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後半戦

心の蓋 2

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 硬い地面に落とされて、聡一朗は唸った。手首は後ろ手で縛られている。

 獄主に散々虐め抜かれた身体は熱を持っていて、トウゴの処方した薬で眠気も襲っていた。意識が浮いたり沈んだりしている時に、担がれたのは覚えている。

『良かった。好都合……』

 弱っている聡一朗を見て誰かが呟く。その声には悪意が無くて、安堵が滲んでいた。その後担がれて、しばらくしてから降ろされた。

 降ろされた先で見たのは、美しい顔を醜く歪める男だった。聡一朗を担いで来た者は、小走りでその男の後ろへ立った。世話役の鬼のようだ。

「こんにちは、十居の候補者」

 男が候補者という事は分かったが、聡一朗にはどの居の候補者なのかは分からない。
 聡一朗は落とされた地面でぼーっとその候補者を見つめる。すると候補者が近寄り、聡一朗の髪を掴んだ。

「僕は浅井高志。三居の候補者だよ、霧谷聡一朗。あんたの身代わりになった候補者だ」
「お、れの?」

 言うなり、聡一朗は顔を歪めた。
 浅井から漂ってくる咎津が、身体を絡めとるように漂ってくる。気分の悪さに喉を鳴らすと、浅井が嘲笑を含んだ笑みを向けた。

「なんでこんなおっさんが好きかなぁ?僕さ、獄主様に一回抱かれたんだけど、抱いている間、獄主様がずっと言うんだ。そういちろう、って」

 掴まれていた髪を引っ張られ、聡一朗は浅井を見た。

 一体こいつは何時の事を言っているんだろう。いつ獄主はこいつを抱いた?そう思いながら痛みと気分の悪さに、聡一朗は顔を歪めた。

 浅井が聡一朗の髪を離すと、聡一朗は力なく地面に落ちる。その姿を浅井は忌々し気に見た後、聡一朗のわき腹を容赦なく踏みつけた。

「ぐっ……!」
「そういえば何であんたそんなに弱ってんの?まさか抱き潰されたとか言わないよね?こんなオヤジが?獄主様って、相当趣味悪いんだ?」
「……るせぇ。あいつを悪く言うな……」

 聡一朗の言葉に浅井は醜悪に顔を歪めた後、愉快そうに笑みを浮かべた。その顔のまま聡一朗のわき腹を蹴り上げ、金切り声を上げる。

「まじキモイ!おっさん、獄主様の事好きなの?まじで鏡見た方がいいわ!ぜんっぜん合わねぇし、ほんとキモイ」

(語彙力……あとすげぇ痛ぇ)

 見目麗しい見た目に反して、浅井の暴力は遠慮が無く激しい。
 ぼーっとしていた頭が少しずつ鮮明になり、その分与えられる痛みも鋭くなっていく。無防備な体勢で殴られ続けるのは、流石に身体に応えた。

「た、高志様、そのくらいにしておかないと、あの、獄主様にも……」

 小さく怯えたような声が聞こえる。その声は多分、聡一朗をここまで連れてきた鬼だろう。視線を上げると、その鬼が見えた。

 髪は白髪で、角が一本折れている。中年くらいの鬼だが体つきはしっかりしていて、他の鬼より一回り大きい。

 異様なのは、その鬼が痣だらけという事だ。顔には打撲痕や裂傷があり、あまり手当てもされていないようだった。
 服から覗く鎖骨には大きな痣が見える。見えていない部分にもたくさん痣があるに違いない。

「うるせぇ!殴られたいのか!」
「……っ!」

 浅井に怒鳴られ、その鬼は身を硬くした。
 明らかに怯えている表情を浮かべる鬼は、聡一朗をチラチラと見ながら身を屈める。

「ほ、他の候補者を傷つけると……高志様が、お叱りを受けます……現に八居の候補者も……」
「チッ!まじでうるせぇ。他の鬼、殺されたいのか?」
「!!いいえ、高志様、おやめください……!どうか、罰は、私が受けますので……!」

 聡一朗は耳を疑った。
 出来る限り周囲を見まわすと、他の鬼たちは跪きながら微かに震えている。
 暴力の矛先が今度はどこに向けられるか、怯えて震えているのだ。

「……おい、お前、何がしたいんだ?」
「ああ?」

 突然喋り出した聡一朗に、浅井は鋭い目で睨み付けた。ビリビリと殺意にも似た威圧感が漂ってくる。
 こいつはこうやって鬼たちも支配下に置いていたのだろう。

「俺をどうするんだ?ボコボコにして消滅させるか?じっくり考えろよ、遊んでないで」
「……おっさん、まじで煽んな?」

 またわき腹を蹴りつけられ、聡一朗は呻いた。先ほどから同じところを蹴りつけてくるあたり、根っからの嗜虐性が窺える。

「あんたを監禁して拷問する。んで、獄主が帰ってきたら、鬼に犯されてるあんたを見せるってどぉ?」
「……浅井君。そんな事してどうなんの?獄主が欲しいなら、もっと他の事でアピールしなよ」

 浅井は聡一朗の言葉に首を傾げた。その仕草単体で見れば、非常に可愛らしい男性だ。
 しかしその顔が醜悪に歪むと、先ほどの可愛らしさが吹き飛ぶ。

「なにいってんの?花嫁になんか、もうならない。俺はね、愛する人が絶望に打ちひしがれる顔が一番の好物なんだよ。……その為だったら、死んでもいい」

 浅井は恍惚とした表情を浮かべ、身体をくねらせる。身体を微かに揺らしながら、口元を緩ませた。

「あの獄主様が、打ちひしがれている所を想像するだけで……もう堪らないよ。その後、僕は消されるのかな?消滅させられる時、僕にどんな顔を見せてくれるんだろう……」

(こいつ、ヤベェやつや)
 候補者は罪深い屑を選ぶと聞くが、サイコパス検定はやった方が良いのではないか。
 呆れた顔を向けていると、また鋭い蹴りが飛ぶ。

「こいつ、どこに監禁しようかな……」

 浅井の独り言を聞きながら、聡一朗は溜息を零した。



________

 天国にも牢があることは知っていたが、実際に入った者は居なかったらしい。

 マリア・ヴェール、12歳。その少女は牢獄で静かに座っていた。
 物言わず一点を見つめている顔は、何の変哲もない少女に見える。

「マリア、入るよ」
 ルオがひと声掛けると、マリアがこちらを見た。その瞳は真っ黒な空洞のように、何の感情も籠っていない。

「マダリオは咎津に魅かれるんだったっけ?大丈夫そう?」
「このくらいなら問題ない」

 候補者と比べれば少ないが、かなり強い方と言えるだろう。
 ルオがマリアに近付き、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「マリア、もう一度、自分が死んだ理由を教えてくれ」
「……ころされた……」
「誰に?」
「ソウ兄さんに……」

 マリアの声は消えそうなくらい小さい。
 か細い声で、無垢そうな少女が放った言葉だ。普通なら信じて同情するだろうが、獄主は腹の底から怒りを覚えた。

 聡一朗がこんな少女を殺すだろうか。
 獄主は立ったまま、その少女に問いかけた。

「爆弾で殺されたのか?」
「……」
「爆弾テロで死んだんじゃないのか?」

 獄主の言葉に少女は答えず、膝を抱えて蹲ってしまった。その身は僅かに震えている。
 ルオが鼻から息を吐き出して、獄主を仰ぎ見た。

「ずっとこの調子なんだ。精神を病んでいるように見えないか?天国に来たら過去の心の傷は消えるはずなんだ。辛かった想いも全部清算されて、朗らかに天国で過ごせる。ところが彼女は救済にあやかれない。これも彼女に罪がある証拠だ」

 罪という言葉に反応して、マリアは増々身を縮こまらせる。
 獄主はマリアを見下ろしたまま、僅かに歩を進めた。

「ソウ兄さんか。以前から知っていたような口ぶりだな。爆弾テロ犯と親しくしていたのか?」
「………ちがう」
「ソウ兄さんは、優しかったんじゃないか?」

 獄主の言葉にマリアは驚いたように顔を上げ、顔を歪めた。唇を噛み締め、泣き出しそうな表情に、少しの後悔と絶望の色が浮かぶ。

「良く笑って、良く喋って、強くて頼もしい人じゃなかったか?人の話を真剣に聞く、優しい人じゃなかったか?」
「……っ!私は、ソウ兄さんに、ころされた。うそじゃない!」
「優しいお兄さん地獄でどうなっているか、お前は考えたことがあるか?」

 マリアの頬を一筋の涙が伝い、口はへの字に折れ曲がった。12歳とは思えないほど幼い泣き顔で、獄主を見つめる。

「……私は、天国に来た。どうして天使さまは、私を閉じ込めるの?どうして、パパやママに会えないの?」
「……パパやママに会えると、誰が言った?ソウ兄さんか?」

 マリアは頭を振ると、自身の折り曲げた膝頭に伏せる。しばらくしてマリアは顔を上げ、どこか縋るような瞳で獄主を見た。

「ソウ兄さんは……どこにいるの?」
「地獄だ」

 獄主がそう答えるのを、ルオが目を見開いて見つめる。
 不本意だが、もう隠し通せない。聡一朗がこのまま見つからなかったら、どのみちルオはリュシオルに報告するだろう。

 マリアも自分の罪に気が付かないまま地獄に来てしまえば、罪は清算されない。

(それに、聡一朗が罪を着せられているのが一番腹立たしい)

「ソウ兄さんに、会いたい」
 マリアが涙を零しながらルオに訴える。
 まるで家族に会いたいと懇願しているような顔に、獄主は唾棄したくなりそうな衝動を抑え込んだ。
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