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花香るラクレル
36. ラクレルの王宮で
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『たいちん、ごめんね……ごめんねぇ……』
彼女の大きな目からポロポロと涙が流れ落ちる。その濡れた頬を拭ってあげることも、今となっては出来ない。
『私の目を見て……大丈夫、怖くない。怖くないよ……』
心臓が跳ね上がる。狂ったように動く心臓が、思考を恐怖へと塗り替える。
彼女が手に持っている〈それ〉から目を逸らすことが出来ない。
『たいちん、ほんとうに……ごめん……』
息が……
息が出来ない。
__________
苦しそうな声と荒い息遣いが僅かに耳に届いたのは、夜明け前の事だった。
たつとらと同じ部屋で寝泊まりをしていたボルエスタは、ベッドから飛び起きて彼の様子を窺う。
額に汗を浮かべながら空気を求めて呼吸を繰り返している彼は、必死で布団を掴んでいた。
そのため手首の包帯がみるみる血で染まっていくのを見て、ボルエスタは彼の両腕を優しく掴む。
「たつ!」
今だ夢の中の彼を呼び戻すために、刺激しない程度の声を掛ける。
身体を起こしてやり、自身の肩にたつとらの顎を乗せると、背中を擦って声を掛け続けた。
意識が戻ったのか彼の肩がビクリと揺れるのを感じ、ボルエスタは擦る手を強くした。
「たつ。ゆっくり、息を吸って。ゆっくりです」
たつとらは言われた通り、ゆっくり息を吸う事に努めているようだ。息が震え、もどかしそうに布団を握りしめる。
「焦らないでいいです。ゆっくり」
吸って、吐いて、と指示を出すと、彼は次第に正常な呼吸を取り戻していった。
「はは……ごめん、ボルちゃん」
「大丈夫ですよ。座れますか?」
彼を座らせて、手首の様子を見る。少し傷が開いたのかもしれない。そう判断すると、包帯を取りに立ち上がった。
「過去一番怖かった注射の夢を見た」
処置も終わり、ボルエスタはコーヒーを淹れていた。
背中から掛けられた言葉に笑いながら振り向くと、彼は窓際のスツールに腰を掛けて外を見ている。朝焼けの光がラクレルの街を照らし、家々の屋根が暗闇から顔を出していた。
「もう取り調べは終わったかな?……トーヤには、戻れるかな?」
「それは、戻らない方が良いと思ってます?」
「ボルちゃんはすごい」
そう言いながら、彼は寂しそうに笑う。
ユトさんが良くなるまで、という約束だった。頃合いの時期である事は、たつとらが一番分かっているようだ。
「昨日、ジャックさんに借りたトラックをチャンとミンユエが返しに行っています。今日タールマとルメリアも連れて、ここに来るはず。たつ、今後の事を話し合いましょう」
手渡されたコーヒーを両手で持って、まだ窓の外を見ているたつとらは口の端を横に引いた。
「……分かった。それよりボルちゃん、本当は殺し屋だったで本当?」
傾けたコーヒーカップがピタリと止まり、ボルエスタが視線だけを寄越す。
「チャンですね、そんなこと吹き込んだのは…」
「銃をぶっ放して、殺し屋の様な目をしていたって」
興味津々といった顔でたつとらは聞いてくる。ボルエスタは大げさに溜息をついた。
「殺し屋なんてしてませんよ。若い時、組織内の医者をしていたんです。組織が人の道を外れたようなことをしていたと知って、組織を抜けたんです」
うんうんと頷きながら、たつとらはコーヒーを口に運んだ。まだ片手では持てないようで、両手でカップを傾けている。
「かっこいいなぁ。チャンとボルちゃんの銃撃戦見たかったなぁ」
「学園襲撃の時見てるでしょう?」
「鬼の様な顔してたってチャンが言ってたから…」
(まったく、いつの間に吹き込んだんだあの人は…)
王宮の鐘が鳴り、朝が来たことを告げている。使用人たちが起きだして、それぞれの仕事を始める音が聞こえてきた。
「今日は皇女の侍女が訪ねてくるはずです。あなたの治療中にも何度か来ていたんですが、たつが寝ていた時だったので今日に持ち越されたんですよ」
「それが終わったら、ここ出れるかな?」
ボルエスタは小さな溜息をつきながら、少しだけ微笑んだ。
「簡単には…行かない気がします」
側にあったフルーツ盛りから葡萄を一粒口に放り込んで、たつとらは何やら考え事をしているようだ。
扉をノックする音が聞こえ、朝食の準備が出来たとの知らせが届く。王宮の者達は仕事が早いようだ。侍女が食事を持ったまま口を開いた。
「食事の後、王宮の中央庭園へお越しください。アレクサンドリア様がお待ちです」
__________
中央庭園は、それは煌びやかなものだった。大理石で作られた噴水がキラキラと輝き、四季折々の草花が咲き乱れる。どれも手入れが行き届いていて、一つも廃れた要素が見つからない。
アレクサンドリアはすぐに見つかった。侍女とは思えない程の圧倒的な存在感は、彼女の美貌故だろう。
亜麻色の髪はゆるくウェーブを描きながら腰まで届き、細い体には不釣り合いな程の豊満な胸元にはロザリオの様なものが光っている。
彼女はたつとらとボルエスタを見つけると、花開くように笑った。意外に人懐こいその笑顔は彼女の美貌とは少し食い違っているようで、またそれが魅力のようでもある。
「おはようございます。たつとら様、ボルエスタ様」
「おはよう……ございます……。ああ、あの時の!」
たつとらは、マイトの森で2人を助けたことをたった今思い出したようだ。
ラクレルの皇女とその侍女がたつとらの事を知っていて、尚且つ探し求めていたという話は彼の耳にも届いていた。
しかしその話を聞いても、たつとらは首を捻るばかりだった。
『いつの話かな?タイラ時代?あ、でもあの時代の人たちはもう死んでるか……』
次元の違いすぎる独り言を言う彼を、昨日はボルエスタは苦笑いで見守っていたのだ。
「お会いしとう御座いました」
「あの後大丈夫だった?」
「はい。あなた様に助けられた命の尊さを、日々痛感しております」
大げさだな、たつとらは笑う。アレクサンドリアはその笑顔を、愛しい者を眺めるように目を細めた。
「陣風組はどうなりましたか?」
一歩踏み出してたつとらの前に立ったボルエスタが、アレクサンドリアに問う。彼女は瞳の奥に少し影を落としながら、ボルエスタを見上げた。
「陣風組は表の顔も裏の顔もある巨大な組織です。今回はその一角を捕らえただけで、組織には何の痛手もないでしょう。市場もまだたくさんありますし、引き続き皇女が調べを続けるはずです。永人達2名は拘束しましたので、この件は一旦解決です」
「リリアは?」
たつとらの問いに、アレクサンドリアがまた笑顔を溢れさせる。
「あの日一緒にいた奴隷の少女ですね。彼女を売った親元に帰らせるのは酷なので、王宮が侍女として引き取ります。衣食住は保証しますし、教育も受けさせるつもりですよ」
たつとらが安心したように微笑むと、彼女は頬を赤らめて視線を逸らした。その仕草にボルエスタは嫌な予感を拭えない。
「じゃあ俺たち荷物をまとめて良いかな?出ていくのは早い方が良いだろ?」
笑顔でたつとらが言うと、彼女は驚いた顔をした後すぐに笑顔へ改めた。そしてボルエスタを見据えると、先ほどの人懐こい顔が嘘のように真剣な目を向ける。
「ボルエスタ様は、ウェリンク国の軍医でしたね。その他にもお仲間がいると聞きます。つい先ほど、そのお仲間が王宮に到着されました。……よろしければその皆さまもご一緒に、私と皇女からお話をさせて頂きたいのですが…」
ボルエスタは我知らず眉を顰めた。嫌な予感が的中する気がする。
「今から広間にお通し致します。もう少し遅い到着だと思っておりましたので、こうして園庭に来て頂いたのですが……結果的にお手間を取らせてしまい申し訳ございません」
そう言うと彼女は歩き出す。すれ違いざまにアレクサンドリアに見据えられ、ボルエスタは思わず固まった。
__________
「うわ~お、これがラクレルの王宮!」
ルメリアが目を輝かせながら周りをキョロキョロ見渡している。タールマも同意するように周りを見回した。
「ウェリンク王宮とは大違いだな」
ウェリンク王宮は荘厳な雰囲気であるが、ラクレル王宮は煌びやかな印象である。ラクレルの王が女王であることと関係があるのか、飾りも美しく柔らかなものが多い。
「お、俺、やっぱり家に残りゃ良かったかな…」
ジャックがオロオロしているのを見て、チャンはその背をバシバシ叩いた。
「たつの無事を確認したいって付いて来たのはおやっさんだろ~?ま~王宮なんて滅多に拝めないんだ。堪能しようぜ~」
軽口を叩くチャンを恨めし気に見つめながら、ジャックは溜息をついた。ミンユエがジャックに手を貸しながら、広間の椅子に腰かけさせる。
そうこうしているうちに、大広間の扉が開いた。
アレクサンドリアの後ろから見慣れた2人が姿を現すと、意外と元気そうな姿に一同は安心する。
「たっちゃん!心配したんだから!」
ルメリアの言葉に、彼は申し訳なさそうに笑う。そしてジャックの姿を見つけると、驚きながらも嬉しそうな顔を浮かべた。
「ジャック!チカとトキは?大丈夫だった?」
「あいつらか?今日も元気に学校行ったよ」
「そうか……良かった」
無事だとは聞いていたが心配だったのだろう。心底安心した表情を浮かべると、ジャックの隣へ座る。そして緊張気味のジャックを見て、不思議そうに首を捻った。
「たつ、お前何しでかしたんだ?この後皇女と話があるって、そんな事なら俺は来なかったよ」
「……?何もしてないけどなぁ」
大勢の足音が近づいてきたようだ。扉の方に目をやると、皇女サーシャが入ってきた。
「アレク!」
「サーシャ様!」
扉の入り口で熱く抱擁する2人は、周りの視線はまったく気にならないようだ。
2人は見つめあうと、決意したかのようにこちらを見つめた。視線の先に、たつとらがいる。
「やっとお話が出来ますね。たつとら様」
その言葉にたつとらが視線を合わせ、後ろにいたジャックが固まるのが見える。
「この国の姫様とも知らず、あの時は失礼しました。侍女の方も無事でよかった」
「何をおっしゃいますか。あなた様がいなければ私も、侍女も息絶えておりました」
ゆっくりと近づいて来る皇女に、たつとらは立ち上がる。サーシャは彼の両手を優しく握り、痛々しく残る包帯を見つめた。
「傷は大丈夫なのですか?体調はお戻りに?」
「もう大丈夫です。今日には出て行けますので、ご心配なきよう」
その言葉を聞いてサーシャはアレクサンドリアを見る。彼女は頷くと「皆さまお座りください」と促した。
皆の座る前に2人は立つと、身体を密着させ視線を上げた。まるで婚約報告のように、2人は手を握りしめている。
「数日前、マイトの森で黒竜の亜種に遭遇した際、たつとら様に助けて頂きました。縁あって再会出来たのは僥倖であり、聖女様のお導きでしょう」
ジャックが驚いたようにたつとらを見つめている。その視線に耐えられなくなったのか、彼は立ち上がり自身の髪を掻き回した。
「いや、いいんです。もう忘れて下さい。で、話はなんですか?」
髪を掻き回したせいか手首が痛んだらしく、たつとらは手をパーにしたまま顔を顰めている。何の話かは分からないが、彼は皆を巻き込むのを気にしているようだ。早めに王宮を出ていきたいのが本音だろう。
「皆さまはウェリンクの軍人だと聞きます。ではたつとら様は?」
「その様っていうのは止めて下さい。それに俺は軍人じゃないですよ」
「それは良かった!」
視線を合わせて喜ぶサーシャとアレクサンドリアに、ミンユエが首を傾げた。チャンが足を組み直しながら口を開く。
「彼が軍人じゃないことが、なぜそんなに喜ばしいのですか?」
「たつとら様が軍人だと、ウェリンク国へ許可を取らねばなりませんので」
「様はやめてって……」
「何の許可でしょうか?」
タールマが立て続けに問い、たつとらは自分を差し置いて話が進んでいることに目を丸くしている。ボルエスタが彼を座らせて、自身が立ち上がった。
「彼に何を求めているのですか?礼をして終わりではなさそうですが」
アレクサンドリアがまた瞳の奥に影を落としながら、ボルエスタを見る。サーシャが彼女の肩に手を置くと、皇族特有の威厳を匂わせながら口を開いた。
「あなたたちは彼の何です?あなた方は全員軍人でありながら、彼は違います。もしウェリンクで何かあり、彼を連れ帰って幽閉でもするつもりなら、このサーシャが彼を保護します」
ルメリアが唖然とした顔で立ち上がる。
「そんなことしない!彼は友人で、トーヤまで探しに来たんです!」
「こんな屈強そうな軍人が5人も、彼を探しに来たと?あなた方は一般兵には到底見えません。あれほど厳格なウェリンク国がそれを許したと?」
ぐぬぬ…と現実ではあまり聞かないような唸り声を上げ、ルメリアは黙り込んだ。アレクサンドリアがたつとらに視線を合わせる。
「あれほどに強いたつとら様を捕まえるために、ウェリンク国は5人も差し出したのでは?」
「え!?そうなのか?おめぇ悪いことして追われてんのか?」
ジャックに問われて、たつとらは困惑している。
「そういえば、確かに追われても仕方ないと思うけど……」
「たっちゃんは黙ってて!」
珍しくミンユエが声を張り上げて、たつとらは口を引き結んだ。ジャックも同様に黙り込む。
チャンは怒る妹の頭に手を乗せると、挑発的な笑みを浮かべて立ち上がった。
「もしそうだとして、ラクレルに干渉する権利は無いはずだ。ラクレルにこいつが守れるのか?言っとくが相当危険な物件だぞ、こいつは」
確かに、とウェリンク組が頷く。
その言葉に反発するようにサーシャが決意を目に灯して、演説でもするかのように声を張った。
「守れるとも!……たつとら様!」
いきなり呼びかけられ、たつとらが目を丸くした。
「え?何?」
サーシャがアレクサンドリアの肩を抱いて引き寄せる。
「この私と子供をつくって下さいませんか!?」
その言葉に一同唖然としたのは言うまでもない。
彼女の大きな目からポロポロと涙が流れ落ちる。その濡れた頬を拭ってあげることも、今となっては出来ない。
『私の目を見て……大丈夫、怖くない。怖くないよ……』
心臓が跳ね上がる。狂ったように動く心臓が、思考を恐怖へと塗り替える。
彼女が手に持っている〈それ〉から目を逸らすことが出来ない。
『たいちん、ほんとうに……ごめん……』
息が……
息が出来ない。
__________
苦しそうな声と荒い息遣いが僅かに耳に届いたのは、夜明け前の事だった。
たつとらと同じ部屋で寝泊まりをしていたボルエスタは、ベッドから飛び起きて彼の様子を窺う。
額に汗を浮かべながら空気を求めて呼吸を繰り返している彼は、必死で布団を掴んでいた。
そのため手首の包帯がみるみる血で染まっていくのを見て、ボルエスタは彼の両腕を優しく掴む。
「たつ!」
今だ夢の中の彼を呼び戻すために、刺激しない程度の声を掛ける。
身体を起こしてやり、自身の肩にたつとらの顎を乗せると、背中を擦って声を掛け続けた。
意識が戻ったのか彼の肩がビクリと揺れるのを感じ、ボルエスタは擦る手を強くした。
「たつ。ゆっくり、息を吸って。ゆっくりです」
たつとらは言われた通り、ゆっくり息を吸う事に努めているようだ。息が震え、もどかしそうに布団を握りしめる。
「焦らないでいいです。ゆっくり」
吸って、吐いて、と指示を出すと、彼は次第に正常な呼吸を取り戻していった。
「はは……ごめん、ボルちゃん」
「大丈夫ですよ。座れますか?」
彼を座らせて、手首の様子を見る。少し傷が開いたのかもしれない。そう判断すると、包帯を取りに立ち上がった。
「過去一番怖かった注射の夢を見た」
処置も終わり、ボルエスタはコーヒーを淹れていた。
背中から掛けられた言葉に笑いながら振り向くと、彼は窓際のスツールに腰を掛けて外を見ている。朝焼けの光がラクレルの街を照らし、家々の屋根が暗闇から顔を出していた。
「もう取り調べは終わったかな?……トーヤには、戻れるかな?」
「それは、戻らない方が良いと思ってます?」
「ボルちゃんはすごい」
そう言いながら、彼は寂しそうに笑う。
ユトさんが良くなるまで、という約束だった。頃合いの時期である事は、たつとらが一番分かっているようだ。
「昨日、ジャックさんに借りたトラックをチャンとミンユエが返しに行っています。今日タールマとルメリアも連れて、ここに来るはず。たつ、今後の事を話し合いましょう」
手渡されたコーヒーを両手で持って、まだ窓の外を見ているたつとらは口の端を横に引いた。
「……分かった。それよりボルちゃん、本当は殺し屋だったで本当?」
傾けたコーヒーカップがピタリと止まり、ボルエスタが視線だけを寄越す。
「チャンですね、そんなこと吹き込んだのは…」
「銃をぶっ放して、殺し屋の様な目をしていたって」
興味津々といった顔でたつとらは聞いてくる。ボルエスタは大げさに溜息をついた。
「殺し屋なんてしてませんよ。若い時、組織内の医者をしていたんです。組織が人の道を外れたようなことをしていたと知って、組織を抜けたんです」
うんうんと頷きながら、たつとらはコーヒーを口に運んだ。まだ片手では持てないようで、両手でカップを傾けている。
「かっこいいなぁ。チャンとボルちゃんの銃撃戦見たかったなぁ」
「学園襲撃の時見てるでしょう?」
「鬼の様な顔してたってチャンが言ってたから…」
(まったく、いつの間に吹き込んだんだあの人は…)
王宮の鐘が鳴り、朝が来たことを告げている。使用人たちが起きだして、それぞれの仕事を始める音が聞こえてきた。
「今日は皇女の侍女が訪ねてくるはずです。あなたの治療中にも何度か来ていたんですが、たつが寝ていた時だったので今日に持ち越されたんですよ」
「それが終わったら、ここ出れるかな?」
ボルエスタは小さな溜息をつきながら、少しだけ微笑んだ。
「簡単には…行かない気がします」
側にあったフルーツ盛りから葡萄を一粒口に放り込んで、たつとらは何やら考え事をしているようだ。
扉をノックする音が聞こえ、朝食の準備が出来たとの知らせが届く。王宮の者達は仕事が早いようだ。侍女が食事を持ったまま口を開いた。
「食事の後、王宮の中央庭園へお越しください。アレクサンドリア様がお待ちです」
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中央庭園は、それは煌びやかなものだった。大理石で作られた噴水がキラキラと輝き、四季折々の草花が咲き乱れる。どれも手入れが行き届いていて、一つも廃れた要素が見つからない。
アレクサンドリアはすぐに見つかった。侍女とは思えない程の圧倒的な存在感は、彼女の美貌故だろう。
亜麻色の髪はゆるくウェーブを描きながら腰まで届き、細い体には不釣り合いな程の豊満な胸元にはロザリオの様なものが光っている。
彼女はたつとらとボルエスタを見つけると、花開くように笑った。意外に人懐こいその笑顔は彼女の美貌とは少し食い違っているようで、またそれが魅力のようでもある。
「おはようございます。たつとら様、ボルエスタ様」
「おはよう……ございます……。ああ、あの時の!」
たつとらは、マイトの森で2人を助けたことをたった今思い出したようだ。
ラクレルの皇女とその侍女がたつとらの事を知っていて、尚且つ探し求めていたという話は彼の耳にも届いていた。
しかしその話を聞いても、たつとらは首を捻るばかりだった。
『いつの話かな?タイラ時代?あ、でもあの時代の人たちはもう死んでるか……』
次元の違いすぎる独り言を言う彼を、昨日はボルエスタは苦笑いで見守っていたのだ。
「お会いしとう御座いました」
「あの後大丈夫だった?」
「はい。あなた様に助けられた命の尊さを、日々痛感しております」
大げさだな、たつとらは笑う。アレクサンドリアはその笑顔を、愛しい者を眺めるように目を細めた。
「陣風組はどうなりましたか?」
一歩踏み出してたつとらの前に立ったボルエスタが、アレクサンドリアに問う。彼女は瞳の奥に少し影を落としながら、ボルエスタを見上げた。
「陣風組は表の顔も裏の顔もある巨大な組織です。今回はその一角を捕らえただけで、組織には何の痛手もないでしょう。市場もまだたくさんありますし、引き続き皇女が調べを続けるはずです。永人達2名は拘束しましたので、この件は一旦解決です」
「リリアは?」
たつとらの問いに、アレクサンドリアがまた笑顔を溢れさせる。
「あの日一緒にいた奴隷の少女ですね。彼女を売った親元に帰らせるのは酷なので、王宮が侍女として引き取ります。衣食住は保証しますし、教育も受けさせるつもりですよ」
たつとらが安心したように微笑むと、彼女は頬を赤らめて視線を逸らした。その仕草にボルエスタは嫌な予感を拭えない。
「じゃあ俺たち荷物をまとめて良いかな?出ていくのは早い方が良いだろ?」
笑顔でたつとらが言うと、彼女は驚いた顔をした後すぐに笑顔へ改めた。そしてボルエスタを見据えると、先ほどの人懐こい顔が嘘のように真剣な目を向ける。
「ボルエスタ様は、ウェリンク国の軍医でしたね。その他にもお仲間がいると聞きます。つい先ほど、そのお仲間が王宮に到着されました。……よろしければその皆さまもご一緒に、私と皇女からお話をさせて頂きたいのですが…」
ボルエスタは我知らず眉を顰めた。嫌な予感が的中する気がする。
「今から広間にお通し致します。もう少し遅い到着だと思っておりましたので、こうして園庭に来て頂いたのですが……結果的にお手間を取らせてしまい申し訳ございません」
そう言うと彼女は歩き出す。すれ違いざまにアレクサンドリアに見据えられ、ボルエスタは思わず固まった。
__________
「うわ~お、これがラクレルの王宮!」
ルメリアが目を輝かせながら周りをキョロキョロ見渡している。タールマも同意するように周りを見回した。
「ウェリンク王宮とは大違いだな」
ウェリンク王宮は荘厳な雰囲気であるが、ラクレル王宮は煌びやかな印象である。ラクレルの王が女王であることと関係があるのか、飾りも美しく柔らかなものが多い。
「お、俺、やっぱり家に残りゃ良かったかな…」
ジャックがオロオロしているのを見て、チャンはその背をバシバシ叩いた。
「たつの無事を確認したいって付いて来たのはおやっさんだろ~?ま~王宮なんて滅多に拝めないんだ。堪能しようぜ~」
軽口を叩くチャンを恨めし気に見つめながら、ジャックは溜息をついた。ミンユエがジャックに手を貸しながら、広間の椅子に腰かけさせる。
そうこうしているうちに、大広間の扉が開いた。
アレクサンドリアの後ろから見慣れた2人が姿を現すと、意外と元気そうな姿に一同は安心する。
「たっちゃん!心配したんだから!」
ルメリアの言葉に、彼は申し訳なさそうに笑う。そしてジャックの姿を見つけると、驚きながらも嬉しそうな顔を浮かべた。
「ジャック!チカとトキは?大丈夫だった?」
「あいつらか?今日も元気に学校行ったよ」
「そうか……良かった」
無事だとは聞いていたが心配だったのだろう。心底安心した表情を浮かべると、ジャックの隣へ座る。そして緊張気味のジャックを見て、不思議そうに首を捻った。
「たつ、お前何しでかしたんだ?この後皇女と話があるって、そんな事なら俺は来なかったよ」
「……?何もしてないけどなぁ」
大勢の足音が近づいてきたようだ。扉の方に目をやると、皇女サーシャが入ってきた。
「アレク!」
「サーシャ様!」
扉の入り口で熱く抱擁する2人は、周りの視線はまったく気にならないようだ。
2人は見つめあうと、決意したかのようにこちらを見つめた。視線の先に、たつとらがいる。
「やっとお話が出来ますね。たつとら様」
その言葉にたつとらが視線を合わせ、後ろにいたジャックが固まるのが見える。
「この国の姫様とも知らず、あの時は失礼しました。侍女の方も無事でよかった」
「何をおっしゃいますか。あなた様がいなければ私も、侍女も息絶えておりました」
ゆっくりと近づいて来る皇女に、たつとらは立ち上がる。サーシャは彼の両手を優しく握り、痛々しく残る包帯を見つめた。
「傷は大丈夫なのですか?体調はお戻りに?」
「もう大丈夫です。今日には出て行けますので、ご心配なきよう」
その言葉を聞いてサーシャはアレクサンドリアを見る。彼女は頷くと「皆さまお座りください」と促した。
皆の座る前に2人は立つと、身体を密着させ視線を上げた。まるで婚約報告のように、2人は手を握りしめている。
「数日前、マイトの森で黒竜の亜種に遭遇した際、たつとら様に助けて頂きました。縁あって再会出来たのは僥倖であり、聖女様のお導きでしょう」
ジャックが驚いたようにたつとらを見つめている。その視線に耐えられなくなったのか、彼は立ち上がり自身の髪を掻き回した。
「いや、いいんです。もう忘れて下さい。で、話はなんですか?」
髪を掻き回したせいか手首が痛んだらしく、たつとらは手をパーにしたまま顔を顰めている。何の話かは分からないが、彼は皆を巻き込むのを気にしているようだ。早めに王宮を出ていきたいのが本音だろう。
「皆さまはウェリンクの軍人だと聞きます。ではたつとら様は?」
「その様っていうのは止めて下さい。それに俺は軍人じゃないですよ」
「それは良かった!」
視線を合わせて喜ぶサーシャとアレクサンドリアに、ミンユエが首を傾げた。チャンが足を組み直しながら口を開く。
「彼が軍人じゃないことが、なぜそんなに喜ばしいのですか?」
「たつとら様が軍人だと、ウェリンク国へ許可を取らねばなりませんので」
「様はやめてって……」
「何の許可でしょうか?」
タールマが立て続けに問い、たつとらは自分を差し置いて話が進んでいることに目を丸くしている。ボルエスタが彼を座らせて、自身が立ち上がった。
「彼に何を求めているのですか?礼をして終わりではなさそうですが」
アレクサンドリアがまた瞳の奥に影を落としながら、ボルエスタを見る。サーシャが彼女の肩に手を置くと、皇族特有の威厳を匂わせながら口を開いた。
「あなたたちは彼の何です?あなた方は全員軍人でありながら、彼は違います。もしウェリンクで何かあり、彼を連れ帰って幽閉でもするつもりなら、このサーシャが彼を保護します」
ルメリアが唖然とした顔で立ち上がる。
「そんなことしない!彼は友人で、トーヤまで探しに来たんです!」
「こんな屈強そうな軍人が5人も、彼を探しに来たと?あなた方は一般兵には到底見えません。あれほど厳格なウェリンク国がそれを許したと?」
ぐぬぬ…と現実ではあまり聞かないような唸り声を上げ、ルメリアは黙り込んだ。アレクサンドリアがたつとらに視線を合わせる。
「あれほどに強いたつとら様を捕まえるために、ウェリンク国は5人も差し出したのでは?」
「え!?そうなのか?おめぇ悪いことして追われてんのか?」
ジャックに問われて、たつとらは困惑している。
「そういえば、確かに追われても仕方ないと思うけど……」
「たっちゃんは黙ってて!」
珍しくミンユエが声を張り上げて、たつとらは口を引き結んだ。ジャックも同様に黙り込む。
チャンは怒る妹の頭に手を乗せると、挑発的な笑みを浮かべて立ち上がった。
「もしそうだとして、ラクレルに干渉する権利は無いはずだ。ラクレルにこいつが守れるのか?言っとくが相当危険な物件だぞ、こいつは」
確かに、とウェリンク組が頷く。
その言葉に反発するようにサーシャが決意を目に灯して、演説でもするかのように声を張った。
「守れるとも!……たつとら様!」
いきなり呼びかけられ、たつとらが目を丸くした。
「え?何?」
サーシャがアレクサンドリアの肩を抱いて引き寄せる。
「この私と子供をつくって下さいませんか!?」
その言葉に一同唖然としたのは言うまでもない。
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