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前半戦

15.獄主、俺はひとりでいい

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 地獄で働く咎人は、精気のない顔で表情も乏しい。鬼に突っかかる咎人もいるが、それも最初だけで、圧倒的な力の差に従順になるようだ。
 
 聡一朗は今日、咎人の作業場に来ている。
 

 無表情で作業を黙々とこなす咎人を見ていると、罪を清算しているというか、ブラック企業で働く社畜に見える。
 鬼用の着物だろうか、凶悪な顔の咎人がミシンを動かしている様は、地獄ならではの光景だろう。

 咎人は罪を償うために作業をしているから良いとして、気になったのは咎人達を管理している鬼たちだ。

 どちらかというと、彼らの方が社畜のような雰囲気を醸し出している。

 目の下には隈ができ、フラフラと不健康そうだ。
 咎人に指示を出しながら書類を書く様は、日本でも良く見る光景である。

「地獄は人手不足なんですか?」

 今日も同行してくれているライトに目を遣ると、困った様に微笑む。頬の傷が引き攣れて、酷く歪んで見えた。

「咎人の管理官は、人気が無いんですよ。ある程度学が無いと務められないし、咎津が身体を蝕みます」
「咎津が、身体を?」
「獄主をはじめとする地獄の王族以外の鬼には、咎津は毒でしか無いのです。毒と言っても不快に感じる程度ですが、毎日咎人と同じ空間にいると気が滅入ります。悪臭の中に毎日身を置いているような感じでしょうか」
「ああ、それは嫌だよな」

 先ほどからライトも、たまに不快そうに顔を歪めることがあった。なるほど、そういうことか、と聡一朗は視線を戻す。

「何か打開策はないのかな?辛いだろうな」
「咎人の管理官は、朝に「桃鹿水」を飲みます。天国にしか成らない桃から取れた果汁を水で割ったものです。これを飲むと、咎津の効果が薄れます」
「なるほど、じゃあそれをいっぱい飲めば……」
「天国と地獄が、仲が良いとお思いですか?」
「……なるほど」

 天国と小競り合いをして奪ってきた桃の果実を、大切に水で割って飲んでいる。
 まさに涙が滲むような努力だ。神様はどうして、鬼に咎津への耐性を付けなかったのだろう。

「天国に比べ、地獄は毎日ハードワークです。天国へ行った人間は、罪を償う必要もなく、気が向いたら輪廻へと旅立ちます。一方の地獄はこの有様です」
「……なんか、すいません」

 罪を犯した人間を更生させて、輪廻転生へ向かわせる。思えば何というハードワークだろう。罪を犯した人間代表として、謝りたいくらいだ。


「そろそろ、ヒツメの所へ行きましょう。聡一朗様に会いたがっていました」
「分かった」

 サイクロプスであるヒツメの部屋に行くと、ライトが大きく深呼吸している。咎人が少ない部屋だからか、ホッと息つく様に申し訳なさが募る。

(咎津って、毒なのか。申し訳ないことをしたな)

 ヒツメは聡一朗を見つけると、一つの瞳を細めた。

「ソウ、イチロ」
「おお!」

 拙い言葉遣いだったが、初めて聞いた声に聡一朗は目を輝かせた。

「ヒツメ、聡一朗様だ。候補者だぞ」
「良いんですよライトさん。ヒツメ、喉はもう良いのか?」

 そう言いながら、聡一朗はヒツメに掛けられている梯子を昇り始めた。

「あ!聡一朗様!あなたはもう、何度言ったら……!」
「はは、すまん、ライトさん。今日はすぐ降りるから」

 ヒツメの肩に着くと、おできの痕を確認した。綺麗に治っている。鬼は回復が早いらしい。

「口開けて、ヒツメ」

 素直に口を開けるヒツメの口に、聡一朗は顔を突っ込んだ。
 下でライトが狼狽えて声を上げているが、聡一朗には届かないようだ。喉の傷も綺麗に治っている事を確認すると、聡一朗は口から出てきた。

「喉の傷も綺麗に治ってる。痛みは無いか?ヒツメ」
「ナイ」
「いよぉし」

 良かったなぁ、とヒツメの首筋を撫でる聡一朗に、ライトは下から声を張った。

「もう良いでしょう?聡一朗様!危ないから降りて下さい!」
「は~い。またな、ヒツメ」

 名残惜しそうなヒツメの首筋をよしよしと撫でて、聡一朗は梯子に手を掛ける。

 もう少しで地上、という所で異変が起こった。

(あれ?)

 寒気と共に、胃を突くような吐き気が襲う。梯子を掴む手に力が入らず、全身が淡く痺れ始めた。

(な、なんだ?)
 目が霞んだのを打ち消すように頭を振ると、そこに耐えがたい激痛が襲う。聡一朗は、そのまま意識を失った。



________

 聡一朗が倒れたと聞いて、獄主は鬼神のような顔をして現れた。手に持っていた書類を、執務室に置いてくるのも失念している。
 書類をばらまきながら駆けつけ、無数の申請書が廊下にまで散乱した。

 ライトは恐怖で顔を引き攣らせながら、聡一朗が倒れた時の状況を説明する。

 前兆は無かった。今日は具合の悪くなるような事はしていない。
 ライトから受ける説明は、獄主の不安を増長させるだけだった。

 獄主の仮眠室に寝かされた聡一朗の顔は、死人の様に蒼白だ。

「そ、聡一朗……」

(何故だ。咎人の作業場なんて行かせるんじゃなかった)
 目の前の聡一朗は、まるで生きている感じがしない。額に手を当てると、顔色とは相反する異常な熱を感じる。

 侍医が聡一朗の脈を診ているのを、眺めるしかできない自分が腹立たしい。
 獄主は形のいい下唇を噛みしめた。こんなに心臓が跳ねる事など経験したことがない。

「聡一朗様は、候補者でいらっしゃいますよね?」
 侍医は落ち着いた様子で言い放つ。反して、獄主は苛立ちを隠せない。

「候補者だと知っているだろう。何を今更……」
「それは……変ですね」

 聡一朗を診ている侍医は、幼いころから獄主の専属医師だ。腕は地獄一で、彼以上の医者はいない。

「何なんだ!早く言え!聡一朗は、何の病だ!?」
 獄主の怒りに、空気が震えた。侍医も慌てて頭を下げると、蚊の鳴くような声で獄主に告げる。

「聡一朗様は、咎津中毒です」
「……なん……だと?」
「脈の触れ方、症状とってみても、全て当てはまります。大量の咎津に中てられた、中毒症状です」

「馬鹿な」と呟いた声が震える。

 咎津中毒は咎津の無い人間が、咎津に中てられると起こる症状だ。人間は鬼以上に影響を受けやすく、悪くすると死亡する。

 獄主は聡一朗が咎津が無いと認識していながら、その事に気付けなかった。
 考えてみれば、今まで地獄に咎津の無い人間などいなかったのだ。こんな事態になるとは、誰も考え付かなかった。

「ところで獄主様は、彼を寵愛しておりますか?」
 急な侍医からの問いに、獄主は虚を突かれた。眉を顰めて侍医を見つめると、穏やかに見つめ返される。

「咎人の作業場など、毒沼に浸かるのと同じ。彼が生きているのは、獄主様に寵愛されたからとしか考えられません」
「まだ……閨は共にしておらんぞ」
「まだ、という事は、肌は触れ合ったのですね?喜ばしいことです。獄主が咎津に惹かれるのは、王族が咎津に負けぬ力を持つからです。獄主の加護で、聡一朗様は死なずに済んだようです」

 侍医の表情はどこまでも穏やかだ。
 幼いころから見ていた獄主がようやく伴侶を見つけた事に感動している、そんな表情を浮かべている。気が早いようだが、獄主も悪い気はしない。

「桃鹿水を飲ませ、安静にすれば良くなりましょう。獄主様が側にいれば、治りは更に良くなります」
「ああ、そうしよう」
「本当に喜ばしい事です。では、私はこれで」

 侍医は立ち上がり、部屋を出る。
 扉の外で待つコウトの横に並ぶと、部屋の中へ聞こえないよう囁いた。

「あの者を、死なせてはならぬ。恐らく獄主にとって初めて情を抱く人間だ」
「……心得ております。父上」
「お前が付いていてくれるから、私も安心だ」

 コウトの父である侍医は、コウトと共にずっと獄主を見守ってきた。
 獄主に心から忠誠を捧げて来たのは、豪快で奔放な王族にしては考えられぬほど、獄主が実直で誠実だからだ。
 その分、不器用なのが難点でもあるが。

「それにしても、咎津が無いとはいかなることか。地獄で生き抜けるか、それが問題だ。咎津中毒は、無垢な人間に恐ろしいほど牙を剥くからな」
「……それほどですか」
「少し容体が落ち着いたら、聡一朗様を獄主の居に運ぶよう進言しなさい。少しでも獄主の気に触れた方が良い」
「分かりました」



________

 聡一朗の意識は浮き沈みを繰り返した。意識があるうちに桃鹿水を飲ませるも、直ぐに戻してしまう。

「飲め、聡一朗。これでは脱水で死んでしまう」 
 獄主が耳元で言っても、聡一朗は顔を歪めるだけで、身体は力を持たない。

 侍医に相談し、今度は果汁を水で割らないまま与える。
 脱脂綿に果汁を浸し、口に押し付ける。イヤイヤと頭を背ける聡一朗の髪を梳かし、獄主は宥めながら果汁を口に流し込んでいった。

 まずは中毒症状を和らげなければ、水分すら摂れない。

 人間の身体は脆い。獄主にも知識はあったが、どれほど耐えられるのか、どれほどで死に至るのか加減が掴めない。
 チリチリと胸を炙られているようで、獄主は懇願するように聡一朗を見た。

「聡一朗、お願いだ。目を開けろ」

 聡一朗が獄主の声に応えるように瞳を開いた時、獄主の中から何かがぶわりと湧き出した。胸の底から温かい何かが駆け巡る。狂おしいし、温かい。
 目の前の男が目を開けている。それだけで身を焦がすほどの熱さが襲う。


「ごくしゅ、おれは……」
「聡一朗、何も心配しなくていい。辛いか?どこが一番辛い?」

 聡一朗は獄主をボーっと見つめ、そして窓を見遣った。
 朱に染まっていた空は、いつのまにか自身を黒に染めて広がっている。

「もう、夜か……」
「……」

 聡一朗は獄主を見る。その瞳は獄主を捉えているように見えるが、どこかおぼつかない。
 少しだけ口を開いて、聡一朗は止まる。そして直ぐ後、弱く微笑んだ。

「……獄主、夜の俺は、騒がしいんだ。あんたが眠れなくなるから……帰ってくれ」
「……騒がしいとは何だ。鼾か?」

 その言葉に、聡一朗はふすりと鼻を鳴らす。
「いい、から……帰ってくれ。頼む……」
「……分かった。私は帰るから、早く休め」

 聡一朗は、本当に懇願しているようだった。置いて帰るつもりはないが、「帰る」と言った獄主の顔を、聡一朗は安堵した表情で見つめている。

「……よかった。おれは、ひとりでいい……」

 聡一朗がそう言いつつ瞳を閉じるものだから、獄主は慌てて聡一朗の呼吸を確かめた。
 僅かな呼吸音を耳が拾うと、ホッと息を付いて椅子に腰を降ろす。

(独りで良いなんて、別れの言葉のようだ……)

 普段の朗らかな聡一朗からは考えられない程、重くて寂寥感のある声だった。

「お前を独りにするわけがないだろう、聡一朗」

 鼻筋に唇を落とすと、聡一朗のまつ毛がフルリと揺れた。
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