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前半戦
20. 獄主、楽しいお食事会です
しおりを挟む風呂上がりに用意されていた服を身に付け、聡一朗は浴室を出る。
いつもの慣れた十居とは違う、ピリついた雰囲気。獄主はまだ居るようだ。
テーブルに座っている獄主は、濡れた髪を拭っていた。濡れ髪に沿って手を滑らせる様は、絶世の美女に見えんこともない。だが驚くほど美しい顔から下は、逞しい肉体があるのだ。
アンバランスのように見える反面、驚くほど均衡がとれている。
(こりゃ、男も女も夢中になるよな)
聡一朗の姿を見て、テキロもソイもホッとしたような顔をした。獄主の相手は気まずかっただろうな、そう思いながらテーブルの向かいに座る。
獄主は聡一朗に目を向けた後、眉を寄せた。
「まずは傷を手当てをしろ」
「ああ。忘れて、ました」
テーブルにはもう薬箱が用意してあった。テキロが近付いて来て、薬箱を開ける。その所作をぼーっと眺めていると、獄主が呆れたように嘆息した。
「まったく、そんな傷を負っておいて、忘れていたなど……本当にお前はどうしようもない」
「だって、フウトさんを殴ろうとしたんですよ、あの候補者」
消毒液を含ませた脱脂綿を額に当てられ、聡一朗は痛みに顔を歪ませる。その顔を、獄主は苦々し気に見つめた。
「お前は護衛を何だと思っている。友人ではない。お前の壁のようなものなんだぞ」
「フウトさんは、獄主様の壁でしょう?俺なんかの為に怪我させられません」
「……お前は、何も分かっていない。何のために私がフウトらを、お前の護衛につけたと思っている?」
獄主が拳をテーブルに叩きつけると、聡一朗の額にガーゼを貼っていたテキロがビクリと跳ねた。
テキロはそのまま薬箱を閉じると、そそくさと下がっていく。
「……それにお前はこの間から、どうしてそんな言葉遣いをする?様などつけたこともなかっただろう」
「それは、食事会で粗が出ないようにで……」
獄主が舌打ちをするのを聞き、聡一朗は獄主を見た。
先ほど八居の候補者に見せた表情よりは、人間味のある表情だ。だが獄主の機嫌が悪いと、他の鬼が恐縮してしまう。
何をこんなに怒っているのか、聡一朗には見当もつかなかった。
「……聡一朗、お前は女が好きか?」
「え?女?えっと、まぁ、人並みには……」
また舌打ちが降って来て、聡一朗は苦笑いを零す。
獄主は目を合わせようともしない。彩花の件は、聡一朗が風呂に入っている間、テキロ達から聞いているはずだ。
尻など触っていないと、もう一度言うべきなのだろうか。
困った様に笑っていると、いよいよ我慢ならないといった感じで獄主が立ち上がった。
聡一朗が慌てて立ち上がると、獄主は聡一朗を見ないまま、吐き捨てた。
「お前との友情ごっこも、限界だ」
冷たい声だった。
感情のない冷たい声ではない。心底失望した、そんな感情を孕んだ声だった。
聡一朗が眉を顰めていると、獄主が踵を返す。
「八居に行ってくる。今日の借りを返す」
居を出て行く獄主の姿は、いつものように堂々としている。
これから八居に行って、彩花を抱くのだろうか。そう考えると、なぜか胸が閊える気がした。
友人としても見限られたし、獄主が十居に来ることももう無いだろう。
いつものように、爛れたところに蓋をする。
それだけでいつもの自分に戻れる筈だ。
________
「……なんか、地味ですね」
ソイの言葉に、苦笑が漏れる。
食事会の為に用意された衣は、灰色生地の袴だった。何の刺繍も施されていない、死に装束にも見える薄灰色だ。
せめてもの救いだが、手触りだけは良い。
「シンプル・イズ・ベストだよ、ソイ君。こんなオジサンにはうってつけの衣だ」
鷹揚に笑って見せ、テキロを見る。
テキロは食事会に付き添う為、いつもより豪華な衣装を身に着けている。聡一朗より見事な衣装だ。気まずそうにしているテキロの肩を、聡一朗はバシバシと叩く。
「さぁ、行きますよ~テキロ君。今日は楽しい食事会。美味しいものが食べれるぞ~」
「俺は付き添いだから、食べれないよ」
「食べればいい。どうせ誰も見ていない」
(聡一朗は、昨日からやっぱり何か変だ)
テキロは、いつものようにニコニコ笑う聡一朗を見た。
昨日獄主が去ってから、聡一朗はニコニコしっぱなしなのだ。気味が悪いくらい笑ってる。
心から笑っていない事は、テキロにも分かる。いつもの柔和な微笑みだが、芯が強張って解けていない。
『俺は花嫁候補から外れたらしい』
最初に獄主に突き放された時の彼は、晴れ晴れとしていた。今の彼は、あのころとは大違いだ。
________
巨大な宴会場には、ずらりと酒卓が並んでいる。
上座から一居、その後ろに十居までが縦に並ぶ。獄主と王族である獄主の兄は、上座でこちらを向いて座り、候補者を一望できる配置になっている。
獄主たちが座る席は、一段高くしてある。見やすさや高貴さを表すためだろう。
聡一朗たちは獄主から一番遠い席だ。
横には獄主兄の候補者である十居の候補者が居るはずだが、あちらは18人と多い。故に特別に2列構成になり、聡一朗と並んで座る候補者はいない。
「なんか、和風のディナーショーみたいな配置だな」
「ディナーショー?」
オウム返しをしてきたテキロに笑みを返すと、聡一朗は桃鹿水が入った盃を呷った。ちらりと最先端の席を見ると、獄主の姿が小さく見える。
獄主の兄であるハヴェル王子(地獄にも王族がいるらしい)の席には、彼の伴侶が並んでいる。男が5人女が3人、ハヴェルを取り囲んで絡みつくように座っている。ハーレム状態だ。
一方の獄主の席には誰もいない。彼の居で働く侍女が、酌をしているだけだ。
美しい銀糸をさらりと流し、伏目がちにただ酒を呷る。それだけで様になるのだから、不思議だ。
「テキロ、座れよ。みんな結構飲んでるから、どうせ気が付かない」
「で、でも」
「いいから座れ、寂しいだろ」
ハヴェルはご機嫌で酒を飲み、かなり出来上がっている。候補者もそれなりに飲んでいるので、末席の聡一朗達には目もくれない。
テキロは座ると、並ぶ食事に目を輝かせた。
「こういうのは、食べ盛りが食べるべきだ」
そう言いながら笑うと、聡一朗は酒盗を肴に酒も飲んだ。面倒だから桃鹿水と割ってしまおうかとも思ったが、チェイサー代わりに良いかと思い、交互に飲んでいる。
「さあ、獄主!わが弟マダリオよ!酒量が足りぬのではないか!?」
ハヴェルは豪快な声を轟かせ、伴侶達に埋もれるようにしながら盃を掲げる。獄主は態度を変えないまま、ゆっくりと盃を掲げ返した。
「飲んでいます。兄上」
(マダリオ……)
初めて聞いた獄主の名前。そういえば、聡一朗は獄主の名前さえ知らなかった。
友人として肩を並べて酒を飲む。その資格すら失った自分には、知るのも憚れる情報なのかもしれない。
「今回も尊き獄主の候補者はレベルが高いな!俺のとは大違いだ!ははは」
その声に、責めるような甘えるような声がハヴェルの候補者側から響く。
「もう、ハヴェル様ったら」「いやだわ」そんな声にも、ハヴェルの気を引こうという思惑が絡んでいる。
「兄上の候補者も美しい者ばかりですね」
何の抑揚もない声。明らかに棒読みだが、それでもハヴェルの候補者達がハッと息を詰めるのが分かった。
向けられた獄主の顔の破壊力が強かったのだろう、だれもがうっとりと顔を蕩けさせている。
「おい止めろよ。俺の候補者を全部奪う気か?」
ハヴェルは笑っているが、声の底には棘が潜んでいる。
獄主はそんな兄を見ないまま、少しだけ笑みを浮かべた。
「滅相もない」
反応が薄い獄主が面白くないのか、ハヴェルは苦々しく口端を吊り上げる。ふらりと立ち上がると、近くの伴侶である女を立たせた。
獄主の兄と聞いていたが、容姿はあまり似ていない。
男らしい顔つきで、髪は燃えるような赤色で緩くウェーブがかかっている。体躯も獄主より大きい。豪快という単語が似合う、まさに地獄の王子といった風体だ。
「ちょっと見させてもらうぞ。気に入った候補者は交換だ。いいな?」
「……」
獄主の返事を待たないまま、ハヴェルは席を降りる。女の腰を抱いたまま、ぐるりと候補者を見回した。
「やはり一居は美しいなぁ。咎津も噎せ返るようだ。交換できないのが惜しい」
「……ありがたいお言葉でございます」
一居の候補者は、あの小動物のような女性だった。
ハヴェルに愛想よく笑みを浮かべるが、情は籠っていない。地獄の長である獄主の一番の座は、絶対に手放したくはないようだ。
「こ、こっちに来るかな?」
テキロが眉根を寄せながら窺っている。それでも食べる事を止めない所が、テキロの可愛いところなのだ。緊張が解れて丁度いい。
ハヴェルは腰を抱いている女と何やら話をしながら、歩を進める。時折、身体の際どいところを撫で、女も応えるように身体をくねらせる。
テキロが食事に夢中でよかった。まるで水商売のバーで、金にモノを言わせている悪い大人のようだ。
教育に悪い。
そしてハヴェルは、聡一朗の少し前で歩を止める。
聡一朗の身体を下から上まで舐めるように見ると、大げさに吹き出した。
「マダリオ!何の冗談だ!これが候補者なのか!?」
文字通り腹を抱えて笑い、ハヴェルに付いてきた女も侮蔑を含んだ眼で聡一朗を見る。
持ち歩いていた盃から酒が零れても、意にも介さずハヴェルは笑い続けた。
「こんな中年の男、冗談としか思えない!ぷ、はは、神も耄碌したな!なぁマダリオ!とんだ外れクジだ」
(……楽しそうで、何よりです)
薄ら笑いを浮かべながら、聡一朗はハヴェルを見た。隣のテキロは食事を止め、ハヴェルを見ている。
「睨むな、笑えテキロ」と小声で言うと、テキロの喉が悔しげに鳴った。
ハヴェルがクンクンと鼻を鳴らし、更に聡一朗達に近付いて来る。
「……まじか、こいつ咎津の匂いもしないぞ。とんだ欠陥品じゃないか!」
手を広げ、至極愉快と言った顔を浮かべて、ハヴェルは獄主を振り返る。
ここからだと遠くて獄主の顔は見えない。ハヴェルも同じなのか、反応を見ることなく聡一朗に視線を戻した。
「質素な衣だな。よほど冷遇されていると見える。だが、俺の候補者だったら、お前の様な出来損ないは即消滅させているところだ。出来そこないで屑なんて、存在価値が無い」
ニヤニヤ下賤な笑みを浮かべるハヴェルは、今日一番の笑えるネタに縋っていたいようだ。ずっと留まったまま、聡一朗を嘲笑の的にする。
いけ好かない奴だが、言っている事は的を得ている。聡一朗はハヴェルの遠く後ろにいる獄主を見た。
確かに聡一朗のような欠陥品を、候補者に留めておく意味は無い。それでも聡一朗を一時でも認めてくれた獄主は、やはり優しいのだろう。
ハヴェルが笑いながら、聡一朗の隣にいるテキロを見た。そしてクツクツと意地の悪い笑みを零す。
「隣の世話役の鬼の方が、好みだ」
その言葉に、テキロの肩が跳ねるのを感じた。
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