【完結】地獄行きは確定、に加え ~地獄の王に溺愛されています~

墨尽(ぼくじん)

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前半戦

30.獄主、充電する

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「九居の候補者が一居へ移ったらしいですよ」

 小鬼たちが庭で騒いでいるのを、聡一朗は寝ぼけ眼で聞いている。

 縁側に火鉢を置いて柱に凭れていると、眠気が襲ってきたのだ。習慣のように早朝から作業場に行っている為か、昼前にはもう眠い。
 夜も眠れていないからか、ひどい時は昼餉を食べてからも寝てしまう。

(これでは自堕落な、ダメダメおやじになってしまう)
 しかし火鉢からじんわりと熱が漂ってくると、もう駄目だった。周囲の音が遠ざかって、重い目蓋を素直に閉じる。

 ふわりと頬を包む感触を感じたのは、目を閉じて直ぐだった。
 瞳を静かに開けると、自分の頬を包む人物がぼんやりと浮かび上がる。獄主だ、と思った瞬間、聡一朗は思わず仰け反った。

「近い!!」

 仰け反りすぎて上体が倒れ込むのを、獄主の手が制する。

 数日ぶりの獄主の顔は、破壊力が有り過ぎた。聡一朗を抱えるようにして上から見下げる獄主は、聡一朗に「近い!」と言われたせいか憮然としている。
 そんな顔でも美しいなんて、神様は美の配分を間違えているに違いない。

「近いと、なぜいけない?」
「寝起きにアンタの顔は、バケツの水ぶっかけられるのと一緒だ」

 聡一朗の言葉に獄主は僅かに眉を引き上げるものの、直ぐに元に戻った。聡一朗の頬をもう一度包み、親指で目の下を優しく擦る。

「眠れていないんだな?聡一朗」
「いや、寝てるよ。今も俺、寝てただろ?」

 へらりと笑う聡一朗の目元には、薄っすらと隈がある。
 その隈を獄主は擦っているのだろう。優しい手つきに、聡一朗はまた眠気に支配されそうになった。聡一朗は慌てて頭を振り、眠気を振り払う。

 庭にはコウトも立っていた。今更ながら気付いた聡一朗は、コウトに頭を下げる。
 鬼たちもいつの間にかに獄主へ跪いていた。
 

「コウトさん、お久しぶりですね」
「そうですね。聡一朗様」

 相変わらず片眼鏡がピッタリ嵌りこんでいる。
 
 以前は屑を見るような目で聡一朗を見ていたコウトだが、最近の視線は明らかに以前とは違う。どこか懇願するような目で見つめてくるのだ。

 「しっかりしてくれ、頼む」といった目で見つめられると、疑問でしかない。


 コウトが視線を上げ、鬼たちに向き直る。

「本日から、候補者の居の大規模改修を行う。十居も改修する予定だ。作業が滞りなく進むよう、配慮するように」
「御意!」

 聡一朗は呆けたようにコウトを見て、隣に座っている獄主に身を寄せた。
「改修って何?十居、壊されんのか?」
「心配するな、建物だけだ。庭はいじらん」

 へぇ、と身のない返事を返すと、隣の獄主が肩口に顔を埋めてきた。

 獄主は相当そこが好きらしく、聡一朗ももう慣れてしまった。しかし最近やけに距離が近いように感じる。

 以前は友人だからと納得できた部分も、今となっては不可解すぎて落ち着かない。
 加えて最近は、獄主に触れられるとほんのりと温かくなるのを感じる。
 自分には不相応な感じがして、尚更心が静まらない。

「獄主は、そこが好きだな。もしかして疲れてるか?」
「……なんだと?」

 肩口から急に顔を上げると、獄主は聡一朗を睨み上げた。

「え?何で怒ってんの?」
「……怒ってなどいない。ただ……何でもない」

 それだけ言うと、獄主はまた肩口に戻る。
(何だ俺は充電器か?なにか補給してんのかこの人)

 訝し気な顔をして獄主を見ると、銀のまつ毛に縁取られた目蓋が少し落ちている。
 やっぱり眠かったのかと思い、聡一朗は獄主の髪を梳くように撫でた。

 その瞬間、獄主の双眸が見開かれるのを見て、聡一朗は手を止める。

「あ、ごめん。嫌だった?」
「……」

 疑問符を浮かべながら、聡一朗が前に視線を移すと、コウト他鬼たちが固まっている。
 皆一様に唖然としているところを見ると、自分は何かしでかしたのだと気付く。

 もしや、髪を触るという行為は許されざる行為だったか?

 起爆剤にでも触れたかのようにパッと手を離すと、聡一朗はコウトに向かって口を引き結んだ。
 まるで悪いことが見つかった学生の様だが、今はそんなこと気にしていられない。

 コウトは聡一朗の視線を受けてもなお、獄主から目を離そうとしない。

(やだ、恐い)
 不可解な鬼の生態。いったいどこに起爆剤が潜んでいるか分からない。
 未だ肩口で充電している獄主を見ながら、聡一朗はただただ視線を泳がせるしかなかった。



________

(やっぱり聡一朗様は凄い)
 ソイは先ほどのご褒美イベントを振り返り、ニヤニヤと顔を綻ばせた。

 髪を撫でられて真っ赤になる獄主など、生きている間に見られるなんて思わなかった。

 聡一朗は気付かなかったようだが、他の鬼たちは皆気が付いていた。
 あんな獄主を見たら、応援せずにはいられない。


 ソイが一頻りニヤニヤしていると、改修工事で騒がしくなった十居に、聡一朗の声が響いた。

「わぁあ!ヒツメじゃんか!!」

 子供のように飛び跳ねて喜ぶ聡一朗の視線を辿ると、十居の屋根のからのっそりと巨大な影が現れた。
 他の鬼たちがハッと息を詰めるのが分かる。ソイもその大きさに足が竦んだ。

 獄主の忠臣で、小競り合いの時も大いに活躍したサイクロプス。表舞台から姿を消した彼は、ソイの様な小鬼には最早おとぎ話の中の存在だった。それが今、目の前にいる。

 サイクロプスはその大きな体躯を折り曲げ、十居の屋根に顎を乗せた。

「ソウイチロウ」
「おお!前回より発音が上手になってる!」

 テキロが目を白黒させて、飛び跳ねる聡一朗を掴んだ。

「聡一朗!お前あの人知ってんのか?」
「知ってるも何も、友達だよ。なーヒツメ?」

 その声を聞いて、ヒツメの一つ目が穏やかに弧を描く。
 テキロが唖然としていると、後ろから笑い声が響いた。振り返ると、ハヤトが木材を手にしたまま笑っている。

「聡一朗様は、本当に鬼たらしですね」
「……本当ですね。今回ばかりは俺も、驚きました」

 ハヤトによると、大規模改修の為に森から木材を運搬する役目を、ヒツメが担当するらしい。
 口が利けなくて凶暴的だったヒツメも、話せるようになってからは大人しく過ごしている。前のように働きたいと意欲を示したため、獄主が今回の仕事を与えたそうだ。

「森って、この間執務室から見えた森か?俺も行きたい!」
 
 はしゃぐ聡一朗はまるで子供のようだ。
 普段は自分の事をオッサンオッサン言っているくせに、自覚がないのだろう。

 隣にいる獄主は頬を緩ませているが、断固として言い放った。

「駄目だ。森には魔獣もいる。聡一朗など一瞬で喰われるぞ」
「……そか、分かった。じゃあ、居の改修を手伝っても良いか?」


(まったく……聡一朗……お前は候補者なんだぞ?)
 テキロが頭を抱えていると、ハヤトがまた笑った。


________

「聡一朗様、休憩しましょう」
「あ~い」

 壁からコテ板を離して、聡一朗はハヤトへ返事をする。
 改修工事は予想以上の楽しさで、時間が過ぎるのが早く感じる程だ。もう昼は過ぎているので、今日最後の休憩となるだろう。

 水筒から水を飲み、一息つく。心地のいい疲労感が、身体をいい具合に弛緩させた。
 ここ最近自堕落な生活だったせいか、この疲労感が妙に心地いい。

「ああ~今日は風呂が気持ちよさそうだな~」

 オヤジ臭い台詞を吐きながら空を仰ぎ見ると、何と獄主が見下ろしていた。全然気が付かなかったせいか、聡一朗はびくりと身を跳ねさせる。
 そのまま頭をガシリと掴まれ、鳶色の双眸に見据えられた。

「聡一朗、やり過ぎだ。お前は手伝いの範疇を超えている」
「え?そうか?」

 聡一朗が軽く返すと、ぐぐっと獄主の顔が近付いて来た。戒めるような瞳に、自然と聡一朗の顔が強張る。

「昼寝はしたのか?」
「し、してないが、平気だぞ?」
「平気かどうかは私が決める」
「なぜ!?」

 聡一朗の平気を、獄主が決めるとはいったい如何なることか。
 まるっきり意味が分からず眉を寄せていると、思いがけず獄主の溜息が降ってきた。

「改修の手伝いをするなら、早朝作業場に行くのは止めよ」
「ええ?……分かった。改修中は行かない」

 聡一朗の返事に満足したのか、獄主は微笑むとそのまま去って行った。


___

 十居の門をくぐり、獄主は振り返った。もう見えなくなった十居の方向を仰ぎ見る。

(今日も、聡一朗はエンと呼んでくれなかった)
 獄主、と呼ばれるたびに責めるような目を向けてみたが、聡一朗はまったく気が付かない。

 獄主は溜息を零しながら、執務室へ歩を進めた。
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