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前半戦

21.獄主、お兄ちゃんをどうにかして!

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「三白眼が好みでね、俺は。中年の候補者よりずっといい」

 ハヴェルは舌舐めずりをして、テキロを隅々まで舐めるように見る。その下賤な視線に、聡一朗の腹の底に嫌悪感が渦巻いた。

「発育途中の体躯も良い。……決めた。お前、俺の席で酌をしろ」

 ハヴェルの顔から笑顔が消え、命令を下す王子の顔に変化する。
 鬼の本能に組み込まれているのか、テキロは逆らうこともない。唇を噛みしめて、膝頭を鷲掴んでいる。

「聞こえてるだろ?早く立て」
 そう言いながら、ハヴェルはテキロの顎に手を延ばす。
 その腕を、聡一朗は掴んだ。

 でかい腕だ。
 聡一朗の手指が半分も回らないくらい大きい。こんな腕で殴られたら、一発で死ねる。

「なんだお前」

 地を這うような声で、ハヴェルが威嚇する。ビリビリと辺りが揺れるようだった。
 しかし腹の底から湧く恐怖は、嫌悪感に打ち消された。それは聡一朗の肚の中で、ぐるぐると渦を巻く。

「この鬼は、候補者ではありません。俺の世話役です。あなたの酌はしません」
「……お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?」

 テキロが口をパクパクさせながら、聡一朗の腕を掴んでいる。狼狽えているテキロを、もう何回見ただろう。多分過去一、焦っている。

「分かった上で言っています。テキロはまだ幼い。あなたの相手はたくさん居るでしょう?」
「きさま……!」

 ハヴェルが聡一朗の腕を掴み返し、引き上げる。強制的に立たされて肩が外れそうになった。そして空いた方の手で、ハヴェルは聡一朗の髪を鷲掴む。

 痛みに顔を歪めていると、ハヴェルがふ、と息を漏らした。

「良く見るとお前、良い顔をしているな?異国の血が混ざっているのか?瞳の色が変わっている」
「………俺にしときますか?」

 テキロが犠牲になるよりはマシだ。酌でも何でもやってやる。

 聡一朗の返答が意外だったのか、ハヴェルは目を見開いた後、愉快そうに目を細めた。
 その顔は何となく獄主に似ている気がする。不敵に笑う時の、その笑みが。

 しかしその笑みは、ハヴェルの腕を誰かが掴んだ事で打ち消された。

「兄上、手を離して下さい」

 いつの間にここまで来ていたのだろう。獄主がハヴェルの手を掴んでいる。その指はハヴェルの腕にみしりと喰い込んでいた。

 ハヴェルが舌打ちし、聡一朗から手を離すと、獄主の手を振り払う。

「なぜこんな出来そこないを留めている!?」
「兄上には、関係の無い事です」

 無表情に言う獄主の態度は、ハヴェルを煽るだけだった。
 腹の底に溜まる怒りをどうしても吐き出したいハヴェルは、候補者達を見回した。

「見れば、八居も候補者がいないようだな!お前に当てられた候補者は、実質8人か?神に見捨てられたんじゃないか?」
「……仰る通りです」

 素直に認めた獄主に少し気が済んだのか、ハヴェルはフンと鼻を鳴らす。

「お前は昔から甘いんだよ。いつまで経っても子が出来んのは、その女の様な容姿のせいじゃないか?」
「……かもしれません」

 相変わらず感情の籠っていない声と表情。
 揺れるのは銀糸のみで、獄主の表情も心も静まり返っている。

「お前がそんな甘い態度だから、神に見限られたんじゃないのか?可哀想に、お前は幼い時から感情というものに乏しい。獄主に選ばれたものの、お前じゃ……」


 気が付いたら、聡一朗はハヴェルの胸倉を掴んでいた。
 やっちまった、そう思うものの、もう遅い。渾身の力で自分の方に引き寄せると、至近距離でハヴェルを睨み上げる。

「ふざけるな!!お前兄ちゃんだろ!何で弟を貶めるような事を言うんだッ!」

 言ってしまったら止まらない。目を見開くハヴェルに、殴りつけるように怒鳴りつけた。

「こいつはなぁ、何万年も喋れなかった部下の名を覚えているような、素晴らしい長なんだ!感情に乏しい?苦悩して、打開策を模索しながら、執務してんだぞ!知った風な口聞くな!」

 言うだけ言うと、ハヴェルの顔が凶悪に歪むのが見えた。

 顎を掴まれ、そのまま地面に叩きつけられる。肺がキュウと音を立て、痛みに息が詰まった。
 首を締められ喉を握りつぶされそうになると、目の前がチカチカと点滅を繰り返す。

(このまま殺されたら、消滅か?咎人になるより、手っ取り早いな)
 聡一朗が悠長に考えていると、突然ハヴェルの手が緩んだ。

「離せ。ハヴェル」

 いつも腰に佩いている刀を、獄主はハヴェルの眉間に突き付けている。
 ハヴェルは聡一朗を見据えたまま、驚愕に顔を歪ませていた。

「マダリオ、お前……こんな事を……」
「黙れ。私の方が位は上だ。離せ、ハヴェル」

 ハヴェルが震えている。従わざるを得ない本能が、ハヴェルの手を更に緩めた。
 聡一朗は咳込みながらハヴェルの胸を押し返し、ゴロゴロと横に転がってハヴェルから逃れる。

 獄主は刀を鞘に納め、ハヴェルを見遣った。

 いつもの無表情の奥に、揺らめく炎が見える。
 ハヴェルはぞくりと背筋を震わせた。確かな殺意が、自分を見据えている。そう感じたのだ。

「兄上、私の一居を差し上げます。代わりは不要です」

 突然の申し出に、ハヴェルは目を白黒させた。

 一居の候補者が驚愕の表情を向け、狼狽えているのが見える。獄主はそれに一瞥もくれないまま、ハヴェルを殺意の籠った冷たい目で見続けた。

「兄上、宴に戻りましょう」
「あ、ああ……。そうだな」

 ハヴェルは真っ青な顔に、不自然な笑みを貼りつけて何度も頷く。ふらりと席へ戻っていくハヴェルを見た後、獄主は聡一朗を見た。

 駆け寄ったテキロの頭を、聡一朗は撫でている。テキロが泣いているせいだろう。
「よしよし、恐かったなぁ」と言う聡一朗の声は、嗄れて苦し気だった。

「もうお前は下がれ。十居でトウゴを待て」

 獄主はそう一言だけ放って、席へと踵を返した。
 これ以上留まると、もう離れられなくなる。獄主は舌打ちし、歩を早めた。




________

「無茶にも程があります。ハヴェル様に歯向かうなんて、命がいくつあっても足りませんよ」

 トウゴに包帯を巻かれながら、聡一朗はちらりとテキロを見遣った。

 ずっと部屋の隅で体育座りをしているテキロは、時折ギロリとこちらを睨む。
 無理もない、男でありながら酌を強要されたのだ。ソイという好きな異性もいるのに。

「聞いていますか?聡一朗様」
「いて、てててて……」

 トウゴの包帯を巻く力が強まり、つい声を漏らしてしまう。
 幸いにも折れていないが、肋骨に少しヒビが入っているらしい。軽微なヒビなので数日で治るらしいが、痛いもんは痛い。

「こうして包帯で固定すれば、治りも早いでしょう。今夜は熱が出るかもしれませんが、身体が治そうとしている証です。安静にして下さい」
「はい。トウゴさん、ありがとう」

 トウゴを見送ったテキロが、また恨めしそうな目で聡一朗を見る。
 聡一朗が困った様に微笑むのを見て、テキロは大きく息をついた。

「俺、酌くらい出来たのに……俺のせいで、こんな……」

 テキロが後悔を口にするのを、聡一朗は眉を顰めて制止した。

「テキロ、お前がハヴェルの元で酌をしているのを、俺が平然と見れると思うのか?無理だ。許容できない。お前はモノじゃない」

 テキロはぐっと言葉に詰まった。

(いつもそうだ……)
 聡一朗は普段、穏やかで優しくて、ふよふよと漂う綿のようだ。だけど自分の信念は決して曲げない。
 間違っていると思ったら、徹底的に抗う。その時の聡一朗は、悔しいが最高に格好が良い。


「テキロ、取り敢えず俺は……疲れたから寝る」
 聡一朗は嘆息しながら頭を掻いた。

 もうすぐ夜が訪れる。夜が来たら眠れないから、今のうちに寝ておこう。
 鉛の様な身体を抱えたまま徹夜というのは、年齢的に厳しい。

 鬼たちに全員下がるように言うと、聡一朗は寝台へ飛び込んだ。
 目を閉じると、脳裏に獄主の姿がちらつく。

 未だに続く宴会の場で、自分の気持ちを抑えながら酒を飲んでいる獄主と思うと、居た堪れなくなる。非常に胸糞が悪い。

(あんな悪意に満ちた中で、生きてきたのか?)

 何色にも染まらない為に、氷のように生きてきたのだろうか?

「何万年も……?嘘だろ?」
 枕に頬を埋めながら言った言葉は、意識と一緒に吸い込まれていった。



________

 額に冷たい何かが当てられて、聡一朗は目蓋を開いた。

 やっぱり熱が出たのか、意識もぼんやりして虚ろだ。
 ゆらゆら揺れる行燈の光が、横にいる男の顔を照らしていた。ここに居る筈がない、獄主の顔だ。

「……なんで、ここにいんの?」

 聡一朗の問いかけには応えないまま、獄主は聡一朗の顔をじっと見ている。いよいよ幻覚かもしれない、そう思っていると、獄主の手が聡一朗の首へ伸びた。

 ハヴェルの指の痕が残るそこを、労わるように撫でられる。

 忌々し気に歪められる瞳。そのまま獄主の手が顎へと移動し、唇を塞がれた。
 少し触れて、すぐ離れるだけの軽いキス。
 熱で頭がぼんやりしているのが勿体無い程の、優しいキスだった。

「……俺とは、もう友人じゃないんだろう?」

 出てきたのは、駄々っ子の様な恨み言だ。
 獄主に言いたいことはたくさんあったのに、肝心な時に適切な言葉を選べない。これじゃあ、まるで子供だ。

「そうだな。お前はもう友人じゃない」

 言いながらもう一度唇が落とされ、聡一朗は眉根を寄せた。
 言っている事と、やっている事が矛盾している。

「だから聡一朗、もう腹を括れ」

 獄主の顔は、逆光で良く見えない。
 腹を括れ、という事は、このまま消滅させられるという事だろうか。獄主ならそれが可能だろう。
 結局迷惑だけを掛けたまま、別れも言えず、このまま終わるようだ。

「聞いてるのか?聡一朗」
「聞いてる。分かった」

 聡一朗の返事を聞いて、獄主は満足げに頷いた。

 また唇を落とされ、聡一朗は疑問符を浮かべながら、目蓋を閉じた。
 これで終わりか。
 自分が澱のように沈んでいくのを感じる。諦めが悪いと思いながらも、心の中で祈った。

『これからの獄主が幸せでありますように』
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