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花香るラクレル
35. 禁断の果実
しおりを挟む通された部屋は一通りの設備が整っていた。ボルエスタは補助を申し出た王宮の医師たちを断り、彼をベッドへ横たえた。
僅かに震える手で点滴の準備をし、たつとらの袖を捲る。そしてその腕に残る痕に、心臓が跳ね上がった。
(噛み、痕……)
ボルエスタは彼を見た。
ずっと思ってはいけないと思っていた感情が、自分の中で渦巻くのを感じる。その黒い感情は、ずぐずぐと彼を内側から侵していく。
見ないようにしていた彼の首筋に目が行くと、その先の耳朶にも赤い痕を見つける。
その扇情的な赤は、彼にあってはいけない痕だ。透き通るほどの白く無垢な肌に、あってはならない色だった。
(この首筋の痕も、この鎖骨の痕も……!)
「や……め…」
たつとらの譫言にボルエスタは意識を戻された。気が付けば目の前に彼の首筋があり、自身が彼に伸し掛かっていた事に気付く。
ボルエスタが慌てて飛び退くと、彼は自由になった手を何かに抵抗するように動かした。
苦悶の表情を浮かべ、熱に浮かされている彼に意識は無い。だが無意識に手を動かし、何かに抗っている。
「か、むな……ぁ!」
途端に彼の首筋が色を持ち、耳までが淡い赤色に染まる。
(これ……は、)
こんな表情を見せられたら、一溜りもないとボルエスタは思った。
見る者全てを煽り立てるような姿は、決して他の人間には晒してはならない。
同時にこの感情が独占欲だということも、彼は認識せざるを得なくなってしまった。
頭を振って感情を打ち消すと、抗うたつとらの腕を優しく掴む。
掴まれたことで彼の身体がビクリと跳ね、眉根が更に寄った。
「たつ!僕です……」
そう言いながら、ボルエスタはピタリと動きを止める。
(僕です……だって?)
ボルエスタは彼の首筋を見た。首筋の噛み痕の一つが、一際赤く色付いている。ボルエスタは未だ口内に残る彼の血の味に、叫び出しそうになった。
(僕だから、安心してと……彼に言うつもりか?)
一方のたつとらは、一転して大人しくなった。聞きなれたボルエスタの声に安心したのか、寄せていた眉を緩めて枕に沈み込む。
しかしその姿は、ボルエスタの罪悪感を更に掻き立てた。
(点滴を……しないと……)
震える手で、彼の腕に針を刺す。せめてもの償いのように、痛みを伴わないように。
__________
顔を真っ青にして部屋から飛び出してきたボルエスタをチャンは引き止めた。
追い詰められた顔をしている彼を引き連れて、2人は今園庭の一角に腰掛けている。
「そんで、部屋を飛び出してきたってわけだ。ボル太少年は」
チャンには一部始終を話した。話さないとどうかしてしまいそうだったのもあるし、このままでは彼の顔をまともに見れる自信が無い。
「ボル太、それはしょうがねぇ。不可抗力だ」
「は?」
チャンは達観したような目をしながら、穏やかにボルエスタを見ている。
「あいつエロいもん」
「チャン!!」
思った通りの反応に、チャンは笑いが止まらない。好き放題笑うと、眉を寄せるボルエスタを見た。
「俺はさ、自分で言うのも何だが遊び人だ。男も女も経験してるし、まぁプロだよ。そんな俺が言おう。やつはエロい。だって男とは思えないくらい腰も手首も細いだろ?なんか禁断の果実感が染み出してるんだよな」
そう言うチャンにボルエスタは責めるような目を向けた。だが今の話には頷ける部分が沢山あった。
「ボル太、怒るなよ。俺はあいつにキスしたことがある」
「は!!!???」
「ぷはっ!お前からそんな表情を引き出せるのも、アイツが居てこそだよなぁ」
狼狽える彼を見ながら、チャンは片眉を上げてニヤリと笑う。
「トーヤのバーに偵察に行った時だよ。俺結構飲んでて…クルクルと働いていたたつが俺に気付いたのは、大分酔っぱらった後だったんだ」
『あれ?チャンだ。どうしてここに?さては偵察だなぁ?』
「カウンターに肘を付いて笑いかけるたつは、それはそれは可愛くてだな。その細い腰を引っ張って俺の隣に座らせた」
『何だよ?一杯付き合えって?』
「その腰の細さにまたムラっと来ちまって、流れで顎掴んでそのままキスした。俺は小鳥キッスなんてしない主義だから、結構しっかり味わった」
「……あなたという人は…!」
「まぁ聞けよ、反応が意外だったんだ。普通慌てるか怒るかだろ?あいつ何て言ったと思う?」
『……チャン、酔ってるだろ。相手を間違ってる』
「そう言って、カウンターに立つ女性従業員を顎で指して、笑いやがった。それだけだ。それであいつは席を立って、元の通りに働き始めた。次に目を合わせた時も、何の変化もねぇ」
手が冷えたのか、チャンは両手を擦り合わせた。確かに外は寒い。ボルエスタも鼻を啜った。
「多分あいつ、過去にもこんなこと沢山あったんじゃねぇかな。じゃないとあんな反応にはならない。多分これからもあると思う。身体があんな感じだから気を付けてやんないと、そっち方面も危ないかもしれないな」
吐く息が白くて、それをボルエスタは眺めた。
「永人に……いや……何でもないです」
「……どこまでされたか気になるか?俺も気になる」
チャンはいきなり立ち上がると、王宮に向かって歩き出した。
「もしかして、たつに直接聞くつもりですか!?駄目ですよ!トラウマになってるかも……」
「いや、気になって今夜は眠れない。モヤモヤするしムラムラする。加えて寒いから室内に入りたい」
「……仕方ないですね……」
ムラムラと言う単語が気になったが、2人は急ぎ足で王宮へと向かった。
2人が揃って部屋の中に入って来たことで、たつとらは目を覚ました。まだ意識がはっきりしていないうちに、ボルエスタが素早く点滴の針を抜く。
彼は目を擦りながら微笑んだ。
「あれぇ?2人そろって、仲が良いな」
まだ完全に覚醒していないのか、くわぁと欠伸をするとまた笑みを作る。
「チャン、どしたの?何かあった?」
チャンは一歩踏み出すと、たつとらの顎に手を当て左右に動かして痕を確認する。
「む?む?」
無抵抗に動かされながらも疑問の声を漏らすたつとらに、チャンは眉を寄せて問う。
「たつ、この痕どうした?」
(チャン……ストレート過ぎやしませんか!!)
ボルエスタは一歩後退すると、口を手で覆った。彼の大胆さには度肝を抜かれる。自分には到底出来ない所業だと、ボルエスタは驚愕した。
「痕……?」
「吸われたり、噛まれたろ?」
彼は「ああ」と思い出したように言うと、顔を歪ませた。
「たまにいるんだよな、ああいう奴。痛かった……」
「たつ、その、あれだ。最後までヤラれたのか?」
流石に聞きにくいのか、チャンが首の後ろを擦りながら言葉を濁す。珍しく遠慮している彼に、たつとらは首を傾げた。
「最後って、何をされるのが最後なんだ?」
「……何って、分かるだろ?まぁ、あれだ。性交渉だよ」
歯切れの悪いチャンに、たつとらはもう一度首を傾げ眉を寄せた。
「ああゆうのの最後は性交渉なのか?俺とは種を残せないのに?」
「……あらまぁ」
チャンが口を手で覆いながら、おばちゃんのような声を上げる。そのままボルエスタと視線を合わせ、2人はゆっくり頷きあった。
2人の間で彼は「世界最強の純な生物」の認定が下りた。
こんなに純な生物に手を出すわけにはいかないと、2人は無言のまま誓いを交わし、そして彼を悪い虫から死守する意思を固めたのだった。
しかしその誓いがすぐに破られるのは、まだ先の話である。
_____________
「アレク!!アレク!!」
庭園で花の手入れをしていたアレクサンドリアは、愛しい人の声に霧吹きを置き振り返った。サーシャは溢れんばかりの笑顔を浮かべながら、彼女を抱き締める。
「あらあら、どうされました。可愛いお顔をして」
アレクサンドリアがサーシャの髪を撫でて愛おしそうに問うと、興奮した様にサーシャは言う。
「守護者様が見つかった!彼に間違いない!」
アレクサンドリアが目を丸くし、目に涙を湛えながら微笑んだ。
「やはり神様はいらっしゃいますね。これで恩に報いることが出来ます」
2人はまた抱き締め合い、その温もりを心行くまで味わった。
_____________
「あの、ボルちゃん、いつもありがとね」
ボルエスタが不思議そうに目を向けると、彼はニコニコと微笑んでいる。
適切な処置をした彼はみるみる良くなり、食事をとれるまで回復した。
「いや、ボルちゃんの処置は痛くないし、優しいってこと今回の件で痛感した」
朗らかに笑いながら言う彼の顔を見ながら、ボルエスタは胸が痛んだ。
彼の腕に残る痕は、噛んだ痕だけではなかった。注射針で乱雑に刺したような痕は、幾つもしかも乱雑に存在していた。
恐らく彼の意識のあるうちに行われたその処置は、彼の精神を抉るものであったであろう。
ボルエスタ自身も、初めてたつとらに注射しようとした時の反応は忘れられない。
苦手といった域からは外れている。あれは限局性恐怖症だ。
「怖かったでしょう?」
「……はっきり言って、手首切られた時の方がマシだった」
手をぎこちなく開いたり閉じたりしながら、たつとらは呟いた。
手首を切られ、死ぬ寸前まで失血させられ、死なない程度の処置をされ……。彼が受けた所業を聞いたミンユエは泣き出していた。
そこまでされたにも関わらず、彼はボルエスタ達に謝った。こんな失態を起こしてごめんと。
いったいどういう思考回路でこんな考えに至るのか理解に苦しむ。彼は何も悪くないのに、悪いと感じるのは何故なのか。
(ああ、そしてまたその顔をする)
いつも彼は困ったような、何かを諦めたようなそんな笑顔を浮かべるのだ。
「たつ、言っておきますけど好きにやってますからね」
「ん?」
「あなたが消えたら皆で探し出すのも、私が優しく処置するのもです」
「んん?」
首を傾げるたつとらの頬を手で固定すると、言い聞かせるようにボルエスタは言う。
「あなたが拒否しても、私たちは動きます。勝手に動いているから、あなたが気に病むことは微塵もありません。いいですか、あなたは皆から与えられるものを甘んじて受けて良いんです」
「んんん?」
頬を固定され、口がタコのようになりながら彼は首を捻っている。
「まったく困った人ですね」
ボルエスタは笑うと、時計を確認する。時計の針は夜の9時を指していた。
「さぁ、寝ましょう」
そう言いながら、ボルエスタはかつての校長の言葉を思い出していた。
『出来れば夜9時には寝てほしい!』
その言葉が、今では痛いほど分かる。
過去、色んな人がこの人を護ろうとした。だけど、皆失敗に終わっている。
(守りたい。護り通したい)
たつとらの布団を掛けながら、ボルエスタはまた新たな決意を胸に秘めた。
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