41 / 90
トーヤの風呂屋編
34. 痕
しおりを挟む
額に冷たい何かが押しあてられたのを感じて、たつとらは目を開いた。
「…ジェイ…」
額に手を当てているのはジェイで、その姿に彼は眉をこれでもかというほど顰めた。
「何だその顔は。煽ってるのか」
そう言いながらテキパキと包帯を替えていく。テキパキ過ぎて雑なくらいで、何度も鋭い痛みを味わうことになった。
「熱が高い。明後日には顧客が来る。点滴するぞ」
「……錠剤は無いのか?」
その言葉にジェイは可笑しくてしかたがないといった顔を浮かべ、包帯の始末を終えた。
「あんた、選べる立場だと思ってんのか?状態が悪いんだ。自覚しろ」
ジェイはバッグから薬液を取り出し、牢屋の格子に引っ掛けると針を取り出した。
たつとらは手錠をしているため、片手で目を覆う事も出来ない。
彼は出来る限り顔を背けて、目をギュッと瞑る事で迫りくる恐怖から少しでも逃れようと試みた。
その様子を見て、ジェイは全身がゾクゾクと湧き立つのを感じる。自身に嗜虐的な要素があるのは知っていたが、こんなにそそられるのは久しぶりだった。
顔を背けたことで、その白い首筋が露わになる。
熱のせいで僅かに桃色に染まっているそれに、ジェイは思わず齧り付いた。
熱を持ったその首筋を舐め上げ、耳朶を口に含む。その違和感に、彼はこちらに視線を投げた。
戸惑っているように眉根を寄せるその顔を見て、ジェイは下賤な笑みを浮かばせる。
「なぁあんた、自覚はあんのか?」
「なに、を……」
戸惑う瞳を端に映しながら、今度は鎖骨に歯を立てた。僅かな痛みに彼の顔が歪んだ。
「つっ……いっ…!」
もっとその顔が見たくて、強く歯を立てる。自分の行為に反応している目の前の美しい男を、ジェイは熱の籠った目で見つめた。
「エロいんだよ、あんた。喰らいつくしてぇ」
返事を待たずに、また首筋に齧り付く。そこに証を残すように執拗に噛んで、舐めて、吸った。
戸惑いの色を瞳に宿しながら耐える彼の姿は、ジェイの欲情を更に掻き立てた。
「あんた、男は初めてか?」
「……っ?」
その反応にジェイは口の端を吊り上げた。
「おいおい、あんたの周りの男は皆不能か?こんなエロい物件が転がっているってんのに」
「……?」
「可愛すぎる。あんた買うわ」
ジェイは彼に覆いかぶさると、後頭部に手を差し入れた。先ほど噛んだ方とは逆の首筋を露わにするように逆を向かせると、その無垢な首筋に噛みついた。
「…っ!か……むな…!」
「はは…煽んなよ…」
ジェイは目の前にある白く美しいそれを、自分色に染めるのに夢中になる。耳朶を噛むと、僅かに血が滲んだ。それを舌で舐めとりながら吸いつき、口内でまた少し噛む。
たつとらはそのむず痒い感覚に全身が粟立つのを感じた。嫌悪感が支配し、目の前の男に殺意すら感じる。しかし朦朧とした意識の中では、目の前の男の重みを振り払う事が出来ない。
その視線を感じたのか、ジェイは格子に掛かっていた針を手に取りちらつかせる。思わず目線を逸らしたたつとらに下賤な笑みを浮かべながら、袖を捲って露わになった二の腕に歯を立てる。
針を挿されると思っていた彼の腕がピクリと跳ね、ジェイは声を出して笑った。そして雑に針を突き立てる。
「……つっ!?」
「あ~間違っちまった……もう一回だ、ハハッ」
それはたつとらにとって地獄の様な行為だった。
針を見るだけでも恐怖で動けなくなるにも関わらず、何度も針が乱雑に刺し込まれる。わざとなのは分かっていた。相手が自分の反応を見て楽しんでいるのも分かっていた。
ただただ恐怖が頭を支配し、針がどこに刺されるのか見ることも出来ない。
ジェイはそれを何度か繰り返した後、満足したのか正規な位置に針を刺し込み、彼を見た。
地獄の様な行為が終わったと安堵しているのか、彼は荒い息をつきながらぐったりとしている。首筋から耳までが赤く染まり、はだけた鎖骨にも赤い噛み痕が点在していた。
(……くっそ、エロ……!)
だがこれ以上やると、さすがにまずいことは分かっていた。何より彼の容体は本当に芳しくなかったため、ジェイは歯噛みしながら彼の上から降りる。
ジェイが降りたことでたつとらはホッと息を吐く。点滴中も苦手な彼は、僅かな身動ぎもしまいと固まった。
「ちょっと眠れ。寝ているうちに針は外しといてやる」
その様子をリリアは怯えた様子で見ていた。視線に気付いたジェイが、リリアの足首に注目する。
「お前も診てやる。足を出せ」
その言葉にリリアは青ざめた。昨夜たつとらに治してもらった為、傷はない。もう一度傷つけられるかもと彼女は震えて縮こまる。
「ジェイ!!」
突然ケイに声をかけられたジェイは、険しい顔を牢屋の外へ向けた。
「皇女が人身売買の取り締まりをやってる!ここを離れないと!」
「うぜ……!」
ジェイが弾かれたように牢を出て、しっかり鍵を掛けた後2人は駆け出して行った。
リリアはたつとらに駆け寄ると、彼のはだけた胸元を整える。
「ありがとう、リリア」
「ごめんなさい。私、何も出来なくて……」
「謝ることない。俺は大丈夫」
リリアの頭を撫でてやりたかったが、手を持ち上げるのも億劫だった。先ほどの行為を振り払うように緩く頭を振ると(早く風呂に入りたい)の欲求ばかりが掛け巡った。
「今、上階の一般向けが捜査を受けてる!急いで抜けないと捕まる!」
サーシャ皇女は奴隷制には否定的では無かったが、非合法の人身売買などは厳しく取り締まっていた。上には合法的に集まった奴隷が集められている。そのため上階のみ調べられて終わりという事も多々ある事だった。未成年の奴隷は違法にあたるため、リリアも見つかってはならない。
しかし皇女の捜査は初めてである。ここが嗅ぎつけられる可能性も十分に考えられた。
「抜け穴から2人を連れ出すぞ!ったく何でこんな時に!何人か護衛を連れて来い!」
牢に戻ってきたジェイとケイに銃を突き付けられ、リリアは再び縮こまった。
「予定変更だ。上階に捜査が入ってるから、今から逃げる」
ジェイはたつとらの腕に刺さる針を片手で乱雑に抜きながら、銃は額に突き付けている。
「血を吐いてでも歩いてもらう」
「……オッケー、得意分野」
即答したたつとらにジェイは思わず笑みを零した。
「やっぱ面白ぇなあんた。このまま2人で逃げるか?さっきの続きがしてぇ」
耳元でそう囁かれ、胸倉を捕まれて強制的に立たされる。
たつとらは(それだけは絶対に嫌だ)と心の中で強く思いながら、促されるまま牢を出た。
__________
早朝、ボルエスタ達は奴隷市場へやってきていた。
奴隷市場は教会と隣接しており、見た目は役場の様な建物をしている。
「私たち何も悪いことしてません。みたいな顔してんな」
チャンが呟くと、隣のミンユエが激しく頷くのが分かった。
道を挟んだ向こう側から様子を窺っていると、数台の車が奴隷市場の前に停まり、中からぞろぞろと兵士が出てきた。一際豪華な車から出てきたのは女性のようだった。
薄紅色の髪を高く結い上げ、腰にタールマが持つものと似た細身の剣を佩いている。
「サーシャ皇女だ」
ミンユエが言うと、チャンが「まさしく」と頷いた。
「奴隷を買いに来た、という雰囲気じゃありませんね。摘発でしょうか」
「だろうな」
昨日調達した双眼鏡でしばらく見ていたが、中で特に騒ぎらしいものは起こってなさそうだ。
「あ!!」
大声を出したのがボルエスタだったことに2人はビックリし、彼が見ている先を双眼鏡で確認する。教会の脇から数人の武装した人間が出てくるのが見えた。
女の子が見え、銃を突き付けられているのが分かる。そしてその後に続いて出てきたのは__。
「たつ!!!」
ボルエスタが後先考えず走り出したことに、2人は唖然とした。
「馬鹿!数が多い!」
そう言いながら後を追う兄を、ミンユエも追いかけようとした。しかしなにかに気付いたように、奴隷市場に向かって大きな声を張り上げる。
「違法な人身売買が逃げます!!!!」
我ながら変な文章だと思ったが、中の兵士に届いたようだ。それを確認するとミンユエも教会に駆けた。
ボルエスタは教会に向けて疾走し、ホルスターから銃を抜き取る。適当に銃をぶっ放しながら近づくと、前にいた武装集団がシールドを形成しながら陣形を立て応戦してきた。
一方チャンは銃をぶっ放す普段は大人しい医者を追いかけながら、短剣を抜き放った。
「ボル太!無茶!」
ボル太と呼ばれたことに若干の違和感を感じながらも、ボルエスタはもう一つの銃を抜き放った。普段の彼からは想像もつかない程の殺気を垂れ流しながら口を開く。
「絶対奪還します」
「はは!了解!」
2人は弾かれたように分かれ、左右から武装集団の陣形瓦解を試みる。
左からチャンが魔法でシールドを破りながら切りかかり、右からボルエスタが魔法を乗せた銃弾を撃ち放つ。
圧倒的な力の差に、武装集団は陣形を崩しバラバラと逃げ始めた。
一方のジェイとケイは建物の陰に隠れ、リリアとたつとらに銃を突き付けながら様子を窺う。
「なんか、滅茶苦茶強い眼鏡と短剣使いが襲ってきてる!」
ケイが焦ったように言い、ジェイがたつとらの額に銃を強く突き付けた。
「あんたの仲間か?」
「特徴聞くと、多分……」
ジェイは舌打ちするとたつとらの肩を掴み、こめかみに銃を当て直した。
「下手なことするとあんたを撃つし、ケイがこの女も撃つ」
リリアが小さな悲鳴を上げ、たつとらは「分かったから怖がらすな」と言いながら眉を顰めた。
(駄目だ、熱のせいで情報が処理できない)
熱もあるが、目眩もすごい。先ほどから汗が噴き出しているのが自分でも分かった。
(まじでボルちゃんと、チャンかな?)
銃撃戦の音がやけに遠くに聞こえる。
武装集団を一掃すると、奥にいた人物が露わになった。
「武器を捨てろ!」
こめかみに銃を突き付けられているのは紛れもなくたつとらであると認識した2人は、武器をその場に置く。
それを確認したジェイが目を見開いた。
「お前、ボルエスタか?」
「…永人か?」
チャンがボルエスタを見遣り、「え!知り合い?」と声を掛ける。
「昔の職場の同僚です」
こんな物騒なやつと一緒に仕事していたというカミングアウトに、チャンは興味津々といった顔で笑った。
「永人、彼を離せ。彼は奴隷じゃないだろう」
「組織を捨てた野郎に口出されたくねぇな」
映画で見たようなシーンに、チャンはヒュウっと口笛を吹いた。武装した人間がまた数人現れ、チャンとボルエスタに銃を向ける。
ボルエスタは銃を向けられながらも、終始俯いたままのたつとらが気になって仕方がなかった。
「たつ!!聞こえますか!」
力いっぱい叫ぶとその声に反応し、たつとらが顔を上げる。
それと同時に、チャンとボルエスタに銃を突き付けていた者たちが弾かれるように後ろへふっ飛んだ。
ジェイ改め永人がたつとらを見遣る。
「あんたがやったのか?」
たつとらは青い顔に笑顔を浮かべて「ごめん、つい、無意識に」と弁解した。
「そこまでだ!!!銃を降ろして、手を上げろ!」
奴隷市場にいた兵士達がようやく登場し、彼らをぐるっと包囲する。
ミンユエがチャンの隣に並ぶと、チャンは良くやったと言うように彼女の頭を撫でた。
兵士に包囲され、永人もケイも観念したのか手を上げて銃を捨てている。たつとらは壁に背を凭れかけて、俯いていた。リリアが彼に駆け寄り、腕にしがみ付く。
ボルエスタ達は兵を押しのけてたつとらの元へ向かうと、既に兵士に拘束されたケイから手錠の鍵を受け取る。
「ちょっと、待って……座らせて」
駆け寄ってきた友人の顔に安堵するも、そのままズルズルと座り込む力しか残っていない。倒れなかっただけでも良かったと、たつとらは息を吐く。
ボルエスタは鍵で手錠を開錠すると、傷に触れないようにそれを慎重に外した。
「手首の出血による貧血。熱も出てる」
永人が拘束されながら言い、ボルエスタが睨み付けた。永人はその視線を興味深そうに見つめると、自身の唇をペロリと舐める。
「お前のそんな顔、見れると思わなかったなぁ。ごちそうさま」
その言葉に、弾けるようにボルエスタが立ち上がった。永人を殺気を孕んだ眼で睨み付けているところに、サーシャが姿を現した。
「一旦今日は奴隷だった方も身柄を保護します」
皇女サーシャのその言葉にボルエスタ達は耳を疑った。有無を言わせないといった態度の皇女に、ミンユエが抗議する。
「彼は私たちの友人です!引き取らせてください」
「じゃあ、あなたたちも来なさい。調べが済むまで……え……?」
サーシャがたつとらの姿を見たまま固まっている。顔には驚愕の表情を浮かべ、ゆっくりと彼に近づいて行く。
「サーシャ様?」
衛兵の声も聞こえないような様子で膝を折ると、たつとらの顔を覗き込んだ。
(間違いない……!)
サーシャは口を押さえ、顔を真っ赤にしている。その顔は喜びに打ち震えているようにも見えた。
そして、見るもの全てを魅了させる様な笑みを湛えさせ、口を開いた。
「やっと見つけました。私の、守護者様……!」
まずい、と思った時は遅かった。やはり皇女が探していたのはたつとらだったのだ。
「おい!ボル太!意識がないぞ!」
その言葉に再度膝を折ったボルエスタは、たつとらの状態を確認する。
真っ白な顔をした彼は、唇の色さえ失っていた。手首の傷は包帯がしてあったが、意味もないほど真っ赤に染まっている。
「すぐに病院へ!皇女!」
「では王宮へ!あそこは医療体制も整っている!」
サーシャは慌てたように立ち上がると、車の用意をするようにと指示を飛ばしている。
ボルエスタは外套を脱ぐと、たつとらを包み込んだ。いつものように抱き上げると、彼の頭は力なく後ろへ倒れる。
「……!!」
反られたことで露わになった首筋に、ボルエスタは驚愕の目を向けた。
その『痕』に心臓が早鐘を打ち、まるで血が沸騰するような感覚が湧き上がってくる。
「車へどうぞ!」
突然背後から声を掛けられ、ボルエスタは慌てて彼の身体を抱き込んだ。車に乗り込むと、用意されていた毛布で彼を首筋まで覆うように包み込む。
「王宮はすぐそこです」
運転手の声が遠くに聞こえる中、ボルエスタは揺れる心臓を押さえるように彼を抱きしめた。
「…ジェイ…」
額に手を当てているのはジェイで、その姿に彼は眉をこれでもかというほど顰めた。
「何だその顔は。煽ってるのか」
そう言いながらテキパキと包帯を替えていく。テキパキ過ぎて雑なくらいで、何度も鋭い痛みを味わうことになった。
「熱が高い。明後日には顧客が来る。点滴するぞ」
「……錠剤は無いのか?」
その言葉にジェイは可笑しくてしかたがないといった顔を浮かべ、包帯の始末を終えた。
「あんた、選べる立場だと思ってんのか?状態が悪いんだ。自覚しろ」
ジェイはバッグから薬液を取り出し、牢屋の格子に引っ掛けると針を取り出した。
たつとらは手錠をしているため、片手で目を覆う事も出来ない。
彼は出来る限り顔を背けて、目をギュッと瞑る事で迫りくる恐怖から少しでも逃れようと試みた。
その様子を見て、ジェイは全身がゾクゾクと湧き立つのを感じる。自身に嗜虐的な要素があるのは知っていたが、こんなにそそられるのは久しぶりだった。
顔を背けたことで、その白い首筋が露わになる。
熱のせいで僅かに桃色に染まっているそれに、ジェイは思わず齧り付いた。
熱を持ったその首筋を舐め上げ、耳朶を口に含む。その違和感に、彼はこちらに視線を投げた。
戸惑っているように眉根を寄せるその顔を見て、ジェイは下賤な笑みを浮かばせる。
「なぁあんた、自覚はあんのか?」
「なに、を……」
戸惑う瞳を端に映しながら、今度は鎖骨に歯を立てた。僅かな痛みに彼の顔が歪んだ。
「つっ……いっ…!」
もっとその顔が見たくて、強く歯を立てる。自分の行為に反応している目の前の美しい男を、ジェイは熱の籠った目で見つめた。
「エロいんだよ、あんた。喰らいつくしてぇ」
返事を待たずに、また首筋に齧り付く。そこに証を残すように執拗に噛んで、舐めて、吸った。
戸惑いの色を瞳に宿しながら耐える彼の姿は、ジェイの欲情を更に掻き立てた。
「あんた、男は初めてか?」
「……っ?」
その反応にジェイは口の端を吊り上げた。
「おいおい、あんたの周りの男は皆不能か?こんなエロい物件が転がっているってんのに」
「……?」
「可愛すぎる。あんた買うわ」
ジェイは彼に覆いかぶさると、後頭部に手を差し入れた。先ほど噛んだ方とは逆の首筋を露わにするように逆を向かせると、その無垢な首筋に噛みついた。
「…っ!か……むな…!」
「はは…煽んなよ…」
ジェイは目の前にある白く美しいそれを、自分色に染めるのに夢中になる。耳朶を噛むと、僅かに血が滲んだ。それを舌で舐めとりながら吸いつき、口内でまた少し噛む。
たつとらはそのむず痒い感覚に全身が粟立つのを感じた。嫌悪感が支配し、目の前の男に殺意すら感じる。しかし朦朧とした意識の中では、目の前の男の重みを振り払う事が出来ない。
その視線を感じたのか、ジェイは格子に掛かっていた針を手に取りちらつかせる。思わず目線を逸らしたたつとらに下賤な笑みを浮かべながら、袖を捲って露わになった二の腕に歯を立てる。
針を挿されると思っていた彼の腕がピクリと跳ね、ジェイは声を出して笑った。そして雑に針を突き立てる。
「……つっ!?」
「あ~間違っちまった……もう一回だ、ハハッ」
それはたつとらにとって地獄の様な行為だった。
針を見るだけでも恐怖で動けなくなるにも関わらず、何度も針が乱雑に刺し込まれる。わざとなのは分かっていた。相手が自分の反応を見て楽しんでいるのも分かっていた。
ただただ恐怖が頭を支配し、針がどこに刺されるのか見ることも出来ない。
ジェイはそれを何度か繰り返した後、満足したのか正規な位置に針を刺し込み、彼を見た。
地獄の様な行為が終わったと安堵しているのか、彼は荒い息をつきながらぐったりとしている。首筋から耳までが赤く染まり、はだけた鎖骨にも赤い噛み痕が点在していた。
(……くっそ、エロ……!)
だがこれ以上やると、さすがにまずいことは分かっていた。何より彼の容体は本当に芳しくなかったため、ジェイは歯噛みしながら彼の上から降りる。
ジェイが降りたことでたつとらはホッと息を吐く。点滴中も苦手な彼は、僅かな身動ぎもしまいと固まった。
「ちょっと眠れ。寝ているうちに針は外しといてやる」
その様子をリリアは怯えた様子で見ていた。視線に気付いたジェイが、リリアの足首に注目する。
「お前も診てやる。足を出せ」
その言葉にリリアは青ざめた。昨夜たつとらに治してもらった為、傷はない。もう一度傷つけられるかもと彼女は震えて縮こまる。
「ジェイ!!」
突然ケイに声をかけられたジェイは、険しい顔を牢屋の外へ向けた。
「皇女が人身売買の取り締まりをやってる!ここを離れないと!」
「うぜ……!」
ジェイが弾かれたように牢を出て、しっかり鍵を掛けた後2人は駆け出して行った。
リリアはたつとらに駆け寄ると、彼のはだけた胸元を整える。
「ありがとう、リリア」
「ごめんなさい。私、何も出来なくて……」
「謝ることない。俺は大丈夫」
リリアの頭を撫でてやりたかったが、手を持ち上げるのも億劫だった。先ほどの行為を振り払うように緩く頭を振ると(早く風呂に入りたい)の欲求ばかりが掛け巡った。
「今、上階の一般向けが捜査を受けてる!急いで抜けないと捕まる!」
サーシャ皇女は奴隷制には否定的では無かったが、非合法の人身売買などは厳しく取り締まっていた。上には合法的に集まった奴隷が集められている。そのため上階のみ調べられて終わりという事も多々ある事だった。未成年の奴隷は違法にあたるため、リリアも見つかってはならない。
しかし皇女の捜査は初めてである。ここが嗅ぎつけられる可能性も十分に考えられた。
「抜け穴から2人を連れ出すぞ!ったく何でこんな時に!何人か護衛を連れて来い!」
牢に戻ってきたジェイとケイに銃を突き付けられ、リリアは再び縮こまった。
「予定変更だ。上階に捜査が入ってるから、今から逃げる」
ジェイはたつとらの腕に刺さる針を片手で乱雑に抜きながら、銃は額に突き付けている。
「血を吐いてでも歩いてもらう」
「……オッケー、得意分野」
即答したたつとらにジェイは思わず笑みを零した。
「やっぱ面白ぇなあんた。このまま2人で逃げるか?さっきの続きがしてぇ」
耳元でそう囁かれ、胸倉を捕まれて強制的に立たされる。
たつとらは(それだけは絶対に嫌だ)と心の中で強く思いながら、促されるまま牢を出た。
__________
早朝、ボルエスタ達は奴隷市場へやってきていた。
奴隷市場は教会と隣接しており、見た目は役場の様な建物をしている。
「私たち何も悪いことしてません。みたいな顔してんな」
チャンが呟くと、隣のミンユエが激しく頷くのが分かった。
道を挟んだ向こう側から様子を窺っていると、数台の車が奴隷市場の前に停まり、中からぞろぞろと兵士が出てきた。一際豪華な車から出てきたのは女性のようだった。
薄紅色の髪を高く結い上げ、腰にタールマが持つものと似た細身の剣を佩いている。
「サーシャ皇女だ」
ミンユエが言うと、チャンが「まさしく」と頷いた。
「奴隷を買いに来た、という雰囲気じゃありませんね。摘発でしょうか」
「だろうな」
昨日調達した双眼鏡でしばらく見ていたが、中で特に騒ぎらしいものは起こってなさそうだ。
「あ!!」
大声を出したのがボルエスタだったことに2人はビックリし、彼が見ている先を双眼鏡で確認する。教会の脇から数人の武装した人間が出てくるのが見えた。
女の子が見え、銃を突き付けられているのが分かる。そしてその後に続いて出てきたのは__。
「たつ!!!」
ボルエスタが後先考えず走り出したことに、2人は唖然とした。
「馬鹿!数が多い!」
そう言いながら後を追う兄を、ミンユエも追いかけようとした。しかしなにかに気付いたように、奴隷市場に向かって大きな声を張り上げる。
「違法な人身売買が逃げます!!!!」
我ながら変な文章だと思ったが、中の兵士に届いたようだ。それを確認するとミンユエも教会に駆けた。
ボルエスタは教会に向けて疾走し、ホルスターから銃を抜き取る。適当に銃をぶっ放しながら近づくと、前にいた武装集団がシールドを形成しながら陣形を立て応戦してきた。
一方チャンは銃をぶっ放す普段は大人しい医者を追いかけながら、短剣を抜き放った。
「ボル太!無茶!」
ボル太と呼ばれたことに若干の違和感を感じながらも、ボルエスタはもう一つの銃を抜き放った。普段の彼からは想像もつかない程の殺気を垂れ流しながら口を開く。
「絶対奪還します」
「はは!了解!」
2人は弾かれたように分かれ、左右から武装集団の陣形瓦解を試みる。
左からチャンが魔法でシールドを破りながら切りかかり、右からボルエスタが魔法を乗せた銃弾を撃ち放つ。
圧倒的な力の差に、武装集団は陣形を崩しバラバラと逃げ始めた。
一方のジェイとケイは建物の陰に隠れ、リリアとたつとらに銃を突き付けながら様子を窺う。
「なんか、滅茶苦茶強い眼鏡と短剣使いが襲ってきてる!」
ケイが焦ったように言い、ジェイがたつとらの額に銃を強く突き付けた。
「あんたの仲間か?」
「特徴聞くと、多分……」
ジェイは舌打ちするとたつとらの肩を掴み、こめかみに銃を当て直した。
「下手なことするとあんたを撃つし、ケイがこの女も撃つ」
リリアが小さな悲鳴を上げ、たつとらは「分かったから怖がらすな」と言いながら眉を顰めた。
(駄目だ、熱のせいで情報が処理できない)
熱もあるが、目眩もすごい。先ほどから汗が噴き出しているのが自分でも分かった。
(まじでボルちゃんと、チャンかな?)
銃撃戦の音がやけに遠くに聞こえる。
武装集団を一掃すると、奥にいた人物が露わになった。
「武器を捨てろ!」
こめかみに銃を突き付けられているのは紛れもなくたつとらであると認識した2人は、武器をその場に置く。
それを確認したジェイが目を見開いた。
「お前、ボルエスタか?」
「…永人か?」
チャンがボルエスタを見遣り、「え!知り合い?」と声を掛ける。
「昔の職場の同僚です」
こんな物騒なやつと一緒に仕事していたというカミングアウトに、チャンは興味津々といった顔で笑った。
「永人、彼を離せ。彼は奴隷じゃないだろう」
「組織を捨てた野郎に口出されたくねぇな」
映画で見たようなシーンに、チャンはヒュウっと口笛を吹いた。武装した人間がまた数人現れ、チャンとボルエスタに銃を向ける。
ボルエスタは銃を向けられながらも、終始俯いたままのたつとらが気になって仕方がなかった。
「たつ!!聞こえますか!」
力いっぱい叫ぶとその声に反応し、たつとらが顔を上げる。
それと同時に、チャンとボルエスタに銃を突き付けていた者たちが弾かれるように後ろへふっ飛んだ。
ジェイ改め永人がたつとらを見遣る。
「あんたがやったのか?」
たつとらは青い顔に笑顔を浮かべて「ごめん、つい、無意識に」と弁解した。
「そこまでだ!!!銃を降ろして、手を上げろ!」
奴隷市場にいた兵士達がようやく登場し、彼らをぐるっと包囲する。
ミンユエがチャンの隣に並ぶと、チャンは良くやったと言うように彼女の頭を撫でた。
兵士に包囲され、永人もケイも観念したのか手を上げて銃を捨てている。たつとらは壁に背を凭れかけて、俯いていた。リリアが彼に駆け寄り、腕にしがみ付く。
ボルエスタ達は兵を押しのけてたつとらの元へ向かうと、既に兵士に拘束されたケイから手錠の鍵を受け取る。
「ちょっと、待って……座らせて」
駆け寄ってきた友人の顔に安堵するも、そのままズルズルと座り込む力しか残っていない。倒れなかっただけでも良かったと、たつとらは息を吐く。
ボルエスタは鍵で手錠を開錠すると、傷に触れないようにそれを慎重に外した。
「手首の出血による貧血。熱も出てる」
永人が拘束されながら言い、ボルエスタが睨み付けた。永人はその視線を興味深そうに見つめると、自身の唇をペロリと舐める。
「お前のそんな顔、見れると思わなかったなぁ。ごちそうさま」
その言葉に、弾けるようにボルエスタが立ち上がった。永人を殺気を孕んだ眼で睨み付けているところに、サーシャが姿を現した。
「一旦今日は奴隷だった方も身柄を保護します」
皇女サーシャのその言葉にボルエスタ達は耳を疑った。有無を言わせないといった態度の皇女に、ミンユエが抗議する。
「彼は私たちの友人です!引き取らせてください」
「じゃあ、あなたたちも来なさい。調べが済むまで……え……?」
サーシャがたつとらの姿を見たまま固まっている。顔には驚愕の表情を浮かべ、ゆっくりと彼に近づいて行く。
「サーシャ様?」
衛兵の声も聞こえないような様子で膝を折ると、たつとらの顔を覗き込んだ。
(間違いない……!)
サーシャは口を押さえ、顔を真っ赤にしている。その顔は喜びに打ち震えているようにも見えた。
そして、見るもの全てを魅了させる様な笑みを湛えさせ、口を開いた。
「やっと見つけました。私の、守護者様……!」
まずい、と思った時は遅かった。やはり皇女が探していたのはたつとらだったのだ。
「おい!ボル太!意識がないぞ!」
その言葉に再度膝を折ったボルエスタは、たつとらの状態を確認する。
真っ白な顔をした彼は、唇の色さえ失っていた。手首の傷は包帯がしてあったが、意味もないほど真っ赤に染まっている。
「すぐに病院へ!皇女!」
「では王宮へ!あそこは医療体制も整っている!」
サーシャは慌てたように立ち上がると、車の用意をするようにと指示を飛ばしている。
ボルエスタは外套を脱ぐと、たつとらを包み込んだ。いつものように抱き上げると、彼の頭は力なく後ろへ倒れる。
「……!!」
反られたことで露わになった首筋に、ボルエスタは驚愕の目を向けた。
その『痕』に心臓が早鐘を打ち、まるで血が沸騰するような感覚が湧き上がってくる。
「車へどうぞ!」
突然背後から声を掛けられ、ボルエスタは慌てて彼の身体を抱き込んだ。車に乗り込むと、用意されていた毛布で彼を首筋まで覆うように包み込む。
「王宮はすぐそこです」
運転手の声が遠くに聞こえる中、ボルエスタは揺れる心臓を押さえるように彼を抱きしめた。
20
お気に入りに追加
209
あなたにおすすめの小説
魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます
綾月百花
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
下げ渡された婚約者
相生紗季
ファンタジー
マグナリード王家第三王子のアルフレッドは、優秀な兄と姉のおかげで、政務に干渉することなく気ままに過ごしていた。
しかしある日、第一王子である兄が言った。
「ルイーザとの婚約を破棄する」
愛する人を見つけた兄は、政治のために決められた許嫁との婚約を破棄したいらしい。
「あのルイーザが受け入れたのか?」
「代わりの婿を用意するならという条件付きで」
「代わり?」
「お前だ、アルフレッド!」
おさがりの婚約者なんて聞いてない!
しかもルイーザは誰もが畏れる冷酷な侯爵令嬢。
アルフレッドが怯えながらもルイーザのもとへと訪ねると、彼女は氷のような瞳から――涙をこぼした。
「あいつは、僕たちのことなんかどうでもいいんだ」
「ふたりで見返そう――あいつから王位を奪うんだ」
【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい
春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。
そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか?
婚約者が不貞をしたのは私のせいで、
婚約破棄を命じられたのも私のせいですって?
うふふ。面白いことを仰いますわね。
※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。
※カクヨムにも投稿しています。
婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ!
タヌキ汁
ファンタジー
国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。
これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる