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聡一朗、家出する 

第6話

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 リュシオルの家へと続く小道を歩いていると、道端にリュシオルが座っていた。

「リュシオルさん、どうしてここに?」
「母上でしょ?」
「あ、母上。どうしたんですか?」

 リュシオルはヘラリと笑いながら立ち上がると、聡一朗を抱きしめた。
 ぎゅうっと抱きしめられ、何やらいい匂いもする。普通の男性より、少し柔らかい気がするのは気のせいだろうか。

「そーちゃん、帰るの?」
「はい。また今度、遊びに来ます」

 聡一朗が言うと、また一層強く抱きしめられた。

「……いつでも帰って来ていいから。そーちゃんの実家はここだよ」
「……わかりました。ありがとう、母上」
 
 実家、という言葉に胸が熱くなる。
 リュシオルは聡一朗の額に自分の額を当て、やんわりと微笑んだ。聡一朗も微笑み返すと、リュシオルの眉がゆるりと下がった。

「やっぱそーちゃん、うちのダーリンにそっくりだわ」



________

 一方、地獄では、必死にトウゴとコウトが獄主を宥めていた。

「獄主様、もう陽は落ちています。流石に今からリュシオル様を訪ねるのは、お怒りを買いますよ」
「しかし、聡一朗は夜眠れぬのだぞ。私がついていないと、また魘されてしまう」
「明日一番に菓子折りを持って訪れましょう。私も同行します」
「……」

 コウトが菓子折りと、明日の獄主の服を従者に指示している。それを恨めし気に獄主が見ているが、珍しくコウトもトウゴも聞こうとしない。

「獄主様。聡一朗様を取り戻したくば、今は我慢です。リュシオル様の怒りを買うと、今度こそアウトです」
「……」
「そんなお顔をしても、いけません。今日は早めに居に帰られて、早めにお休みください」

 トウゴに窘められ、獄主は視線を落とした。
 獄主が聡一朗の為に造った居に、戻って寝れるわけもない。

「執務室に泊まる。夕餉もいらん。下がれ」
「……御意」

 扉の閉まる音が響き、執務室に静寂が訪れる。腰に佩いていた刀をデスクに置いて、獄主はすっかり暗くなった空を見つめた。

 (こんなに寒々しい空は初めてだ)

 打ち消そうとしても、聡一朗の姿しか浮かんでこない。デスクに座り、ふっと息を吐く。書類を見る気力もない。
 おまけに目につくもの全てを、破壊し尽くしてしまいたい衝動に駆られる。
 小さく震えている自身の手を、獄主は信じられない想いで見下ろした。

(何て辛いんだ。愛する人が居なくなるというのが、ここまでの恐怖とは)
 思えば聡一朗は善人だ。きっと地獄よりも天国が合っている。
 愛してくれる両親がいて、美しい景色もきっと彼好みだろう。ここに帰ってくる望みは、どれくらいあるのだろうか。


 震える息を吐いていると、扉の開く音がする。緩慢な動作で顔を上げると同時に、声が響いた。
 獄主の強張った身体に、その間延びした声が穏やかに触れてくる。

「お~い、エン?いるのか?」
「…………っ!」
「なんだ。何回もノックしたのに反応しないから……」

 扉の前に立つのは、紛れもなく聡一朗だ。
 獄主の贈った藍色の服を身に着け、執務室にいた獄主に眉を下げている。

(幻覚か?幻覚でも良い)

 デスクから立ち上がり、獄主は歩を進める。
 めいっぱい手を伸ばし、聡一朗の腕を掴んだ。感触があることに喉を鳴らしながら、一気にその身体を抱き込む。

 いつもの匂いだ。陽だまりの中にいるような、胸の中が陽の光に満たされるような匂い。

「聡一朗……!」
「エ、エン?どうした?」

 背中を擦られると、胸の強張りがトロトロと解かされていく。獄主は震えながら息を吸って、吐いた。

「……ごめん、ちょっと遅くなりすぎたか?」
「……これは、夢か?」
「どうしたんだ。寝てんのか?あんたは」
「……聡一朗、声が聞きたい。もっと喋ってくれ」

 腕の中で、聡一朗の鈴のような笑い声が聞こえる。その後に、下手くそな歌が聞こえてきた。
 曲は「鬼のパンツ」だ。

「……ふ、ふ、聡一朗は音痴だ」

 「うるせぇ」と言いながら笑う聡一朗を、殊更に強く抱きしめた。聡一朗が苦しそうに喉を鳴らすが、離す気は当然ない。

「……エン、話したいことがあるんだ」
「私もある。聡一朗、風呂は入ったか?」
「は、入ってない、けど?」
「仮眠室の裏に、見晴らしのいい露天風呂があるが、入るか?」

(それは、一緒にってことだよな?)
 聡一朗が返答に困っていると、獄主がやんわりと笑う。

「湯に浸かりながら、ゆっくり話そう」
「……そう、だな……」
 聡一朗が顔を赤らめながら返事を返すと、獄主が額にキスを落とした。




 夜の帳が下りて、日中見える獄主の故郷の山も、あまりはっきりとは見えなかった。
 ただ月とがまんまるに輝いていて、つい見とれてしまう。

 いや、見とれていないと、目のやり場に困る。

 露天風呂は案外小さな造りだった。
 少し大きめの五右衛門風呂といった造りだ。しかし、地獄に五右衛門風呂というチョイスは如何なものかと聡一朗は思う。

「エン、これ一人で入る風呂じゃないか?」
「十分2人入れるだろ?」

(ていうか、話し合いなら執務室で出来たはずだろ……)
 今更ながら疑問に思うが、もう遅い。獄主のペースに流されるのは、いつものことだ。

 そして、相も変わらず獄主は隠すという事をまったくしない。聡一朗は腰にタオルを巻いているが、獄主は勿論真っ裸である。

 直視したら神々しさに目が潰れる可能性がある。聡一朗は急いで掛け湯をして湯の中に入った。

 長湯もしやすい丁度いい湯の温度だ。
 思えば色んな事を経験して、少し疲れもしていた。聡一朗が湯の中で伸びをしていると、獄主も湯に入り始めた。

 膝を抱えた聡一朗の隣に、獄主はぴったりと身を寄せる。

 2人で夜空を見上げるような構図になってしまい、聡一朗はくすりと笑う。湯の中で手を繋がれ、獄主の手の大きさに少し心が跳ねた。

「聡一朗。すまない」
「何で謝る?」
「聡一朗の気持ちに、寄り添えていなかった」
「……」

 掛けられた言葉に、心が震える。
 自分から言わなくては伝わらないと思っていたのに、獄主は解ろうとしてくれていた。
 それだけで、もう何もかも大丈夫な気がする。

「いや、俺の方こそ……」
「聡一朗が、子が出来ないことをそんなに気に病んでいたとは……」
「……」

(ん?なんか違うような……)

「私は本来、子など望まず生きてきた。子が出来ずとも何のことは無い」
「……なるほど、そっちか」
「?」

 問うような目を向けてくる獄主の髪を、聡一朗は撫でた。

(やっぱり伝えないと、ズレは生じるものなんだな)
 そう思うと、急に明の顔が浮かんだ。初対面なのに怒った顔しか思い出せない。

 ふす、と笑っていると、獄主に頬を包まれた。
 獄主は眉を寄せて、瞳を覗き込んでくる。解ろうとしてくれているのが、痛い程伝わってきた。

「ごめんな、エン。子供が出来るか不安、それ以前の問題なんだ」
「……以前?」
「俺が、俺自身が、母体という扱いをされているのに戸惑ってしまったんだ。花嫁になった時点で覚悟を決めるべきなのに、情けないよな」

 ぱしゃりと湯が揺れ、獄主が身体をこちらへ向けてきた。眉根には深い縦線が刻まれている。

「聡一朗は、私と子供を作りたくないということか?」
「違う違う!そうじゃなくて……」

 眉根が寄っているのに、眉尻は下がっている。今の獄主の顔は、信じていたものに裏切られたような顔だ。
 そんな顔をさせるつもりはなかったのに、と聡一朗は獄主の眉根をぐいぐい押した。

「エン、例えばなんだけど、俺の子を孕めと言われたら、あんたどうする?」
「……!」

 獄主が目を丸くする顔は貴重で、何故か優越感が湧いてくる。
 聡一朗は少しだけ吹き出しながら、獄主の眉根の皺を伸ばすように親指で擦った。

「俺の子を孕むために、もう仕事をするなとか言われたらどうする?何もする事がなくて……自分の役割が子を孕むだけの……」
 そこまで言って、聡一朗は抱きしめられた。跳ねた湯が顔にかかり、聡一朗は咽ながらも獄主を見る。

(うわ、今までに見たことない顔かも……)
 眉根どころか鼻梁にまで皺が寄って、泣き出しそうな顔だ。悔しい顔にも見える。

「……すまなかった。そこからだった」
「……そうなんだよ。そこからなんだ。本当に、面倒くさくてすまない。本来の候補者なら難なく飛び越せる壁に、俺はぶち当たってたの」
「何を謝る……」

 抱きしめられ、慰められるように髪を梳かれる。心地よさと、受け入れてくれた安堵感に目が潤んだ。

「聡一朗は、他の候補者と違う。だからこそお前を愛したのに、手に入れたらそれに寄り添わないなんて……私は本当に鬼畜だな」
「鬼畜って……言いすぎだ」

 はは、と笑いながらもまた明の顔が浮かぶ。

(怒るなんて、出来るわけない)
 獄主の胸に頭を擦りつけると、心臓の音が響いてきた。力強くて早い。
 緊張しているのかも、と聡一朗は一度身体を離し、獄主の胸に手を当てる。そしてその手を掴まれた。

「聡一朗。私はお前がいればいい。子供なんてお前が嫌なら作らなくていい。以前言ったろう、お前しかいらんと」
「……うん」
「私が子供を作ろうと躍起になっていたと感じたなら、謝る。お前は母体ではない。聡一朗だ。私が唯一愛した、聡一朗だ」

 耐えていた涙がボロボロと零れ落ちた。そして理解した。

 母体として扱われるのが不安だったんじゃない。
 受け入れられない自分が嫌われる。それが怖かったのだ。

「エン、ごめん。あんたを信じられなくて、ごめん」
「不安にさせた私が全部悪い。聡一朗を愛している。それだけは未来永劫、変わりはしない」

 少しだけ頷くと、もう一度抱きしめられる。
 もう離さないと身体全体で伝えられているようで、またボロリと涙が零れ落ちた。
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