つぎのあなたの瞳の色は

墨尽(ぼくじん)

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学園編

4. 波に消えたのは何か

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「たつとら!!」

 陸の悲鳴のような声が響く。
 先生が死んでしまう。陸はそう思った。それほどまでにその魔法は強力に見えた。

 だが、予想に反して波はたつとらを避けて通る。
 何か巨大なものにぶつかり二つに分かれるように、濁流は訓練場の壁に激突し、広がり落ちていく。

「んだあれ、シールドか?」
 道元が呟くと、隣にいたセラが答える。
「だと思う。でもシールドの膜が見えない」

 波の真ん中に立つたつとらはそのままテッサの方に歩いていく。

 波の中にいるという感じは微塵も感じない。いつもの怠そうな歩調で、たつとらはテッサの前まで進んだ。

 そして何の前触れもなく、溢れていた水は一瞬にして蒸発する。
 ふわり湿った風が、訓練場の中を駆け巡る。しかしそれさえも直ぐに消え去っていった。

 驚愕の表情でテッサは荒い息を繰り返す。その頭を、たつとらは乱暴にかき回した。
「よしよし、上出来。赤爪、群れで始末できるぐらいの勢いだ」

 急にたつとらに腕を掴まれ、それに驚くと同時にテッサの身体がぐらりと傾ぐ。

「そんだけ出し切っちまえば、そりゃあもう疲れるよ。あとはコントロールを覚えるだけだ。お~い、陸!」
「は、はい!!」
「テッサちゃん保健室に連れてってくださーい」
「はい!」

(なんだよ、私はまだやれる)

 テッサは思った。まだ自分の中で燻っている何かがある。でも身体は言うことを聞かない。実際自分の身体を支えているのはたつとらであって、指一つも動かすのが億劫だった。
 瞼が意思に関係なく落ちてくる。

「テッサ」
「り、く……」
 突然視界に入ってきた親友の姿に、急に目頭が熱くなる。それと同時に糸が切れたようにぐったりとテッサは意識を手放した。
「!!」
 焦ってたつとらの顔を見上げると、たつとらはニコリと微笑む。
「大丈夫。陸、お願いな」

 もう一人助けが必要かと窺っていたが、どうやらその心配は無いようだ。
 テッサを背負ったまましっかりと陸は出口に向かって歩き出す。

「意外と力持ち」

 にやりと笑い、たつとらは生徒たちの方に向き直った。
 いまだ状況を理解していない者が殆どだろう。訓練場はざわめきもなく静まり返っていた。
 生徒の視線だけが、たつとらに集中している。

「色んな想いがあると思うが……」

 静まり返った訓練場に、たつとらの声だけが響いた。

「彼女のように、出来ると思うな。……勘違いするなよ、今現在の話だ。訓練すればあれくらい出来るようになる」

 「あれくらい」その言葉に、少しざわめく。
 見る限りレヴェルCほどの威力だった。現役の軍人であっても、あれほどの魔法を発動できる人間は少ないだろう。

「いきなりは、あんなのは無理だ。あれは、苦しんだ者の特権。脅威に打ち勝ったときの賞賛だ。そうでない者は地を這ってゆけ。目標を達成することに綺麗事などいらない」

 そしてたつとらは笑う。
 それは、そのうち彼の象徴になってしまう笑み。
 全てをあざ笑うかのような、それでいて自嘲的な闇を持った微笑み。

「まぁ、ゆっくりやっていこう」
 長い腕をダラリと垂らし、たつとらは言った。


______

「テッサ!」
 意外と早く目を覚ましたテッサに、陸は驚きその様子を窺う。
「痛いとこ、無い? きもち悪くない? 頭いたくない? 大丈夫?」
 瞳に溢れんばかりの涙を溜めている陸を見て、テッサは思わず笑みをこぼれさせた。

「大丈夫だよ。陸、焦りすぎ」
「……よかった。たつとらの言うとおりだった」
「……たつとら……」
 テッサは無自覚にシーツを握り締める。さらりと乾いたその感触は、先ほどの『水』を想定させる要素は一切無かった。しかし鮮やかに蘇るその光景に、テッサは息を呑む。

「陸、あの人、すごいよ……」
「あのひと?」
 ゴクリと大きく喉が動き、テッサが口を開く。
「たつとら、せんせい」
「たつとらが?」

 テッサはコクリと頷き、目を伏せた。

「陸、魔法、見てた……よね?」
「うん、見てた! すごかった!」
「ありがと。……あのね、陸」

 テッサの笑みが消え、先ほどの真剣な目に戻り陸を見つめる。
 陸が握り締めた手を、テッサは優しく離した。

「あの、私が発動した魔法をね、あの先生は……」
 しばらく何かを思い出すように正面を見つめていたテッサが、両手を胸の位置まで上げた。
 ぱちんとテッサが一つ手を叩き、控えめな音が保健室に響く。

「この動作一つで、私の魔法を消失させた」

 ふたりの間に、訓練場での出来事が鮮やかに蘇る。陸はたつとらの顔を思い出していた。

「抑えられなかったの、あの水を。発動するだけでいっぱいいっぱいで……溺れそうだった。というか、溺れても良いなんて気までしてた」

 深い水底に沈んでいるのを引き戻された感覚を、今でも思い出す。

 テッサは陸を見た。いつも穏やかな親友は目に涙を溜めて、いつのまにかまたテッサの手を握り締めている。

「ごめん、そんなこと無いからね。死んだりしないよ」

 陸の髪をくしゃりと撫でると、独特のふわふわな猫毛に安堵感を覚える。テッサは明るい笑みを浮かべて陸を見た。

「さて、次の科目は剣術だよね! 私苦手だからこのまま休もうかな」
「分かった。伝えとく」


 保健室を出た後、陸の穏やかだった顔はすぐに真剣な顔へと戻った。陸は少しだけ火照った頬をぐいぐいと手で拭う。

 たつとらが、自分の担任になるなど想像もしなかった。しかし驚きの後、自分の中で沸きあがった想いは歓喜だった。
 まるで羽がついたように浮き上がるような感覚。しかしどうしてこんなに自分が嬉しいのか、陸には解らないままだった。


__________

「このプログラムって、誰が作ったの?」
 サンドイッチを頬張りながら問うたつとらに、微笑みながらボルエスタは返した。手に持っていたコーヒーを、そっと手元へ置く。
「誰でもありませんよ。標準的なプログラムが当てられているんでしょう」
 ふぅん、と喉を鳴らすだけで返すたつとらに、ふすりと自然に笑いが漏れる。

 食堂の脇にある小さなテラス席に、たつとらとボルエスタはいた。
 日当たりは良いものの、ウェリンクは年中寒い。テラスで食事をとる者は他にいなかった。
 長身のボルエスタは、長い脚を折り曲げてテラスへと座る。短髪の黒い髪、眼鏡の下から整った瞳が覗く。美男で穏やかな彼は、生徒たちからの人気も高い。


 4人掛け用のテーブルにBクラスの時間割を広げ、たつとらはとめどなく落ちる枯葉を払う。

 たつとらが保健室に来て以来、二人は自然に行動を共にするようになった。
 妙に、馬が合う。もうお互いに旧知の友の様に感じていた。

 ボルエスタはいつも笑顔で人と接する。それは補助として、医者として患者を安心させるために浮かべる笑顔だ。この笑みしか自分にはできないと思っていた。
 それがこの男に向ける自分の笑みは、何か違うと薄ら感じている。

「じゃあ、好きにやっていいわけだ」
「まぁ、そうなりますね」

 口の端にソースをつけ、しかし視線は時間割から外さないまま彼は微笑む。
 たつとらの視線に入るように、ボルエスタは紙ナプキンを差し出した。首を傾げる彼に、ボルエスタは自分の口の端をトントンと叩く。

「おお」
 手渡されたナプキンで、たつとらは口を拭った。そしてボルエスタに視線を投げ、にこりと笑う。

(まるで、子供のようだ)

 時間割に何やら書き込む彼を見ると、不思議と頬が緩んでしまう。
 夢中でプログラムを練り直す様を見ると、熱心な若手新任教師のようだ。しかし特別育成Bクラスの担任など、新任の若手が就けるはずのないポストだった。

(この人は何者なんでしょうね……)
 今や学園の間で有名な、謎の教師。
 また自分が笑みを浮かべていることに、ボルエスタは言い知れぬ期待感を感じていた。

(しばらく退屈しなさそうだ……)

 遠くから生徒の声が聞こえ、たつとらが時間割から視線を外す。
 昼休み中なのだが、どの学級も検定対策に必死なようだ。模擬練習でもしているのか、呪文と怒号に似た声が共同グラウンドから響いてくる。

「……なぁボルちゃん。生徒たちは、何に楽しみを見出しているんだ?」

 いつの間にか出来ていた自分の愛称に、ボルエスタは最初こそ抵抗があった。しかし今ではすっかり違和感はない。

「んん、何でしょうね。彼らの夢自体が英雄ディード・ウェザールのような戦士になることですから、訓練……ですかねぇ」
「ふぅん」

 嫌悪の表情を浮かべたと思ったら、その中に悲愴な面持ちも滲ませる。それに気づいたボルエスタは、思わず口を開いた。

「気に入らない?」

 ボルエスタの問いに、たつとらは視線を合わせた。彼の顔からは、先ほどの複雑な表情は消えている。しかし彼はキッパリと言い放った。

「気に入らないね」

 中身が無いカップをテーブルに軽くコツコツと叩き、たつとらは子供の様に唇を尖らせる。彼に続けて問おうかと思ったが、ボルエスタはそれを止めた。

 問うても、きっとたつとらは答えてくれるだろう。しかしそれが続いてしまうと、彼は確実に離れていってしまう。ボルエスタにはそんな確信があった。

 本当に聞きたいことだけ、聞けばいい。
 ボルエスタは椅子を引き、立ち上がった。

「さて、私はコーヒーのおかわりを取りにいきますが、先生も必要ですか?」
 その問いに、心地良い笑顔を浮かべたつとらは答える。
「必要!」
 元気良く差し出される冷え切ったカップを受け取り、店内へとボルエスタは歩を進める。

 一人テラスに残ったたつとらは、同じく冷え切った頬に手を当てた。
 いまだ聞こえる生徒たちの声は嫌でも耳に響き、思い出したくも無い思い出を再生させる。

「……俺は、間違ってるか?」
 強い風が吹き、木々が声を上げる。
 時間割に落ちる枯葉を指でつまみ、乾いたそれがぱらぱらと崩れるのをただ見つめていた。

「なぁ……英雄ディード」
 木々が更に声をあげ、その声は無かったかのように崩れて消えた。
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