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前半戦

33.獄主と、聡一朗 (上)

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 ライトの気配を感じ、獄主は酒を飲む手を止めた。

 護衛2人を先に聡一朗の元へ向かわせたのだが、ライトだけが戻ってきたとなれば、何かあったのだろう。
 何もなかった空間にライトが現れ、その顔は何時になく焦っている。報告を聞くことなく獄主は腰を上げ、聡一朗の元へと向かった。


 突然の獄主の登場に聡一朗の周りにいた鬼たちが、蜘蛛の子を散らすかのように道を開ける。

 遠目に見えた聡一朗は、いつもと同じに見えた。獄主が近付くと、聡一朗も獄主に気付いて顔を上げる。

 聡一朗は獄主を認めると、まるで花が咲くように微笑んだ。
 普段聡一朗が向けてくる笑顔とは、まったく違う。その情の籠った笑みに、獄主の心臓が狂ったように跳ねた。

「そ、聡一朗、大丈夫か?」
 獄主は聡一朗の側に膝を折ると、目線を合わせる。
 聡一朗にひどく酔っている様子は無い。しかし振り撒いている色香が、普段とは桁違いだ。

 聡一朗はふふ、と笑って獄主の髪に指を絡めた。

「獄主……」
 獄主の髪をすくって、聡一朗はその髪に唇を寄せた。目線だけを獄主に寄越し、その美しい双眸をやんわりと細める。
 朱く染まった唇を動かして、聡一朗は言った。

「待ってたよ」

 僅かに眉を顰めて悲愴感を漂わせ、その後妖艶に微笑む。獄主はおろか周囲の鬼たちも、ごくりと喉を鳴らした。

 その姿が可笑しいのか、聡一朗はまた鈴のなるような声でクスクス笑い始めた。いつもの腹を抱えて笑う姿とは、似ても似つかない。

 聡一朗の前に置かれた座卓を、獄主は雑な手つきで脇に押しやった。聡一朗と獄主の間に障害物が無くなると、聡一朗の腕を引いて立たせる。

「ライト」
「はい、後はお任せを」

 物言わずして成立する会話を、獄主は今この瞬間ほど感謝した事はない。
 少しだけふらつく聡一朗の腰に手を回すと、獄主はしっかりとした足取りで歩き出した。

「獄主?どこへいく?」
「新しい居の中を特別に見せてやる。そこで飲み直しだ」
「やったぁ」

 獄主の腕に甘えるように絡みつく聡一朗に、メーターが振りきれんばかりに獄主の心臓が暴れまわる。
 ぐぅと喉を鳴らすと、獄主は聡一朗を抱き上げた。

「まったくお前は……本当に……何というやつだ」
 いつもなら不満を並べたてる横抱きにも、聡一朗はふにゃりと顔を緩ませる。

「獄主~顔が恐いぞ~」
 聡一朗の呑気な声を聞きながら、獄主は居の扉を蹴って開いた。


 
 新しい居は獄主の居より大きい。

 寝室と言うには大きすぎる部屋は、庭に面する扉を全て開くと庭が一望できる造りだ。

 使われている材料は多くが黒檀で、落ち着いた雰囲気を感じさせる。随所に下げてある薄緑色の薄布が、風に乗ってふわりと揺れ動いていた。
 聡一朗は部屋を見回しながら、感嘆の吐息を零す。

「綺麗な居だな」
「……そうか」

 部屋に置かれていた大きなクッションに聡一朗を座らせると、獄主は座卓を取り出して酒を置く。
 「用意が良いな」と言いながら、聡一朗は盃を掲げる。
 カチンと音を鳴らして盃を合わせると、やっと笑みを見せた獄主に聡一朗はまたふにゃりと笑った。


 ふわりと夜風が舞い、外で宴会している鬼たちの声が小さく届いた。
 皿の触れ合う音も聞こえ始めたという事は、もう片づけが始まっているのかもしれない。

「こんな居、どうするつもりだ?」
 獄主の居より大きなここに、誰が住むのだろう。
 獄主は鳶色の双眸で聡一朗を見据える。その瞳は凪いていて、一つの迷いも無い。

「……」
「何だ?内緒か?」

 聡一朗が笑いながら言うと、獄主は聡一朗に手を伸ばした。その手が頬に触れて指先が耳朶に届くと、聡一朗が僅かに身を反らす。
 空に置いて行かれた獄主の手を見つめたまま、聡一朗は口を開いた。

「……今日は、一居に行ってきたのか?」

 聡一朗は、どうしてこんな事を聞いてしまうのか、自分自身でも分からなかった。
 しかし酔いが回った頭では、制御が効かないまま何もかもが溢れ出る。

「そうだ」
「……上手くやれそうか?」

 どことなく投げやりな物言いに、獄主は聡一朗の瞳をまっすぐ見つめた。しかし、聡一朗は目を合わせようとしない。
 いつもの朗らかな態度とは違った、憂いを帯びた表情に獄主は息を呑んだ。

「もしかして、嫉妬しているのか?聡一朗」
「………嫉妬?」

 嫉妬という単語に、聡一朗は戸惑いを見せた。眉を寄せて獄主を見据える。その顔は悔し気に歪んでいた。

「俺にはそんな資格は無い。………自分の立場ぐらい、わきまえているつもりだ」
 聡一朗は手に持っていた盃を、噛みつくように呷る。

 すると獄主がその手を掴んだ。飲みそこなった酒が口の端に垂れ、聡一朗は驚いて獄主を見た。

「聡一朗は、私を……好いてくれているのか?」
「………何を今更。好きだよ」

 獄主の双眸が開かれ、聡一朗は眉を顰めた。
 獄主の瞳はそこまで大きくなるのか、と呑気なことを考えていたらまた笑いを漏らしてしまう。笑う聡一朗を戒めるように、獄主が強く肩を掴んだ。

「そ、それは友人としての好きではないのか?」
「……もう友人じゃないんだから、違うんじゃないか?」

 獄主の顔が苦し気に歪められ、つぎの瞬間抱きしめられた。強い抱擁に、聡一朗は息を詰める。
 肩口から獄主の切羽詰まったような声が零れた。

「………聡一朗は私を、愛しているという事か?」
「それは……分からないな。俺は、人を愛したことが無いから」
「……っ」

 獄主が抱きしめていた腕を解いて、聡一朗の肩を掴んだ。
 聡一朗と瞳を合わせると、獄主は訴えかけるような表情を浮かべる。

「私も人を愛したことは無い。でも解る。私は聡一朗を……」

 そこまで言った獄主の唇を、聡一朗が指で押さえる。続く言葉が聞きたくないといった仕草に、獄主の顔が歪められた。

「……駄目だ」
「……何故だ?」
「あんたは心を捧げる相手を、間違ってる」

 突き付けられた言葉に、獄主は怒りが込み上げてきた。怒りに任せて聡一朗の手首を掴み、クッションへと組み敷く。
 聡一朗は喉をぐっと鳴らすと、獄主を眉を寄せて見上げた。その瞳を威圧するように獄主が見据える。

「なぜお前に、私の気持ちを否定されなければならない!?」
「あんたが大事だからだ。俺みたいな屑に、あんたは任せられない!」
「っつ!ふざけるな!……私がどれだけ、お前を欲していると思う!?」

 掴んでいた聡一朗の手を、獄主は自身の胸に押し付けた。
 ドクドクと荒れ狂う心臓の鼓動が手に伝わると、聡一朗は怯えたように手を引く。しかしその手が離されることは無かった。

「お前の全てが欲しい。身体も、心も全てだ!」

 激しい劣情に身を焦がされるのも、聡一朗だからだとはっきり言える。
 これが間違いだとは到底思えない。

 獄主は眼の前の聡一朗を、激情のまま睨み付けた。

 酒に酔った聡一朗は、頬が朱に染まって瞳は潤んでいる。眉を下げ、獄主を見上げる顔は、まるで泣いているようにも見えた。
 そして、聡一朗の口が動く。

「じゃあ、やるよ」

 聡一朗の言葉に、獄主は戸惑いの色を浮かべる。その言葉には一つの迷いもなかった。

「エン。俺をあんたにやる。俺の全てはエンのものだ」

 獄主の顔がみるみる緩んで行くのを、聡一朗はじっと眺めた。
 獄主は掴んでいた手を離し、聡一朗の頬を包み込む。その手を、聡一朗が撫でた。

「エン……ごめん」
「……なぜ謝る?」

 その問いに答えないまま、聡一朗は悔し気に眉を寄せた。
 その表情が胸を突き、獄主は聡一朗に唇を合わせる。軽く啄んで離れると、聡一朗の耳元で呟いた。

「今から、聡一朗の全てを貰う」
「……分かった」
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