つぎのあなたの瞳の色は

墨尽(ぼくじん)

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戦乱の常葉国

73. 落ちる

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 常葉の城で、神楽耶は一人焦っていた。
 隣にいる伊織が、不思議そうに首を傾げるも、手元の書物から目が離せない。

 戦況は聞いていた。常葉の軍が勝利しているのは、明らかにウェリンクから来た彼らのお陰だ。

(藥王がヴィテさんという人達と、昔ここに住んでいた。そして哄笑殿がたまに彼をタイラ様と呼ぶ……)
 キーワードを並べていたら、直ぐに解る……筈だったのに、神楽耶は今日になるまで気付かなかった。

「何で気付かなかったのよ!」
 その独り言は、自分を戒める為に言ったはずなのに、膝に寝ていた潮が目を潤ませる。
「違う違う、潮に言ったんじゃない」
 潮の頭を撫でながら、神楽耶は深く溜息を零す。

 常葉は他の国の情勢に疎い。今は大分緩くなったが、前王の時は徹底した鎖国を行っていた。
 それでも、ディード一行の事は当然知っている。特に聖女ヴィティは、常葉を気に入って長く滞在していた時期もあったらしい。
 目の前の文献を見ながら、神楽耶は記憶を手繰り寄せた。

(聖女の従えていた魔神は藥王。ディードの従えていた魔神の……名前は何だったかしら?)
 タイラだった気がする。タイラだったら大変な事である。
 その魔神は核の破壊の際に、消滅した筈だ。もしも彼がタイラだったら、何故ここにいるのか。

(えええ? どういう事? そもそも、なぜ哄笑殿に会いに来たの?)
 世界と隔離していた常葉に、急に訪れた世界の核は神楽耶を大いに混乱させた。


 ________

 秋人はチャンと一緒に煙草を吸うたつとらを見ていた。

 隣にいる哄笑は、見たこともないほど疲弊しているように見える。魔神が魔徒を造るのは、体力を大幅に削るものなのだろう。
 魔神が魔徒を生み出す。その光景は衝撃以外の何物でも無かった。

「たつとら殿は此度、なぜ哄笑殿に会いに来たのだ。内戦中の常葉に……何故?」
 秋人の言葉に、気怠そうに哄笑が視線を合わせ、大きく溜息を漏らす。その人間的な仕草に秋人は目を瞬かせた。
「俺の口からは言えん。あのお方に直接聞け。……俺の主は、嘘が苦手だ。聞けば真実を教えて下さる」

 秋人が続けて問おうとしたとき、ふいに空が爆ぜた。
 強烈な光に、世界が真っ白になる。

 誰よりも早く反応したのは、やはりたつとらだった。

「伏せろ!!」

 叫びながら地を蹴ると、秋人に目掛けて雷が降り注ぐのが見える。シールドの形成が間に合わないと悟ったたつとらは、雷に向けて同程度の魔法を投げつけた。
 同じ雷の魔法だ。お互いにぶつかり合った瞬間、強烈な光を放ったまま霧散する。

 辺りに爆風が吹き荒れ、土埃が舞い上がる。

 たつとらが瞑っていた片目を開けると、白く霞んだ視界に秋一と哄笑が倒れているのが見えた。そして2人の前に、背を向けて立っている者がいる。
 黒い瘴気を纏った男は、空に向かってシールドを形成している。あれが無ければ、哄笑と秋人は無傷ではいられなかったはずだ。

「慟哭!ナイス!」
 慟哭は口元を緩ませるも、警戒心を孕んだ声を放った。

「異帝です、たつとら様」
 やはりか、と腹の中で呟きながら、たつとらは慟哭の前へ滑り込んだ。
「慟哭、哄笑を連れて沈め」
「……御意」
 声に不服そうな色が滲んでいるのは、まだ暴れたかったという意思の表れだろう。 
 頬を緩ませているうちに、2人は地へ沈んでいった。

 たつとらは残された秋人を抱え起こす。
 シールドで防ぎきれなかった強烈な光と熱波で、肌の露出している箇所に軽い火傷がある。心配なのは目だ。もし直に見ていたとしたら、悪くすれば失明するかもしれない。

 少し離れていた仲間たちに、大きな被害は無いようだ。だが彼らも暫く目は見えないだろう。

「たつ! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ! みんな動くな! 目が見えるまで、迂闊に動くな!」
 空を睨んだまま、たつとらは声を張り上げた。

 異帝がいる。この暗い空の向こうに。
 咄嗟に片目を瞑ったものの、たつとらの目に映る夜空は、真っ黒だ。あれ程輝いていた小望月も、うっすらぼやけて見える。

 闇雲に飛び出して行って、仲間たちが被害を受けたら大事だ。
 たつとらは秋人を抱え込むと、仲間たちを覆うシールドを張る。異帝を前にしては意味がないかもしれないが、無いよりはましだ。

 ミシリ、と不穏な音が鳴ったのは、たつとらと仲間たちの間にある地面からだった。
 瞬間、地面が裂けて、たつとら側の地面が沈んでいく。
 揺れて沈んでいく地面を見て、たつとらは跳躍しようと身体を沈ませる。

(確か、後ろは崖だ……!)

 先ほどの衝撃で、脆かった崖先が崩れようとしている。
 秋人を抱えたまま飛び上がった瞬間、空からまた雷が降って来るのが見えた。
 秋人を抱えて跳躍した状態では、出来ることなど限られている。手を突き出してシールドを形成するが、衝撃で後方へ吹き飛ばされた。

 崖崩れからは免れたが、崖から落ちる羽目になる。吹き飛ばされながら体勢を整えようと身を捩るが、身一つではない為か巧くいかない。
 たつとらが歯噛みしていると、更に雷が撃ち込まれた。

 新たにシールドを張るが、更に吹き飛ばされる。明らかに崖から落とそうとしてるその行為に、苛立ちが募ってきた。顔を見せず、名乗りもせず、これまでの異帝とはタイプが違うようだ。

 舌打ちを零していると、背中に衝撃を感じた。
 どこかの崖に衝突したようだ、と冷静に判断しつつも、息が出来なくなるほどの痛みと衝撃に呻く。
 前ばかり守っていたため、後ろが盲点になっていた。

 ぶつかった崖の地肌を舐めるように滑り降りていく。
 背中に何かが突き刺さっているのを感じるが、硬い岩が肌を裂いていく痛みが勝った。

「……ぐッ! あァ……」
 足場を探して見下ろすと、ちょうど岩が出っ張った箇所が見える。足を突っ張ってそこに降り立ち、更にそこから落ちないように身を低くする。
 やっと地に足がついた安心感も、纏わりつく不穏な気配にかき消された。

 息をつく暇もない。
 たつとらは秋人を地面に置くと、少し上空で浮かんでいる人物を睨みつける。
 睨みつけられた男は、うっとりとした表情を浮かべていた。

「ここで会えるとは思いませんでしたよ。異形の王よ」
「俺はお前らの王ではない」

 拒否の言葉ですら褒美のように、男は更に顔を緩ませた。
 今まで会った異帝とは違う、異質な雰囲気をその男は纏っている。

(一番、人間に近い……)

 たつとらは目を細めると、その男を見た。
 グレーの短髪の髪は、ほとんど坊主と言ってもいいほど刈り上げられている。身に着けている服は、シャツにスラックスといった戦闘に不向き過ぎる格好だ。

「お前は……目か」
 その言葉に、男は頬を赤らめた。頬を赤らめ、瞳が弧を描く。まるで恥じらう少女のように、手で口を覆いクスクスと笑い始めた。
「あぁ、やっぱり解って下さった、嬉しいです。私は百群。ギバダ軍に属しております」

 たつとらは翡翠を呼び出そうとしたが、眉を顰めて押し留まった。異帝からは、こちらに対する殺気を感じない。

「あなた様に手を出そうとする異帝は、もういません。だって、我が主の……大切な方ですから」

 そう言うと、傍で横たわる秋人に侮蔑の視線を投げた。まるで汚いものでも見るような目をする百群は、吐き捨てるように言う。

「攻撃は、この男を狙ったのです。戦を止めろと、鹿子様が仰せだったので」

 鹿子、という言葉にたつとらは胸を詰まらせた。情を含んだ表情を認めたのか、百群が嬉しそうに微笑む。

「鹿子様は、生きておられます。彼女はこの地を愛しておられるため、戦を気に病んでおられました。憂いを絶つため、私はこの男を殺します」
「……殺さなくても、いずれ内戦は終わる。俺が終わらせる」

 百群は驚いたように目を丸くすると、顔を傾けながら微笑んだ。
 坊主の男がする仕草ではない。見た目と仕草の違和感が、その男の異様さを引き立てている。

「百群、といったな? この人を殺して、播磨側が勝利してみろ。それこそ常葉は崩壊して、鹿子の大好きなマチルダは死の街へと変貌するぞ」
 たつとらの言葉一つ一つに、百群には褒美のように頬を緩ませる。
「鹿子様を、まだ愛していらっしゃるのですね……」
「………」

 違う、とすぐ否定できない自分の弱さに、たつとらは心底呆れた。自嘲的に溜息をついていると、百群が何かを投げ遣ってきた。
 どさりと重い音を立てて落ちてきたのは、何と播磨だった。手と足を縛られている上、気を失っているようだ。

「逃げていたところを見つけました。あなたに献上致します」

 眉を顰めて視線を投げると、百群はハンカチを取り出して手を拭い始めた。まるで汚物を触ったかのように、顔を歪ませている。

「見返りは何だ?」

 たつとらの問いに、百群は片眉を吊り上げた。はなから見返りなど考えて居なかったようだが、思い出したかのように今度は口の端を吊り上げる。

「鹿子様に、会いにお越し下さい」
「……鹿子はギバダに居るのか? 三原姉妹に探させたが、居なかった筈だ」
「鹿子様は先日まで常葉のおうちにおられましたよ。今は、ギバダです」

 常葉のおうちとは、きっとあの家なのだろう。4人で暮らした、幸せの詰まったあの廃屋。
 胸の痛みに顔を歪ませていると、百群はゆらりと姿を消した。

「ま、まじで何もしてこなかったな……」

 好戦的だった過去の異帝とは大違いだ。だが剣を交えるとなると、強敵になるのは間違いなさそうだった。
 とは言え一先ず脅威は去ったことに、たつとらは肺の中の息を吐き切った。途端に傷が痛み、「いててて」と呟きながら秋人の隣に腰を降ろす。

「目は、大丈夫かな……」
 流石に目を治すのは難しそうだ。そう思いながらも、秋人の両目の上を手で覆った。

 眼球の表面の損傷がある程度修復出来れば、失明は逃れられるかもしれない。
 ゆるゆると力を流し込んでいると、播磨が呻き声を漏らした。

 ここで目覚められては面倒だと、たつとらはおもむろに播磨を蹴り上げる。くぐもった呻き声を上げた後、また静まった播磨を見て、たつとらは眉を下げた。

「ごめんなぁ、扱い雑で」

 秋人も播磨も人間だ。扱いに優劣をつけるのは、いかがなものなのだろうか。
 そもそも正義はどちらにあるのかさえ、たつとらにも分からない。


 背中から流れ出した血が、臀部まで流れ込んでくる。そのうちズボンまでぐっしょり濡れてしまう事を考えると、気持ちが悪くて仕方がない。
 背中にはまだ何かが刺さったままだが、それを抜いてはいけない気がする。過度な出血をしては動けなくなってしまうだろう。

 傍らで横たわる大人2人を見つめ、自身が落ちてきた崖上を眺めて、たつとらは盛大に溜息をつく。

(この2人を担いで、あそこまで戻らないといけないのか……)
 ふふ、とやけくそに近い笑いが漏れて、たつとらはもう一度溜息をついた。

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