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花香るラクレル

43. 預言者の急襲

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 薄く開けた視界に、見慣れない天井が映った。
(えっと、ここは…セビーナの聖堂か)
 先ほどまでの喧騒は嘘のように部屋は静まり返っていて、窓から覗くのは星空だった。
 上体を起こすと胸が鋭く痛み、息が詰まった。声を出さないように耐えるのは、多分そこにボルエスタがいると思ったからだ。

(やっぱり、いた)
 備え付けのソファをわざわざこっちに向けて、そこに彼は寝ていた。
 薄いブランケットを掛けて、手は下にだらりと垂れている。長身の彼には小さすぎるソファで、足は半分外に出てしまっていた。

(また眼鏡掛けっぱなしだ)
 静かに近づいてその眼鏡を手で摘まむと、音を立てないようにサイドデスクに置く。
 余程疲れているのかピクリとも動かない。
 たつとらは自分のベッドにあった毛布をブランケットの上から掛けた。

(そりゃ、疲れるよな)
 慣れない旅に、何かと問題ありな自分たつとらの世話。ボルエスタには大きな負担を掛けていると、たつとらは溜息をついた。

 部屋を見回し必要な物を手に取ると、そっとドアを開ける。


 廊下を経て聖堂へ出ると、プラロークが長椅子に座っていた。彼女はたつとらの姿に気が付くと、驚いて口を開いた。
「タイラ、起きて大丈夫なのか?」
「もちろん。なぁ、風呂借りていい?」
「はぁ?」
 たつとらは手にタオルを持っている。どうやら入る気満々で風呂場を探していたようだ。

「その傷で風呂なんて馬鹿なのか?」
「いや、湯には浸からないよ。シャワーだけだ。どこ?」
 顎で場所を示すと、プラロークは拗ねたようにそっぽを向いた。どうやら何を言っても無駄だと諦めたようだ。手にはグラスを持っていて、中身はどうやら酒のようだった。

「あとで付き合うよ」
 そう言いながら風呂場に消えて行くたつとらを見ながら、プラロークは顔が熱を持っているのを感じて頬を挟んだ。

 ドキドキと心臓が跳ねるのは、アルコールのせいだけではない。
 前世でも、タイラとは良く酒を飲む仲だった。彼と交わす酒は何時でも美味く、会話も楽しかった思い出しかない。

 プラロークが今生の姿に転生して物心ついたとき、襲ってきたのは巨大な喪失感だった。聖女と彼を失った事で感じた孤独は、言葉には言い表せない。

 そんな彼が生きて、ここにいて、酒を飲んでくれると言う。

 じわりと瞳に涙が湧いてくるのを感じ、彼女は乱暴に手で拭った。
(女の体は涙もろくていかん)
 プラロークは立ち上がると、食堂にグラスと彼の好きなビールを取りに向かった。


 ______

「干し肉食べたい」
「ほらよ」
 風呂から戻ったたつとらは、まだ濡れている髪に石鹸の匂いを残しながらビールのタブを開ける。
 貰った干し肉を口に銜えて「かんぱい」と笑う顔を、プラロークは口を開けて見つめた。

「怒りは治まったか?」
「治まるわけねぇだろ馬鹿」
 プラロークは緩んだ口が露呈しないように、わざと辛辣な言葉を連ねる。

「公の場では、ちゃんとした言葉遣うんだぞ?」
「言われねぇでもやってるわ!」
 慌ててグラスの酒に口を付けると、祭壇の像を見つめる。彼も同じところを見ていると感じたプラロークは、小さく呟いた。

「もうすぐ80年だぞ。彼女から聞いてるか?」
「……聞いてる」
「この力の寿命は80年だ。80年間核を静める力を使わなかった聖女は、この力と共に死ぬ運命にある」

 聖女の力は80年間、聖女が死なないように効力を発揮する。そのため聖女は何年経っても容姿は若々しいまま過ごすことになる。

 ただ80年が経つと、呪い返しのように力が牙を剥き、聖女は息絶える。
「本来ならヴィティさんがそうなる筈だった。人間の寿命と同じくして死ぬ予定だったのにな」

 黙ってビールを呷る彼を切なげに見つめたプラロークは、唇を噛みしめた。この質問を投げかけるのが怖かった。でも聞かなければ、もう最後の機会かもしれない。
「……その時、お前はどうなるんだろうな」
「さぁ?わからん」
「死ぬかもしれないんだぞ?」
「そうだなぁ……」
 彼の横顔が、薄暗い聖堂で儚げに微笑む。どれだけこの面影を探し求めたことか。それが今、目の前に、存在していることに心が震えた。

 プラロークは自身の手をたつとらの手に重ねる。彼がこちらを向いたのを確認すると、プラロークはローブを脱いだ。
 ローブの下は、下着姿しか身につけていない。薄暗い中でもはっきり分かる肌の白さは、ほんのりと赤く色づいている。

「最後だと思って、俺の望みを叶えろ。タイラ」
 プラロークは彼の手からビールの缶を奪うと、残りを飲み干して後ろに投げる。カランと音を立てて缶が落ち、プラロークの手がたつとらの肩に乗せられた。

「んん?……お前は、ヴィテさんが好きだったんじゃなかったか?」
「はぁ?鈍さは相変わらずだな……いいから抱け」

 首に巻き付いてきた腕の細さに、たつとらは驚いた。前世の彼は筋骨隆々のごつい男だったため、その違和感に苦笑いを漏らす。
 たつとらはその細い腕を優しく掴んで、首を振った。プラロークが眉を寄せ、切なげに瞳を揺らす。

「なぜだ?今生は女だ。前世のように突っ込むか突っ込まれるかなど気にしないで良いんだぞ?」
「突っ込む?突っ込まれる?そんな話したか?」
「私は常々考えていたぞ」
 プラロークが妖艶に微笑み、口を少し開けて顔を近づける。

 顔は紅潮し、瞳は潤んでいる。これで堕ちない男はいなかった。たつとらがふいと顔を背けると、プラロークは眉を寄せた。

「前世はキスぐらい許してくれただろう?」
「……いつ許した?」
「お前が泥酔していた時に奪った」
「それは合意じゃないだろ?」

 たつとらは呆れたように溜息をつくと、近くにあったプラロークのローブを手に取る。それを彼女の肩に掛けると、プラロークは腕を絡めたまま口を尖らせた。

「今生の身体は魅惑的だろ?味わっておかないと損だぞ?」
「……そういうのはいけないと、思う……」
 ふとボルエスタの顔が浮かんだ。あの怒った顔は出来ればもう見たくない。
 また苦笑いを零すと、プラロークの眉が寄った。誰かを思い出して笑っているようなその表情が、プラロークには堪らなく気に入らなかった。

「!っ……!」
 首筋に噛みつかれた事に気付き、たつとらはプラロークの肩を掴んで引き離した。プラロークは舌をペロリと出しながら、挑戦的な笑みを浮かべる。

「なんで皆俺を噛むんだ……!」
「何?……皆?他の奴にも噛まれた事が…?」
 彼女の青い目にたちまち剣呑な光が宿り始める。見た目は女性でも、中身は気性の荒い前世の男性ままだ。

「誰だ!?あの眼鏡か!?言えぇ!タイラ!」
「馬鹿、違う!!うわぁ!噛むな!!」
 耳朶の下を噛んできたプラロークを引き剥がすが、前の長椅子に彼女がぶつかりそうなのも気になった。

 椅子の上で身体を横移動して、なんとか通路であるバージンロードに脱出する。立ち上がろうとしたところを、彼女に飛びかかられてまた組み敷かれる。
「逃がさんぞタイラ!」
「はぁ、プロル……飲み過ぎだ……」

 プロル、と呼ばれたことに彼女は瞳を潤ませた。
 ローブはまたその辺に落としてきた様で、彼女はまた下着姿のままたつとらの上に跨っている。愛おしそうにたつとらの髪を撫でると、そのまま頬を包んだ。
「プロル、もう止めよう」
「止めない」
 再び覆いかぶさろうとした時、聖堂の電気がついた。

「何をしているんですか!?」
 駆け寄ってきた男は、プラロークの下着姿に驚き狼狽えた。
「プラローク様……一体何を……!?」
「……ライネロ。まだ起きていたの?」

 彼女は立ち上がると、苛立ち気にその男を見る。男は顔を赤くしながら狼狽えて、視線を右往左往させた。
 たつとらが立ち上がり彼女のローブを肩にかけると、プラロークはそれを掻き寄せ、たつとらを睨み上げる。彼は片眉を上げて微笑むと、長椅子のビールを一本持ってその場から立ち去っていった。

 男は見ていた。

 たつとらの背を見つめるプラロークの瞳が、熱を帯びているのを。
 男は血が出るほど拳を握りしめ、たつとらの背を睨み付けた。


 __________

(つかれた…)

 たつとらは念のため部屋の前でビールの蓋を開けてから、中に入る。眠ったままのボルエスタにホッとしながら、ベッドに座った。

 せっかくシャワーを浴びたのに、もみくちゃにされ服も汚れてしまっている。ビールを一口飲むと、眠気が襲ってきた。

(もう、寝よ……)
 手早く歯磨きをすると、ベッドに横になろうとして動きを止める。汚れた服でベッドに入るのは気が引けたのだ。だが着替えもない。

 ふと目の前で寝るボルエスタが目に入り、たつとらは毛布を持って立ち上がった。
 身体を毛布で包み、ソファを背にして地面に足を投げ出す。頭はボルエスタの胸あたりに乗せた。

(あったかい)
 毛布越しに伝わる彼の体温が心地いい。呼吸で上下する胸も、眠気を誘った。
(とんでもない一日だったなぁ、ねぇボルちゃん……)
 だらりと落ちている彼の指先を弄んでいるうちに、眠りに落ちていった。



 朝_____。
 心地のいい小鳥の囀りにボルエスタは目を開けた。

 天井がぼやけて見えない。昨夜の自分はちゃんと眼鏡を外して寝たらしいと、我ながら感心した。彼の看病をする夜は決まって眼鏡を掛けたまま寝落ちしていたので、珍しいこともあるもんだとベッドの方を向く。
(……?いない?)
 たつとらが寝ているはずのベッドに膨らみが無い。目を細めてみるが、やっぱり居ないようだった。

(眼鏡……)
 サイドデスクに手を伸ばそうとしたところ、胸のあたりに重みがあるのに今更ながら気付いた。掛けた覚えのない厚い毛布にも驚いたが、何より自分の胸の上に頭を預けている人物に目を疑う。

 フワフワの栗毛に通った鼻筋が見える。毛布を体に巻き付けて、脚は地面に投げ出していた。

「た……」
 彼の頭を落とさないように手を添えてサイドデスクに手を伸ばすと、眼鏡を掴んで慌ててかけた。鮮明になった視界に、眠るたつとらの姿が映る。
 胸に伝わる重みと体温に、ボルエスタの心臓が跳ね上がった。ボルエスタが身動ぎしたことで、たつとらもモゾモゾと動き出す。

「んん……」
 枕にしていたボルエスタの胸から頭を浮かせると、たつとらはぎこちなく身体を折る。

「い、たたたた……」
 胸を押さえながら胡坐をかく彼を見て、ボルエスタは飛び起きた。
「たつ!」
「あ、ボルちゃん。おは……ふぁぁ、おはぃよう」

 おはようと言ったものの、彼はまたコクリコクリと船を漕いでいる。どうやら胸の痛みより眠気が勝っているらしい。
「どうしてまたこんなところに……。ベッドへ戻りましょう」
「ん~……」
 未だ夢の淵に立つ彼の背中に手を回し、ひざ裏に手を当てる。抱きかかえられると察したたつとらが薄く目を開いた。

「ボルちゃん、俺、汚れてるから……ベッド、止めとこう」
「え?」
 まさか昨日風呂に入ってないことを気にしているのか?とボルエスタは思ったが、彼が着ている服が僅かに汚れているのに気付いた。特に背中が擦れたように汚れている。

 取り敢えずソファに横たえると、彼は幸せそうに微笑んだ。
「ふわぁ…あったけぇ」
 ボルエスタの体温が未だに残るソファに頬擦りしながら、毛布を握りしめる。

(っ……!かわ……!)
 ボルエスタは正気を保つために眼鏡を押し上げ、そのまま手首で鼻を押さえた。
 腹の底から湧き上がる様な感情に打ち震える。
(だめだ、だめだだめだ!)
 拳を作ると、眉間の辺りを軽く叩く。その行動を、たつとらはボーっと不思議そうに見つめている。

「どしたボルちゃん?体調悪い?」
「いいえ、何でも……」
 ボルエスタを心配して肩に乗せられた彼の手の甲に、僅かに走る裂傷を見つけ、ボルエスタは動きをピタリと止めた。

 昨日は無かった筈の傷を確かめるために、たつとらの手を引き寄せる。
「たつ、これは?」
「ん?……こんなのあったかな?」
 首を傾げる彼は、まだ眠いのか瞼を重そうに揺らしている。何か様子がおかしいと察したボルエスタは、彼の額に手を押し当てた。

「たつ、熱があります」
「ん?そうなの?……ごめん」
「ごめんじゃないですよ。あんな怪我をしたから当たり前です」

 毛布を首まで引き上げてやると、たつとらは目を瞑った。どうやら本当に眠いようだ。このまま寝ていた方が良いだろう。そう思っていた矢先に、彼の首筋に目が釘付けになった。
 最悪の既視感。その噛み後は二つ、くっきり痕を残していた。

 頭からさっと血の気が引いて、続いて胸が激しく鼓動を打った。歯跡がくっきりと付いていて、赤紫に変化しているそこを親指で拭うように擦る。
「たつ……これは?」
 その声に反応して彼が薄く目を開けた。しばらくボーっと考えていた彼だったが、急に思い出したようにその痕を手で覆った。

「これは、プ……なんでもないんだ!虫刺されだ!」
「プ?頭文字プなんて一人しかいないんですが……?」
「ボルちゃんボルちゃん!顔が怖いよ!」

 ボルエスタは痕を覆うたつとらの手を引き剥がし、そのままソファに縫いつける。たつとらはその手の大きさに、プラロークとの違いを感じドキリとした。

 すぐに取り払える彼女の手とは違って、堅固な強さを感じる。ボルエスタの顔が近づいてきて、たつとらは顔を歪ませた。
「か、噛まないで!」
「……噛みません」
「……ん?」
「消毒です」
 そう言うと、ボルエスタはその痕に吸いついた。むず痒いようなその感覚に、たつとらは眉を顰める。

「消毒?」
「そうです」
 もう一つの痕にも吸いつくと、離れ際に舐め上げた。
「……ひゃ、ははは」
 くすぐったいのか彼は声を立てて笑うと、ボルエスタを見上げた。

「舐めときゃ治るって、本当だったんだ」
「このタイプの傷は……まぁ、そうですね」
「なるほど、ありがとう」
 そう言いながら、たつとらは毛布を口元まで引き上げる。彼はこうして毛布などで頬を包みながら寝るのが癖のようで、寝る時はいつも目元しか出ていない。
「ちょっと、寝るね……」
 瞼を落としながら言うが、もう半分は夢の中のようだ。規則正しい寝息が聞こえ、ボルエスタは微笑んだ。

 が、すぐ真剣な眼差しに戻った。
(さて、昨夜なにがあったんでしょうねぇ……)
 この後、ボルエスタはプがつく人物に会いに行く。
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