が魔力を駆使して生やした薬草だ。祈る気持ちで、人間の傷ついた箇所に鼻を使って塗りたくった。

 だが、陽が落ちても傷が治ることは無かった。

 タックスは人間の治癒速度が、自分達より随分遅いことを知った。


 顔を洗ってあげようと水を掛けると、人間は震え出した。
 タックスは滅多に温度の変化に気が付かない。森の中で見つけた大きな布を掛けてやると、震えが治まった。

 人間は、なんと脆弱な身体をしてるのだろう。

 それからタックスは、ずっと彼に寄り添った。
 薬草は底を付いたが、生やせばいい。効いているか効いていないか分からないが、傷が少しずつ塞がっていくのが嬉しかった。
 欠損した箇所も、新しいピンクの肉で覆われる。

 ある日の朝、彼を覗き込むと、顔の腫れが治まっていた。荒い呼吸も少し穏やかになっていて、タックスは嬉しくて尻尾を振った。

 もう水を掛けるような真似はしない。

 布を水に浸して口に咥え、髪を撫でるように拭う。何度も拭うとあの鮮やかな金色が、赤黒い中から顔を出す。
 タックスは嬉しくなって、何度も何度も拭った。
 髪だけじゃなく、顔も、身体も、汚れている箇所は全て。
 綺麗になったらまた大きい布で包んで、横で眠った。


 心地の良い感触に、タックスは目を開けた。

 誰かが、頭を、身体を、優しく撫でている。
 タックスが頭を上げると、彼の片目が開いていた。中から赤い瞳がタックスを優しく見ている。

「あり……がと……な」

 それは掠れていて、以前聞いたものとは大違いだった。タックスはそれでも、嬉しかった。
 タックスは返事の代わりに、頭を擦りつけた。その頭をまた撫でられて、歓喜が体中に満ちる。

 もっと声が聞きたい。
 もっと撫でてもらいたい。

 ずっとずっと、一緒にいたい。


____

 そのうち、彼は少しだけ身体を起こせるようになった。

 左目の眼球はやはり欠損していたようで、未だに左の目蓋は閉じられたままだ。
 彼はタックスを見ると、優しい笑みを浮かべる。

 彼の笑みはタックスにとってこれ以上無い褒美だった。

「もう少ししたら、力も大分回復する。今まで、本当にありがとう」

 彼の言葉に、タックスは絶望した。
 ずっと一緒にいれると思っていたのに、彼は傷が治ったらここを出て行くのだろう。
 尻尾を垂れ、タックスは項垂れた。その姿を見て、彼がふすりと笑う。

「魔神になるか? タックス。色々制約があって、生き辛くなるが……俺と運命を共にするか?」

 運命を共に。
 その言葉の意味は分からなかった。

 だけど彼と少しでも長く過ごせるなら、返事は決まったようなものだ。
 尻尾を振って、頭を擦りつける。
 彼はくすぐったそうに身を捩ると、笑って毛並みを撫でてくれた。




「君の名は朱楽。よろしく、朱楽」

 彼が回復し、左目も開くようになったころ、タックスは魔神になった。

 名前を貰った。
 彼が付けてくれた大切な名だ。

「言葉、うまく喋れるか? 朱楽、しゅらくって言ってごらん?」
「しゅ、らく」
「そうそう!上手だな」

 タックスは自分の身体を見た。
 彼と同じ形。尻尾だけは生えているが、ほぼ人間だ。
 嬉しくなった朱楽は、尻尾をパタパタと振った。自分から僅かに香る匂いは、彼の匂いと一緒だ。
 自分の中に、彼がいる。繋がりがあるのがしっかりと解る。

「あにぃ」

 朱楽が発した言葉に、彼は目を丸くした。そして穏やかに笑う。

「ああ、俺の名はタイラだよ。タイラ。言えるか?」
「……兄ぃって、呼んでええか?」

 朱楽が言うと、また彼が、タイラが目を丸くした。朱楽かスラスラと喋ることにも驚いていたが、何より……。

「ぷ、くく……! はは! 朱楽、何でお前、関西弁なんだよ! は、っあ! いてぇ!」

 完治していない傷が痛もうとも、タイラは笑うのを止められないようだ。
 笑うタイラはどうしようもなく愛しくて、朱楽の胸に甘くて温かいものが広がる。

「兄ぃ、無理したらあかん。傷が開く」
「ん? ああ、平気だよ」

 平気だ。とタイラは言う。朱楽は首を捻った。
 明らかにまだ熱をもっている身体は、異常では無いのか。そもそも人間は、痛みをどれくらい感じるのだろうか。

 魔神は痛覚に鈍感だ。死ぬほどの怪我を追わない限り、痛みはそれほど感じない。

 朱楽は人の身体の形状になったものの、人間の感覚は伴わなかった。

(感覚も一緒やったら、兄ぃをもっと助けられたのに……)

 そんな想いも空しく、完全な異形である自分とタイラとの感覚のずれは、いつまでたっても埋まらなかった。


 人間は栄養分を摂取しなければならない、というのも魔神になってから初めて知った。
 タックスが好んで食べるベリーも、栄養を摂取する目的ではない。完全に嗜好品だ。

 美味しいから好きかもしれないと、怪我で動けないタイラの口に突っ込んでいたベリーが、タイラにとっての栄養源だったらしい。
 それでも回復するのだから、人間は思いのほか頑丈なのかもしれない。
 その考えが大きな間違いだと気付いたのは、もっと後の事だった。


 朱楽にとって、関わりのある人間はタイラ一人。しかも本人は人間ではないと言うため、怪我をしても死にはしないと言う。
 タイラが自主的に痛いと言ってくれなければ、朱楽は気が付かないし、腹が減るのも分からない。

 加えてこの主は、平然としていたのに突如倒れたり、何日も意識を失うこともあった。
 朱楽はその度に不安に胸を抉られて、どうにかしようと奮闘した。しかしタイラ本人からは「平気だ」「問題ない」といった言葉しか出て来ない。



 それから朱楽はトーヤの魔神となって、あの洞で過ごした。
 タイラは良く来てくれた。怪我をしたら薬草を貰いに訪れる。近くに寄ったから、と話をしに来てくれることもあった。

 聖女の護衛になったから、一緒に旅をしてくれと言われたときは、朱楽は跳び上がって喜んだ。
 初めて、タイラ以外の人間と行動を共にする。

(これで、兄ぃの事も深く知れるかもしれん)
 そう思った朱楽だったが、目の前に突き付けられた事実は、胸を抉るものだった。
しおりを挟む
感想 9

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(9件)

BijouTheCat
2024.11.04 BijouTheCat

墨尽さんの話大好きなのに、これを読んだこと無かったのでハマっています。初期の頃の作品なせいか、登場人物の性別が分からずに、途中でえ?と思わされる事があったりして、まあそれも含めて楽しんでいます。(登場人物のページは個人的に興ざめするので、読み飛ばすタイプの読者です笑)

墨尽(ぼくじん)
2024.11.04 墨尽(ぼくじん)

ビジューさん!!びっくりしました
つぎあなまで読んで頂けてるとは…💦かなり初期の作品で拙さ満載で読みにくいでしょうに…
それすらも楽しみに変えて頂けるとは…😭
ありがとうございます!
思い入れのある作品なので、はまっていただいて嬉しいです✨

解除
ミカン
2024.04.20 ミカン

つぎあな大好きです。キャラクターの名前や召喚から題名の謎まで読み進めるほどに面白さが増して、それぞれの守りたい方向が違ったり、たつとらの生きる自覚が足りないところまで全てひっくるめて愛おしいです。
学園編どこに行けば読めますでしょうか( ; ; )たつとらが倒れてボルちゃが焦ってるところがまた読みたいです。

墨尽(ぼくじん)
2024.04.21 墨尽(ぼくじん)

ミカンさん、ありがとうございます!

つぎあなの最初、ちょっと書き直してたので非公開にしておりました😫戻しますね!
何度も読んでいただいてありがとうございます!

つぎあなを書いたのは随分前なので、こうして好きと言って頂くと本当に嬉しいです!
私にとっても思い入れの多い作品なので、今後もたっちゃんを応援して頂けると嬉しいです!

ご感想本当にありがとうございました!

解除
あーる。(Kaname)

いつも墨尽さんのBLものを読ませていただいておりました!本当にどのお話も大好きです!!!墨尽さんがBLものではないものも上げているとは恥ずかしながら存じておらず、このお話に出会うのが遅くなってしまいました…本当に大好きです!!!どんどん読み進めてしまい、本当に止まりませんでした( ^ω^)
頑張ってください(( °ω° ))✨

墨尽(ぼくじん)
2023.03.05 墨尽(ぼくじん)

あーる。さん、ありがとうございます!

「つぎあな」を見つけて頂いて、嬉しいです。
この作品は処女作ですので、お見苦しい所もあるとは思いますが、楽しんで頂けると幸いです!

他のBL作品も読んでいただいて…( ߹ㅁ߹)
こうして感想まで頂き、ほんとに光栄です!

ゆっくり更新ですが、ちゃんとラストまで書き上げますので、引き続きお付き合いいただくと嬉しいです。

ご感想いただき、ありがとうございました!

解除

あなたにおすすめの小説

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

転生調理令嬢は諦めることを知らない

eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。 それでも残された生まれたばかりの弟ランベールを、一人で立派に育てよう、と決心する。 子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。 最初愛想のよかった夫婦は、次第に家乗っ取りに向けた行動を始める。 八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。 それを「貴族に相応しくない」と断じて、子爵はオリアーヌを厨房で働かせることにした。 また夫婦は、自分の息子をランベールと入れ替える画策を始めた。 オリアーヌが十三歳になったとき、子爵は隣領の伯爵に加護の実験台としてランベールを売り渡してしまう。 同時にオリアーヌを子爵家から追放する、と宣言した。 それを機に、オリアーヌは弟を取り戻す旅に出る。まず最初に、隣町まで少なくとも二日以上かかる危険な魔獣の出る街道を、杖つきの徒歩で、武器も護衛もなしに、不眠で、歩ききらなければならない。 弟を取り戻すまで絶対諦めない、ド根性令嬢の冒険が始まる。  主人公が酷く虐げられる描写が苦手な方は、回避をお薦めします。そういう意味もあって、R15指定をしています。  追放令嬢ものに分類されるのでしょうが、追放後の展開はあまり類を見ないものになっていると思います。  2章立てになりますが、1章終盤から2章にかけては、「令嬢」のイメージがぶち壊されるかもしれません。不快に思われる方にはご容赦いただければと存じます。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。