つぎのあなたの瞳の色は

墨尽(ぼくじん)

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戦乱の常葉国

70. 頭痛の種

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 城に残っていた将軍たちが、秋人達と合流したのは昼過ぎだった。

 日差しは暑いが、まだ風は冷たい。天幕の幌を開け放したまま、秋人たちは作戦会議をしている。

 先ほど起きたばかりで昼食を食べ損ねたたつとらは、少し離れたところで残してあったパンを食べている。

 パン食がメインであるウェリンク組に配慮したのか、常葉に来て初めてのパンだった。少し甘みがあって柔らかいパンは、ウェリンクのものとは大違いだ。

 硬くてパリッと歯ごたえがあるウェリンクのパンも美味しいが、常葉のパンも同じくらい美味しい。

 たつとらが忙しなく口を動かしていると、将軍たちの興奮した声が聞こえてくる。

「良く前線基地を掌握できましたな!どうやったのです!?」
「相手は400ですよ!?信じられない」

 ようやく気分が落ち着いたというルメリアとタールマが、たつとらの隣に腰を下ろした。

「ルー、平気か?」
「うん、もう大丈夫。昼ごはんも食べれたしね」

 そうか、と笑いながらたつとらは秋人を見た。少しだけ冴えない顔をしているのが見て取れて、たつとらは首を傾げる。

「前線部隊が制圧されたと聞いて、播磨の軍は召喚士を集めています。かなりの大人数で、召喚される異形も多数になるでしょう」
「召喚士か……」

 皿に残っていたジャムを千切ったパンで拭いながら、たつとらはタールマに頭を傾ける。その視線は、秋人たちから離していない。

「たまちゃん、一般的に召喚ってどうやるの?」

 ああ、と彼女は一言呟き、少し黙った。
 頭の中で情報を整理しているのだろう。教師としての癖が抜けないのか、どうやったら相手に伝わるのか思慮しているようだ。

 たつとらがニコニコしながら見守っていると、タールマが僅かに顔を赤くして咳払いを落とした。


「一般的な召喚士は、たつのように異形を従えていない。つまり主従関係ではないんだ。自分よりも力の劣る異形をその場に呼び出すが、他の場所から引き出しているだけ。他の場所にいた異形を転送させて、自分の場所へ連れてきているだけなんだ」
「へぇ……んん?」

 良く分からないといった顔をするたつとらに、タールマは頷く。

「そうだ。そんな事をしても、自分の側に来た異形が敵味方関係なく暴れるだけだ。召喚士の本領はここから発揮される。召喚士の本当の凄いところは、異形を一定時間操れるところだ。意識を乗っ取り、ターゲットを絞らせる。操れる時間は召喚士の腕次第だな」

 タールマの説明を聞いて、たつとらが顔を輝かせた。興味津々といった様子でたつとらがタールマに詰め寄ると、案の定タールマは避けるように仰け反る。
 たつとらはそんなタールマに気付かないまま、興奮した様子で口を開いた。

「意思のない異形を操るなんて凄いな!どうやるんだろう?」
「さ、さあな。召喚術は使えるものも限られているし、謎に包まれている。その点はたつの方が詳しいだろ?」

 タールマの言葉に、たつとらは息を吐きながら笑った。
 両手で持っているカップを指でパタパタと鳴らしながら、遠い記憶に想いを馳せているような顔を浮かべる。

「人間は凄いよな。一つ教えると、どんどん枝分かれして大きくしていく」

 隣で黙って聞いていたルメリアがひょこっと顔を覗かせた。期待と不安が入り混じったような表情で見つめ、躊躇いがちに口を開く。

「たっちゃんさ、トマスさんって知ってる?」

 トマスは、魔法の書を書いた著者である。

 魔法の書は今では生徒たちの教科書であり、人間が魔法を習得するための指導書だ。以前ウェリンクの書庫見つけた、あの本の著者の名である。

「トマス?」
「トマス・ヴィエンティーク。もしかして彼に、魔法を教えなかった?」
「ああ、あのトマスな。うん、教えた」

 たつとらの答えに、ルメリアは半分白目になりながら口を引き結んだ。『うん、教えた』で済む話ではない。

 人間に魔法を広めたのはトマスで、トマスに魔法を教えたのがたつとらなら、目の前にいる友人は魔法の始祖という事になる。

「もう昔すぎて、あまり覚えていないよ。特にあの頃の記憶は曖昧だ」

 手首の裏側でこめかみをグイグイ押し付けながら、たつとらは顔を歪ませる。痛みを感じているのか、たつとらの喉が鳴った。

「……う~ん、シライシみたいな異形たちがゴロゴロいた時代だ。俺も生きてるか死んでるか分からないような生活をしていた。思い出せないことも、たくさんあるんだ……」

 苦痛を伴いながら言葉を紡ぐたつとらの手を、タールマが「もういい」と言いながら掴んだ。

「無理に思い出さなくていい。きっと忘れても良い記憶だったんだ」

 眉根を少し寄せながら、タールマがきっぱりと言い放つ。心が強いタールマらしい言葉だった。
 しかし朧げな記憶の中に澱のように漂うそれは、看過してはいけないものの様な気がする。

「忘れても良い、じゃなくて、忘れたい、かもしれない」

 たつとらがズキリと痛む頭に顔をしかめていると、遠くから声が掛かった。
 会議をしている秋人だ。

「たつ殿、どう思う。今宵はどう攻めようか」

 期待を大盛にした顔に、たつとらは苦笑いを零す。反して隊長たちは「何であいつに聞くんだ」と言いたげだ。

「今日は播磨の軍も本腰を入れてくるだろう。しかも今日は異形との戦いになりそうだ。たつ殿は異形との戦いも長けているのか?」
 半ば腰を浮かせながら聞いてくる秋人に、隊長たちは眉を引き絞る。そんな部下たちを見回して、秋人は一喝した。

「お前たち、人は見かけによらないと覚えておけ!たつ殿は恐ろしく強い!あんな見てくれでもだ!」
「………」

 無意識に人の心を抉る特技を持つ秋人は、たつとらの表情などお構いなしに豪快に笑っている。

 秋人の前に座るチャンが、たつとらに視線を送りながら秋人を見た。皮肉を込めた笑顔をつくると、騒いでいる隊長たちを牽制するように睨み付ける。

「秋人さん、今日はたつを休ませてやって下さい。万が一俺たちが負けそうになっても、たつだけで勝利できる。この世界に、たつ以上に異形を知るものはいないんだ。負けはしない」

 秋人が眉尻を下げながら、うんうんと頷いている。
「やはりそうか。では、安心して戦いに望もう」

 これには隊長たちも焦りを隠せなかった。何の対策も打たず、召喚士に向かうなど自殺行為だ。
「何を召喚されるかも分からないのですよ!」
「信頼していない者に背中を預けるなど、出来ません!」
 隊長達から、様々な声が飛び交う。
 召喚士を恐れるのは、仕方のない事だった。それほどの脅威であり、未知な存在なのだ。


「では……隊長様方は、俺らの後ろにいて頂いていいでしょうか?」

 穏やかな顔をしているたつとらが、少しの棘を孕んだ声を投げた。

「俺らが万が一負けても、播磨の軍勢は削がれます。俺の仲間たちは、常葉の隊長方よりも強いですよ。それは断言できる」

 「それに……」と言いながらたつとらは立ちあがった。天幕の出口まで足を運ぶと、少しだけ振り向く。

「俺は仲間を絶対に傷つけない。敗北はありえません」
 そう吐き捨てるように呟き、たつとらは去っていく。いつもの穏やかな彼とは違う、棘のある態度だ。

 後に残されたタールマとルメリアも、驚いてチャンを見遣る。チャンも不思議に思いながら、たつとらの背を見送った。



 ボルエスタの天幕に、たつとらは真っすぐ向かっていた。
 入り口の幌は開け放してあった。たつとらは中には入らず、少し遠くから中の様子を窺う。

 銃の分解点検をしているのか、ボルエスタの手元で銃の部品が規則正しく並んでいる。何となく入るのを躊躇っていると、ボルエスタが顔を上げ驚きの表情を浮かべた。

「たつ、どうしたんですか?会議中では?」
「……ちょっと出てきた」

 たつとらは入り口に入らずしゃがみ込み、珍しそうに銃のパーツを眺めている。

 ボルエスタはふっと息を吐きながら笑うと、「ちょっと待っていて下さい」と言いながらパーツを組み立て始めた。

 手際の良く組み立てていく様は、見ているだけで楽しくてワクワクする眺めだった。
 目を輝かせながら見ているたつとらに頬緩ませながら、ボルエスタは組み上がった銃を拭いてホルスターに納める。

「たつ、座ってください」

 パーツを置いていた簡易デスクにボルエスタは腰を掛けると、先ほどまで自身が座っていた簡易ベッドをポンポンと叩く。

 たつとらはそこに素直に座るが、自身の膝頭を鷲掴んだ。そして何やら神妙な顔を浮かべる。
 ボルエスタが眉を寄せていると、俯いたままのたつとらが声を発した。

「ボ、ボルちゃん……俺さ、頭痛くて……その、痛み止めとかって……もらえたりする?」
「……え?」

 ボルエスタが呆けた声を出したせいか、たつとらが顔を真っ赤にして慌て出した。

「ご、ごめん!そうだよな!我慢する!ごめん!」

 ボルエスタは立ち上がろうとするたつとらを制して、簡易ベッドに再度座らせる。言った事を後悔しているのか、たつとらは顔を真っ赤にさせ、眉尻をこれでもかという程下げている。

 ボルエスタは胸が詰まった。
 甘え下手にも限度があるだろう。ここまで来ると彼の過去に、トラウマ的な何かがあったのではないかと疑うほどだ。

「良いに決まってるじゃないですか……!どうして悪いと思うんです?」
「だって、我慢すれば……良いことだろ?」

 そう言っている間も、たつとらは顔を顰めている。こめかみをぎゅうぎゅうと押さえ始めた手を取ると、その手は驚くほど冷たい。

「ボルちゃんの手、あっつ!」
「たつの手が冷たすぎるんです。少し待ってて。食事はとりましたか?」
「めっちゃ食べた」

 笑って頷くと、ボルエスタはバッグから痛み止めを取り出した。
 差し出された薬と水を、たつとらは始め神妙な顔で見つめる。意を決した様に飲みこむと、彼は大きく息を吐いた。

「っはぁ!緊張した!」
「……たつ? なぜ緊張する必要があるんですか? 僕があなたへの医療行為を拒んだことがありますか?」
「……ないけどさ、すごく悪いことをしている気がする。……今だって銃の手入れしていたのを邪魔したし、ボルちゃんの時間奪ったろ? ……う~ん、でも頭痛いと、ついイライラして刺々しくなるんだよ……俺、こんなに弱かったかな?」

 独りでいた時は我慢できた痛みも、人と居る時は我慢が出来ない。痛い時、辛い時は相手に配慮が出来ない。
 たつとらにはそれが歯痒くて、どうしようもなく辛いのだ。

「まったく問題ない感情です。仮に僕が頭痛くてイライラしていたら、たつはどうします?嫌ですか?」
「全然嫌じゃない。心配だし、早く休んでほしい。……ううん、違う、俺とボルちゃんじゃ比較にならない」

 独り言のようにブツブツ言うたつとらの手を、ボルエスタはもう一度握った。相変わらず氷の様に冷たい。
 親指で撫でるように擦って、ボルエスタは懇願するように言葉を紡いだ。

「たつを甘やかす準備は万端なのに、甘えてくれない方がもっと傷つきます」
「……ボルちゃんの手は、なんでこんなに温かいんだ?」

 自身の手を包むボルエスタの大きな手の平。それを見つめながら、たつとらはうっとりと顔を緩ませる。
 芯まで凍ってしまったものを溶かすような優しい温かさに、いつも抗う事が出来ない。

 一方のボルエスタは、肝心な言葉をスルーされ、何とも言えない顔で固まっていた。
 そんなボルエスタを尻目に、たつとらは名案を思いついたとばかり顔を輝かせて、手を合わせる。

「そうだ、ボルちゃん!俺、鎮痛剤多めに貰っとくよ!そしたら今後、自分で対処できる!」

 嬉しそうに顔を緩ませるたつとらに、ボルエスタ自身も頬が緩みそうになった。それをぐっと抑えながら、鋭い視線を彼に投げる。

「駄目です」
「え?なんで?」
「あなたの体調を把握しておきたいからです」

 なるほど、といった顔をしてたつとらが小さく頷く。相変わらず、素直だ。

「いつから頭痛がするんですか?」
「ああ……何か最近、昔のことを思い出そうとすると頭が痛くなるんだ。さっきも会議中にルー達と話してたら……いてて……」

 昔の事?そう思いながらボルエスタは、顔を顰めるたつとらを見た。

 痛がり方が、普段と違う。結構な怪我でも笑って済ませるようなたつとらが、顔を顰めているというのは、流石に心配だ。

「あなたがそんなに痛がるなんて……大丈夫ですか?」
 胸には聖女の呪いを宿し、今度は頭まで痛いと言う。彼は病のフルコンプリートでもするつもりなのだろうか。

「大丈夫、ボルちゃん。俺、頭潰されても再生した事あるから」

 衝撃の告白に、ボルエスタが眉間に皺を寄せながら仰け反る。その姿を見て、たつとらが声を立てて笑った。

「わ、笑い事じゃないでしょう?」

 頭を潰された過去など、想像するのも恐ろしい。
 ボルエスタは握った手に力を込めると、未だ笑っているたつとらの顔を見つめた。

 握った手が汗ばんできたのが分かる。不安で覆い尽くされた胸の内を押し通せなくなり、言葉が滑り落ちていく。

「今後そんな無茶な真似は絶対止めて下さいよ!僕は頭を潰されたあなたを診るなんて、絶対に嫌だ!」
「……あ、うん。善処する」


(頭潰されたら、その変に転がしておいて……なんて言っちゃ怒られるな)
 たつとらはそんな事を思いながら、顔を赤くしたまま怒っているボルエスタを見た。汗ばんで湿った手から、温もりが流れてくる。

「あ、薬効いてきたかも」
 そう言うと一転、ボルエスタはホッとした様に顔を綻ばせた。
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