つぎのあなたの瞳の色は

墨尽(ぼくじん)

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花香るラクレル

39. ラクレルを統べる魔神

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 「花神様。本日は女王陛下がいらっしゃいます。何やら可愛い男の子を見つけたとかで、その者も連れてこられるようですよ」

 神殿の浴場には色とりどりの花が浮かべられ、その湯からは花の香りを纏った湯気が立ち昇っている。肩まで湯に浸かっている花神は、青いウェーブの髪を水面に漂わせながら微笑む。眉までも青く、同じく青のまつ毛に縁取られた瞳は、美しく繊細なガラス細工のように色を変えた。

「グラトリアの趣味は良いから、きっと美しい子ね。楽しみだわ」
 水面に浮かぶ花びらを手で掬うと、快い水音とともに指の間から水が零れ落ちる。

(それでも、あのお方には誰も敵わない)
 輝く金の髪に、どこまでも透き通った赤い瞳。記憶の中の彼はいつだって光輝き、長い時が過ぎようとも決して褪せることは無い。
 花神は美しいものが好きだった。異形であった時も、花や蝶などを必死で観察したものだ。でも彼以上に美しいものを、花神は見たことが無い。

「来てくれなければ会えないというのは、辛いものだな」
「そうでございますね」
 側に控えている者たちも、グラトリアが見つけてきた者たちだった。皆美しく、可憐だ。しかし彼女の心を埋めてくれる人間は、この先も現れないだろう。
「分かったような口ぶりを…」
 花神はその赤い唇で弧を描くと、側にいた青年の顎を撫でる。青年は目を細め、花神を愛おしそうに見つめた。

「あら、湯浴み中でしたか。失礼いたしまいた」
 聞きなれた声が浴場に響き、花神はフンと鼻を鳴らした。青年は慌てて下がると、声の主である女王陛下へ跪く。

「グラトリア、何を今更。私は一日の半分以上を水の中で過ごすというのに」
「湯に入るのは朝と夕だけでしょう?来るのが早すぎたかしら?」
「構わない。どうせ陸にいる時と変わらないのだから」
 そう言うと、彼女は湯から尾を出した。青い鱗に覆われたその尾は、優雅に揺れると風呂の淵に凭れ掛かった。蛇のように長い尾だが、どちらかと言えば龍に近い。その青い鱗は胸まで続き、まるでドレスを纏っているかのようだ。

「今日は会わせたい人達がいるの」
「達?複数いるのか?」
「一人は、何と薬王様よ!」
 手を合わせながら花が咲いたように笑うグラトリアを、花神は呆れた目で見つつも驚きを隠せない。

「薬王が何の用だ。新種の薬草でも生えたか?」
「タックスの群れを追い払って頂いたので、引き留めました。旧知の仲だと言っていたでしょう?」
「旧知だが親しくは無いぞ。それにしても良く引き留められたな」
 トーヤを統べる薬王朱楽も、見た目はかなり美しい。あのお方が創り上げたものは、粗暴な狐であっても美しく仕上がるのだ。

「ここに通して良いぞ。その他の者も一緒で良い」
「ふふ、今回の子はとっても美しいわよ。サーシャも気に入ってる者だから、取り合いになっちゃうかしら」
「サーシャ?あの子にはアレクを与えたではないか。別れたのか?」
「そうではないけど、たくさん持ちたがる年頃だもの」
「やれやれ、とにかく通しなさい。湯が冷めてしまう」
 はいはい、と女王が合図を送ると、従者が腰を折ってその場から離れた。

 ラクレル国が出来た頃から存在する花神を、歴代の王たちは慕い続けてきた。グラトリアも花神の前では女王という身分を忘れ、少女のように甘える事が出来るこの場所は癒しの空間だった。


「お前こんな場所に住んでんのか。相も変わらず人間の真似事が好きやのぉ」
 その懐かしい声と辛辣な言葉に、花神は口の端を吊り上げた。
「朱楽、久しぶりね。あんたも相変わらず粗暴だわ」
ずかずかと近寄ってきた朱楽の後ろから、サーシャが顔を覗かせる。他の者は後方で跪いているようだ。

「花神様、おはようございます」
「サーシャ、おはよう。そなたは母上と違って挨拶が出来るようだな」
 グラトリアがふふふと笑い、サーシャは褒められたことに素直に喜んでいる。薬王が風呂の淵に腰かけて、湯を手で掬った。

「この度はどうした?なぜ私に会いに来たのだ?」
「俺かて来たくなかったわ。何でお前と会わないかんねん」
「……まあ良い。久しぶりなのだ、トーヤの事でも聞かせてくれ」
 花神は笑って言うと、後ろに跪いている者達に目を向けた。

「今日は多いな、グラトリア」
「彼らはウェリンク国から来た人たちなの。お見せしたいのはお一人だけど、みなさんとってもお綺麗なんですよ。魔神と人間が友好な関係を築いているラクレル国は、他の国の方には特別に映るみたいで、今回は同席してもらったのです」

「花神様、気に入らないでくださいね!私は心に決めているのです!」
 必死な顔をしているサーシャを見て、花神は微笑んだ。この国の王族は皆美しい。受け継がれるこの薄紅色の髪も、花神は気に入っている。
「そこまでサーシャが気に入っているとなると、とても興味が湧くな」
 サーシャが頬を膨らませ、それを楽し気に花神が見つめている。その光景を薬王はつまらなさそうに見つめている。

「お前のぉ、鼻悪くなったんか?」
「なに?」
「匂い、せぇへんか?」
「なにを……」
「あの匂いや」
 その問いに、花神は目を見開いた。息を吸い込み、視線を泳がせる。

(あの人の、匂い……!!!)
 少し何かが混じっているが、間違いなく彼の匂いがした。
 懐かしくて、胸を掻きむしりたくなる程の愛しい香り。あれほど欲した、待ち続けた面影が鮮やかに蘇る。
それは一人の男から発せられていた。その髪は栗色だが、心が、本能が彼と告げている。

 初めて見る花神の狼狽える姿に、女王もサーシャも目を丸くしている。
「顔を……見たい」
グラトリアが戸惑いながらも顔を上げるように指示し、全員が顔を上げた。

 花神の顔がくしゃりと歪み、口が九の字に折れ曲がった。まるで泣きじゃくる子供の様な顔をして、花神は息を吸い込む。
「もっと、ちかくに……」

 嗚咽にも似たその声を聞いた彼は、困った様に微笑んだ。
 その姿を見て、花神は周囲の目も顧みず泣きじゃくった。大きな瞳から止めどなく流れる涙を拭う事なく、彼女は嗚咽を漏らす。
 徐々に近づいてくる彼の姿が涙で見えないことに気付き、乱暴に手で拭った。

 ふわふわのくせ毛。弧を描く唇。少し気怠そうに歩く姿。
 花神は抱っこをせがむ子供のように、たつとらに両手を伸ばす。彼はまた困った様に笑いながらその腕を掴み、片方の手で花神の頭を優しく撫でた。

「久しぶり、葦花よしか
 その懐かしい声を聞き、花神はたつとらを抱き寄せた。湯が大きく跳ね上がり、2人を濡らす。

「うっ……ふぇっ、お待ちして……おりました……!」
 女王とサーシャが目の前で起こったことに目を丸くしている中、花神は周囲の目線もまったく気にすることなく彼に縋って泣いている。

「葦花は、葦花は…っこの100年…ずっと……」
「……ごめんね、葦花。もっと早く挨拶に来るべきだったね」
「人間が、タイラ様は消滅したと……。あなた様が死ぬわけない。でも……怖くて」
 女王もサーシャも口を開けたままポカンとしている。それに気付いたたつとらが、花神の腕を優しく叩いた。

「葦花、みんな驚いているよ。一回離して」
「はい、タイラ様……ん?これは?」
 花神がたつとらの手首の包帯を見ている。その美しい目が見開かれ、青い髪がまるで意志を持っているかのように波打った。

「どこの者か……!タイラ様を傷つけるのは……!!」
 花神の怒りに、水面も波立ち始めた。グラトリアが普段見せない花神の姿に焦りながらも駆け寄ってきた。
「花神様!彼を傷つけた者はもう捕らえて牢にいます!心を静めて下さい」
「ならぬ!ここに連れてこい!この手で引きちぎってくれるわ!」
 場にいた全員が慌てる中、薬王が笑いだした。
「そりゃぁええ!俺もそいつを殺したかったところや!」
「乗るな!朱楽。葦花、落ち着きなさい!!」
窘められた花神は眉尻を下げながらたつとらを見る。朱楽も口を尖らせながら黙った。
全身ずぶ濡れになったたつとらは前髪をかき上げて、皆の方を見た。
「じゃあ肝心の話の方を進めるけど、いいかな?」


__________

「異帝の事は聞いております。タイラ様の頼みであれば、私は命を掛けてラクレルを守りましょう」
「葦花、命は掛けないで。来たら知らせてほしい。俺が来るまで食い止められればいい」
「御意」
 湯から上がった花神は、たつとらの前で尾を巻いて顔を伏せている。脚のない彼女が跪くと、この形になるのだろう。

 女王とサーシャは、どの立ち位置に居たらいいのか困惑しているようだ。
 歴代のラクレル王が敬ってきた花神が敬う目の前の男。2人は顔を見合わせて、何から聞けばいいのか目で会話をしているようだ。さすが親子といった所だろう。

「ということで、女王陛下」
 突然話を振られ、しかもたつとらが跪いた事で女王とサーシャは狼狽える。しかも彼が跪いたことによって、剣呑な視線を2人の魔神から感じる。

「異帝は、もうどこの国を狙ってもおかしくない状況です。花神が異帝からこの国を守りますが、その際は人間側もこの子をサポートしてあげてくださいませんか?」
「わ、分かりましたから、その、お立ち下さいませ」
「?」
 たつとらが立つと、2人はホッと胸を撫で下ろした。

 そして、グラトリアは一番聞きたかったことを口にする。
「それでは……たつとら様は、花神様ともお知り合いだったという事で宜しいのですね?」
「そうですね」
 さらっと答えるたつとらに花神は眉を寄せて、納得がいかないといった顔を浮かべた。

「知り合いではない。この方は私の創造主だ」
「そ……創造主?魔神である花神様の創造主、ですか?」
 グラトリアが首を傾げたのを見て、たつとらが慌てて言い繕う。

「いや、知り合いみたいなもので……」
「創造主か、そりゃええな。俺もこないだそう言えばよかったわ」
 薬王が口を挟んできたことに、たつとらは鋭い視線を投げる。薬王は視線を逸らし、悪戯に成功した子供のように口の端が弧を描く。

 狼狽える女王の隣で、サーシャが意を決した様に口を開いた。
「あの、先ほどから花神様はたつとら様を『タイラ様』とお呼びしていますが、たつとら様はタイラ様というお名前なのでしょうか」
 娘の言葉に、グラトリアはハッとした顔になり口を押さえた。

「まさか、あの、魔神タイラ様なんてことは……!」
「そのまさかよ、グラトリア。私の主人はタイラ様、このお方である」
 グラトリアは固まっている。固まった母を見て、サーシャは目を丸くしていた。

 たつとらは少し驚いた顔をした後、首を傾げた。
「あれ?タイラってラクレルでも知られているんですか?」
「当たり前です!タイラ様といえば聖女ヴィティ様と共に核を破壊した英雄です!ヴィティ様はこの地域では最も敬愛される存在でもあります!」
「ですがお母様、タイラ様は金の髪に赤い瞳だと教わりました。たつとら様は、違うようですが……」

  の名前を聞くと、たつとらの胸は無条件で跳ねる。 
 薬王が口を開こうとしたのをたつとらは目で制すと、水に濡れて重くなった髪をもう一度かき上げた。
 もう大分良くなった手首の痛みが、重くなった心から少しだけ意識を逸らせてくれた。これなら自然に笑えそうだ、と彼は思った。

「まぁ、良いじゃないですか。俺が何であろうとこの国は守られます」
 女王陛下の前に跪くと、たつとらは女王の手を取って額に当てた。この地方で感謝の意を伝える行為であるそれは、彼には慣れたことのように映る。自然で流れるような所作に、女王は目を奪われた。

「葦花を大切にして下さって、感激の至りでございます。ラクレルの方々は、朱楽の事も認めて下さっている。この国の寛大さには頭が下がります」
 彼が顔を上げ、女王はその緑の瞳から目を逸らせずにいた。唇が弧を描き、端正な顔の青年はまるで子供のようにくしゃりと笑う。

「これからも葦花と仲良くしてあげて下さい」
「も……もちろんですわ!」
 サーシャは母の顔が赤く染まるのを見逃さなかった。嫌な予感が頭を過ぎる。

 女王はたつとらの手を掴むと、満面の笑みでサーシャを振り返る。
「サーシャ、たつとら様の事は諦めなさい!命令です」
「お、お母様!」
「別にアレクとの間に養子を取れば良いじゃない。あなたには兄がいるんだから、世継ぎ問題は焦らなくて大丈夫よ~」
「なんだ、まだ諦めていなかったのかサーシャ。駄目に決まっているだろう?この私の主だぞ?」
 女王に続き、花神まで念を押してきた。引き下がる選択肢しかない状況に、サーシャは項垂れている。

『たつとらのお婿さん事案』が解決して、ウェリンク組はホッと胸を撫で下ろした。



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