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トーヤの風呂屋編

33. 術中に嵌る

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 用意された車には女性と男性が乗っていた。
たつとらが乗り込むと、男も乗り込む。運転手はもう運転席で待機しているようだ。
女性は気を失っているようだった。右の足首に包帯を巻いており、血が滲んでいる。

「その人も、奴隷にされるのか?」
荷台のドアを閉めながら、男は「ああ」と返事をした。
「逃げられないように足首をちょっと切った。あんたと比べりゃ軽いもんだ。ジェイ、ちょっと診てやってくれ」
先に乗っていたもう一人の男、ジェイに男が声をかける。

この男の仲間らしいジェイは鋭い視線を男へ向けた。短髪で切れ長の目をしており、先ほどの男よりも威圧感がある。
ジェイは気怠そうに近寄ると、たつとらの手首を巻く上着を解いていく。上着は既に血で重くなっており、解いている途中で溜まっていた血が滴り落ちた。
「ケイ、やりすぎだ。これじゃ神経までいってるぞ」
「わり……加減が分かんなくなって」
ジェイはたつとらの傷を確認した後、大きめの布を出してまたグルグルと巻き始めた。
「しばらく我慢しろ。危なくなったら処置する」
「分かった」

車が動き出したのを感じ、たつとらは壁に凭れかかった。
ふと目の前に経口補水液の入ったペットボトルを差し出され、たつとらは眉を寄せる。ジェイは渋い顔をされたことに渋い顔をして、キャップを外してあるそれを無理矢理彼の口に押し込んだ。
「何だ、嫌いか?脱水すると厄介だから飲め」
ストローさしてくれたら飲みやすいのに、と思いながらも彼は苦手なその液体を喉に押し込む。車が揺れているせいか口の端から液が漏れ、たつとらは更に眉間に皺を寄せた。
「冷たい」
口からペットボトルが離れ、たつとらが不満を口にする。なぜかジェイはニヤリと笑っている。
「あんた冷静だな。拉致られてること分かってんのか?」
口の端を吊り上げたジェイは、そのペットボトルに口を付け飲み干した。たつとらはやたらとニヤニヤするジェイの視線を避けると、ケイと呼ばれる男の方に目線を向ける。
「……あとどれくらいで着く?」
「ああ、異形に襲われなきゃ、1時間で着くんだがな。マイトは異形が多くてかなわん」
ケイが意識を失っている女性をニヤニヤ見ながら答えてくる。その視線に嫌気が差す彼は、会話で意識を逸らせようと話を続けた。
「もう、あまり強い異形は出ないと思うぞ。多分」
「なんでだよ。亜種もいるんだぞ」
「……一番強い亜種は、討伐隊が駆逐したんじゃないか?」
「へぇ!ラクレルの兵も役に立つもんだなぁ!」

心臓の鼓動と同じリズムで両手首がジンジン痛む。しかしチカとトキの安否の方が頭を支配していた。
(そういえば、駿はどうしてるかな)
思えば魔神にしてから会っていない。魔徒の作り方とかは分かっているはずだから、徐々に森は良くなっていくだろう。

ケイの意識が彼女から逸れ、欠伸をしている。たつとらは息を付くと、目を瞑った。
身体が怠い、流れ出る血が確実に体力を奪っているのが分かる。
(人間の身体は、脆い)
しかし自身の身体は失血しても死なない事を、たつとらは十分理解していた。死ぬほどの失血でも死ぬことは無いが、身体は動かなくなるし常人と同じような治療が必要になる。放っておいても時間はかかるが治るのも経験済みだ。
(便利なのか、そうじゃないのか…)
たつとらは深いため息をついて、車の揺れに合わせて車体に頭を打ちつけた。


__________

身体を凭れかけていたたつとらがズルズルと横になったのを見て、ジェイは彼の様子を窺う。
青い顔に汗が浮かんでいる。呼吸は浅く早い。首筋に手を当て、脈が速く弱いことを確認する。触られたことに彼は目を薄く開けるが、声を発することは無かった。
「あんた、命乞いとかしろよ。死にかけてんじゃねぇか」
ケイが慌てて飛び起きた。死なせたらまずい、と口走りながら狼狽えている。
そもそもこんな傷を与えたのが悪いのだ。ジェイはケイを睨み付けると「俺の鞄を取れ」と殺気を孕んだ声で言った。
血で重くなった布を解いて傷を確認すると、血は染み出しているが流れ出てはいない。包帯で圧迫するように巻くと、さすがに痛いのか彼が細く息を吐くのが分かった。

「今更だけど抗生物質打つぞ」
ジェイがそう言いながら左の袖を捲ると、たつとらはそれを驚愕の目で見る。
その反応にジェイは目を丸くすると。手に持っている注射器を爪で弾いた。
「まさか、こんな傷負っておいて、注射が苦手……とか言わないよな?」
たつとらは注射器の針を怯えた目で見た後、目を瞑り顔を背ける。青白い顔ながら、首筋には恐怖のせいか赤みがさしていた。
怯えるその姿はジェイの支配欲を掻き立てる。加えてその白い首筋は、男のそれとは思えないほどの色香を含んでいるように感じた。

ジェイは舌なめずりをして、彼の耳朶を揉み潰す。恐怖に支配されたたつとらはその行為に気付く事もないが、赤く充血した耳朶が更にジェイを煽った。
注射器の液を少し抜き、サディスティックな表情を浮かべてジェイは恍惚な表情を浮かべる。

ケイはそれを見て身震いしながらも、ジェイが楽しそうで(自分に累が及ばないようで)何よりと思った。


__________

「薬王様、お茶をどうぞ」
出されたお茶を横目で見ながら、人間はつくづくお気楽なもんだと彼は思う。
「いらん」
雑に返した言葉にルメリアが威嚇してくるのを見ると、薬王は心底イライラした。
たつとらの危機は過去にも数多くあった。でも彼は死なないのを知っているし、滅茶苦茶強いのも知っている。
そんな彼が危機に陥るのは、決まって人間のせいだった。

(兄ぃが本気出したら、人類なんて一瞬やのに)
こんなことを自分が考えているのを知ったら、彼は酷く悲しむに違いない。
今すぐ目の前にいる人間たちを殺して、トーヤを滅ぼし、ラクレルも滅ぼし、彼の悩みの種を一掃してしまえばとさえ思う自分を、彼はどう思うだろう。
彼はそんな自分を突き放さず、諭し、導こうとするだろう。ひどく胸を痛めている顔を隠しながら「朱楽、人間は敵じゃないよ」と優しい声で言うだろう。
力でねじ伏せるのは簡単なのに、異形相手に人間を理解してもらおうと彼は必死になる。そのくせ自分の想いを押し付けている事に、彼は胸を痛めるのだ。

「俺は茶なんて飲まへんねん。無駄や」
「あんた言い方考えなさいよ」
ルメリアが言い、薬王が鼻をふんと鳴らす。穏やかでない雰囲気が漂うリビングに耐えかねたのか、ユトが話題を変えた。
「たつがお願いしてくれたんですね、あの竜湯草。ありがとうございました。あれのお陰で喘息が良くなりました」
(竜湯草、あああれか)
一晩で生やせと言われた薬草を、必死で生やした記憶は新しい。時期じゃない薬草を生やすのは骨が折れた。
黙り込んでいる薬王のお茶を引き取りながら、ユトは続けた。
「本当にこの地を守ってくださり感謝しています。薬王様とヴィティ様のご加護がこの地を支えています」

(ヴィティ……)
驚いたように視線を合わせてきた薬王に、ユトは失言したかとオロオロしている。薬王はすぐに視線を逸らすと、小さな声で呟いた。
「あの女の名前、兄ぃの前では控えてな」
捨て台詞のように言うと寝室に消えていく薬王に、ユトは更に狼狽える。
「大丈夫、大丈夫。ユトさん気にしないで!あの狐は気まぐれなのよ」
ルメリアが言い、薬王の飲まなかったお茶を代わりに飲むと申し出た。必死で取り繕うルメリアをよそに、タールマは薬王の反応が気になっていた。
(ヴィティって、ディード一行にいた聖女ヴィティ…?)
拒否反応とも言っていいほどの対応だったと思い返す。
外は暗くなり始めていた。チャンとボルエスタからの報告はないままだ。焦燥感に駆られながらも、今日は一晩不安に過ごすしかなさそうだった。



__________

16歳になったら奴隷として売られる。
リリアは小さな頃からそれを聞いていたので、覚悟はしていたはずだった。でも実際その日が来てしまうと、恐怖心から逃げてしまったのだ。その結果捕まった挙句足首を切られ、意識を失った事までは覚えている。
目が覚めると牢屋におり、隣にはリリアにとっては見知らぬ男であるたつとらが横たわっていた。

(なんて綺麗な人だろう)
顔を覗き込んで思わず赤面してしまった自身が恥ずかしくて、リリアは途端に反対側に後ずさりしてしまう。急な動きに足首が痛み声を上げてしまった事で、たつとらがモゾモゾと動いた。
身体をリリアに向けた彼が、目を開ける。暗い牢屋の中でも分かる綺麗な緑の瞳だった。
「あ……気が付いたんだね……」
それはこちらの台詞では?とリリアは思いながらも、一応警戒する。
たつとらは襲い来る痛みを、息を吐くことで逃しながら彼女を見た。足の包帯の血の染みが大きくなっているのが見える。
「痛そうだね、それ。大丈夫?」
明らかに自分より大丈夫そうじゃない彼に心配され、警戒心がごっそりと削ぎ落とされたリリアは素直に頷いた。
「大丈夫、歩けないけど……」
その言葉に酷く胸を痛めたような表情を彼は浮かべ「ちょっと触っても良い?」と手を伸ばしてきた。

手錠をしている両手首に包帯が巻かれていて、痛々しく血が滲んでいる。手錠をされていてこんな傷を負っているのなら、何も悪いことはして来ない筈だと彼女は判断した。
返事がないことを了承としたのか、彼女の足首にたつとらは触れる。青に近い紫色の光が足首を覆い、痛みが引いたのを感じた彼女は目を丸くした。
「包帯は、そのままにしといて。彼らにばれるといけないからね」
「うそ?治癒魔法ですか?あなた一体何者?」
「名前はたつとらだよ。君の名を聞いても良い?」
「……リリアといいます」
「リリア……ユリの花だね。良い名前だ」
リリアは金髪で碧眼の少女だった。彼女が歩いていれば、すれ違った者は必ず振り返るような美貌だ。
(こんな子供を奴隷にするなんて)
たつとらは眉を顰め、同時に牢屋に入れられるまでの一連の流れを思い出し唸った。

(結局2回も注射された…)

『おい、点滴も苦手か…?お前今までよく生きて来れたな』
などと意味不明の事を言われ、半ば強制的に針を挿し込まれた。薬液には眠剤も入っていたのかもしれない。直に眠気が襲ってきて、目が覚めたのが今である。
ボルエスタは彼が意識のある間は注射を避けてくれていた。たつとらが彼の優しさを痛感した出来事でもあるが、そもそも拒否できる立場では無いのも事実だ。

今だ痛みの引かない手首と朦朧とする意識は、彼らが最低限の薬剤を使っての治療をしていることが窺える。おまけに発熱と悪寒がここぞとばかりに彼を苦しめた。
ここに着いたときにケイがチカとトキ2人の無事を約束してくれたのだが、考えてみればそれを確認する術はない。
もう無理矢理脱出するしか無いのかもしれないが、身体が持つかどうかたつとらにも図りかねた。しかもリリアという保護すべき子までいるのだ。
加えて、手の平が麻痺した様に痺れている。完全に神経がやられているようだった。
見事に彼らの術中に嵌ったといえるだろう。
(皆、怒っているだろうな…)
時刻はもう夜だろうか。こうなれば一晩寝て、明日少しでも体調が良くなるのを願うしかなかった。


__________

陣風組の本部を探し始めて数時間、チャンたちは途方に暮れていた。
聞いたところ陣風組はラクレルに広く根を広げており、国王もその存在を知っている様だった。つまりは表向きは良い組織として活躍しているという事だ。そのため活動拠点は多岐にわたり、どこにたつとらが捕らえられているのか見当もつかなかった。
もう日が暮れ始めたので、酒場で情報収集することにした彼らは、一番賑わっている酒場へと入った。
「明日はルーとタールマも呼んで、手分けして探さねぇと…」
「人身売買の線が濃厚ですから、噂が無いかもっと探りましょう」

ラクレルの街はまだ皇女サーシャの祝いムードが続いているようだった。彼女は就任から目ざましい活躍をしているらしく、亜種の討伐成功も皇女の手柄となっているようだった。
「ちゃっかりしてる。たっちゃんがあんなに頑張ってたのに」
ミンユエは納得できないといった様子で、ビールに口を付ける。顔に似合わず酒豪な彼女は、チャンと同じくらいの量を飲み干しているようだ。

チャンが席を立ち、カウンターに向かった。カウンターで飲んでいる男たちに一瞬で溶け込むと、間もなく席へ戻ってきた。
「一般向けの奴隷市場なら分かった。望み薄だが、明日行ってみよう」
奴隷市場という最悪な名前だが、ラクレルではそこまで禁忌ではないらしく奴隷も働き手として受け入れられている。奴隷にも最低限の人権があり、迫害したら刑罰まであるようだ。
しかし一般人を奴隷に引き入れるのはどう考えても犯罪である。
明日の奴隷市場で、『闇の奴隷市場』の情報をどれだけ仕入れられるのかが勝負所のようだ。

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