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トーヤの風呂屋編
26. 竜湯草とローズマリー
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東の大都市[ラクレル]は、産業が盛んな都市だ。発展した技術で、街並みもウェリンクとは違いひと際明るい。
ルメリアはホゥっと息を吐いた。
「来たかったのよね!発展都市ラクレル!」
ミンユエがコクコク頷き、タールマが寒そうに手に息を吐いた。
「寒いな、早いとこ宿を決めよう」
「もう手配してある」
そう答えたのはチャン秘書だ。
ウェリンクを出る前、チャン秘書が門で待っていたのには全員が驚いた。
『お兄ちゃん、どうしたの?』
ミンユエが驚いた顔で問うと、チャン秘書は呆れ顔で答えた。
『お前が心配だったに決まっているだろう。まったく』
チャン秘書は笑って答えると、ボルエスタが『ドグラムス家は良いんですか?』と問うた。
『休暇を貰ってきたよ。妹は心配だし、校長の願いはあの人の安寧だからね。それを叶えるためにも一行に加えていただきたい。チャンと呼んでくれ』
こうしてチャンが一行に加わることになった。
一番喜んだのはボルエスタである。女性3人と男1人の旅はさすがに気まずかった。
「さすがチャンさんね!」
ルメリアが喜び、ミンユエがニコリと笑う。
宿に入ると早々に5人は食事を頼んだ。
1階が酒屋になっている良くある作りだ。そこそこ賑わっており、美味しそうな香りが鼻をくすぐる。
ボルエスタが適当に料理を注文すると、すぐに飲み物が運ばれてきた。
「それで、どうしましょうか?」
ボルエスタが口を開くと、ルメリアが飲み物に口を付けながら答える。
「私思うんだけど、もしたっちゃんが街をウロウロしていたらすぐ見つかると思うんだよね」
「ああ、あの容姿だもんな」
チャンが運ばれてきたビールを呷ると、ミンユエがその様子に眉を寄せる。
「お兄ちゃんあまり飲み過ぎないでね」
そう言うミンユエにニコニコしているチャンは、秘書をしていた頃とは別人のようだ。
「だとすると聞き込みが一番だろうな」
タールマが運ばれてきた料理をテーブルに並べ直し、皿を配り始めた。ボルエスタが礼を言いながらも口を開く。
「とはいえあの怪我だと、当分出歩けないはず。薬王の所在を聞いたほうが早いかもしれませんね」
隣のテーブルを拭く給仕に、チャンは声を掛けた。
「トーヤに行くにはどうしたらいい?」
忙しくしていた給仕だったが働くことに飽きていたのか、その顔に人懐こい笑顔を浮かべた。
「トーヤか、なぜあんな所。関所もないし北の森を抜ければすぐ着くが、森に異形が多く出るから注意したほうがいい。なぁ、それより明後日までここに滞在したほうがいいぞ」
「なぜだ」とタールマが聞くと、給仕はなぜか顔を赤くして答える。
「明後日はこの国の姫の誕生日なんです。18歳になるので成人の儀が行われ、街はお祝いムードになります。盛大なお祭りなので見逃せば損ですよ!」
「……お前は美女の前だと敬語になるのか」
チャンが片眉を吊り上げて言うと、その顔に怯えたように給仕は去って行った。
去っていく給仕にチャンは舌打ちをすると、大皿の料理をひょいひょいとミンユエの皿に移す。ボルエスタはクスリと笑った。
「チャンさんは、秘書の時とは別人みたいですね。たつの事は怖くないのですか?」
チャンはジョッキを傾けながら口元を吊り上げた。切れ長の目も弧を描いている。
「あの校長が必死に守った人だ。絶対信用できるよ。あんな柴犬みたい人が異形なわけないだろ」
それを聞いてルメリアが吹き出し、タールマをニヤニヤと見た。
以前タールマもたつとらの事を柴犬の子犬と揶揄したことがある。ルメリアを殺気を含んだ目で睨み返すと、タールマは飲み物のグラスを叩きつけるように置く。
ミンユエが楽しそうに「まぁまぁまぁ」と2人を宥める中、ボルエスタが口を開いた。
「では、式典まで待ちますか?大勢の人が来ますし、何か知ってる人もいるかも」
やはり情報収集が一番の近道のようだ。まだ何の足取りも掴めていない中、大きな都市で聞き込みが一番有力な手かもしれない。
「じゃあ今日は早めに寝て、明日に備えるか!」
チャンの言葉に、全員が同意するようにカップを傾けた。
___________
「この薪には耐久魔法がかけてあるから、普通の薪よりずいぶん長く燃える。だが今年は冷え込むから、薪も底をつきそうだ」
番頭でありたつとらの雇主のジャックは、薪を炉に放り込みながら言う。早朝のトーヤはかなりの冷え込みで、土から立ち上がった霜柱がじゃりじゃりと小気味のいい音をたてた。
「薪は今度取ってくるよ。その時はトラックを借りてもいいか?」
手に息を吹きかけながら言うたつとらの顔を、ジャックはビックリした様に見つめた。
「そりゃいいが、トーヤとラクレルの間の『マイトの森』は異形が多く出る。あまり無理せんでいい」
へぇと言いながら「薪割りは暇な時にやっとくよ」と続けて言うと、ジャックはまた嬉しそうに笑った。
火をつけると暗かった辺りがボウっと明るくなり、じわじわと暖かい空気が流れ込んでくる。たつとらホウッと息を吐くと、笑みを作り「綺麗だなぁ」と言いながらジャックを見た。
「さぁ、夜も明けそうだ。ユトに挨拶に行こう。朝飯を食べて、また仕事だ」
顔を輝かせるたつとらを引き連れて、ジャックはひょこひょこと家へ向かった。
「どういうことよ、お父さん」
こそこそと聞いてくる娘に、ジャックは眉を顰めながら「なにがだ?」と聞き返す。ユトはジャックを引っ張ってキッチンまで連れてくると、テーブルでコーヒーを飲むたつとらに視線を移した。
「素性の知れない男の人雇うなんて、どうかしてる」
「あいつが悪人に見えるか?俺は人を見る目だけはあるつもりだ。安心しろ」
がははと笑いながらコーヒーを啜るジャックに、ユトは抗議の目を向け、小さな声で反論する。
「良く見てよあの人……!馬鹿みたいに綺麗じゃない?絶対普通の人じゃないわ……」
「綺麗か?犬コロみたいで可愛いじゃねぇか」
そこに子供たちが起きてきた。
トキの手を引っ張りながら、チカがリビングに「おはよ~」と言いながら歩いてくる。目を擦りながら出てきた2人だったが、リビングにたつとらの存在を見つけると一転、目を輝かせた。
「たつ!ほんとに来てた!」
普段大人しいトキが嬉しそうに言いたつとらに抱きつくと、チカは彼の膝の上によじ登った。トキも続いてよじ登ると「おはよ~」といいながらたつとらは2人の髪をわしゃわしゃと撫でる。
ユトが信じられない物を見るかのようにその光景を眺めていると、カップを傾けながらジャックが口を開いた。
「昨日は風呂掃除まで一緒にしてくれた。孫たちもあの通りべったりだ。心配いらない、お前の喘息が収まる間までだ」
そう言われると、ユトは何も言い返せない。
持病の喘息は冬になると必ず悪化する。
今年は喘息に効く竜湯草が不作だったため、ユトも体調を崩しがちになっていた。この身体の事を申し訳なく思いながら、何もできない自分を責めるしかないのだ。
それを思うと、たつとらの存在は助け船なのかもしれない。
「あの子たちの父親も出稼ぎに行ったまま行方知れずだ。甘えられる人が増えるってのは、子供にとって最高の事だろ」
「そうね…」というとユトはやっと笑みを浮かべた。
食卓に美味しそうな料理が並び、たつとらは目を輝かせた。
「大したものは無いけど」と言いながらユトは席に座り、全員が手を組み目を瞑った。
たつとらは祈りの言葉を知らないので、口を閉じて目を瞑る。
「聖女ヴィティ様のご加護があらんことを…」
その祈りに、たつとらはぴたりと固まった。
息を飲んで顔を伏せ、誰にも見られないように無理やり笑みを浮かべる。
(そうか、東は彼女の出身地だった)
顔を上げると何もなかったように笑みを作り、食事を始める。周りの皆も彼の異変には気付かないようで、たつとらはホッとしながらスプーンを握った。
ユトがコンコンと咳込むのを見て、たつとらは彼女を見た。両隣に座る子供たちも気遣っているようで、母親のカップに水を注いであげている。
「風邪、ですか?」
たつとらの言葉に、ユトは酷く申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさいね、食事中に。持病の喘息なの」
たつとらはびっくりした顔になり、自身の身体を見下ろす。服に何かが付いていないか視線を泳がせているようだ。
「え!?獣毛とか、平気ですか?俺んち狐いるからまずいかな?」
自身の服を引っ張りながらたつとらが必死で言うので、ユトは笑って返した。
「大丈夫よ。冬になったらいつもなの。私の場合、寒さとか気圧とかに弱いみたい」
狐というワードに沸き立つ子供たちをよそに、ジャックがため息をつく。
「今年は薬王様の薬草が不作だったからな。喘息の薬である竜湯草も高騰して買いにくくなってしまった」
たつとらはピクリと止まり「薬王様の薬草?」と目線だけを寄越しながら口を開いた。
その視線に何故か冷やりとしながらも、ジャックは笑いながら答える。
「トーヤには昔から魔神薬王様が住んでいて、純度の高い薬草を生やしてくださるんだ。ただ気まぐれな方だから、その時々で不作だったりするんだよ」
「ほ~ぉ」と変な返事をするたつとらに、ユトは笑いながらパンを渡す。
「他の土地でも魔神が住んでいるところはあるけど、基本人間とは関わらないわ。だけど薬王様は良質な薬草を生やしてくれるの。ありがたいわ」
「だけどたまにサボると」サラダのトマトにフォークを突き刺しながらたつとらは言う。若干殺気立っているような彼だったが、子供たちが無邪気に話しかけてくると元の穏やかな雰囲気に戻った。
トキもチカも狐に興味津々で、今度連れてくるとたつとらは約束して、食事を終える。
「さぁ仕事だ。薪割りに開店準備、手伝ってもらうぞ。それが済んだら一番風呂に入らせてやる」
顔を輝かせたたつとらと、それを見てニコニコする子供たちは皿を手早く片付ける。
忙しない毎日が始まるが、たつとらの存在が少しだけ新しい風を送り込んでくれている。ジャックもユトも嬉しそうに笑顔を湛えた。
夜__。
仕事を終えて洞に帰ると、薬王がべそをかいていた。
「兄ぃ、その風呂屋はあかん!朝行って、夜こないに遅く帰るなんて働きすぎや!死んでまう!」
「ああ、大丈夫。昼寝もさせてくれるし、風呂も入れる。最高の職場環境だよ」
ブーツの紐を解きながら、たつとらは真剣な顔になると「それより」と声をかける。
「マイトの森はなんで異形が多いんだ?お前の管轄じゃないのか?」
「ちゃう、境やねん」
たつとらと向かい合って腰かけると、薬王も真剣な顔になった。
「あの森は誰の管轄でもなく境やから、誰も手を出さへん。異形を魔徒に変えるんも力を大量に使うもんやし、周辺の魔神も尻込みしてんねん。そのうち亜種もいっぱい居るようになってもうて、手が付けられんなった」
ブーツを引き剥がすとその辺に雑に放り投げ、たつとらはそのまま横になる。
「じゃあ、誰か立てないとな」
「あかん!あかんで!めっちゃ力使うんやから!放置しとき!放置!!」
たつとらはコロンと向きを変えると、鋭い目つきで薬王を睨んだ。
「朱楽、お前今から薬草を生やせ。明日の朝までに」
「え?」薬王が固まり、たつとらが殺気を孕んだ顔でニヤリと笑う。
「特に竜湯草はたくさん生やせ。明日の朝、俺が摘んで行く。どうせ昼間も寝てるんだろ」
「なんでなん?」オロオロする薬王を尻目に、布団を引き上げ丸まった彼に、薬王は慌てて声をかける。
「兄ぃ!ねたらあかん!傷口の消毒がまだや!」
布団を引き剥がされたたつとらは、欠伸をするとそのまま寝てしまう。
薬王はため息をついたが、傷の手当てを続行した。ガーゼを引き剥がすと、血がにじんだ傷口が露わになる。
薬王はため息をつくと、薬のふたを開けた。
まだ夜が明けきらない頃、洞の近くの草原には薬草が大量に生えていた。
まるで湧き立つような草の香りが辺りに漂い、たつとらは口の端を吊り上げた。
「上出来!」
竜湯草を選り分けて摘むと、傍に生えていたローズマリーも摘んでおく。麻布いっぱいに詰め込むと、肺いっぱいに朝の空気を吸い込み、たつとらは街へと向かった。
家の近くに生えてた。
と差し出された大量の薬草に、ユトは目を見開き声を失う。
「こりゃすげぇ、竜湯草じゃねぇか!今の時期に生える事なんてないんだが…」
ジャックが驚きの声を上げている中「薪割りに行ってくる」とたつとらは部屋を出ていく。
「こっちは上等なローズマリーだ!石鹸を作れば高値で売れるぞ」
「……たつって、どこに住んでいるのかしら?この薬草の品質、多分薬王様の……」
ユトが首をかしげながら言うのを、ジャックは笑い飛ばした。
「細かいことは、良いじゃねぇか。まずは薬草を干して薬を作ろう」
麻袋を抱え、ひょこひょこと部屋を出ていくジャックを見送ると、さすがジャックの娘である、ユトは懸念も忘れて食器を片づけ始めた。
薪割りをするたつとらを見ながら、トキとチカは石鹸に入れるローズマリーを干している。器用に並べながらトキが口を開いた。
「たつは、ずっとここにいればいいのに」
チカが同意するように頷くのを見て、たつとらは笑った。
「俺みたいなのがいたら、きっと迷惑がかかる……よっと」
言いながら斧を打ち下ろすと、小気味のいい音を立てて薪が転がった。
「そんなことないのに……」と子供たちが言ったのは聞こえないふりをした。
(ユトさんが薬で良くなったら、ここを離れよう。マイトの森に魔神を立てて…それから……)
手元ばかりを見ていたが、割る薪の数が少ないことに気付いた。薪棚にはまだたくさん積んであるが、冬を越せるほどではなさそうだ。
薪割り台に斧を突き立てると、たつとらは息を吐いた。
「ちょっと原木取ってくる。ユトさんに昼飯いらないって伝えといて」
トキとチカに一言伝えると、止められる前にジャックのトラックへ乗り込む。キーは付いたままだったので、そのままエンジンをかけた。身体の下でモーターが駆動するのを感じ、久しぶりの感覚に「おお!」と笑みを浮かべた。
___________
ラクレルに朝が来て、チャンとボルエスタは朝食のために1階へ降りる。
3人はもう来ており、席からミンユエが手を振るのを見てチャンが破顔し手をヒラヒラさせた。
「よく眠れましたか?」
ルメリアが笑って2人を迎え、タールマはコーヒーを口につけたまま手を上げた。
本当に美女揃いだ、とチャンは思う。
特育の教師メンバー選出の際に、選ばれた女性教師の顔面偏差値の高さには、チャンも校長の面食いを疑った程だった。
ルメリアは可愛らしく、タールマは鋭い美人、チャンの妹であるミンユエは勿論、文句の付けどころがないくらいの美人だ。チャンは顔に笑みを湛えながら席に座る。
給仕にコーヒーを頼むと、昨日と同じ給仕が慌てたようにコーヒーを運んできた。
「何かあったんですか?」
ボルエスタが聞くと、給仕は良く聞いてくれたとばかりに喋り始める。
「どうもこうも無いよ、姫さまが居なくなったんだ。侍女と一緒にね」
「姫って、今度お祝いされる?それは大変ね。主役がいないなんて」
ミンユエが答えてくれたので、給仕は真っ赤になりながら答えた。
「マイトの森で行方が分からないらしいから、国中大騒ぎです」
チャンが鋭い視線を送ったせいで、給仕はまた姿を消して行った。
「マイトの森って、トーヤとの間にある森だよな?」
タールマが言うと、ルメリアが「これは暗雲立ち込めた感じだねぇ」と呟いた。
ルメリアはホゥっと息を吐いた。
「来たかったのよね!発展都市ラクレル!」
ミンユエがコクコク頷き、タールマが寒そうに手に息を吐いた。
「寒いな、早いとこ宿を決めよう」
「もう手配してある」
そう答えたのはチャン秘書だ。
ウェリンクを出る前、チャン秘書が門で待っていたのには全員が驚いた。
『お兄ちゃん、どうしたの?』
ミンユエが驚いた顔で問うと、チャン秘書は呆れ顔で答えた。
『お前が心配だったに決まっているだろう。まったく』
チャン秘書は笑って答えると、ボルエスタが『ドグラムス家は良いんですか?』と問うた。
『休暇を貰ってきたよ。妹は心配だし、校長の願いはあの人の安寧だからね。それを叶えるためにも一行に加えていただきたい。チャンと呼んでくれ』
こうしてチャンが一行に加わることになった。
一番喜んだのはボルエスタである。女性3人と男1人の旅はさすがに気まずかった。
「さすがチャンさんね!」
ルメリアが喜び、ミンユエがニコリと笑う。
宿に入ると早々に5人は食事を頼んだ。
1階が酒屋になっている良くある作りだ。そこそこ賑わっており、美味しそうな香りが鼻をくすぐる。
ボルエスタが適当に料理を注文すると、すぐに飲み物が運ばれてきた。
「それで、どうしましょうか?」
ボルエスタが口を開くと、ルメリアが飲み物に口を付けながら答える。
「私思うんだけど、もしたっちゃんが街をウロウロしていたらすぐ見つかると思うんだよね」
「ああ、あの容姿だもんな」
チャンが運ばれてきたビールを呷ると、ミンユエがその様子に眉を寄せる。
「お兄ちゃんあまり飲み過ぎないでね」
そう言うミンユエにニコニコしているチャンは、秘書をしていた頃とは別人のようだ。
「だとすると聞き込みが一番だろうな」
タールマが運ばれてきた料理をテーブルに並べ直し、皿を配り始めた。ボルエスタが礼を言いながらも口を開く。
「とはいえあの怪我だと、当分出歩けないはず。薬王の所在を聞いたほうが早いかもしれませんね」
隣のテーブルを拭く給仕に、チャンは声を掛けた。
「トーヤに行くにはどうしたらいい?」
忙しくしていた給仕だったが働くことに飽きていたのか、その顔に人懐こい笑顔を浮かべた。
「トーヤか、なぜあんな所。関所もないし北の森を抜ければすぐ着くが、森に異形が多く出るから注意したほうがいい。なぁ、それより明後日までここに滞在したほうがいいぞ」
「なぜだ」とタールマが聞くと、給仕はなぜか顔を赤くして答える。
「明後日はこの国の姫の誕生日なんです。18歳になるので成人の儀が行われ、街はお祝いムードになります。盛大なお祭りなので見逃せば損ですよ!」
「……お前は美女の前だと敬語になるのか」
チャンが片眉を吊り上げて言うと、その顔に怯えたように給仕は去って行った。
去っていく給仕にチャンは舌打ちをすると、大皿の料理をひょいひょいとミンユエの皿に移す。ボルエスタはクスリと笑った。
「チャンさんは、秘書の時とは別人みたいですね。たつの事は怖くないのですか?」
チャンはジョッキを傾けながら口元を吊り上げた。切れ長の目も弧を描いている。
「あの校長が必死に守った人だ。絶対信用できるよ。あんな柴犬みたい人が異形なわけないだろ」
それを聞いてルメリアが吹き出し、タールマをニヤニヤと見た。
以前タールマもたつとらの事を柴犬の子犬と揶揄したことがある。ルメリアを殺気を含んだ目で睨み返すと、タールマは飲み物のグラスを叩きつけるように置く。
ミンユエが楽しそうに「まぁまぁまぁ」と2人を宥める中、ボルエスタが口を開いた。
「では、式典まで待ちますか?大勢の人が来ますし、何か知ってる人もいるかも」
やはり情報収集が一番の近道のようだ。まだ何の足取りも掴めていない中、大きな都市で聞き込みが一番有力な手かもしれない。
「じゃあ今日は早めに寝て、明日に備えるか!」
チャンの言葉に、全員が同意するようにカップを傾けた。
___________
「この薪には耐久魔法がかけてあるから、普通の薪よりずいぶん長く燃える。だが今年は冷え込むから、薪も底をつきそうだ」
番頭でありたつとらの雇主のジャックは、薪を炉に放り込みながら言う。早朝のトーヤはかなりの冷え込みで、土から立ち上がった霜柱がじゃりじゃりと小気味のいい音をたてた。
「薪は今度取ってくるよ。その時はトラックを借りてもいいか?」
手に息を吹きかけながら言うたつとらの顔を、ジャックはビックリした様に見つめた。
「そりゃいいが、トーヤとラクレルの間の『マイトの森』は異形が多く出る。あまり無理せんでいい」
へぇと言いながら「薪割りは暇な時にやっとくよ」と続けて言うと、ジャックはまた嬉しそうに笑った。
火をつけると暗かった辺りがボウっと明るくなり、じわじわと暖かい空気が流れ込んでくる。たつとらホウッと息を吐くと、笑みを作り「綺麗だなぁ」と言いながらジャックを見た。
「さぁ、夜も明けそうだ。ユトに挨拶に行こう。朝飯を食べて、また仕事だ」
顔を輝かせるたつとらを引き連れて、ジャックはひょこひょこと家へ向かった。
「どういうことよ、お父さん」
こそこそと聞いてくる娘に、ジャックは眉を顰めながら「なにがだ?」と聞き返す。ユトはジャックを引っ張ってキッチンまで連れてくると、テーブルでコーヒーを飲むたつとらに視線を移した。
「素性の知れない男の人雇うなんて、どうかしてる」
「あいつが悪人に見えるか?俺は人を見る目だけはあるつもりだ。安心しろ」
がははと笑いながらコーヒーを啜るジャックに、ユトは抗議の目を向け、小さな声で反論する。
「良く見てよあの人……!馬鹿みたいに綺麗じゃない?絶対普通の人じゃないわ……」
「綺麗か?犬コロみたいで可愛いじゃねぇか」
そこに子供たちが起きてきた。
トキの手を引っ張りながら、チカがリビングに「おはよ~」と言いながら歩いてくる。目を擦りながら出てきた2人だったが、リビングにたつとらの存在を見つけると一転、目を輝かせた。
「たつ!ほんとに来てた!」
普段大人しいトキが嬉しそうに言いたつとらに抱きつくと、チカは彼の膝の上によじ登った。トキも続いてよじ登ると「おはよ~」といいながらたつとらは2人の髪をわしゃわしゃと撫でる。
ユトが信じられない物を見るかのようにその光景を眺めていると、カップを傾けながらジャックが口を開いた。
「昨日は風呂掃除まで一緒にしてくれた。孫たちもあの通りべったりだ。心配いらない、お前の喘息が収まる間までだ」
そう言われると、ユトは何も言い返せない。
持病の喘息は冬になると必ず悪化する。
今年は喘息に効く竜湯草が不作だったため、ユトも体調を崩しがちになっていた。この身体の事を申し訳なく思いながら、何もできない自分を責めるしかないのだ。
それを思うと、たつとらの存在は助け船なのかもしれない。
「あの子たちの父親も出稼ぎに行ったまま行方知れずだ。甘えられる人が増えるってのは、子供にとって最高の事だろ」
「そうね…」というとユトはやっと笑みを浮かべた。
食卓に美味しそうな料理が並び、たつとらは目を輝かせた。
「大したものは無いけど」と言いながらユトは席に座り、全員が手を組み目を瞑った。
たつとらは祈りの言葉を知らないので、口を閉じて目を瞑る。
「聖女ヴィティ様のご加護があらんことを…」
その祈りに、たつとらはぴたりと固まった。
息を飲んで顔を伏せ、誰にも見られないように無理やり笑みを浮かべる。
(そうか、東は彼女の出身地だった)
顔を上げると何もなかったように笑みを作り、食事を始める。周りの皆も彼の異変には気付かないようで、たつとらはホッとしながらスプーンを握った。
ユトがコンコンと咳込むのを見て、たつとらは彼女を見た。両隣に座る子供たちも気遣っているようで、母親のカップに水を注いであげている。
「風邪、ですか?」
たつとらの言葉に、ユトは酷く申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさいね、食事中に。持病の喘息なの」
たつとらはびっくりした顔になり、自身の身体を見下ろす。服に何かが付いていないか視線を泳がせているようだ。
「え!?獣毛とか、平気ですか?俺んち狐いるからまずいかな?」
自身の服を引っ張りながらたつとらが必死で言うので、ユトは笑って返した。
「大丈夫よ。冬になったらいつもなの。私の場合、寒さとか気圧とかに弱いみたい」
狐というワードに沸き立つ子供たちをよそに、ジャックがため息をつく。
「今年は薬王様の薬草が不作だったからな。喘息の薬である竜湯草も高騰して買いにくくなってしまった」
たつとらはピクリと止まり「薬王様の薬草?」と目線だけを寄越しながら口を開いた。
その視線に何故か冷やりとしながらも、ジャックは笑いながら答える。
「トーヤには昔から魔神薬王様が住んでいて、純度の高い薬草を生やしてくださるんだ。ただ気まぐれな方だから、その時々で不作だったりするんだよ」
「ほ~ぉ」と変な返事をするたつとらに、ユトは笑いながらパンを渡す。
「他の土地でも魔神が住んでいるところはあるけど、基本人間とは関わらないわ。だけど薬王様は良質な薬草を生やしてくれるの。ありがたいわ」
「だけどたまにサボると」サラダのトマトにフォークを突き刺しながらたつとらは言う。若干殺気立っているような彼だったが、子供たちが無邪気に話しかけてくると元の穏やかな雰囲気に戻った。
トキもチカも狐に興味津々で、今度連れてくるとたつとらは約束して、食事を終える。
「さぁ仕事だ。薪割りに開店準備、手伝ってもらうぞ。それが済んだら一番風呂に入らせてやる」
顔を輝かせたたつとらと、それを見てニコニコする子供たちは皿を手早く片付ける。
忙しない毎日が始まるが、たつとらの存在が少しだけ新しい風を送り込んでくれている。ジャックもユトも嬉しそうに笑顔を湛えた。
夜__。
仕事を終えて洞に帰ると、薬王がべそをかいていた。
「兄ぃ、その風呂屋はあかん!朝行って、夜こないに遅く帰るなんて働きすぎや!死んでまう!」
「ああ、大丈夫。昼寝もさせてくれるし、風呂も入れる。最高の職場環境だよ」
ブーツの紐を解きながら、たつとらは真剣な顔になると「それより」と声をかける。
「マイトの森はなんで異形が多いんだ?お前の管轄じゃないのか?」
「ちゃう、境やねん」
たつとらと向かい合って腰かけると、薬王も真剣な顔になった。
「あの森は誰の管轄でもなく境やから、誰も手を出さへん。異形を魔徒に変えるんも力を大量に使うもんやし、周辺の魔神も尻込みしてんねん。そのうち亜種もいっぱい居るようになってもうて、手が付けられんなった」
ブーツを引き剥がすとその辺に雑に放り投げ、たつとらはそのまま横になる。
「じゃあ、誰か立てないとな」
「あかん!あかんで!めっちゃ力使うんやから!放置しとき!放置!!」
たつとらはコロンと向きを変えると、鋭い目つきで薬王を睨んだ。
「朱楽、お前今から薬草を生やせ。明日の朝までに」
「え?」薬王が固まり、たつとらが殺気を孕んだ顔でニヤリと笑う。
「特に竜湯草はたくさん生やせ。明日の朝、俺が摘んで行く。どうせ昼間も寝てるんだろ」
「なんでなん?」オロオロする薬王を尻目に、布団を引き上げ丸まった彼に、薬王は慌てて声をかける。
「兄ぃ!ねたらあかん!傷口の消毒がまだや!」
布団を引き剥がされたたつとらは、欠伸をするとそのまま寝てしまう。
薬王はため息をついたが、傷の手当てを続行した。ガーゼを引き剥がすと、血がにじんだ傷口が露わになる。
薬王はため息をつくと、薬のふたを開けた。
まだ夜が明けきらない頃、洞の近くの草原には薬草が大量に生えていた。
まるで湧き立つような草の香りが辺りに漂い、たつとらは口の端を吊り上げた。
「上出来!」
竜湯草を選り分けて摘むと、傍に生えていたローズマリーも摘んでおく。麻布いっぱいに詰め込むと、肺いっぱいに朝の空気を吸い込み、たつとらは街へと向かった。
家の近くに生えてた。
と差し出された大量の薬草に、ユトは目を見開き声を失う。
「こりゃすげぇ、竜湯草じゃねぇか!今の時期に生える事なんてないんだが…」
ジャックが驚きの声を上げている中「薪割りに行ってくる」とたつとらは部屋を出ていく。
「こっちは上等なローズマリーだ!石鹸を作れば高値で売れるぞ」
「……たつって、どこに住んでいるのかしら?この薬草の品質、多分薬王様の……」
ユトが首をかしげながら言うのを、ジャックは笑い飛ばした。
「細かいことは、良いじゃねぇか。まずは薬草を干して薬を作ろう」
麻袋を抱え、ひょこひょこと部屋を出ていくジャックを見送ると、さすがジャックの娘である、ユトは懸念も忘れて食器を片づけ始めた。
薪割りをするたつとらを見ながら、トキとチカは石鹸に入れるローズマリーを干している。器用に並べながらトキが口を開いた。
「たつは、ずっとここにいればいいのに」
チカが同意するように頷くのを見て、たつとらは笑った。
「俺みたいなのがいたら、きっと迷惑がかかる……よっと」
言いながら斧を打ち下ろすと、小気味のいい音を立てて薪が転がった。
「そんなことないのに……」と子供たちが言ったのは聞こえないふりをした。
(ユトさんが薬で良くなったら、ここを離れよう。マイトの森に魔神を立てて…それから……)
手元ばかりを見ていたが、割る薪の数が少ないことに気付いた。薪棚にはまだたくさん積んであるが、冬を越せるほどではなさそうだ。
薪割り台に斧を突き立てると、たつとらは息を吐いた。
「ちょっと原木取ってくる。ユトさんに昼飯いらないって伝えといて」
トキとチカに一言伝えると、止められる前にジャックのトラックへ乗り込む。キーは付いたままだったので、そのままエンジンをかけた。身体の下でモーターが駆動するのを感じ、久しぶりの感覚に「おお!」と笑みを浮かべた。
___________
ラクレルに朝が来て、チャンとボルエスタは朝食のために1階へ降りる。
3人はもう来ており、席からミンユエが手を振るのを見てチャンが破顔し手をヒラヒラさせた。
「よく眠れましたか?」
ルメリアが笑って2人を迎え、タールマはコーヒーを口につけたまま手を上げた。
本当に美女揃いだ、とチャンは思う。
特育の教師メンバー選出の際に、選ばれた女性教師の顔面偏差値の高さには、チャンも校長の面食いを疑った程だった。
ルメリアは可愛らしく、タールマは鋭い美人、チャンの妹であるミンユエは勿論、文句の付けどころがないくらいの美人だ。チャンは顔に笑みを湛えながら席に座る。
給仕にコーヒーを頼むと、昨日と同じ給仕が慌てたようにコーヒーを運んできた。
「何かあったんですか?」
ボルエスタが聞くと、給仕は良く聞いてくれたとばかりに喋り始める。
「どうもこうも無いよ、姫さまが居なくなったんだ。侍女と一緒にね」
「姫って、今度お祝いされる?それは大変ね。主役がいないなんて」
ミンユエが答えてくれたので、給仕は真っ赤になりながら答えた。
「マイトの森で行方が分からないらしいから、国中大騒ぎです」
チャンが鋭い視線を送ったせいで、給仕はまた姿を消して行った。
「マイトの森って、トーヤとの間にある森だよな?」
タールマが言うと、ルメリアが「これは暗雲立ち込めた感じだねぇ」と呟いた。
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