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戦乱の常葉国

62. キツいお仕置き

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『お前の名は哄笑こうしょう。よろしくな、哄笑』

 美しい金糸を纏わせて、子供の様に笑う。激しい交戦の後だというのに、息一つ上がっていない新しい主の姿を、哄笑は憧憬の目で見つめた。

『この地にはまだ魔神に出来てない慟哭と言う異形がいる。お前はこの地をあいつと守ることになるだろう。故に、お前の名は哄笑だ』
 はは、と楽しそうに笑う姿は心の奥底に焼き付いている。


________

「答えろ。哄笑」

 翡翠を突き付けられて、哄笑は震えながら俯いた。
 恐怖と自分自身への怒りと絶望。味わう事も無いと思っていた感情が、哄笑を押し流す様に襲い来る。

「うぅ……ふッ……」
 哄笑が肩を揺らしているのを見て、たつとらは眉を跳ね上げた。翡翠を消し去ると、彼は狼狽えながらしゃがみ込んだ。

「もしかして、泣いてる?こ、哄笑?」

 金色の瞳からボロボロと涙を零す哄笑は、下唇を噛みしめながら鳴き咽ぶ。
「も……申し訳ございません!タイラ様……!この罪は……死を持って贖います……!!」
 呆れたように溜息を付きながら、たつとらは哄笑の顔を覗き込んだ。
「哄笑……その前に、なぜ人間を襲ったか教えなさい」

 哄笑は視線を合わせながらも、泣くのを止めようとしない。そんな哄笑の前に、小さな影が飛び出してきた。
 哄笑の前で庇うように手を広げているのは、6歳かそこらの男の子だった。黒髪に黒い瞳。少し切れ長の瞳だが、大きくなれば麗しい麗人になるだろう。

「哄笑を虐めないで!」
 そう言うと、パッと身を翻して哄笑の肩へしがみついた。

うしお、離せ。お前には関係ない話だ」
 哄笑は潮と呼んだ男の子へ、優しく諭すように語りかける。

「こ、哄笑は何も悪いことしてない……」
 哄笑の肩に顔を埋めて、潮は上擦った声を上げる。何となく気まずくなったたつとらは、仲間たちへ助けを乞うような顔を向けた。
 それに気付いたチャン達は、こちらに向かって近付いてくる。

「潮!!」
 また聞きなれない声がして、たつとらは声がした方を振り向く。叫びながら駆け寄ってきたのは18歳程の女性だった。
 腰まである黒髪をきつく三つ編みにして、腰には立派な剣を佩いている。
 潮に雰囲気が似ている為、姉弟なのかもしれない。

 その女性は潮と同じように哄笑の前に立ち、佩いている剣に手を伸ばす。それを哄笑が慌てて制した。
「伊織、その人に手を出すな」
「なぜですか?哄笑殿。この者たちは何者ですか!?」

「えっと……」
 たつとらが説明に困っていると、また新たな女性が現れた。

 黒い艶やかな髪は腰まで垂れ、所々三つ編みが施されている。
 切れ長の美しい瞳は黒に近い藍色だ。美しさもさることながら、その存在感は場を圧倒するかのようだった。
 そんな彼女は手に赤子を抱いている。まだ1歳にもならない赤子は、彼女の腕の中でぐっすり眠っているようだ。

「哄笑殿。宜しければ神殿でお話しくださいませ。あなた様の認めた方ならば、神殿にもお迎えできます」
 跪いたままの哄笑を見遣ると、女性はたつとらに向かってお辞儀をした。

「私はその子達の母です。哄笑殿のお知り合いとお見受けします。ここでは危ないので、どうぞ神殿へ」
 女性は哄笑にしがみ付く潮と、伊織を促して踵を返す。
 そして、言い忘れていたかのように振り返り、微笑んだ。

「言い忘れていました。私は常葉の女王である神楽耶です。怪しいものではありませんので、ご安心を」



________

 神殿の中は白で統一されていた。蝋燭の火が灯っている場所に布が幾つも敷いてあり、神楽耶達がここで寝泊まりしているのが分かる。
 神殿だが、崇拝対象が何であるかははっきりしない。供物が置かれた祭壇には、石や貝などが白い磁器の器に入ったまま置かれている。

 椅子のような物の代わりに、薄いクッションのようなものが幾つも置いてある。そこに、一同は何となく座るのに躊躇った。クッションを除けるように座ると、僅かに神楽耶が笑う。

(良く笑う女性だな。しかも美人だ)
 チャンは、潮と伊織を宥める神楽耶を見つめた。しかもこちらに敵意を示さない。
 判断を間違わない自分への自信があるのだろう。藥王の尻尾に少し驚いていたが、彼が魔神だと聞くと興味深そうに笑っていた。

 哄笑は出入口付近で正座して、その横で藥王が上から睨み付けるように立っている。

 潮が伊織の後ろに隠れて、藥王の揺れる尻尾を凝視している。伊織も同じようで、無気味なものを見るように顔を歪ませた。


「皆さまはウェリンク国の方なのですね。内戦中の常葉に何をしに来られたのですか?」
 神楽耶が抱いていた赤子をそっと布の上に寝かせ、自身も隣に座る。肘掛けのような物に凭れると、怠そうに息を吐いた。

「私たちは軍人ですが、国の為に来たのではありません」
 チャンが言うと、神楽耶はやんわりと笑う。女王としてではなく、一人の母親のような親し気な微笑みだった。
「それは分かっております。大国であるウェリンクは、常葉など眼中に無いでしょう」

 たつとらは哄笑の前に座っていたが、くるりと向きを変えると神楽耶を見た。胡坐をかいたままペコリと頭を下げる。

「内戦中にご迷惑おかけします。俺たちは哄笑に用があって来ました。訳あって今から哄笑を叱りますが、お許し頂けますか?」
「構いませんが、哄笑殿が何か罪を犯しましたか?」
 いいえ、と言ってたつとらは哄笑を振り返る。哄笑は巨大な体躯を縮こまらせ、膝頭を鷲掴んだ。

「約束を破ったので、叱るだけです」
 たつとらがまた哄笑に向き合うと、哄笑は更に身を丸くする。その様子を見ていた伊織が、また哄笑の前に庇うように立った。

「あなた、何なんですか!?魔神である哄笑殿と、何の約束を交わしたと!?」
「い、伊織……」
 哄笑が狼狽えながら伊織を見上げると、たつとらが伊織にもペコリとお辞儀した。

「哄笑を庇ってくれて、ありがとうございます。大事な約束ですので、叱ることをお許しください」
 頑なな態度のたつとらを睨み付けると、伊織が振り返って哄笑を見る。泣き腫らした瞳の下が赤くなっており、伊織は眉を寄せた。
「哄笑殿、約束とは何ですか?この男は?」

「伊織、このお方は俺の主だ。約束は……人を傷つけるな、というものだ」
 伊織はたつとらと哄笑を交互に見た。到底信じられないといった顔で鼻を鳴らすが、たつとらも哄笑も至極真剣な顔をしている。


 神楽耶が凭れていた身体を起こして、たつとらを見る。僅かに驚いたような顔をしながら、出入口に座るたつとら達に、良く通る声で語りかけた。

「哄笑殿は、ウェリンクの方々を敵と誤判断したのでしょう。私たち親子を守ってくれているのです。哄笑殿にとって、人間に攻撃したのは初めての事かと……傷つけるつもりは無かったのでは?」

 ルメリアとタールマは顔を見合わせ、チャンは鼻で笑った。少なからず怪我をしているルメリアと、明らかな殺意を向けられたチャンには到底信じられない話だ。


「……その者達は、強かったのです。人間と戦うのが初めてで、女の方は加減を間違えたようで跳ね飛ばしてしまいました。男の方は、常葉の兵では敵わないと思い、つい本気を出してしまって……申し訳ありません」
 叱られた子供の様に説明する哄笑を前に、たつとらは腕を組んだ。もうすっかり怒りの表情は消えてしまっている。

「哄笑は、神楽耶さんたちを助けようとしたんだね?何でだ?」
「それは……」

 哄笑が口籠っていると、代わりに神楽耶が口を開いた。

「幼いころから、哄笑殿とは友人です」
 彼女はやんわり微笑むと、傍に眠る赤子の髪を撫でた。

「私の母は、この神殿に務める巫女だったのです。私は卑しい身分だと忌避され、腹違いの兄に良く殴られて泣いていました。この森は唯一安らげる場所で、哄笑殿と出会ったのもこの森でした。哄笑殿は……」

 神楽耶は赤子から哄笑へ視線を移し、穏やかに微笑んだ。家族に向けるかのような親しみの籠った笑みで、ふふと声が漏れる。

「哄笑殿は初めは恐がらせないよう、身を隠していました。花や果実を差し出してくれて、あの遺跡を挟んで2人で色んな話をしました。哄笑殿が居なければ、私は命を絶っていたかもしれません。それほどに辛い毎日でした」

 神楽耶がたつとらに目を向けて、懇願するように眉を寄せた。

「それから、私たちの子の代まで哄笑殿は寄り添ってくださいました。どうか、哄笑殿をお許しください」


 チャンはたつとらを見た。
 彼は手の甲を鼻に当てたまま、俯いている。少しだけ震えているのが、怒りによるものか歓喜によるものか、彼を知っている者なら容易に想像できた。

「……っ哄笑……!」
 たつとらは声を詰まらせた。

(哄笑!会わないうちにそんな感情を抱くようになってたなんて……!出会ったときは、ただただ戦いが好きな戌牙だったのに!……花や果物だと!?可愛いがすぎる!………くぅ……今すぐお利口さんって言って、頭を撫でまわしたい!!)

 そんな感情を抱きながら、たつとらはチャン達を見遣った。

 哄笑が大事な仲間を攻撃したのは確かで、下手したら殺されていたかもしれない。そう思うと怖気が走るし、悲しくて仕方がない。
 たつとらは唸ると、また俯いた。


「たっちゃん、もういいよ。未遂だったんだし、許してあげよう?」
 ルメリアに掛けられた言葉に、たつとらはパッと顔を上げてルメリアを見た。タールマもルメリアも、呆れたように笑っている。
 チャンが声を立てて笑いながら、腕を組んだ。

「この通り俺たちは無事だったわけだし、今後こんなことが無いように釘さして、お仕置き程度で済ませりゃいい」
「……え?いいの?」
「いいのも何も、お前らの約束だろ?」


 約束、と口にしながら記憶を辿る。

『人間を傷つけない。でも、人間から傷つけられそうになったら抵抗していいからな!』

 いつも魔神たちと交わしている約束だ。
 哄笑が初めから敵意を持っていたのは問題だが、仕掛けたのはこちらだった。

(でもお仕置きって、何すればいい?)
 たつとらは立ち上がると、傍に立っていた藥王に耳打ちした。

「朱楽、お仕置きって何が良いと思う?魔神が反省するには何が効果的なんだ?」
「そりゃ兄ぃ、簡単や」
 藥王はニヤリと笑うと、たつとらに耳打ちした。
「え?そんなんでいいの?」
「当たり前や。特にアイツには一番効く」

 たつとらは半信半疑で頷くと、再び哄笑の前に座った。
 哄笑は俯いたまま目線だけ上げ、たつとらの顔を見ている。

「いいか、哄笑。今後、自分から人間に敵意を抱いて攻撃するのは禁止だ。分かったな?次、約束を破ったら……」

 哄笑がゴクリと喉を鳴らす。
 たつとらは哄笑に向けて、人差し指を突き付けた。

「二度と、頭を撫でてやらないからな!」


 神殿がしんと静まり返った。
 我慢出来ずチャンが吹き出し、神楽耶をはじめ全員が笑いだす。
「たつ、そのお仕置きは何だよ!?ぷ、はは………は……えぇ!?」

 哄笑が口をへの字に曲げ、金色の瞳からボロボロと涙を流している。
 これには神楽耶も驚愕し、普段の雄々しい哄笑からは想像できない姿に絶句した。

「い……嫌です!それだけは、......ふっぐぅ……!嫌です!!!誓います!も、もう二度と……ふ、ぐ……!」

 予想を大きく上回る哄笑の反応に、途端にたつとらが慌て出した。
「こ、哄笑!だ、大丈夫だよ?もう俺怒ってないから、な?」
 たつとらが哄笑ににじり寄って、その銀色の髪をワシャワシャなでると、その手に哄笑がすり寄ってきた。

「よしよし、おりこうさん。人を守ろうとしたのは立派なことだよ」
 その言葉に、哄笑は更に声を上げて泣き始めた。たつとらが途方に暮れた顔で仲間の方を見ると、仲間たちも固まってこちらを見ている。

 神殿の中で野太い哄笑の鳴き声は、しばらく響き渡った。


________

 神楽耶の勧めで、今夜は神殿に泊めてもらうことになった。
 神殿に寝泊まりしているのは神楽耶たちと数人の侍女や従者で、灯りも必要最低限になっている。蝋燭の灯りがうっすらと照らす中、侍女が食事を持ってきた。

「少ないですが、皆さんでどうぞ」
 目の前に出されたのはおにぎりとお味噌汁だった。ウェリンクではあまり見かけない食事に、一同は目を輝かせる。その中でも一際喜んだのは、たつとらだった。

「こ、……米!!お米……!!お……おにぎり!」
 手の甲を口に押し当てて、彼はうっとりとした顔をしている。眉尻を下げているその顔は、泣き出しそうにも見えた。

「たつ、お米が好きなんですか?」
 ボルエスタが問うと、たつとらは唇を噛みながら視線を合わせてくる。訴えかけてくるような瞳に、ボルエスタは気圧されて仰け反った。
「好きだ!パンも好きだけど、米には勝たない!本当は、毎日食べたい!」

 神楽耶が微笑んで、横にいる潮も僅かに笑った。
 哄笑の膝に座っている潮は、どこまでもたつとらに従順な哄笑を見て、少しずつ態度を緩ませているようだ。
「他の諸外国はパン食ですものね。常葉は太古の昔に存在した、『和の国』の血筋を残した者たちがたくさんいます。主食はお米なのですよ」

 神楽耶はどうぞ、と言うとまた怠そうに肘掛けに凭れた。

 良く見ると顔色も悪いようで、ボルエスタは近くに立っている伊織に声を掛ける。
「女王陛下はお加減が悪いのですか?」
 声を掛けられた伊織は、訝し気に眉を顰めるが、視線を神楽耶に向けて口を開いた。

「母上は千景を産んでから身体の調子が悪いんだ。安静にしておけば問題ないのだが、国の情勢のせいで休めないでいる。千景に授乳している間は、薬も服用できないからな」
 ボルエスタは唇に手を当てて、しばらく考える。
 授乳中に飲める薬も少なからずあるはずだ。藥王なら詳しいだろうと、彼を見遣った。

 藥王はおにぎりを頬張るたつとらをニコニコしながら見ており、ボルエスタはそんな彼をじと目で見つめた。今声を掛けると怒り出すに違いない。
 たつとらに視線を移すと、彼は美味しそうにおにぎりを頬張っている。ボルエスタも一口頬張ると、僅かな塩味がふわっと広がった。

(たつは、これが好きなのか)
 学園で出る食事でも、たまに和食が出たら積極的に食べていた気がする。お粥も好きだと言っていた。
 彼の好みを知るのは嬉しいと素直に思える自分は、よっぽどだと思う。

 たつとらは二個目を食べ終え、指についた米を舐めている。ボルエスタが自分の分のおにぎりを差し出すと、たつとらが驚愕の表情を浮かべた。

「いいのか……ボルちゃん?きっと後悔するぞ」
「良いですよ。お腹がすいたら携行食を食べますから。あなたは一杯食べて、良く寝ないと」
「うう、優しい、優しすぎるよボルちゃん……」
 そう呟きながら、たつとらがおにぎりを受け取って齧り付く。

「可愛いかよ」
 ルメリアが口を開けたまま呆けたように言うと、タールマが声を立てて笑い始めた。
 ボルエスタは、おにぎりに齧り付くたつとらの額に手を押し当てながら、穏やかながらきっぱりと言い放った。

「今日は9時には寝て下さいね」
 その言葉に目を丸くして瞬かせると、たつとらは「またまたぁ」と言って笑う。

「ボルちゃん、俺を何歳だと思ってるの?子供じゃないんだから9時には寝れないよ~」
 はははと声を立てて笑いながら、たつとらはボルエスタに軽く体当たりするように肩をぶつけてきた。


 小一時間後_____

 潮が哄笑の左膝を枕にして寝ている。右の膝にはたつとらが絵本を握りしめたまま眠っていた。

「9時34分」
 時計を見ながら、チャンが隣のボルエスタを見て笑う。
「次第点ですね」
 眼鏡を押し上げながらボルエスタが言い、チャンが「厳しいな」と笑った。

 ブランケットを2人に掛けながら、ボルエスタはふにゃりと顔を緩ませた。
(ほんと、可愛いかよ)
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