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最終章

たくさんの嘘と、秘められた真実 1

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 応接間で待たされているルオは、出された茶を呷った。昔から地獄の茶は不味いと思っていたが、ここまで不味いと思ったことは無い。

「マダリオは何を考えている!?」
「……さあ」

 ハロルは相変わらずの無表情で、一人狼狽えるルオはもどかしさに嘆息した。

 マダリオは「霧谷聡一朗は咎人にいない」と言っておきながら、マリアと話をすると一転、聡一朗に会わせると言ってきた。当然ルオはその場で抗議した。

『先ほど、霧谷聡一朗は地獄にいないと言ったではないか。いずれにしろ、リュシオル様に報告の義務がある。マダリオ、何を隠しているんだ?』
『リュシオル様はご存知だ。対面の結果は、あとで報告する』

 現獄主のマダリオは冷静で冷徹でありながら、誠実な人柄だった。冷たい表情を崩すことはないが、前獄主のように思い付きで天国を攻撃したりはしない。
 黙々と執務をこなす姿勢は、天国の王族からも評価が高かった。

 しかしこの日の獄主は、意地でも我を通そうとする男の顔をしていた。

 納得できないルオは、再度地獄まで付いて行く羽目になった。
 花嫁候補選抜中なのにお楽しみから遠ざけられ、ルオはイライラしている。


「マリアを迎えに参りました」

 事務的な声を響かせて入ってきたのは、獄主の側近であるコウトだ。

 ルオは昔からこの男が苦手だった。まるで獄主の真似をしているのかと疑うほど不愛想で、冷たい雰囲気を垂れ流す。
 側近のくせにコミュニケーション能力が非常に乏しい。

 それに片眼鏡をどうやって嵌めているのか、いつも気になっていた。

「我々も同席して宜しいな?」
「……お好きに」

 一言残して、コウトはマリアを引いて歩き出した。

(やっぱり、いけ好かない)
 そう思いながらルオはハロルを促し、コウトの背を追った。


________

 大きな住居群の中庭に獄主の姿を認め、ルオは一瞬だけ頬を緩めた。

(相変わらず、綺麗だ)
 地獄の王族には珍しい銀色の髪。銀に縁取られた顔は、息を呑むほど美しい。

 天の王族でもこれほどの美形は珍しい。
 初めてマダリオを見た時、ルオは地獄の王族の遺伝子が馬鹿になったとしか思えなかった。

 そんな彼が、眉間に深い皺を寄せて立っている。ルオを認めると、どかどかと間を詰めてきた。

「……こっちだ」
 至極面倒くさそうな所作に、ルオも眉を寄せた。

「ここはどこだ?咎人の作業場では無いだろう?そもそもなんで嘘を……」
「聡一朗は咎人ではない。嘘は言っていない」

 獄主が建物に目を遣り、ルオを見た。

「ここは、花嫁候補の居だ。聡一朗は、私の花嫁候補だ」
「……」

 一瞬静寂に包まれ、その後ルオの叫び声が中庭に響き渡った。



________


 霧谷聡一朗がいるといわれるその居は、他の居とは比べ物にならないほど大きく豪奢だった。

 ルオが入り口をくぐると、獄主から牽制するような瞳を投げ遣られる。

「ルオは、聡一朗を見るな」
「なっ!?何故だ?」
「……とにかく見るな」

 返事を待たずに居の中に消える獄主を、ルオは奥歯を噛みしめながら見つめる。

 大きな寝台には薄緑の天蓋が付いている。幾重にも重なっているので、寝台の中の様子はうっすら影で分かる程度だ。
 誰かが寝ているのは外からでも分かった。

「マリア」

 獄主がマリアを促し、天蓋の中へと入っていく。

 外に取り残されたルオとハロルは憮然とした顔で待つしかない。コウトは天蓋のすぐ側で立っている。

 その場所からは少しだけ中が窺えるのだろう。
 中を見たコウトが眉を寄せ、痛みに耐えるような顔をした。

(何だ?今の表情は)
 まるで心痛に耐えているような顔だ。ひどく心配しているような顔は、誰に向けられたものなのだろう。


 思わずルオは立ち上がり、寝台へと近付いた。コウトの制止も聞かず天蓋の布を捲る。

 そこには、侵入者を睨み付ける獄主と、ポロポロと涙を流すマリア。そして、顔に痣がいくつも浮かんだ男が眠っていた。

(これが、霧谷聡一朗……?)
 口の端は血が滲み、頬や鼻筋などにも痣が散って、左目蓋は腫れて変色している。元の顔が分からないくらい酷い。
 しかし、そんな状態でもルオには理解できた。

「マ、マダリオ、そんな、まさか」
「見るなと言ったろう。ルオ」
「こんな人間が、地獄の候補者なわけないだろう!!」
「黙れ!!」

 獄主は銀糸を振り乱し、聡一朗を庇う様にルオの前に立つ。
 ルオも譲るつもりはなかった。

「君の美しい顔が、こんなにも憎らしく見えるなんて思わなかったよ」
「……今は黙れ。後で説明する」


 獄主は枕元で泣くマリアを振り返った。マリアは聡一朗の顔を見て、ただひたすら泣いている。

「ソウ兄さんは……どうして傷だらけなの?どうして目を開けないの?」

 ぐずぐずと鼻を鳴らしながらマリアが言うと、獄主が寝台へ座った。聡一朗の身体に手を当てながら、マリアに向かって口を開く。

「聡一朗は地獄に落ちた。でも本来地獄に落ちるべき人間じゃない。だから身体が地獄に馴染まなくて、聡一朗は身体を壊したんだ。悪い人間にも狙われて、こうして暴行も受けている」

 聡一朗の髪を労わるように撫でるが、その身体はピクリとも動かない。額の髪を掻き分けると、大きな痣がそこにも見える。

「……真実を話してくれないか、マリア。このままお前を咎人として地獄行きにするのは簡単だ。でも聡一朗が清いまま罪を着ているのは、どうしても耐えられない」

 獄主の言葉に、マリアは小さな肩をピクリと動かした。その肩がどんどん小刻みに震えていく。

 笑っている、と分かったのは彼女の口からクスクスと笑い声が漏れた時からだった。電池の切れかかった玩具のように、同じ音階の笑い声が口から漏れる。


「この人に殺されたのは事実だもん」

 少女の顔が凶悪に歪み、嘲るような笑みが顔中に広がっていく。引き攣るように笑いながら、マリアは立ち上がって聡一朗を見下ろした。

「馬鹿みたいにお人好しなんだもん!だから騙されるのよ!女の子が自爆テロ犯なんて、良くある話じゃない!」

 聡一朗を見下ろすマリアが頬を引き攣らせる。構って貰えなくて、憤りを感じているようにも見える。
 ピクリとも動かない聡一朗に向かって、マリアは怒鳴りつけた。

「最後の任務だったのよ!しくじって、こいつがいる施設に逃げ込んだのが間違いだった!」


 父も母も殺されて、幼い妹2人しかマリアにはいなかった。その2人も蔓延していた病を拗らせて死を待つだけの身だった。
 助からない病人や怪我人が運び込まれる、掃き溜めのような施設。聡一朗はそこで一人働いていた。

 妹たちの見舞いに来るマリアを、聡一朗は優しく迎えてくれた。
 兄さんと呼ぶと、呼んだマリアが驚くほど聡一朗は喜んでくれた。

「しくじって、殺されかけて……目に浮かんだのがこいつだった。逃げ込んだ施設で、私はこいつに殺されたんだ!」



__

『この怪我じゃ、助からない。となりの兵舎を爆撃するつもりだったのか?……痛むだろ?ここにいなさい』

 そう言いながら聡一朗は部屋の中の人々を見渡した。呻き声を上げる人もいれば、ピクリとも動かない人もいる。聡一朗はマリアの妹2人を抱きこんで、マリアの隣に腰掛けた。

『……ここの人たちを、巻き込む事になるね……でも外には、もっとたくさんの人がいる』

 聡一朗は注射器を取り出して、アンプルから液体を吸い上げる。

『これを注射したら君は死ぬ。だから君の罪は俺の罪だ。だからきっと、君は天国に行けるはずだ』
__


「こいつの注射で、私は死んだんだ!本当は隣の兵舎に行って、そこで爆発して死ぬはずだった!こいつが私を施設で殺したせいで、施設の人たちや妹たちは爆発で死んだんだ!」

 涙をボロボロ零しながらマリアは叫ぶ。寝台の側にしゃがみ込んで、聡一朗の身体を揺さぶった。

「……起きてよ!何寝てんのよ!……ソウ、兄さん……」

 その声に反応して、聡一朗が目を開けた。ゆるゆると目蓋を揺らしながら、マリアの方を見る。

「……あれぇ?カーラ……?」
 ふにゃりと微笑む聡一朗は、完全に覚醒していないようだった。どこか朧げな目でマリアを見ている。
「……カーラ、天国に、行けたか?家族に会えた?」


(そうだ。私はソウ兄さんに、本当の名前すら教えていないんだった……)
 偽りの名前、偽りの素性。
 そんな自分でも受け入れて、優しくしてくれたのは聡一朗だけだった。
 

 聡一朗の手を取って、マリアは頬を擦り寄せた。

「行けたよ、天国。家族にも会えた。ありがとう、ソウ兄さん」
「そか……良かった……」

 殆ど寝言のような言葉を残し、聡一朗はまた目を閉じる。
 マリアは聡一朗に縋ったまま、しばらくすすり泣いていた。
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