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戦乱の常葉国
70. 頭痛の種
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城に残っていた将軍たちが、秋人達と合流したのは昼過ぎだった。
日差しは暑いが、まだ風は冷たい。天幕の幌を開け放したまま、秋人たちは作戦会議をしている。
先ほど起きたばかりで昼食を食べ損ねたたつとらは、少し離れたところで残してあったパンを食べている。
パン食がメインであるウェリンク組に配慮したのか、常葉に来て初めてのパンだった。少し甘みがあって柔らかいパンは、ウェリンクのものとは大違いだ。
硬くてパリッと歯ごたえがあるウェリンクのパンも美味しいが、常葉のパンも同じくらい美味しい。
たつとらが忙しなく口を動かしていると、将軍たちの興奮した声が聞こえてくる。
「良く前線基地を掌握できましたな!どうやったのです!?」
「相手は400ですよ!?信じられない」
ようやく気分が落ち着いたというルメリアとタールマが、たつとらの隣に腰を下ろした。
「ルー、平気か?」
「うん、もう大丈夫。昼ごはんも食べれたしね」
そうか、と笑いながらたつとらは秋人を見た。少しだけ冴えない顔をしているのが見て取れて、たつとらは首を傾げる。
「前線部隊が制圧されたと聞いて、播磨の軍は召喚士を集めています。かなりの大人数で、召喚される異形も多数になるでしょう」
「召喚士か……」
皿に残っていたジャムを千切ったパンで拭いながら、たつとらはタールマに頭を傾ける。その視線は、秋人たちから離していない。
「たまちゃん、一般的に召喚ってどうやるの?」
ああ、と彼女は一言呟き、少し黙った。
頭の中で情報を整理しているのだろう。教師としての癖が抜けないのか、どうやったら相手に伝わるのか思慮しているようだ。
たつとらがニコニコしながら見守っていると、タールマが僅かに顔を赤くして咳払いを落とした。
「一般的な召喚士は、たつのように異形を従えていない。つまり主従関係ではないんだ。自分よりも力の劣る異形をその場に呼び出すが、他の場所から引き出しているだけ。他の場所にいた異形を転送させて、自分の場所へ連れてきているだけなんだ」
「へぇ……んん?」
良く分からないといった顔をするたつとらに、タールマは頷く。
「そうだ。そんな事をしても、自分の側に来た異形が敵味方関係なく暴れるだけだ。召喚士の本領はここから発揮される。召喚士の本当の凄いところは、異形を一定時間操れるところだ。意識を乗っ取り、ターゲットを絞らせる。操れる時間は召喚士の腕次第だな」
タールマの説明を聞いて、たつとらが顔を輝かせた。興味津々といった様子でたつとらがタールマに詰め寄ると、案の定タールマは避けるように仰け反る。
たつとらはそんなタールマに気付かないまま、興奮した様子で口を開いた。
「意思のない異形を操るなんて凄いな!どうやるんだろう?」
「さ、さあな。召喚術は使えるものも限られているし、謎に包まれている。その点はたつの方が詳しいだろ?」
タールマの言葉に、たつとらは息を吐きながら笑った。
両手で持っているカップを指でパタパタと鳴らしながら、遠い記憶に想いを馳せているような顔を浮かべる。
「人間は凄いよな。一つ教えると、どんどん枝分かれして大きくしていく」
隣で黙って聞いていたルメリアがひょこっと顔を覗かせた。期待と不安が入り混じったような表情で見つめ、躊躇いがちに口を開く。
「たっちゃんさ、トマスさんって知ってる?」
トマスは、魔法の書を書いた著者である。
魔法の書は今では生徒たちの教科書であり、人間が魔法を習得するための指導書だ。以前ウェリンクの書庫見つけた、あの本の著者の名である。
「トマス?」
「トマス・ヴィエンティーク。もしかして彼に、魔法を教えなかった?」
「ああ、あのトマスな。うん、教えた」
たつとらの答えに、ルメリアは半分白目になりながら口を引き結んだ。『うん、教えた』で済む話ではない。
人間に魔法を広めたのはトマスで、トマスに魔法を教えたのがたつとらなら、目の前にいる友人は魔法の始祖という事になる。
「もう昔すぎて、あまり覚えていないよ。特にあの頃の記憶は曖昧だ」
手首の裏側でこめかみをグイグイ押し付けながら、たつとらは顔を歪ませる。痛みを感じているのか、たつとらの喉が鳴った。
「……う~ん、シライシみたいな異形たちがゴロゴロいた時代だ。俺も生きてるか死んでるか分からないような生活をしていた。思い出せないことも、たくさんあるんだ……」
苦痛を伴いながら言葉を紡ぐたつとらの手を、タールマが「もういい」と言いながら掴んだ。
「無理に思い出さなくていい。きっと忘れても良い記憶だったんだ」
眉根を少し寄せながら、タールマがきっぱりと言い放つ。心が強いタールマらしい言葉だった。
しかし朧げな記憶の中に澱のように漂うそれは、看過してはいけないものの様な気がする。
「忘れても良い、じゃなくて、忘れたい、かもしれない」
たつとらがズキリと痛む頭に顔をしかめていると、遠くから声が掛かった。
会議をしている秋人だ。
「たつ殿、どう思う。今宵はどう攻めようか」
期待を大盛にした顔に、たつとらは苦笑いを零す。反して隊長たちは「何であいつに聞くんだ」と言いたげだ。
「今日は播磨の軍も本腰を入れてくるだろう。しかも今日は異形との戦いになりそうだ。たつ殿は異形との戦いも長けているのか?」
半ば腰を浮かせながら聞いてくる秋人に、隊長たちは眉を引き絞る。そんな部下たちを見回して、秋人は一喝した。
「お前たち、人は見かけによらないと覚えておけ!たつ殿は恐ろしく強い!あんな見てくれでもだ!」
「………」
無意識に人の心を抉る特技を持つ秋人は、たつとらの表情などお構いなしに豪快に笑っている。
秋人の前に座るチャンが、たつとらに視線を送りながら秋人を見た。皮肉を込めた笑顔をつくると、騒いでいる隊長たちを牽制するように睨み付ける。
「秋人さん、今日はたつを休ませてやって下さい。万が一俺たちが負けそうになっても、たつだけで勝利できる。この世界に、たつ以上に異形を知るものはいないんだ。負けはしない」
秋人が眉尻を下げながら、うんうんと頷いている。
「やはりそうか。では、安心して戦いに望もう」
これには隊長たちも焦りを隠せなかった。何の対策も打たず、召喚士に向かうなど自殺行為だ。
「何を召喚されるかも分からないのですよ!」
「信頼していない者に背中を預けるなど、出来ません!」
隊長達から、様々な声が飛び交う。
召喚士を恐れるのは、仕方のない事だった。それほどの脅威であり、未知な存在なのだ。
「では……隊長様方は、俺らの後ろにいて頂いていいでしょうか?」
穏やかな顔をしているたつとらが、少しの棘を孕んだ声を投げた。
「俺らが万が一負けても、播磨の軍勢は削がれます。俺の仲間たちは、常葉の隊長方よりも強いですよ。それは断言できる」
「それに……」と言いながらたつとらは立ちあがった。天幕の出口まで足を運ぶと、少しだけ振り向く。
「俺は仲間を絶対に傷つけない。敗北はありえません」
そう吐き捨てるように呟き、たつとらは去っていく。いつもの穏やかな彼とは違う、棘のある態度だ。
後に残されたタールマとルメリアも、驚いてチャンを見遣る。チャンも不思議に思いながら、たつとらの背を見送った。
ボルエスタの天幕に、たつとらは真っすぐ向かっていた。
入り口の幌は開け放してあった。たつとらは中には入らず、少し遠くから中の様子を窺う。
銃の分解点検をしているのか、ボルエスタの手元で銃の部品が規則正しく並んでいる。何となく入るのを躊躇っていると、ボルエスタが顔を上げ驚きの表情を浮かべた。
「たつ、どうしたんですか?会議中では?」
「……ちょっと出てきた」
たつとらは入り口に入らずしゃがみ込み、珍しそうに銃のパーツを眺めている。
ボルエスタはふっと息を吐きながら笑うと、「ちょっと待っていて下さい」と言いながらパーツを組み立て始めた。
手際の良く組み立てていく様は、見ているだけで楽しくてワクワクする眺めだった。
目を輝かせながら見ているたつとらに頬緩ませながら、ボルエスタは組み上がった銃を拭いてホルスターに納める。
「たつ、座ってください」
パーツを置いていた簡易デスクにボルエスタは腰を掛けると、先ほどまで自身が座っていた簡易ベッドをポンポンと叩く。
たつとらはそこに素直に座るが、自身の膝頭を鷲掴んだ。そして何やら神妙な顔を浮かべる。
ボルエスタが眉を寄せていると、俯いたままのたつとらが声を発した。
「ボ、ボルちゃん……俺さ、頭痛くて……その、痛み止めとかって……もらえたりする?」
「……え?」
ボルエスタが呆けた声を出したせいか、たつとらが顔を真っ赤にして慌て出した。
「ご、ごめん!そうだよな!我慢する!ごめん!」
ボルエスタは立ち上がろうとするたつとらを制して、簡易ベッドに再度座らせる。言った事を後悔しているのか、たつとらは顔を真っ赤にさせ、眉尻をこれでもかという程下げている。
ボルエスタは胸が詰まった。
甘え下手にも限度があるだろう。ここまで来ると彼の過去に、トラウマ的な何かがあったのではないかと疑うほどだ。
「良いに決まってるじゃないですか……!どうして悪いと思うんです?」
「だって、我慢すれば……良いことだろ?」
そう言っている間も、たつとらは顔を顰めている。こめかみをぎゅうぎゅうと押さえ始めた手を取ると、その手は驚くほど冷たい。
「ボルちゃんの手、あっつ!」
「たつの手が冷たすぎるんです。少し待ってて。食事はとりましたか?」
「めっちゃ食べた」
笑って頷くと、ボルエスタはバッグから痛み止めを取り出した。
差し出された薬と水を、たつとらは始め神妙な顔で見つめる。意を決した様に飲みこむと、彼は大きく息を吐いた。
「っはぁ!緊張した!」
「……たつ? なぜ緊張する必要があるんですか? 僕があなたへの医療行為を拒んだことがありますか?」
「……ないけどさ、すごく悪いことをしている気がする。……今だって銃の手入れしていたのを邪魔したし、ボルちゃんの時間奪ったろ? ……う~ん、でも頭痛いと、ついイライラして刺々しくなるんだよ……俺、こんなに弱かったかな?」
独りでいた時は我慢できた痛みも、人と居る時は我慢が出来ない。痛い時、辛い時は相手に配慮が出来ない。
たつとらにはそれが歯痒くて、どうしようもなく辛いのだ。
「まったく問題ない感情です。仮に僕が頭痛くてイライラしていたら、たつはどうします?嫌ですか?」
「全然嫌じゃない。心配だし、早く休んでほしい。……ううん、違う、俺とボルちゃんじゃ比較にならない」
独り言のようにブツブツ言うたつとらの手を、ボルエスタはもう一度握った。相変わらず氷の様に冷たい。
親指で撫でるように擦って、ボルエスタは懇願するように言葉を紡いだ。
「たつを甘やかす準備は万端なのに、甘えてくれない方がもっと傷つきます」
「……ボルちゃんの手は、なんでこんなに温かいんだ?」
自身の手を包むボルエスタの大きな手の平。それを見つめながら、たつとらはうっとりと顔を緩ませる。
芯まで凍ってしまったものを溶かすような優しい温かさに、いつも抗う事が出来ない。
一方のボルエスタは、肝心な言葉をスルーされ、何とも言えない顔で固まっていた。
そんなボルエスタを尻目に、たつとらは名案を思いついたとばかり顔を輝かせて、手を合わせる。
「そうだ、ボルちゃん!俺、鎮痛剤多めに貰っとくよ!そしたら今後、自分で対処できる!」
嬉しそうに顔を緩ませるたつとらに、ボルエスタ自身も頬が緩みそうになった。それをぐっと抑えながら、鋭い視線を彼に投げる。
「駄目です」
「え?なんで?」
「あなたの体調を把握しておきたいからです」
なるほど、といった顔をしてたつとらが小さく頷く。相変わらず、素直だ。
「いつから頭痛がするんですか?」
「ああ……何か最近、昔のことを思い出そうとすると頭が痛くなるんだ。さっきも会議中にルー達と話してたら……いてて……」
昔の事?そう思いながらボルエスタは、顔を顰めるたつとらを見た。
痛がり方が、普段と違う。結構な怪我でも笑って済ませるようなたつとらが、顔を顰めているというのは、流石に心配だ。
「あなたがそんなに痛がるなんて……大丈夫ですか?」
胸には聖女の呪いを宿し、今度は頭まで痛いと言う。彼は病のフルコンプリートでもするつもりなのだろうか。
「大丈夫、ボルちゃん。俺、頭潰されても再生した事あるから」
衝撃の告白に、ボルエスタが眉間に皺を寄せながら仰け反る。その姿を見て、たつとらが声を立てて笑った。
「わ、笑い事じゃないでしょう?」
頭を潰された過去など、想像するのも恐ろしい。
ボルエスタは握った手に力を込めると、未だ笑っているたつとらの顔を見つめた。
握った手が汗ばんできたのが分かる。不安で覆い尽くされた胸の内を押し通せなくなり、言葉が滑り落ちていく。
「今後そんな無茶な真似は絶対止めて下さいよ!僕は頭を潰されたあなたを診るなんて、絶対に嫌だ!」
「……あ、うん。善処する」
(頭潰されたら、その変に転がしておいて……なんて言っちゃ怒られるな)
たつとらはそんな事を思いながら、顔を赤くしたまま怒っているボルエスタを見た。汗ばんで湿った手から、温もりが流れてくる。
「あ、薬効いてきたかも」
そう言うと一転、ボルエスタはホッとした様に顔を綻ばせた。
日差しは暑いが、まだ風は冷たい。天幕の幌を開け放したまま、秋人たちは作戦会議をしている。
先ほど起きたばかりで昼食を食べ損ねたたつとらは、少し離れたところで残してあったパンを食べている。
パン食がメインであるウェリンク組に配慮したのか、常葉に来て初めてのパンだった。少し甘みがあって柔らかいパンは、ウェリンクのものとは大違いだ。
硬くてパリッと歯ごたえがあるウェリンクのパンも美味しいが、常葉のパンも同じくらい美味しい。
たつとらが忙しなく口を動かしていると、将軍たちの興奮した声が聞こえてくる。
「良く前線基地を掌握できましたな!どうやったのです!?」
「相手は400ですよ!?信じられない」
ようやく気分が落ち着いたというルメリアとタールマが、たつとらの隣に腰を下ろした。
「ルー、平気か?」
「うん、もう大丈夫。昼ごはんも食べれたしね」
そうか、と笑いながらたつとらは秋人を見た。少しだけ冴えない顔をしているのが見て取れて、たつとらは首を傾げる。
「前線部隊が制圧されたと聞いて、播磨の軍は召喚士を集めています。かなりの大人数で、召喚される異形も多数になるでしょう」
「召喚士か……」
皿に残っていたジャムを千切ったパンで拭いながら、たつとらはタールマに頭を傾ける。その視線は、秋人たちから離していない。
「たまちゃん、一般的に召喚ってどうやるの?」
ああ、と彼女は一言呟き、少し黙った。
頭の中で情報を整理しているのだろう。教師としての癖が抜けないのか、どうやったら相手に伝わるのか思慮しているようだ。
たつとらがニコニコしながら見守っていると、タールマが僅かに顔を赤くして咳払いを落とした。
「一般的な召喚士は、たつのように異形を従えていない。つまり主従関係ではないんだ。自分よりも力の劣る異形をその場に呼び出すが、他の場所から引き出しているだけ。他の場所にいた異形を転送させて、自分の場所へ連れてきているだけなんだ」
「へぇ……んん?」
良く分からないといった顔をするたつとらに、タールマは頷く。
「そうだ。そんな事をしても、自分の側に来た異形が敵味方関係なく暴れるだけだ。召喚士の本領はここから発揮される。召喚士の本当の凄いところは、異形を一定時間操れるところだ。意識を乗っ取り、ターゲットを絞らせる。操れる時間は召喚士の腕次第だな」
タールマの説明を聞いて、たつとらが顔を輝かせた。興味津々といった様子でたつとらがタールマに詰め寄ると、案の定タールマは避けるように仰け反る。
たつとらはそんなタールマに気付かないまま、興奮した様子で口を開いた。
「意思のない異形を操るなんて凄いな!どうやるんだろう?」
「さ、さあな。召喚術は使えるものも限られているし、謎に包まれている。その点はたつの方が詳しいだろ?」
タールマの言葉に、たつとらは息を吐きながら笑った。
両手で持っているカップを指でパタパタと鳴らしながら、遠い記憶に想いを馳せているような顔を浮かべる。
「人間は凄いよな。一つ教えると、どんどん枝分かれして大きくしていく」
隣で黙って聞いていたルメリアがひょこっと顔を覗かせた。期待と不安が入り混じったような表情で見つめ、躊躇いがちに口を開く。
「たっちゃんさ、トマスさんって知ってる?」
トマスは、魔法の書を書いた著者である。
魔法の書は今では生徒たちの教科書であり、人間が魔法を習得するための指導書だ。以前ウェリンクの書庫見つけた、あの本の著者の名である。
「トマス?」
「トマス・ヴィエンティーク。もしかして彼に、魔法を教えなかった?」
「ああ、あのトマスな。うん、教えた」
たつとらの答えに、ルメリアは半分白目になりながら口を引き結んだ。『うん、教えた』で済む話ではない。
人間に魔法を広めたのはトマスで、トマスに魔法を教えたのがたつとらなら、目の前にいる友人は魔法の始祖という事になる。
「もう昔すぎて、あまり覚えていないよ。特にあの頃の記憶は曖昧だ」
手首の裏側でこめかみをグイグイ押し付けながら、たつとらは顔を歪ませる。痛みを感じているのか、たつとらの喉が鳴った。
「……う~ん、シライシみたいな異形たちがゴロゴロいた時代だ。俺も生きてるか死んでるか分からないような生活をしていた。思い出せないことも、たくさんあるんだ……」
苦痛を伴いながら言葉を紡ぐたつとらの手を、タールマが「もういい」と言いながら掴んだ。
「無理に思い出さなくていい。きっと忘れても良い記憶だったんだ」
眉根を少し寄せながら、タールマがきっぱりと言い放つ。心が強いタールマらしい言葉だった。
しかし朧げな記憶の中に澱のように漂うそれは、看過してはいけないものの様な気がする。
「忘れても良い、じゃなくて、忘れたい、かもしれない」
たつとらがズキリと痛む頭に顔をしかめていると、遠くから声が掛かった。
会議をしている秋人だ。
「たつ殿、どう思う。今宵はどう攻めようか」
期待を大盛にした顔に、たつとらは苦笑いを零す。反して隊長たちは「何であいつに聞くんだ」と言いたげだ。
「今日は播磨の軍も本腰を入れてくるだろう。しかも今日は異形との戦いになりそうだ。たつ殿は異形との戦いも長けているのか?」
半ば腰を浮かせながら聞いてくる秋人に、隊長たちは眉を引き絞る。そんな部下たちを見回して、秋人は一喝した。
「お前たち、人は見かけによらないと覚えておけ!たつ殿は恐ろしく強い!あんな見てくれでもだ!」
「………」
無意識に人の心を抉る特技を持つ秋人は、たつとらの表情などお構いなしに豪快に笑っている。
秋人の前に座るチャンが、たつとらに視線を送りながら秋人を見た。皮肉を込めた笑顔をつくると、騒いでいる隊長たちを牽制するように睨み付ける。
「秋人さん、今日はたつを休ませてやって下さい。万が一俺たちが負けそうになっても、たつだけで勝利できる。この世界に、たつ以上に異形を知るものはいないんだ。負けはしない」
秋人が眉尻を下げながら、うんうんと頷いている。
「やはりそうか。では、安心して戦いに望もう」
これには隊長たちも焦りを隠せなかった。何の対策も打たず、召喚士に向かうなど自殺行為だ。
「何を召喚されるかも分からないのですよ!」
「信頼していない者に背中を預けるなど、出来ません!」
隊長達から、様々な声が飛び交う。
召喚士を恐れるのは、仕方のない事だった。それほどの脅威であり、未知な存在なのだ。
「では……隊長様方は、俺らの後ろにいて頂いていいでしょうか?」
穏やかな顔をしているたつとらが、少しの棘を孕んだ声を投げた。
「俺らが万が一負けても、播磨の軍勢は削がれます。俺の仲間たちは、常葉の隊長方よりも強いですよ。それは断言できる」
「それに……」と言いながらたつとらは立ちあがった。天幕の出口まで足を運ぶと、少しだけ振り向く。
「俺は仲間を絶対に傷つけない。敗北はありえません」
そう吐き捨てるように呟き、たつとらは去っていく。いつもの穏やかな彼とは違う、棘のある態度だ。
後に残されたタールマとルメリアも、驚いてチャンを見遣る。チャンも不思議に思いながら、たつとらの背を見送った。
ボルエスタの天幕に、たつとらは真っすぐ向かっていた。
入り口の幌は開け放してあった。たつとらは中には入らず、少し遠くから中の様子を窺う。
銃の分解点検をしているのか、ボルエスタの手元で銃の部品が規則正しく並んでいる。何となく入るのを躊躇っていると、ボルエスタが顔を上げ驚きの表情を浮かべた。
「たつ、どうしたんですか?会議中では?」
「……ちょっと出てきた」
たつとらは入り口に入らずしゃがみ込み、珍しそうに銃のパーツを眺めている。
ボルエスタはふっと息を吐きながら笑うと、「ちょっと待っていて下さい」と言いながらパーツを組み立て始めた。
手際の良く組み立てていく様は、見ているだけで楽しくてワクワクする眺めだった。
目を輝かせながら見ているたつとらに頬緩ませながら、ボルエスタは組み上がった銃を拭いてホルスターに納める。
「たつ、座ってください」
パーツを置いていた簡易デスクにボルエスタは腰を掛けると、先ほどまで自身が座っていた簡易ベッドをポンポンと叩く。
たつとらはそこに素直に座るが、自身の膝頭を鷲掴んだ。そして何やら神妙な顔を浮かべる。
ボルエスタが眉を寄せていると、俯いたままのたつとらが声を発した。
「ボ、ボルちゃん……俺さ、頭痛くて……その、痛み止めとかって……もらえたりする?」
「……え?」
ボルエスタが呆けた声を出したせいか、たつとらが顔を真っ赤にして慌て出した。
「ご、ごめん!そうだよな!我慢する!ごめん!」
ボルエスタは立ち上がろうとするたつとらを制して、簡易ベッドに再度座らせる。言った事を後悔しているのか、たつとらは顔を真っ赤にさせ、眉尻をこれでもかという程下げている。
ボルエスタは胸が詰まった。
甘え下手にも限度があるだろう。ここまで来ると彼の過去に、トラウマ的な何かがあったのではないかと疑うほどだ。
「良いに決まってるじゃないですか……!どうして悪いと思うんです?」
「だって、我慢すれば……良いことだろ?」
そう言っている間も、たつとらは顔を顰めている。こめかみをぎゅうぎゅうと押さえ始めた手を取ると、その手は驚くほど冷たい。
「ボルちゃんの手、あっつ!」
「たつの手が冷たすぎるんです。少し待ってて。食事はとりましたか?」
「めっちゃ食べた」
笑って頷くと、ボルエスタはバッグから痛み止めを取り出した。
差し出された薬と水を、たつとらは始め神妙な顔で見つめる。意を決した様に飲みこむと、彼は大きく息を吐いた。
「っはぁ!緊張した!」
「……たつ? なぜ緊張する必要があるんですか? 僕があなたへの医療行為を拒んだことがありますか?」
「……ないけどさ、すごく悪いことをしている気がする。……今だって銃の手入れしていたのを邪魔したし、ボルちゃんの時間奪ったろ? ……う~ん、でも頭痛いと、ついイライラして刺々しくなるんだよ……俺、こんなに弱かったかな?」
独りでいた時は我慢できた痛みも、人と居る時は我慢が出来ない。痛い時、辛い時は相手に配慮が出来ない。
たつとらにはそれが歯痒くて、どうしようもなく辛いのだ。
「まったく問題ない感情です。仮に僕が頭痛くてイライラしていたら、たつはどうします?嫌ですか?」
「全然嫌じゃない。心配だし、早く休んでほしい。……ううん、違う、俺とボルちゃんじゃ比較にならない」
独り言のようにブツブツ言うたつとらの手を、ボルエスタはもう一度握った。相変わらず氷の様に冷たい。
親指で撫でるように擦って、ボルエスタは懇願するように言葉を紡いだ。
「たつを甘やかす準備は万端なのに、甘えてくれない方がもっと傷つきます」
「……ボルちゃんの手は、なんでこんなに温かいんだ?」
自身の手を包むボルエスタの大きな手の平。それを見つめながら、たつとらはうっとりと顔を緩ませる。
芯まで凍ってしまったものを溶かすような優しい温かさに、いつも抗う事が出来ない。
一方のボルエスタは、肝心な言葉をスルーされ、何とも言えない顔で固まっていた。
そんなボルエスタを尻目に、たつとらは名案を思いついたとばかり顔を輝かせて、手を合わせる。
「そうだ、ボルちゃん!俺、鎮痛剤多めに貰っとくよ!そしたら今後、自分で対処できる!」
嬉しそうに顔を緩ませるたつとらに、ボルエスタ自身も頬が緩みそうになった。それをぐっと抑えながら、鋭い視線を彼に投げる。
「駄目です」
「え?なんで?」
「あなたの体調を把握しておきたいからです」
なるほど、といった顔をしてたつとらが小さく頷く。相変わらず、素直だ。
「いつから頭痛がするんですか?」
「ああ……何か最近、昔のことを思い出そうとすると頭が痛くなるんだ。さっきも会議中にルー達と話してたら……いてて……」
昔の事?そう思いながらボルエスタは、顔を顰めるたつとらを見た。
痛がり方が、普段と違う。結構な怪我でも笑って済ませるようなたつとらが、顔を顰めているというのは、流石に心配だ。
「あなたがそんなに痛がるなんて……大丈夫ですか?」
胸には聖女の呪いを宿し、今度は頭まで痛いと言う。彼は病のフルコンプリートでもするつもりなのだろうか。
「大丈夫、ボルちゃん。俺、頭潰されても再生した事あるから」
衝撃の告白に、ボルエスタが眉間に皺を寄せながら仰け反る。その姿を見て、たつとらが声を立てて笑った。
「わ、笑い事じゃないでしょう?」
頭を潰された過去など、想像するのも恐ろしい。
ボルエスタは握った手に力を込めると、未だ笑っているたつとらの顔を見つめた。
握った手が汗ばんできたのが分かる。不安で覆い尽くされた胸の内を押し通せなくなり、言葉が滑り落ちていく。
「今後そんな無茶な真似は絶対止めて下さいよ!僕は頭を潰されたあなたを診るなんて、絶対に嫌だ!」
「……あ、うん。善処する」
(頭潰されたら、その変に転がしておいて……なんて言っちゃ怒られるな)
たつとらはそんな事を思いながら、顔を赤くしたまま怒っているボルエスタを見た。汗ばんで湿った手から、温もりが流れてくる。
「あ、薬効いてきたかも」
そう言うと一転、ボルエスタはホッとした様に顔を綻ばせた。
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そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています
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