つぎのあなたの瞳の色は

墨尽(ぼくじん)

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汚名を雪ぐ

57. 脅しのような決意表明

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 鍋から何やら美味しい匂いがしてくる。
 キッチンの側にあるテーブルには、ヴィティが座っていて、破れた服を繕ってくれているようだ。

『鹿子、今日のご飯は何?』

 鍋の前に立つ鹿子に声を掛けると、嬉しそうに顔を綻ばせる。
『蓮根がヴィティさんの咳に効くと朱楽に聞いたので、鶏と蓮根の煮物を作っています。にぃに、早くお風呂に入ってきてください。にぃにはお風呂が長いんですから……』

 はぁいと間延びした返事を返すと、ヴィティが服を繕いながら大げさに声を上げた。
『ああ、私は幸せだわ。可愛い子達と、天使に囲まれて……うう、幸せすぎて死にそう。死なないけど』
 
 ……そうだ、ヴィティさんはこんな風に冗談を言う人だった。そう思い出した瞬間、これが夢だと悟った。

『よう人間は蓮根なんて食おうと思うのぉ。どんだけ飢えとんねん』
 暖炉の前にあるソファから、まだ髪の短い朱楽が顔を出した。たつとらと目が合うと、ニカリと笑う。

 その日々は、確かに幸せだった。
 継ぎ接ぎだらけの『家族』だったけど、幸せだと胸を張って言えた。
 しかしどんなに願っても、もう戻れない。



 __________

 柔らかな夕日を背に受けて、本を読んでいる人が見えた。
 ぼやけた視界が鮮明になって、それがボルエスタだと分かる。

 本を捲る音がパラリと響き、彼の視線が新たな頁に注がれた。眼鏡に光が反射して、瞳が見えない。

 そういえば彼は、いつ眼鏡を直したのだろう。

「……め、がね……」

 壊れた鞴のような声しか出ないことに、たつとらは顔を顰めた。微かに出たその声を、ボルエスタはちゃんと拾ったようだ。
 手に持っていた本をその場に落として、たつとらの事を凝視している。
 たつとらが眉を顰めて目を瞬かせると、途端に泣き出しそうな顔になり、身を乗り出してきた。

「たつ、僕が分かりますか?見えていますか?」

 緩く頷くと、いよいよ本当に泣き出しそうに口を引き結んで、うんうんと頷く。
 そして後ろから何か取り出すと、中に入っていた液体を脱脂綿に浸して、たつとらの口へ押し付けた。

 微かに甘い味がして、口に流れ込んできたそれを嚥下する。乾いた喉につるりと浸透し、とても心地が良かった。

「も、っと」
 そう言うと、ボルエスタの目尻から涙が零れ落ちた。彼はまた頷いて、脱脂綿を液体に浸した。

「たつは、6日も寝ていたんですよ……」

 たつとらが驚いて目を見開くと、ボルエスタは眉尻を下げて笑った。そのまま眼鏡を取ると、袖で乱暴に涙を拭ってそのまま止まる。
 ボルエスタの肩が揺れていて、たつとらは胸がツキリと痛んだ。

 たつとらは無意識にボルエスタのこめかみを見た。
 そこに絆創膏は無く、僅かに残る傷跡も淡いピンク色になっている。

 その視線に気付いたボルエスタが、また顔を歪ませた。
「まったく、あなたという人は……」
 そう言うと、たつとらの手を取って自分の額につけた。祈りにも似た仕草だ。
 どれだけの不安と戦ってきたのだろう。想像するだけで、胸が痛んだ。


「何か食べたいものはありませんか?して欲しい事は?」
 懇願するようにボルエスタが問うて来るので、たつとらは躊躇いながら口を開いた。
「りんご……むいて……」
 子供の様なお願いにボルエスタの頬が緩み、コクリと頷く。


 林檎の皮を手際よく剥いていくボルエスタに、たつとらは子供のように目を輝かせていた。丸のままの林檎をクルクルと手の中で回しながら剥いていく、その所作に目を奪われる。

「すごいな、ボルちゃん」
 先程の壊れた鞴のような声は少し治まり、少々掠れているものの普通に話せた。そんなたつとらにボルエスタは笑顔を向ける。

「これくらい普通ですよ。院長も出来るんじゃないですか?」
 そう言いながらあっと言う間に4つ切りにして、芯まで取ってしまった。

「胃がびっくりしてしまうので、すりおろしますよ」
 頷きながら身体を起こすと、まるで油を挿していないカラクリ人形のようにギギギと身体が軋んだ。胸の傷はもう大分治ったようで、痛みもそれほど感じない。
 ボルエスタは少し戸惑いながら見ていたが、無事にたつとらが身体を起こすとホッとした顔を浮かべる。

「自分で食べれそうですか?」
「はは、勿論」
 ボルエスタが、林檎の擦りおろしが入った器を手渡してくる。笑いながら器を受け取ったものの、手に力が入らず危うく取りこぼしそうになった。

 それをボルエスタが寸での所で受け止め、彼は困った様に笑った。
「すみません、まだ無理ですよね。たつは6日も寝ていたんですから」
「そんな、ものなのか?」
 今まで6日も意識を失っていたという事があっただろうか?記憶を辿るも、そんな事一度も無かった気がする。

「口を開けて下さい」
 ボルエスタが、黄金色に光る林檎の果汁を匙に乗せて言う。
 一口食べると甘みと程よい酸味が口いっぱいに広がって、思わず笑みが浮かんだ。
「美味しい」
 口をついて出た言葉に、ボルエスタが眉尻を下げて微笑む。
 いつも以上に優しいボルエスタに、たつとらは訝し気に首を捻った。


 意識を失う前の記憶は、鮮明に残っていた。
 皆の目と、チャンの怒った顔は、思い出すだけで鳩尾から何かが突きあげて来るように感じる。ボルエスタに対しても、気まずさが拭えない。

 はぁ、と溜息をつくとボルエスタが心配そうに視線を向けた。その視線すら痛くて、たつとらは逃げるように目線を逸らした。

「ごめん……皆、怒ってる……よな?」
 ボルエスタの顔を見るのが恐くて、たつとらは窓の方を見た。夕陽も落ちてしまって、山の向こうが少し赤く残るのみになっている。

「聖女の力が80年期限の事も……黙っててごめん。俺は異形だから、死なないかもしれない。死ぬか死なないか分からない不確かな事で、皆の心を乱したくなかったんだ……」

「……たつ……チャンが怒ったのは、あなたの命が重いからです」
「………?」
 思わず振り向くと、ボルエスタも窓の外を見ていた。もう眩しくない筈なのに目を細めて、まるで睨み付けるように夕焼けを見つめている。

「あなたの命は重いんです。失ったら心が朽ち果てるほど、重いんです。でも、たつは自分の命をあまりに軽く扱っている。その温度差が大きければ大きいほど、悲しく、そして裏切られたような虚無感に襲われます。………僕は……」

 僕は、と再度言ってまた言葉に詰まった。ボルエスタは意を決して口を開く。
「僕は……もしあなたが居なくなったら、そうですね……ベテルギウスの本拠地にでも乗り込んで、討ち死にします」
 居なくなったらなんて、恐ろしくて口にも出したくなかった。正直考えたくもない。しかし目の前の友人は、言葉にしないと理解してくれないと分かっていた。

 たつとらは怒りを露わにして、ボルエスタの手を掴む。その手が細くてか弱いことが、どれほどボルエスタの心をかき乱したことか。

「馬鹿なこと……冗談でも言うな!」
 声を荒げるその口に、ボルエスタは林檎の載った匙を差し込む。たつとらは突然突っ込まれた匙に目を白黒させながら、ボルエスタを見ている。
「ベテルギウスに行って、自分が死ぬまで彼らを攻撃します。それで、終わりにします」
「んん、むぐ、そんなこと、絶対駄目だ!」

 有無を言わさず、再度たつとらの口に匙を突っ込む。拒否することもなくモグモグと口を動かすたつとらは、憎らしいほどに可愛い。

「何故ですか?僕にとっても、あなたの命は尊くて……限りなく重いんです」
 たつとらが眉を顰めながら、林檎をゴクリと飲み込んだ。途端にくぅと音が鳴って、たつとらが腹を押さえる。
 ボルエスタがふっと笑いを落として、その場に立ち上がった。

「なにか消化に良いものを作ってきますね。皆にもたつが起きたことを知らせてきます」
 途端に嫌な顔をするたつとらに、ボルエスタが眼鏡を押し上げた。
「そんな顔しても、いずれ会わないといけないでしょう?今日はいっぱい怒られなさい」

(今起きたばかりなのに……ハードだな……)
 そう思いながら頬杖をついて大げさに溜息をついた。ボルエスタは声を立てて笑いながら部屋を出ていく。


 その後、入れ替わり立ち替わり、友人たちがたつとらの部屋を訪れた。
 皆一様に泣いた後怒りをぶつけてきて、彼もただただ謝る事しかできない。

 タールマはなぜか剣を床に突き立て、下唇を噛みしめながら捲し立てた。
「もしたつが居なくなったら、その場でこの髪を剃り落として尼になり、俗世と関わらず、霞を食い苔を舐めながら、世界を呪って死んでやる」

 ルメリアは片手を自分の心臓に当てて、背を真っすぐに伸ばしたまま言う。
「私はモブとして、推しの死を回避すべく、この身を捧げる所存である」

 ミンユエはいつもの柔らかい雰囲気で、恐ろしいことを言い放った。
「君が居なくなったら、私たち兄妹は終わりです。兄はショックのあまり軍を辞めて、ただただ遊んで暮らす屑となり果てるでしょう。私はボルエスタ軍に死ぬまでこき使われる、そんな人生と成り果てます」


 そろそろ疲れてきたときに、チャンが豪快に扉を開け入ってきた。
 その手に盆が載っており、上に湯気を立てた皿が美味しそうな匂いをさせている。
 ここで登場した真打に、たつとらは仰け反りながら目を見開いた。

 チャンはドカドカとベッドに近付くと、スツールに腰掛ける。そしてたつとらをじっと見つめると、そのまま口を開いた。

「ボル太から奪い取ってきた。食わせてやる」
 食べさせてやる、と言いながらまったく優しくない口ぶりに、たつとらの顔が引き攣った。
「い、いや、もう自分で食べれ……むぐ!」
 否応なしに匙が突っ込まれ、たつとらは眉を下げながら咀嚼する。それは粥のようだった。トロトロに煮込んであるそれは、少しだけ塩味がして素朴な美味しさだ。

 チャンが粥を掬い、たつとらが飲み込むのを待っている。その視線が威圧的で、彼はゴクリと喉を鳴らしながら粥を飲みこんだ。


「たつが好きだ」

 突如チャンから飛び出した言葉に、たつとらが目を丸くし口を引き結んだ。
 態度と放つ言葉の乖離が激しすぎる。

 チャンが何食わぬ顔をして、また匙を差し出してくる。
 たつとらはそれを口にしモグモグと咀嚼して、飲みこんだ後口を開いた。

「……俺も好きだよ」
「あんたの好きとは違う」

 矢継ぎ早に訂正され、また匙を差し出される。それを素直に口に入れると、チャンは俯いて粥をかき集め始めた。

 違うと言われたたつとらは、戸惑いながら次の言葉を待つ。部屋には皿を撫でるスプーンの音しか響かない。
 何となく心地よいその音に、たつとらは硬くなった身体を少し解けさせた。

「俺のは愛だ。あんたを愛している」
「へ?」
 へ?の口に匙を差し込まれた。しかしその匙はいつまで引き抜かれないままで、チャンが喋りはじめる。

「俺はな、自分の感情に正直なんだ。ボル太みたいに我慢できない。だから先に言っておく。愛を知らないアンタに、愛とは何かを叩きこんでやる」
 口に匙が入ったままの状態で、たつとらはチャンの言葉の解釈に困っていた。

(種を残せないのに、愛が生まれるのだろうか)
 自分が誰かを愛するなど、夢物語のように感じる。生物は種を残すために愛し合うのでは無かったのか?
 疑問符が次々と浮かび、脳内は霞がかかったように朧げになる。

 そしてチャンが正面からたつとらを覗き込んだ。その瞳にはギラギラとした光が宿っており、まるで挑むかのようにたつとらを睨む。

「次、アンタが自分を軽んじたり、死を望んだりしたら、俺が殺してやる。殺して、氷漬けにして毎晩アンタを見ながら酒を飲んでやる。他の誰かと寝る時も、アンタを見ながらヤる。………覚悟して生きろ、たつ」

 たつとらは匙を噛みしめて、思わず仰け反った。
 チャンが目を細めながら、たつとらの顎を指でトントンと叩く。顎を緩めると匙が口から離れていき、チャンが満足気に笑った。

 たつとらはギギギと首をぎこちなく回すと、もう暗くなった窓の外を見つめた。
(ミンユエ……君のお兄ちゃんは、君が思った以上に……やばいぞ)

 もう嫌というほど思い知らされた。死ぬわけにはいかないらしい。
 死んだ後のことを考えると、怖気が走る。

 遠くを見つめながら達観した顔でいると、扉が壊れるほど開いた。


「兄ぃ!!!!」
 藥王の声にたつとらは頭を抱えた。
 爆弾がまだいた。
 バタバタと近寄ってくる足音に、たつとらは大きな溜息をついた。
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