上 下
32 / 49
前半戦

31.獄主、聡一朗の寝室へ泊る

しおりを挟む
 聡一朗は風呂から上がると、欠伸を噛み殺した。目をごしごし擦って、和室を見る。
 片隅に布団を敷いて寝ているのはテキロだ。

 改修を手伝っていたテキロも疲れていたらしく、夕餉の最中に舟を漕いでいた。今日は早めに休むように言ったが、聡一朗の入浴中に素直に寝たようだ。
 もうすっかり爆睡しているようで、妙な寝息が聞こえる。鼻でも詰まっているかもしれない。

 聡一朗も疲れてはいたが、これくらいの疲れは慣れたものだった。
 それにもう夜の帳は下りているので、身体を休めることは諦めている。

 聡一朗は寝台に上がり、クッションを積み上げた。それに凭れ掛かると、ふぅと息を吐き切る。

 今日は眠りたくなかった。
 眠れば悪夢が待っている。せっかく昼間楽しかったのに、台無しになりそうで恐かった。

 しかし寝室にいては、眠気は襲ってくる。

 やはり庭でも歩こうかなと、聡一朗は腰を上げた。そこでピタリと固まった。寝室の入り口にいつの間にか獄主が立っていたからだ。

「聡一朗、どこへ行く?」
「いや、どこへ行くって、何故ここにいる?」

 獄主も風呂上がりなのか、着流し一枚だ。不満そうに眉を寄せるが、口元は緩んでいるように見えた。

「候補者の居に来るのに、理由がいるのか?」
「あ……え?って、ことは?」

 そこで、聡一朗の眠気は吹き飛んだ。
 何時の事だったか、テキロとやり取りした言葉が頭の中に響き渡る。

『テキロ……今更なんだが、獄主が夜に居に来たら、その、やるのか?』
『勿論。というか、その為に居に来るんだろ?』


 心臓がぐっと締まり、全身の毛穴がぶわりと開く。完全に失念していた。毎晩その可能性があるという事を。

「まさか、そんな……今日、これから?」
「そうだな。……そうするか?」

 獄主は言いながら、やんわりと笑う。余裕に溢れているその態度に、狼狽える聡一朗は言い返す言葉もない。
 獄主は狼狽える聡一朗を満足そうに見て、また一層笑みを浮かべる。
 そして、手に持っていたバッグを掲げた。

「漫画だ。一緒に読むか?」
「……へ?漫画?」

 獄主が寝台へ近付き、バッグから中身を取り出した。
 それを見て、聡一朗は瞳を輝かせる。

「これフウトさん達に借りる予定だった、漫画の続巻!」
「あと10巻で完結だ。読むだろ?」

 微笑みながら言う獄主に、聡一朗はコクコクと頷いた。



________


 寝台の上に男2人、並んで座っている。
 聡一朗はクッションに凭れて漫画を読み、獄主はしっかり腰を立てて書類を捲っていた。

 こんな時間まで仕事かよ、と聞いたが、別に急ぎでは無いと言う。
 じゃあ取り立ててやる必要も無いのではと思うが、あまり追及すると違う事をする可能性もある。結果、聡一朗は黙っておくことにした。

 獄主のページを捲る音が、妙に心地良い。

 パラリと音がした後、スス、と書類を指で擦る音がする。癖なのか、頻繁に紙の上を擦る音が聞こえると、くすくすと笑い出したくなる。

 聡一朗が読んでいる漫画も、もう5冊目に入った。もう真夜中と呼べる時刻だ。次第に目蓋が重くなってくる。

 獄主と聡一朗の肩は触れ合うくらいの距離だが、そこがとても温かい。うつらうつらするのが嫌で、聡一朗は緩く頭を振った。

「聡一朗、眠いのか?」
「んん、寝たくない」

 睡魔に襲われ、駄々っ子の様な返答しかできない。
 獄主から髪を梳かれ、親指で眉を擦られると、もう駄目だった。

「聡一朗、寝ると良い。私なら気にするな」
「……んん……」

 手に持っていた本さえ持てなくなると、獄主に頭を引き寄せられる。そのまま髪を撫でられると、味わったこともない心地よさが身体を巡る。
 聡一朗が意識を手放すのに、時間はかからなかった。



「っ!っひ……!」
 胸の中で穏やかな寝息を立てていた聡一朗が、ビクリと身体を揺らす。
 彼は今、悪夢の中にいる。抗えない恐怖に、身を震わせている。

 リュシオルに聞いた通りの過去なら、聡一朗のこれはその時のトラウマが原因だろう。
 児童虐待を受け、血を吐く思いで支えた妹を道連れにされた。どれほど辛かったか想像もしたくない。

 獄主は聡一朗を抱きしめると、耳元に口を寄せた。

「しー……大丈夫。聡一朗、こっちにおいで」

 穏やかな声で言うと、聡一朗は声の出所を探すように頭を振る。助けを求めるような仕草に、心が凍みるように痛んだ。

 何度か彼の夜に付き添い、獄主は打開策を探っていた。結果、優しく声をかけるのが一番効果的だと気付いたのだ。
 その証拠に最近は、以前のような過呼吸までには至らない。比較的短時間で症状が治まるようになっている。

 穏やかな寝息を立て始めた聡一朗の鼻梁に、獄主はそっと口付ける。

「毎晩こうして眠れたら良い」
 その為の改修工事でもある。
 聡一朗を一層腕の中に抱き込んで、獄主も目を瞑った。



________


 テキロは目の前の光景に、心臓の機能を停止させた。

 聡一朗の言葉を借りるのは悔しいが、恐らく今の自分には黒目が無いだろう。

 朝、聡一朗を起こすのはテキロの仕事だった。決められた時間に、寝室を訪れる。
 テキロが起こしに行くと、聡一朗はもう起きているか、作業場に行っていることも多い。

 欠伸を噛み殺しながら、今日も聡一朗の寝室のドアに手を掛けた。

「聡一朗、朝だぞ……」

 他の候補者じゃ考えられない事だろうが、テキロはノックもせずに扉を開ける。

 そこには普段より大きな布団の膨らみがあった。明らかに聡一朗一人ではない。

 一瞬思考が停止し立ち尽くしていると、膨らみがモゾモゾ動き、中から艶やかな銀糸が現れた。
 この時点で、心臓は止まっていたとテキロは思う。


 長い銀糸を垂らしながら上体を起こし、獄主はテキロを見た。

 そして人差し指を口元に当てる。「静かに」のジェスチャーであることは、馬鹿でもわかる。
 そして、獄主の隣には……もう言うまでもないが、聡一朗が寝ていた。

 慌てて頭を下げると、テキロはその姿勢のまま後ろへ下がる。足が縺れなかった事を褒めて欲しいぐらいだ。
 静かに扉を閉めると、いつの間にか止めていた息を吐き切る。


(びっくり、した……)
 獄主が十居にいた。夜に来たのだろうか。全然気が付かなかった自分の愚かさを呪う。
 聡一朗と一緒に寝台に一緒に寝ていた、という事は……そういう事なのだろう。

(そ、聡一朗……お前、ついに……)
 感慨深くなると共に、何となく寂しさも湧いてくる。
 ずっと童貞仲間だったやつが卒業した時の感覚と似ているが、聡一朗の場合は処女喪失という事になるだろう。

「処女……」
 これほど聡一朗に似合わない単語は無い。複雑な面持ちで立ち尽くしていると、いきなりフウトとライトが姿を現した。
 2人とも頬が緩みまくっている。

「安心しろテキロ。まだ処女だよ」
「……うそぉ!?寝室で2人で寝てたのに?」

 フウトとライトはお互いにニヤニヤ笑い合うと、コクコクと頷く。まるでご褒美を貰ったかのように、目元も口元も緩みっぱなしだ。

「2人で漫画読んでただけだ。愛だよなぁ」
「ま、漫画?」
「テキロ、聡一朗様が不眠症って知ってたか?」
「……え?」

 確かにテキロが起こしに行くと、聡一朗はいつも起きている。
 寝ていたのを見たのは、聡一朗が自分が死んだと思っていた朝だけだ。聡一朗の寝顔を見たのはあの時が初めてだったので、こっそり観察したのを覚えている。

 昼寝が多いのはそのせいか、と今更気付く。これでは世話役失格だ。

「夜中うなされて眠れないらしいぞ。付き添ってやりたいから漫画貸せって言われた時には、鼻血出るかと思ったよ」

 フウトが言い、ライトが胸に手を当てた。「尊い」と言いながら、恍惚の表情を浮かべている。
 あんぐりと口を開けたままのテキロに、フウトはニヤリと口端を吊り上げる。

「目覚めの一発があるかもしれんから、気を抜くなよ?」
 その言葉に一気に赤くなるテキロを、フウトとライトが笑い飛ばした。




________


 突然むくりと起きた聡一朗に、獄主は思わず目を丸くした。

 先ほどまで寝顔を堪能していたのに、急に身体を起こしたのだ。まるで腹筋でもしているかのようだった。死人が急に生き返る様とも似ている。

 聡一朗は窓を見て「あさ……」と呟くと、突然寝台を降りた。
 獄主が聡一朗の行動に目を白黒させていると、事もあろうに聡一朗は獄主を背に服を脱ぎ始めたのだ。

 躊躇うことなく前紐を外し、肩が露わになった。
 普段から陽に当たっているせいか、服を着ている部分は驚くほど白くて透き通っている。僅かに薄桃色の色がさして、まるで少年のような無垢な肌だった。

 肩から着物が外れると、着流しは抵抗なく床に落ちる。
 肩甲骨の膨らみから腰まで、一切無駄な肉は付いていない。男性にしてはかなり細いが、しっかりと筋肉の陰影が浮かんでいる。

 窓辺に掛けられていた今日の着物を取ろうと、聡一朗が手を伸ばす。獄主側へと尻を突き出す体勢になり、獄主が思わず声を上げた。

「そ、聡一朗……!」

 その声に、聡一朗は頭だけ振り返る。
 聡一朗は獄主を見て、大して驚きもしない。「おお」と言う言葉だけを残して、掛けていた上衣を取った。

「そうだ、獄主も一緒だったな。おはよう」
 上衣の袖に腕を通し、前紐を結びながら微笑む聡一朗に獄主は唖然とする。同時に憤りも湧いてきた。

「お、お前、この間は裸になるのを相当嫌がったくせに……!」

 どれだけその背中が見たかったことか。不意打ちのように見てしまったせいで碌に見ていない。何と勿体無いことか。
 聡一朗は獄主の言葉に僅かに眉を寄せると、拗ねたように唇を突き出した。

「あの時はパンツも履いてなかったんだぞ?本来、男同士なんだから抵抗ないだろ?」
「……な、何!?」
「そもそも俺の身体なんて見ても、問題ないだろ?そうだ獄主、朝飯食って帰るよな?」

(問題ない、だと?ふざけるな……!)
 獄主は目を見開くと、上衣だけの聡一朗を見遣った。着流しより短い上衣は、聡一朗の太腿までしかない。
 そしてあろうことか、聡一朗はその姿のまま寝室のドアを開いた。

 獄主は寝台から降りると、彼の首根っこを掴む。

「!?」
「お前は!!何という格好で出るつもりだ!」

 そのまま聡一朗は寝室に引きずり込まれ、獄主から長々と説教を受ける事となった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜

天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。 彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。 しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。 幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。 運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

だから、それは僕じゃない!〜執着イケメンから追われています〜

Shizukuru
BL
交通事故により両親と妹を失った、生き残りの青年── 柚原 叶夢(ゆずはら かなめ)大学1年生 18歳。 その事故で視力を失った叶夢が、事故の原因であるアシェルの瞳を移植された。 瞳の力により記憶を受け継ぎ、さらに魔術、錬金術の力を得てしまう。 アシェルの遺志とその力に翻弄されていく。 魔力のコントロールが上手く出来ない叶夢は、魔力暴走を度々起こす。その度に身に覚えのない別人格が現れてしまう。 アシェルの力を狙う者達から逃げる日々の中、天涯孤独の叶夢は執着系イケメンと邂逅し、愛されていく。 ◇◇お知らせ◇◇ 数ある作品の中、読んでいただきありがとうございます。 お気に入り登録下さった方々へ 最後まで読んでいただけるように頑張ります。 R18には※をつけます。

【完結】うちの子は可愛い弱虫

cyan
BL
エリオットは公爵家に産まれ魔法騎士団では副団長を務めているが、幼い頃のトラウマにより自分に自信が持てず弱気な性格の持ち主だった。 そして、自分はダメな人間だと膝を抱える日々を送っている。 そんなエリオットの将来を心配した母が見つけてきたのは、ノアという魔法薬を研究する友人候補だった。 友人として親睦を深める2人がほのぼのと愛を育む。 R-18の内容が含まれる話のタイトルには※をつけています。 表紙はAIで作成しています。

僕を拾ってくれたのはイケメン社長さんでした

なの
BL
社長になって1年、父の葬儀でその少年に出会った。 「あんたのせいよ。あんたさえいなかったら、あの人は死なずに済んだのに…」 高校にも通わせてもらえず、実母の恋人にいいように身体を弄ばれていたことを知った。 そんな理不尽なことがあっていいのか、人は誰でも幸せになる権利があるのに… その少年は昔、誰よりも可愛がってた犬に似ていた。 ついその犬を思い出してしまい、その少年を幸せにしたいと思うようになった。 かわいそうな人生を送ってきた少年とイケメン社長が出会い、恋に落ちるまで… ハッピーエンドです。 R18の場面には※をつけます。

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

40歳でαからΩになった俺が運命のαに出会う話

深山恐竜
BL
 αとして40年間生きてきた俺は、ある日『突発性Ω化症候群』と診断され、Ωになった。俺は今更Ωとしての人生を受け入れられず、Ωであることを隠して生きることを決めた。  しかし、運命のαである久慈充と出会ったことで俺の生活は一変した。久慈は俺が経営する会社を買収し、俺にΩとしての義務を迫るが、俺には嘘偽りなくαとして生きた40年間と、矜持があるんだ! (18歳α×42歳Ω)  オメガバース設定をお借りしています。妊娠出産有り。 (ムーンライトノベルズ様にも掲載中)

【完結】前世は魔王の妻でしたが転生したら人間の王子になったので元旦那と戦います

ほしふり
BL
ーーーーー魔王の妻、常闇の魔女リアーネは死んだ。 それから五百年の時を経てリアーネの魂は転生したものの、生まれた場所は人間の王国であり、第三王子リグレットは忌み子として恐れられていた。 王族とは思えない隠遁生活を送る中、前世の夫である魔王ベルグラに関して不穏な噂を耳にする。 いったいこの五百年の間、元夫に何があったのだろうか…?

処理中です...