上 下
17 / 49
前半戦

16.獄主、夜は闇なんです

しおりを挟む
 体中が痛くて、寒い。頭だけが熱を持って、自分という存在が朧げになる。
 でも別に構わない。「聡一朗」はずっと朧げだった。実体のない亡霊だ。

 ひたり、と額を撫でられる。冷たいけど優しい。誰の手だろう。大きい。
 指の感覚が、心地いい。
 髪を梳かれて、宥めるように優しく触られて、聡一朗は知らない感覚に戸惑った。

(お母さんって、こんな感じか……?)

 こうして髪を梳かれた事も、労われたことも、聡一朗には無い。
 こんなに心休まることも、今まで無かった。


 でも、もう夜だ。
 夜は、沼のように聡一朗を待ち構える。休めば最後、絡めとられてしまう。

 ノイズの様な声が聞こえる。
『聡、心配しなくていいわ。あなたは寝ているだけで良いの』

 自分の上で腰を振るそれを、いつも冷めた目で見つめていた。早くこの行為が終わってくれる事だけを考えていた。

 頬を張られ、殴られ、寒空に放り出された事も当たり前にあった。
 聡一朗の瞳が気に入らない継母は、いつも金切り声で叫ぶ。

『何よその目!!潰してやる!』
 目を狙って殴られ、眼帯が外れない時期もあった。
 だから何だろう。聡一朗は、何も望んでいなかった。

 ただ、沙希に幸せになって欲しかっただけなのに。

『どうして、置いて行ったの?お兄ちゃん』

 心が震える。
 ごめん、ごめんね。

 だからもう、眠ることすら、許されない。


________



「……はっ、ち、がう、……う」
「聡一朗?」

 獄主の居に寝かされた聡一朗が、苦し気に譫言を漏らす。先ほどまで穏やかに寝ていた筈なのに、切羽詰まった声に獄主は飛び起きた。

 布団を鷲掴んで、顔を歪ませる。
 聡一朗の額には異常なほどの汗が浮かんでいて、意識が無いまま懇願するように喘いでいた。

「さ、き、沙希、……!ごめ、ごめん……」
「聡一朗、どうした?」

 獄主が聡一朗の手を取ると、身体がビクリと跳ねて強張った。そのままカタカタと震えはじめる。

「あ、あ、あ……やめて……か、さん!いや、だ……」
「聡一朗!……息が出来ないのか?」

 聡一朗が、息の仕方を忘れたかのように呼吸を詰める。きゅうきゅうと音がするが、上下するのは肩だけで、胸は動いていない。

 その身体を抱き上げ、獄主の胸に凭れかけても状況は変わらない。背中を擦ると、聡一朗の震えが伝わってくる。
(これは、一体どうした?まるで、子供の様な……)

「息を吸え、聡一朗。息だ。分かるな?」

 耳元で刺激しない様に優しく言うと、聡一朗の眉が寄る。声の出所を、探しているような仕草だった。

「こっちにこい。そっちは夢だ、聡一朗。息を吸え」
 語りかけていると徐々に呼吸が整い、聡一朗がもどかし気に頭を振る。獄主は背中を擦る力を強め、殊更優しく語りかけた。

「上手だ、聡一朗。吸ったら、吐け。ゆっくりでいい」
「っふ……は、は……」
 呼吸が正常に移りはじめ、青ざめていた顔に赤みが戻る。
 眦に残る粒に、獄主は唇を押し付けた。むずがる聡一朗の鼻梁にも、労わるように唇を落とす。

(一体、何があった?)

 守るように抱きしめると、その身体はまだ微かに震えていた。



________

 瞳を開けると、降ってくる眩しい光。僅かに頭が痛んで、聡一朗は身を捩った。

 最初に感じたのは、優しい手触りの布の感触だ。そして自分の身体に巻き付いている、逞しい腕。
 後ろから抱きしめられているため、顔は見えない。だがそこかしこに散りばめられた銀糸が、隣の男の正体を暴いている。

(ええ?)

 驚いた聡一朗が視線を泳がせると、見慣れない物ばかりで更に脳内が混乱を招く。

 浅葱色の薄い布が、寝台をぐるりと覆っている。天蓋と言うやつかもしれないが、見たこともないため、聡一朗には判別がつかない。

 あと男3人は寝れそうな、でかい寝台。自分に巻き付いているのは、多分獄主。

(うん、そうだね。ここは獄主の居だねっ)

 教育テレビのお兄さんの様な声色が脳内に流れ、自身が混乱しているのを更に認識する。 
 次いで自分がちゃんと服を着ているのを確認し、パンツの無事も確認した。
 
 う~ん、と聡一朗は唸る。

 昨日の事は、朧げだ。

 気を失ったところまでは覚えているが、その先は途切れ途切れである。
 獄主に帰ってくれと懇願したのは……覚えている。

(約束通り、帰ったのな。……俺を連れてだけど)

 嘆息していると、背後の獄主が動いた。

「聡一朗、起きたのか?」
 優しい声が背後から響き、額に手の平が包むように触れる。冷たい心地に、聡一朗はふっと頬を緩ませた。

「ああ、起き……」
 起きた、と言おうとした所で聡一朗は固まった。
 見上げると、身を起こした獄主が心配そうに見下ろしている。その身体は何も身に着けていない。

 鍛え上げられた肉体でありながら、肌は白磁器のように白く滑らかで繊細だ。
 鎖骨が流線的に伸びる様は、もはや芸術品である。うん、直視できない。

「ご、獄主、服はちゃんと着ましょうか」
「そんなことは良い。まだ熱がある。水は飲めそうか?」

 聡一朗には「そんなこと」では済まされない。
 一刻も早く何か身に着けてほしいと言うものの、獄主は長い髪を揺らしてベッドから降りて行く。

 サイドテーブルに置いてある水差しには、薄い乳白色の液体が入っている。それをコップに移して、獄主はベッドに戻ってきた。

 戻ってきた獄主の姿に、聡一朗は驚愕のあまり顔を歪ませた。獄主は下も何も身に着けていなかったのだ。つまり真っ裸。
 寸での所で目を逸らしたので、局部は見ていないが、バクバクと心臓が荒れ狂う。

「な、なんで裸なんだ!!」
「……私は寝る時、何も身に着けない。なぜそんなに狼狽えている?男の裸など、珍しくあるまい」

 確かに男同士、裸になるのも見るのも抵抗は無い。寮生活もしていたし、慣れている。
 でもそれとは比較対象にならないのだ。

「アンタの裸は神々し過ぎるんだよ!目が潰れる!……あっ痛ぅ!」
「頭痛か?そんなに興奮するな、熱が上がるぞ」
「……っつ、頼むから服を着てくれ……落ち着かない」

 枕に顔を伏せ、聡一朗はぐるぐると目眩のする頭を擦りつけた。確かに頭が痛い。

 獄主が素直に着物を引っ掛けて、飲み物を差し出してくる。一頻り唸った後それを受け取って、聡一朗は一気に飲み干した。
 落ち着いてくると、気になっていた事が頭を擡げてきた。

「……あ、そういえば俺、夜煩かったんじゃないか?獄主はちゃんと寝れたのか?」
「……ああ……お前は、いつもああなのか?」

 獄主がベッドに腰掛け、聡一朗を振り返る。銀糸が垂れて表情までは見えないが、暗い声だ。

(やっぱり、煩かったか……)
 申し訳なさが募るが、獄主が求めているのは謝罪ではなさそうだ。嘆息して、獄主を見る。

 銀糸の間から覗く瞳に、ざわりと胸の内が粟立った。それに蓋をして、出来る限り陽気に口を開く。


「……誰かと寝る時は、一晩中起きてる。寝ててもあれで起きるから、結局眠れないんだ。だから昼寝が多くなるんだけどな、はは」
「……夜寝ないだと?そんな生活を送っていては、身体を壊すぞ」
「長いことこれだから、慣れたよ。死ぬ前は、寝れるときに寝るような生活をしていたから、尚更だ」

 感情に蓋をする。
 現実だとそれが容易にできるのに、夢の中だと出来なくなる。

 恐怖に支配され、絶望に震える。夜は子供の様に怯えなければならないと思うと、眠くもなくなる事が多い。

「可笑しいだろ。34歳のオッサンが夢にうなされて、怯えるんだ。情けない……忘れてくれ」
「情けない訳ないだろう。……うなされる原因を除かなければ、ずっとこのままだぞ。何があった?」
「あったもなにも……子供の頃の話だよ。もう忘れたよ」
「忘れてないから、夢を見るんじゃないのか?」

 獄主がしつこく聞くのは、ただの興味本位だろうか。
 過去にも気にしてくれる人はいた。カウンセリングも受けたことがある。

 だが、聡一朗は平気だった。ある人に教えられた、方法があるからだ。

(感情に蓋をしろ。いつものように、出来るよな?)
 出来るだけ、笑みを湛えて。
 憂いなど、一つも含まぬよう。
 紡ぐ言葉は軽快に、滑らかに……。さあ、口を開け。

「獄主、あのな、俺は継母と肉体関係を持っていたんだ。屑な人生の始まりだよ。笑えるよな」
「……そうか。ごめん、とも言っていたぞ。さき、とも。母の事か?」

(蓋をしろ。大丈夫、溢れない)

「ああ、そうそう、それは、腹違いの妹で……沙希は……さ、きは……は?」

 ぐらりと視界が揺れる。一瞬意識が飛んで、次に気付いたときには、獄主の腕に支えられていた。

「すまん、聡一朗。もういい。吐きそうか?」
「……え?あれ?俺、どうして……」

 戸惑っている間に身体を抱えられ、寝台に寝かされる。

 途端に情けなくなり顔が歪むと、獄主から髪を撫でられた。子供扱いされた気がして鼻梁に皺を寄せると、獄主がふふ、と笑う。

「34歳おっさんか。私にとっては34歳など、赤子に等しい。少し寝ろ、聡一朗」
「………嫌だ。十居に、帰る」
「駄目だ。もう少し居てくれ」

(ず、ずるい……)

 「まだ無理するな」じゃなくて「居てくれ」なんて。抗えるはずがない。

 目を覆う様に獄主の手が当てられ、聡一朗は素直に瞳を閉じる。
 身体がズブズブと沈んでいく感覚がした後、意識も沈んでいった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成) エロなし。騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? いいねありがとうございます!励みになります。

嫌われ者の僕はひっそりと暮らしたい

りまり
BL
 僕のいる世界は男性でも妊娠することのできる世界で、僕の婚約者は公爵家の嫡男です。  この世界は魔法の使えるファンタジーのようなところでもちろん魔物もいれば妖精や精霊もいるんだ。  僕の婚約者はそれはそれは見目麗しい青年、それだけじゃなくすごく頭も良いし剣術に魔法になんでもそつなくこなせる凄い人でだからと言って平民を見下すことなくわからないところは教えてあげられる優しさを持っている。  本当に僕にはもったいない人なんだ。  どんなに努力しても成果が伴わない僕に呆れてしまったのか、最近は平民の中でも特に優秀な人と一緒にいる所を見るようになって、周りからもお似合いの夫婦だと言われるようになっていった。その一方で僕の評価はかなり厳しく彼が可哀そうだと言う声が聞こえてくるようにもなった。  彼から言われたわけでもないが、あの二人を見ていれば恋愛関係にあるのぐらいわかる。彼に迷惑をかけたくないので、卒業したら結婚する予定だったけど両親に今の状況を話て婚約を白紙にしてもらえるように頼んだ。  答えは聞かなくてもわかる婚約が解消され、僕は学校を卒業したら辺境伯にいる叔父の元に旅立つことになっている。  後少しだけあなたを……あなたの姿を目に焼き付けて辺境伯領に行きたい。

【完結】お嬢様の身代わりで冷酷公爵閣下とのお見合いに参加した僕だけど、公爵閣下は僕を離しません

八神紫音
BL
 やりたい放題のわがままお嬢様。そんなお嬢様の付き人……いや、下僕をしている僕は、毎日お嬢様に虐げられる日々。  そんなお嬢様のために、旦那様は王族である公爵閣下との縁談を持ってくるが、それは初めから叶わない縁談。それに気付いたプライドの高いお嬢様は、振られるくらいなら、と僕に女装をしてお嬢様の代わりを果たすよう命令を下す。

【完結】売れ残りのΩですが隠していた××をαの上司に見られてから妙に優しくされててつらい。

天城
BL
ディランは売れ残りのΩだ。貴族のΩは十代には嫁入り先が決まるが、儚さの欠片もない逞しい身体のせいか完全に婚期を逃していた。 しかもディランの身体には秘密がある。陥没乳首なのである。恥ずかしくて大浴場にもいけないディランは、結婚は諦めていた。 しかしαの上司である騎士団長のエリオットに事故で陥没乳首を見られてから、彼はとても優しく接してくれる。始めは気まずかったものの、穏やかで壮年の色気たっぷりのエリオットの声を聞いていると、落ち着かないようなむずがゆいような、不思議な感じがするのだった。 【攻】騎士団長のα・巨体でマッチョの美形(黒髪黒目の40代)×【受】売れ残りΩ副団長・細マッチョ(陥没乳首の30代・銀髪紫目・無自覚美形)色事に慣れない陥没乳首Ωを、あの手この手で囲い込み、執拗な乳首フェラで籠絡させる独占欲つよつよαによる捕獲作戦。全3話+番外2話

僕を拾ってくれたのはイケメン社長さんでした

なの
BL
社長になって1年、父の葬儀でその少年に出会った。 「あんたのせいよ。あんたさえいなかったら、あの人は死なずに済んだのに…」 高校にも通わせてもらえず、実母の恋人にいいように身体を弄ばれていたことを知った。 そんな理不尽なことがあっていいのか、人は誰でも幸せになる権利があるのに… その少年は昔、誰よりも可愛がってた犬に似ていた。 ついその犬を思い出してしまい、その少年を幸せにしたいと思うようになった。 かわいそうな人生を送ってきた少年とイケメン社長が出会い、恋に落ちるまで… ハッピーエンドです。 R18の場面には※をつけます。

捨てられ子供は愛される

やらぎはら響
BL
奴隷のリッカはある日富豪のセルフィルトに出会い買われた。 リッカの愛され生活が始まる。 タイトルを【奴隷の子供は愛される】から改題しました。

Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜

天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。 彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。 しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。 幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。 運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

処理中です...