つぎのあなたの瞳の色は

墨尽(ぼくじん)

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戦乱の常葉国

72.煙草の味

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 止められた秋人は剣を構えたまま、呆けた顔でたつとらを見ている。
 異形の亜種がそこに居るというのに、たつとらは驚くほど冷静で心配になる程だった。

「その子には手を出さないで下さい。多分、意思がある」
「その子? ……意思?」
 不可解なワードが多すぎて、秋人は戸惑いながら異形とたつとらを交互に見る。

「哄笑、おいで」

 その声は、驚くほど澄んだ声だった。ここには居ないはずだった哄笑が当たり前に現れ、たつとらの前で膝を折る。

「哄笑殿、ここには来ていない筈では……」
 秋人の問いに、哄笑は垂れていた頭を上げ、戒めるような視線を投げた。邪魔するなとでも言いたげな瞳に、秋人は言葉を詰まらせる。

「俺が呼んだんです。哄笑、お仕事だ」

 哄笑は頭を垂れたまま「御意」と呟く。次いで顔を上げた哄笑は、秋人が見たこともない様な顔をしていた。
 目の前の人物を憧憬の眼差しで見つめる。うっすら弧を描いた唇には、抑えきれない情が垣間見えた。

 振り返った哄笑は、その青い異形と対峙する。
 グルグルと喉を鳴らすと、哄笑の身体が変化した。前傾姿勢になった哄笑の耳の後ろ辺りから、獣毛が伸びて広がっていく。

 巨大な狼に変化した哄笑は、銀の体躯を躍動させ、亜種に飛びついた。二匹が縺れながら戦うのを、たつとらは嬉しそうに見ている。

「秋人さん、こうやって哄笑は、屈強な異形を魔徒へと変化させます。常葉の南側の異形に凶暴な異形がいないのは、哄笑のお陰なんですよ」

 魔神が魔徒を造るのは、秋人も知っていた。
 では魔神である哄笑の主は、一体どんな存在なのだろうか。秋人はたつとらを見つめると、彼は穏やかな笑みを浮かべながら、哄笑を見つめている。

 視線に気付いたたつとらが、秋人と視線を合わせる。
 緑色の瞳は、どこまでも澄んでいる。弧を描いた唇は、神々しいという単語がスッと納まる程に艶やかだ。

「魔徒の作り方は、各魔神によって異なりますが、哄笑はやはり力でねじ伏せるのが好きみたいですね」
 哄笑が亜種の首筋に噛みついている。バタバタと暴れていた亜種の身体が大人しくなり、やがて薄紫のオーラが二匹を包んだ。

 そのオーラが消え去ったとき、その場には哄笑しか居ないように見えた。人型に戻った哄笑は、その場に胡坐をかきながら、乱れた息を整えている。

「哄笑、お疲れ様」

 そう言いながら、たつとらは哄笑の膝元にいる子犬を抱き上げた。哄笑の大きな体躯に隠れていた子犬は、抱き上げられて尻尾を振っている。
 子犬は全身青い毛色をしていた。嬉しそうに吠えると、舐めるでもなくたつとらに頭を擦りつけている。

「哄笑の作る魔徒は、いつも可愛いな」
「お褒めに与り、光栄です」

 秋人は驚愕の顔を浮かべ、たつとらの腕の中にいる子犬を見つめる。
 青色の毛をもつ子犬など、見たこともない。先ほどの亜種が変化したものだと分かってはいるが、頭が追いついていかない。

 戸惑ったように瞳を揺らす秋人に、たつとらは穏やかに言葉を紡いだ。

「常葉は2人の魔神で守られています。いつかもう片方も、秋人さんに紹介したいものです」
「……慟哭殿のことか?」
「あ、そっか。ご存知ですよね。お会いになりました?」
「いや……姿すら見たことが無い」

 たつとらが青い子犬の顎下を撫でると、子犬が切なげに鳴いて頭を擦りつける。その仕草は主に愛を伝えようと必死になっているように見えて、ひどく人間的だった。

「慟哭、という名は常葉の民がつけたものですよね。当時の慟哭は畏れられ、正に死の象徴だった。でも、慟哭という名は彼にとても合っていた。だから彼には新しい名は授けていません。慟哭と哄笑、良い名前でしょう?」


「秋人さん!播磨が逃げた!」
 突如響いた声に、秋人は装甲車を振り仰いだ。そこに居たはずの播磨が姿を消している。どうやら、どさくさに紛れて逃げたようだった。

 秋人は呆れたように舌打ちすると、大剣を肩に担ぐ。

「良い。どうせ明日には片付くだろう」
 それよりも、と秋人はたつとらを見た。
 疲弊している哄笑に手を差し伸べている彼は、どこをどう見ても普通の人間だ。しかし行為と言動は、秋人の許容を遥かに超えている。



 哄笑達を見ていたチャンが、腕を組んだまま藥王に頭を寄せる。藥王が片眉を吊り上げると、チャンは哄笑を見たまま口を開いた。

「なぁ、あんたは、どうやって魔徒にすんの?」

 問いかけられた藥王が、おう、と言いながら顎を擦った。僅かに微笑み、朱い瞳を細める。

「俺も力でねじ伏せる派やなぁ。ほんで、好みの個体がおったら交合する」
「交合?」

 慣れない言葉に、傍で聞いていたルメリアが言葉を繰り返す。
 藥王は意地の悪い笑みを浮かべると、チャンの肩に肘を乗せた。

「前にチャンが言うてた言葉を借りると、ヤる、やな」
 チャンが悪戯気に口の端を吊り上げ、斜め上の藥王を見た。藥王はニヤニヤしながら、犬歯を見え隠れさせる。

「ふ、不潔!」
 顔を真っ赤にしたルメリアは、仰け反りすぎてよろけた。後ろにいるタールマが受け止め、タールマ自身も責めるような戒めるような顔を浮かべている。

「なんで不潔やねん。種を残すんは生物の本能やろ? ラクレルに何人俺の子供がおると思てんねん」

 ミンユエは、ラクレルに群れで殺到したタックス達を思い浮かべた。あの可愛らしい生物の一部が、彼の子供かもしれないようだ。

「あんた、やるなぁ。俺でも子供はいないぞ」
「まだまだやなぁ、チャン。俺は鳳凰みたいに番いにならへんからな。気楽なもんや」

 ミンユエは兄であるチャンと、兄の顔一つ分大きい藥王を交互に見つめる。相も変わらずクツクツと、何が可笑しいのか2人で笑い合っている。

「たっちゃんはそのこと知っているの?」
「おう、知っとるで。話したら、感心しとった。朱楽はすごいな~っていつもの通りや」
 朱楽はすごいな~の所はたつとらの声真似をしている様だったが、女性陣の反応はすこぶる悪い。

「だって、男だもん。なぁ、ボル太」
 急に話を振られたボルエスタは、心底迷惑そうに顔を歪める。

「巻き込まないで下さいよ」
「ほう?自分は違う言うんか?お前かて、やることやってんちゃうんか?」
「………そうですね。変わらないかも」

 視線を移せば、女性陣が「お前もか」という顔をしている。ボルエスタは眼鏡を押し上げて、腕を組んだ。

「人の性事情なんて、表に出ないだけで同じようなものですよ。中にはチャンや藥王みたいに大っぴらにしている人もいますけどね」
「言うねぇ」
 チャンが愉快そうに笑い、藥王も変わらず笑っている。


「あれ? 何か仲良いな」

 いつの間にか近くに来ていたたつとらは、青い子犬を抱いたまま仲間たちを見る。後を付いて来ている哄笑と秋人は、どこか足取りが重い。

「たっちゃん、それがさっきの亜種? 可愛いね!」
「だろ? 抱っこするか? 多分大丈夫だと思う」

 子犬を受け取ったミンユエは、目尻を下げてモフモフの毛に顔を埋めている。そばでタールマとルメリアもその毛並みを撫でた。

「可愛いなぁ」

 呟くたつとらに、チャンは口を尖らせた。次いでたつとらの頬を摘まむと、たつとらが「ん?」と言いながら視線を投げる。

「何が可愛いんだ?」
「なにって、みんな可愛い」

 頬を摘ままれながらも、たつとらは言う。チャンは溜息を付きながら、摘まんだ手を離した。
「はぁ……何かムカつく」
 舌打ちをしながらその場を去るチャンを見送った後、たつとらはミンユエ達を見た。

(……なるほど、そういう事か)
 兄の目の前で妹の事を可愛いと言うのは、確かに良くない。先日チャンが怒ったのも、これが原因だったのかもしれない。

 たつとらは走り寄って、チャンの腕を掴んだ。驚いた顔で振り向くチャンの口には、煙草が咥えられている。

「ごめん、チャン。俺、無神経だったな。ミンユエの事、取ろうなんて思ってないから……」

 チャンが髪を掻き上げながら再度舌打ちをすると、たつとらはチャンの腕を離した。チャンの顔を見上げると、その顔はどこか悔しそうにも見える。

「……気にすんな」
「……?」

 チャンはたつとらの頭を撫でて、そのまま親指で眉をなぞった。指に伝わるシャリシャリとした感触だけで、胸が焦がされて痛みだす。

「俺の言う事聞いてたら、あんた誰とも話せなくなっちまうよ」
「?」
「……やな兄貴だよなぁ……吸う?」

 差し出された煙草を、たつとらは受け取った。口に咥えると、チャンがジッポを近付けてくる。

 火に照らされたたつとらの顔から目が離せなくなって、チャンは笑った。今自分がどれだけ物欲しそうな顔をしているか想像すると、無性に笑えてくる。

「なぁ、俺いまどんな顔してる?」
 たつとらは紫煙を吐き出しながら、チャンに視線を投げる。前髪を掻き上げると、また口に煙草を咥えた。

「別に、いつものチャンだけど?」
 チャンは煙草を咥えたまま、呆れたように笑った。眉を下げて、何時になく優しい笑みを浮かべる。

「あんた、煙草似合うな」
「だろ~? 大人の魅力ですよ~」
「爺の間違いじゃないのか?」
「なに!?」

 憤りながらも、機嫌の直ったチャンを見てたつとらは笑う。
 しかし久しぶりの煙草の味は、やっぱり不味かった。
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