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後半戦

心の蓋 1

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 広大な草原の中に立てられた建物は、天国の使者を接待するためだけに使われる。
 その建物は円柱で、屋根が無い。
 羽根を持つ彼らが出入りしやすいようにと造られたそうだが、明らかに皮肉を含んでいる。
 
 獄主は天使たちが扉から入ってくる気配を感じながら、屋根のない天井を見上げた。しばらくそうしていると、澄んだ声が響いた。

「だから、そこからは入んないよ」
「知っている」

 如何にも天使らしい笑顔を湛えて入ってきたのは、天国の長であるルオ。やや後方から、ルオの護衛であるハロルが続く。
 金髪にクルクルの巻き毛のルオは、瞳は青色と天使のテンプレを背負って立つような容姿である。

 ルオは建物に入るなり獄主に手を伸ばし、獄主も躊躇うことなくその手を握り返した。

「しばらくだな、マダリオ」
「ようこそ。ルオ」

 ハロルの後ろからは、護衛がゾロゾロと続いている。その数の多さに、コウトは眉を顰めた。

 天主がこれほどの護衛を従えて地獄に来るという事は、余程大事な別件があるのだろう。

 フウトとライトも今日は姿を現したまま、獄主の後ろで控えている。万全の態勢を取っているとは言い難いが、話し合い次第ではこちらも増援を呼ぶ体制は整っている。

「これがその聖剣だ」
「ああ、これか」

 獄主とルオの間には石造りのテーブルがあり、そこに聖剣が置かれていた。
 ルオはそれを手に取ると、興味深げに刃先を撫でる。

「驚いた。これは前衛軍の剣じゃないか。良くこんな力の強いものを、地獄に置いていたな」
「サイクロプスの喉に刺さっていた。恐らく先の小競り合いの時のものだ」
「前衛の騎士が何人かいないと思っていたが、食われていたか?」
「……そのようだな」

 淡々と答える獄主の顔を見て、ルオはクスクスと笑い出した。邪の無い笑顔だが、どこか仄暗い湿り気を帯びている。

「マダリオは相変わらず綺麗だな。歴代獄主とは大違いだ。本当に美しい」
「……お前はそんな話をしたいが為に、ここへ来たのか?」
「酷いな。私たちは友人だろ?たまに会って話をしても罰はあたるまい」

  ルオは石造りの長椅子に腰掛け、獄主にも座るよう目で合図をする。

 ルオは天主になって永い。前獄主の時代から天主の座にいるため、年齢も獄主より断然上になる。

 上下関係は無いが、獄主はその辺の礼は尽くすたちである。言われたままに座ると、獄主は酒の手配を指示した。

「天国も最近は忙しくてね。皆居心地が良いみたいで、転生してくれないんだよ。最近は違う世界に転生したいとか言う輩も多くて困っている」
「……そうか」
「転生する際に何かスキルを与えてくれますか?とか訳のわからない事を言い出すやつも多くてね。地獄はどうだ?最近変わったことは?」
「特にないな」

 コウトは酒の準備をしながら口を引き結んだ。獄主のはやく帰れと言わんばかりの会話に、思わず頬が緩む。

「しかし地獄も緑が増えたな。マダリオが獄主になってから争いも減ったから、焦土にならなくて済んでいる。良いことだ。これからも平和主義でやろう。なぁマダリオ」
「ああ」
「……今度はマダリオが天国に遊びにおいで。娘が産まれたばかりでね、愛くるしくて毎日幸せだよ。毎日執務に追われ大変だろう、休暇と思って来てくれれば歓迎する」
「そのうちな」
「………あ、ああ、そうだ。今年は桃鹿が豊作でな、地獄にも多めに……」
「それは欲しい」

 急に食い気味に来た獄主に、ルオは虚を突かれて目を見開いた。

 ルオの態度の変化に気付いたのか、獄主はハッとした顔をして酒を口に運ぶ。
 そんな獄主を見て、ルオが眉を下げた。今度は淀みのない笑みだ。

「驚いた。見ない間に表情が増えたね、マダリオ。ぐっと綺麗になった」
「……そうか」

 コウトは以前から気付いていたが、ルオが獄主に向ける瞳には秘められた感情が混じっている。それは獄主の就任式の時から感じていた事だ。
 天国の主と地獄の主という関係性の為、ルオも秘めて留めてはいる。だがこうして会うと、駄々漏れだ。

「ルオ。今日は雑談をしに来ただけか?何か話があるなら、酔う前に言ってくれ」
「……そうだな。大事な話だから、先に言っておくか」

 ルオは持っていた盃をテーブルに置くと、獄主を見据えている。真剣になったルオの表情に、コウトは思わず身を硬くした。

「実はね、魂の選択をミスった案件が発生したんだ。天国行きと地獄行きを分けるのは精霊達だから、間違う事は無いと思ったんだが……」
「ミス?何があった?」
「天国に、とんでもない罪の匂いをさせた人間が来てしまったんだ。おかげで周りの無垢な人間が、バタバタと中毒で倒れてしまってパニックだよ。まだその子は天国にいて、仕方がないから幽閉している」

 候補者の話ではないが、話の筋に獄主は思わず動きを止めた。

 境遇が、あまりにも似通っている。
 天国に居てはいけないほどの罪を抱える人間と、地獄にいてはいけない程の善人。
 関係性が無いとは思えない。

「彼女の死因を調べたら、殺されている筈なんだよ。爆弾テロで」

 獄主が僅かに膝を鷲掴んでいるのを、コウトは見た。そんな獄主に気が付かないまま、ルオは話を続ける。

「無残に殺されている筈なんだ。なのに彼女の罪の匂いは凄まじい。おかしいと思って、彼女を殺した人間を調べた」

 ルオがテーブルに二枚の書類を置いた。
 一方は少女の写真が付いた書類だ。髪を三つ編みにした純真無垢そうな少女で、微かに笑っている。名前はマリア・ヴェール。
 そしてもう一方の書類は、獄主が何度も見直した書類だった。

「この男。霧谷聡一朗、そっちにいない?」

 ルオがコツコツと書類を爪で叩く。書類の聡一朗は相変わらず無表情で、普段の彼とは程遠い。
 急に今朝の聡一朗が脳裏に浮かび、獄主は心が抉られるように痛んだ。

 言葉に詰まった獄主に代わり、コウトが口を開いた。
「咎人に、このような者はおりません」

 コウトの返答に、ルオは眉を引き寄せる。
「いないのであれば、尚更おかしい。彼女が一人間違えられて天国に来て、彼女の死因である男の魂が行方が不明なんて大問題だ」

 ルオは顔を歪めた。心痛に耐えているといった表情で、コウトを見つめる。

「もしも手違いで、彼が天国にいるべき善人だったらどうする?何と惨いことか。無垢な魂で地獄なぞ行けば、中毒でたちまち消滅してしまう」
「……咎人が消滅する際は、必ず鬼が立ち合います。今のところ、そのような者はいません」

 コウトは真っすぐ前を見据え、ルオは獄主とコウトを交互に見た。大問題に対して冷静な獄主等に、戸惑いの表情を浮かべている。
 心中穏やかではないコウトは、静かにごくりと喉を鳴らした。

「マダリオ、どちらにしろ彼女は咎人で間違いない。地獄に引き渡すには、獄主である君に直接来てもらう決まりだ。来てくれるね?」
「……承知した。コウトはここに残り、受け入れ準備を整えろ。フウトとライトは……」

 聡一朗に付いておけと言いたかったが、専属の護衛である2人が同行しないのは不自然だ。フウトとライトは意を察し「同行します」と頷いた。

「恐らく丸一日程不在する。後は任せたぞ、コウト。トウゴにも知らせ、しっかり管理せよ」
「御意」

 管理とは聡一朗の事を言っているのだろう。獄主の胸中を思うと、コウトは胸が痛んだ。



________

 テキロは昼餉の後、新しい居で寝ている聡一朗の元を訪れた。

 トウゴに言われて初めて、テキロは聡一朗が寝込んでいる事を知ったのだ。
 焦って聡一朗の元を訪れたのだが、寝台に横たわる聡一朗はテキロを見ると、眉を顰めた。

「俺は大丈夫だから、もう来るな。身体が良くなったら、十居へ戻る」
 寝台から身を起こせないような状態で、聡一朗は言い放つ。枕に顔を埋めたまま、テキロの方を見ようともしない。

「で、でも、聡一朗こんな状態なのに……」
「ここには、獄主の侍女がいる。大丈夫だ」

 突き放すような言い方に、テキロは思わずムッとした。

 そしてテキロは言われた通り、その日は聡一朗の元を訪れなかった。腹が立ったのもあるし、自分がいらないと言われた気がして拗ねていたのだ。

 しかしテキロはこの後、その行為をひどく後悔することになった。

「聡一朗様がいません!」
 悲鳴に似たその声は、十居にも残酷に響き渡った。
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