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前半戦
8.獄主、死にたがりの候補者です
しおりを挟む突然獄主が現れた事にライトは驚き、跪く。
「ご、獄主様。お越しに気付かず、申し訳ありません」
「……良い。下がっておけ」
「……御意」
聡一朗は腰を下ろしてサイクロプスの首筋を掴むと、下にいる獄主に親し気な目を向けた。
獄主は目を細めてそれを見ると、部下にバケツを持って行くように指示をする。
「安心しろ。聡一朗が落ちたら、私が受け止める」
「まじ? 俺、重いけど、大丈夫?」
「……私を誰だと思っている」
獄主の声は冷たかったが、顔は愉快そうに薄い笑みを浮かべている。聡一朗が声を立てて笑い、バケツを持って立ち上がった。
「そうだった。あんたは恐れ多い地獄の主だった。綺麗すぎて忘れてた」
「……っ」
言葉に詰まったような獄主を不思議に思い、ライトは獄主を見る。眉を寄せる獄主の頬は、仄かに赤い。そしてその目は、確実に聡一朗を捉えていた。
(ええ……? えええ?)
ライトはここ最近、獄主の行動を見てきた。ずっと空気の様に貼り付いているのだから、例の「苺キッス事件(命名フウト)」も相棒と2人で見ている。
しかし、獄主が三居の相手と身体を合わせたことも知っているし、他の候補者数名とも既にそういう行為をしている事は事実だ。キスなど、特別不思議ではない。
(しかし、この獄主様の顔は……一体何だ?)
完全に恋する男の目をしている上に、片思いに心痛める青年にも見える。
唐突に意中の相手に「可愛いね、綺麗だね」と言われて赤面し、赤面した自分が恥ずかしくて悔しい。そんな顔だ。
(フウト、何故ここにいない……!)
一緒に少女漫画を読むのが趣味の2人は、この手の話題は大好物だった。
数千年に一度の大イベント「花嫁選び」も楽しみではあったが、肝心の獄主が盛り上がりに欠ける事が難点だったのだ。
今年の獄主は、完全に仕上がっている。
ライトが感動に打ち震えていると、悪臭が鼻をついた。
目が沁みるほどの悪臭は、サイクロプスの膿の匂いのようだ。そう気付くと、ライトもげんなりと眉を寄せる。
折角いい気分だったのに、とライトはサイクロプスを見上げる。そこには口元に手巾を巻いた聡一朗が、額に汗を滲ませながら、サイクロプスのおできを手で押さえている。膿を押し出しているようだ。
手巾を巻いてはいるものの、匂いは強烈のはずだ。それでも聡一朗は嫌な顔一つせず、サイクロプスに何やら話しかけながら膿を出している。
(……あいつ、本当に咎人か?)
ここで働く咎人は、サイクロプスの世話を嫌々こなす。
当然のことだ。鬼で、しかも信じられない大きさの鬼の世話など、死んでもやりたくなかっただろう。(実際死んでいるが)
歯磨きの当番など、咎人10人体制でやるのだ。吐いたり、失神したり、発狂したり、人員が幾つあっても足りない。
バケツ一杯の膿が溜まった所で、聡一朗が額の汗を拭った。
「ああ、一杯出たな。こんくらい出せば、大丈夫だろ。あとは、化膿止めを塗るだけだ。暴れるなよ?」
言い聞かせる聡一朗は優しく、サイクロプスの瞳も穏やかだ。
化膿止めを塗っている間も、サイクロプスは大人しい。聡一朗は下手くそな鼻歌を歌いながら、傷口に巨大なガーゼを貼りつけている。
「いよぉし! 次は口を開けろ!」
素直に口を開けたサイクロプスの下あごに、なんの躊躇もなく聡一朗は足を掛ける。
流石に焦ったのか、獄主が聡一朗を呼び止めた。
獄主の声に、聡一朗はサイクロプスの上の歯に手を掛けたまま振り返る。その姿は自ら死に飛び込もうとしている様にも、見えんことは無い。
「どうした?」
「どうしたじゃない。何をする」
「ちょっと見るだけだ。すぐ戻る」
聡一朗は軽く言い、サイクロプスの口の中へ潜り込んだ。
聡一朗には伝えていないが、サイクロプスは人間を好んで食っていた時期があった。現に歯磨き中の咎人の何人かは、彼の胃袋に消えている。
食べてはいけないと言っているが、自分の好物が舌の上にいるのに我慢しろなど、無理な話ではあった。
獄主が血相を変えて、冷たい空気を垂れ流す。腰に佩いている愛刀の柄を握りしめると、サイクロプスを睨み付けた。
「ヒツメ、その者を呑んだら、首を落とす」
言われたサイクロプスは震え出した。
一つ目を見開いて、口を最大限開く。喋ることは出来なくとも、死んでも飲み込むまいと言う意思を感じられる。
聡一朗はその会話が聞こえないのか、サイクロプスの口の中で時折独り言を漏らす。
「う~ん、これ痛いか? うっわ、お前これ、どうしたの? 見てるだけで無理、痛い。待って、痛いなら言えよ」
サイクロプス、もといヒツメを気遣う言葉が漏れるも、当のヒツメはそれどころではない。
世界一恐い主から、殺気を向けられているのだ。早く口から出てほしい、が本音だろう。
サイクロプスの口から、次々と何かが飛び出してくる。人骨、木の破片、ハンガー。
ハンガーが出てきたときは、流石の獄主も「何食ってんだ」という呆れ顔を浮かべた。
「あ、多分これだ」
その声と共に飛び出してきたものに、獄主もライトも愕然とした。
それは、聖剣だった。天使にしか扱う事の出来ない、聖なる力の宿った剣。
その剣は朽ちることもなく、未だ美しく光を放っている。こんなものが喉に刺さっていたら、まともに声も出せないだろう。
「出るよ。噛まないでね」
軽口と共に出てきた聡一朗は、言うまでもないが全身デロデロに汚れている。
傍にいた咎人が身を背けて落ちそうになるほどの悪臭で、聡一朗本人も流石に何とも言えない顔をしていた。
「早く降りてこい、聡一朗」
「ん……ああ、待って」
獄主の声に返事はしたものの、流石に気分が悪いのか、聡一朗が眉を顰めて胸を掴んでいる。蹲るように身を屈める姿を、獄主が放っておける訳がなかった。
「聡一朗、そこにいろ、迎えに行く。おい、湯を沸かしておけ」
獄主が部下に指示しながら梯子に手を掛けると、聡一朗が慌ててそれを制する。
「駄目だ、来るな。あんたが、汚れる」
「構わん。そこにいろ」
獄主はスルスルと梯子を登ると、聡一朗の腕を掴んだ。獄主が汚れると思ったのか聡一朗が抵抗すると、有無を言わさず膝裏に手を差し込んで抱き上げた。
「………っ!?」
いわゆるお姫様だっこに、聡一朗は気恥ずかしさに身を捩る。気分が悪いのも忘れて暴れると、獄主は嬉しそうに頬を緩ませた。
「暴れると、落ちるぞ。……まぁ、今から落ちるが」
「……え……?」
ふっ、と身が浮いたと思うと、身体がギュッと潰されるような圧迫感が襲う。落ちてる、という感覚はあったが、抱きしめられているせいか、聡一朗に恐怖は無かった。
地に落ちる衝撃を覚悟して目を閉じていると、意外とふんわりと何の衝撃もなく地に降り立った。
目を開けると、獄主の整った顔が目の前にある。
下から見ても綺麗って、どんだけだよ。まつ毛長いな。そんな事を考えていると、獄主が聡一朗に視線を合わせるように俯いた。
その心底心配そうな顔に、聡一朗は罪悪感に苛まれる。
「……すまん。もう平気だ。降ろしてくれ」
「ならん。このまま湯まで運ぶ」
「……いや、俺、歩けるよ?まじでこのままは恥だから、なぁ聞いてる?」
目を見開いて唖然とする鬼たちや咎人の間を縫って、獄主は聡一朗を抱いたままずんずん進む。
それらの目が痛くて、34歳オジサンは獄主の手から逃れようともがくも、ビクともしない。
「ああ、獄主、後生ですから降ろして頂けませんか。御年34歳なんです、俺。お姫様だっこになんて耐えられない歳なんです。いやそれより、周りが可哀想だと思いませんか?34歳オッサンのお姫様抱っこを見るなんて罰ゲームにも等しいと思いますが。聞いてます?獄主?ごくしゅ~?」
「やかましい口だ。後で塞いでやる」
「いや、そうなんですよ。俺元気なんです。降ろしてくれたら駆け出して、スキップするくらい元気なんですぅ」
軽口を叩いていると、目的の場所に着いたようだ。その場所の管理者らしい鬼が、獄主の姿に慌てながら扉を開いた。
「湯は?」
「沸いております」
場所は風呂場だった。ただ規模がでかい。
鬼たちが使う風呂だろうか。スーパー銭湯という説明が一番合っている。脱衣所には籠がズラリと並び、かなり広い。
やっと降ろされた聡一朗は、地獄で銭湯と言うシチュエーションに胸躍らせた。
吐き気はいつの間にか治まっている。
「ここで身体を洗え。着替えはライトに持ってこさせる。上がったら、一緒に昼食を食べよう」
「飯って、あんたと?」
「そうだ。何か問題があるか?」
「いや……無いけど。獄主は風呂入らなくていいのか?」
聡一朗を抱き込んだせいか、獄主の黒衣も汚れている。聡一朗の鼻は麻痺しているのか、匂いはあまり感じなかった。
「私は執務室で入る。……なんだ、一緒に入りたいのか?」
「いや、そういうわけじゃない」
これだけの身分の獄主が、大浴場に入るわけもない。そもそも獄主の裸体など、見ただけで目が潰れそうだ。
獄主は目を細めて聡一朗を見つめた後、踵を返して脱衣所を出ていった。
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