つぎのあなたの瞳の色は

墨尽(ぼくじん)

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戦乱の常葉国

76. 感覚の麻痺

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「たつ殿。お加減は如何か?」

 頭を下げながら部屋に入ってくる神楽耶と秋人に、たつとらは親し気な笑顔を向けた。
 内戦も終わり、2人ともどこか穏やかな表情をしている。

「俺は大丈夫ですよ。秋人さんは? 目はきちんと見えますか?」
「まだ少しぼやけるが、医者の話だとそのうち良くなるそうだ」

 良かった、と笑うたつとらの前に、秋人と神楽耶が並ぶ。夫婦らしい揃った動作で2人は頭を下げると、神楽耶が口を開いた。

「この度は、秋人を、そして常葉をお救い頂き、ありがとうございました」
「はは、俺だけの力じゃない。皆で勝ち取った勝利でしょ? お礼なんていりませんよ」

 頭を下げる2人に対して、たつとらはうつ伏せで寝ている状態だ。気まずくなったのか、たつとらが身を起こそうとするのをボルエスタが制した。

「たつ、点滴をしますので、動かないで下さい」
「え? い、今?」
「話を続けて大丈夫ですよ」

 有無を言わさず点滴の準備をするボルエスタに、たつとらは驚愕の表情を浮かべる。懇願するような目をボルエスタに向けるが、止めてくれる雰囲気ではない。

「たつ殿、崖下にいた男はいったい誰だったんだ?」
「ま、待って、秋人さん……」
「……?」

 たつとらはクッションに顔を埋めながら、呻くように声を発している。戸惑っている秋人を前に、ボルエスタはたつとらの手を取った。

「たつ、今日はこっちにします」
「は、はい……」

 少しでも針に慣れるため、たつとらは起きている間に点滴を受けるようになった。だが、まだまだ克服はしていない。
 しかも、点滴というのは適度に位置を替えなければいけないらしい。そのせいもあるのか、なかなか慣れない。

 クッションに顔を埋めたまま、目をぎゅっと閉じる。左の手の甲に鋭い痛みがはしり、痛みよりも嫌悪感が背中を這いずり回った。

「たつ、大丈夫ですよ。終わりました」
「……っ、ぷはぁ!」
 クッションから顔を上げると、管で繋がれた手の甲を見る。顔を歪めて目を逸らすと、神楽耶が堪らず吹き出した。

「たつ殿は、点滴が苦手なのですか?」
「……はい。注射とか、点滴とか、針が苦手なんです」
「ふふふ、意外です」

 処置を終えたボルエスタが、神楽耶と秋人に向かって頭を下げる。

「点滴中は動いてほしくないので、たつはこの姿勢のままでも宜しいでしょうか?」
「勿論だ」

 秋人が笑いながら、たつとらの脇に胡坐をかく。神楽耶も座ると、頬を緩ませた。
 たつとらは照れくさそうに笑いながら、秋人に目を向ける。

「崖下にいた男は、異帝です。常葉でも異帝は知られていますか?」
「ああ、ギバダとダイスの兵士だろ? とてつもない力を持つと聞く。なぜ異帝が常葉に?」
「……内戦を止めるために、両大将を葬りに来たみたいでした」
「なに!? じゃあ、異帝の標的は俺と、播磨か!」
「……まあ、そうなりますね」

 秋人が頭をガシガシと掻き回すのを見ながら、たつとらは穏やかに笑う。神楽耶にも視線を移しながら、どこか嬉しそうに眉を下げた。

「異帝の王は、常葉がお気に入りです。今後も常葉は異帝には狙われないかもしれない。例え狙われたとしても、慟哭と哄笑が守ってくれます。俺も安心しました」

「たつ殿は、何者だ? 魔神か? 人では無いのか?」
 秋人の突然の問いに、たつとらは目を瞬かせた。隣の神楽耶が頭を抱えている。
 秋人の直線的な物言いは、いくら言い聞かせても治ることが無い。

「俺が何者かなんて、俺が聞きたいぐらいなんですよ。秋人さん」
「……はぐらかさないでくれるか。魔神タイラなのか?」
「はい、そうだったこともあります」

 秋人は即答するたつとらに、虚を突かれて目を瞬かせた。神楽耶も押し黙って、目を見開いている。
 たつとらが悪戯気に笑って、2人を交互に見遣った。

「でも、魔神タイラは死にました。今は元教師のたつとらです。現在無職」
 無職、という言葉にボルエスタが吹き出した。チャンが聞いていたら、腹を抱えて笑っていた事だろう。
 ボルエスタを笑わせた事が嬉しいのか、たつとらは目を細めた。

「俺がやることに文句を言わない友人達を引きずりまわして、好き勝手やっている最低野郎なんですよ、俺は」
「たつ」
 言い過ぎだ、と言うように眉を顰めるボルエスタに、たつとらは笑って返す。次いで、拗ねたように睨み付けた。

「ボルちゃん、薬に……眠くなるの、いれたろ?」
 
 意味深に笑うボルエスタを見ながら、たつとらは目蓋をゆらゆら揺らしている。前髪を掬うように頭を撫でると、たつとらの頭が力なく傾いた。

 目を丸くしている秋人と神楽耶は、ボルエスタを驚愕の目で見る。僅かに責めているような視線に、ボルエスタは首の後ろを擦った。

「……すみません、話の途中で。こうでもしないと彼は、休んでくれないので……」
 ブランケットをたつとらの背に掛けて、ボルエスタは秋人たちに向き合った。

「本当は、主治医として……面会は避けたかったんです。彼の状態について、話しておきますね」
 ふぅ、と一息ついてボルエスタは、たつとらの背中に触れるように手の平を置く。

「背中の全面に酷い裂傷や擦傷があります。背中がズル剝けと言った方が想像しやすいかもしれません。あと、崖に生えていた木が突き刺さって、幸い臓器には届いていませんが、大量の出血でした。加えて、肋骨が3本も折れています」

 ボルエスタが指を3本突き出し、大きく溜息をついた。
「彼の現在の体温は39度6分。なのに彼はさっきまで友人とトランプで遊んでいました」

 ボルエスタは背中から手を離すと、立ち上がってお茶を入れ始めた。常葉に来てから緑茶の淹れ方もマスターしたのは、たつとらが喜ぶからに他ならない。

「魔神ともなると、身体の強度も我々と違うのか?」
 湯を入れると、茶葉の匂いがふわりと舞う。秋人の問いに、ボルエスタは手元から目を離さないまま答えた。

「それが、たつの身体は人間そのもので……痛みも同等に感じます。なのに彼は、あんな感じなんです。お陰で友人も、僕でさえ、感覚が麻痺してしまいます」
「辛い時に、辛いと言えないような理由でもあるのですか?」

 神楽耶が言い、痛みに耐えているような表情を浮かべる。心配しているその表情に、ボルエスタは応えるように眉を下げる。

「本人が言うには、死ぬことは無いそうです。自然治癒能力も、人より優れています。だからこそ、感覚がどこかずれてしまう」
 死ぬことない、と言ったものの、彼に死が迫っているのは事実だ。ただ、神楽耶たちにそれを告げるのは気が引ける。
 下手に事情を知ると、困るのは当人たちだろう。

「………申し訳なかった。俺を庇って、こんな傷を。死ぬことが無いとわかっていても、関係ないだろ」
「秋人さん、気にしないであげて下さい。気にすると、たつが心を痛めます」


 神妙な雰囲気の呑まれる中、藥王のどかどかという足音が響いてきた。がらりと襖を開けて顔を出したのはやはり藥王で、秋人と神楽耶の姿に片眉を引き上げた。

「何や、来てたんか。お、兄ぃは寝てるやん」

 ふらりと現れた藥王は、なんと着物姿だった。尻尾の部分に、しっかり穴が開いている。
 聞けば城内の侍女に貰ったと言うが、よもや手は出していないかとボルエスタはいつも危惧している。

 藥王は秋人を押しのけるようにたつとらの前に座り、額を撫でる。
 「ああ、熱いな」と言いながらも、視線はたつとらの手の甲に注がれていた。

「ボル太郎、お前、こんなとこに刺したんか……! どうやってやるんや? 教えんかい!」
「駄目です。実験したがるでしょう、あなたは」
「兄ぃじゃなくて、チャンで練習すればええやろ!」

 チャンなら良いか、と少しでも考えた自分は薄情だろうか。そんな事を考えながら、ボルエスタは呆れたように息を吐いた。

「それより藥王、頼んだものは準備できましたか? たつに頼まれたものです」
「おう、ほれ、城の薬師に指示して調合させた」

 藥王の手にあるのは茶色の紙袋だ。雑にボルエスタに投げ遣ると、すぐに視線はたつとらに移り、彼の髪を弄ぶ。
 ボルエスタは中を見ると、満足げに微笑んだ。

「神楽耶様、最近体調が優れないと聞きました。授乳中でも飲める漢方を用意しましたので、良ければ飲んで下さい」

 目の前に出された袋には、確かに城の薬師が調合したという印が打ってある。
 神楽耶が目を見開いていると、ボルエスタが続けた。

「信用ならないのであれば、薬師に確認をとって下さいね。藥王に薬の知識で右に出る者はいません。薬草で足りない分は、藥王が生やして補填しているでしょうから、貴重な薬となっている筈です」
「足りない分やない。全部生やしたわ阿保。兄ぃの言いつけは守る」
 藥王の乱暴な返答にボルエスタが頷き、今度は秋人を見た。

「それならすごく良い薬になっていると思います。僕が毒味しましょうか?」
「と、とんでもない。藥王様に頂いた薬だ、疑うことは無い」
 
 秋人が眉尻を下げ、神楽耶の手を握りしめた。神楽耶は未だ信じられないといった顔をして、ボルエスタを見た。

「誰から私の不調を?」
「伊織さんから聞きました。礼はたつに言って下さいね。藥王は、たつの言う事しか聞きませんから」
「ボルエスタさん、ありがとうございます」

 礼はたつとらにと言ったにも関わらず、神楽耶に礼を言われたボルエスタは苦笑いを零す。そんなボルエスタに、神楽耶は優しく微笑んだ。

「ご心配には及びません。ちゃんと後でたつさんにも礼を言います。ボルエスタさんは立派なお医者様なのですね。ボルエスタさんだけじゃなく、ウェリンクの皆さんは素晴らしい人たちばかりです。常葉に来て頂いて、感謝しております」

 そう言うと、神楽耶は非の打ち所がない所作で頭を下げた。一国の女王が頭を下げている事に、ボルエスタが狼狽えていると、藥王が声をたてて笑う。

「ええなぁ! 常葉の女王は、他の国のトップよりわきまえてるやん」
「藥王! 失礼ですよ!」
「ああ? 何やボル太郎?」
「そのボル太郎って何とかなりませんか? 大体あなたは……」

 言い争う2人を交互に見ながら、秋人が豪快に笑った。
「本当に、面白い方々だ」
 腹を抱えて笑いながら、秋人は、ふ、と息を吐いた。

(常葉に、欲しいな)
 腹の底に湧きあがった想いを、秋人はもう隠すつもりは無かった。
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