【完結】地獄行きは確定、に加え ~地獄の王に溺愛されています~

墨尽(ぼくじん)

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前半戦

7.獄主、苺はもういいです

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 朝食に大量の苺が出され、聡一朗は寝ぼけ眼をゴシゴシと擦った。

「苺かぁ。珍しいな」
「獄主からですよ。今朝大量に届いたんです」

 苺、と口にしながら聡一朗は昨日の事を思い出していた。
 完全に慣れ切っている手練れのキスだった。あんなものをかまされては、慣れてない女性は完全に引くんじゃないだろうか。

 いや、それよりイチコロなのかもしれない。
 あの美貌に、獄主と言う絶対的な立場だ。強引に行っても正解かもしれない。

「……アドバイス間違えたかなぁ?」
 そう呟く聡一朗に、テキロは呆れた視線を送る。

 獄主から物が送られる、という事を、この男が正確に理解している訳がなかった。教えないテキロも悪いのだが。

「それよりも、ちゃんと服を着てから寝室を出て頂けますか?朝から来客があったらどうするんですか?」
「ん? ああ、いいじゃん。女の子が来る頃には着とくから」

 聡一朗は袴の上衣だけを引っ掛けて寝室から出てくることが多かった。上着は太ももまで届くほど長いが、その先は素足だ。
 酷い時は前紐さえ結んでいない。鍛えられた胸板や腹筋が見え隠れすると、目のやり場に困るのだ。

「……何度言ったら分かるんです? 鬼に性別はあまり関係ないんです。確かに男女のカップルの方が多いですが、男同士も結構いるんですよ」
「あーい。了解っす」

 聡一朗から返ってきたのは、明らかに生返事だ。ムッとしたテキロを見て、聡一朗は苺を摘まみながら笑う。

「悪かったよ。鬼は男同士でも子供もできるんだろ?凄いよな」
「女性より確率はぐっと下がりますが、可能ですよ。中で出すと、子宮が仮形成されるんです。鬼の精子にはそういう作用があって……」
「う……そういう事は、飯の時に言うな……」

 何とも言えない顔をする聡一朗に、テキロは複雑な感情を抱いた。
 あんたをそういう目で見てる輩はごまんといるぞ、と言ったらどんな顔をするんだろう。


「そういや、俺、今日から咎人の仕事場んとこ行けるようになったんだ」
「ええ!? なんで!?」
「獄主に言ったら、良いぞって。朝から迎えが来るはずだけどな。あ、俺、納豆食いたい」

 納豆の小鉢に手を延ばす聡一朗を、テキロはそれこそ鬼の形相で睨み付けた。

「そんな悠長に飯食ってる場合ですか! 誰が迎えに来るんです!? 早く言っとけよ! 昨日の夕方には分かってた事だろ!?」
 激昂しすぎてタメ口になるテキロを、聡一朗は愉快そうに笑って眺めた。手は納豆の入った小鉢に箸を立てて、かき混ぜている。
 その悠長な姿に、テキロのこめかみがブチリと音を立てた。

「聡一朗!!!」
「はは、悪かったよテキロ」

 聡一朗は納豆ご飯を掻き込むと、卵焼きも味噌汁も一気に平らげた。立ち上がりながら茶を飲み干すと、寝室へ向かう。
 どうやらちゃんと着替えて来る気のようだ。

 テキロは苺を口に放り投げながら、自分も食事を片づけていく。
 候補者と朝食を共にしている自分も、他の者に見られるとまずい。怒涛の勢いで掻き込むと、他の小鬼に片づけを言い残す。

 服の襟を直しながら聡一朗が寝室から出てきたのは、小鬼たちがテーブルを綺麗にした頃だった。

 今日は紺色の上下だが、不思議と聡一朗に合っていた。
 毎回の事だが、袴を着ると聡一朗の腰の細さに驚かされる。意外に筋肉質なのに、着やせするタイプなのかもしれない。


「お迎えに上がりました。聡一朗様」
 十居に、聞きなれない声が響いた。

 聞きなれないと思ったのは聡一朗だけで、鬼たちはその声の正体を知っている。
 青い髪にがっしりとした肉体、頬に残る大きな傷。獄主の護衛であり、最強の鬼の一人、ライトだ。

「ああ、ありがとうございます。えっと」
「ライトです。聡一朗様」

 ライトは聡一朗へ柔和な笑顔を向ける。左頬の大きな傷のせいで少し歪んで見えるが、瞳が優しい。

(獄主専属の護衛が迎えかよ……)
 これはまじで、まじかもしれない。背中に流れる汗を感じながら、テキロは頭を下げた。



________

「三居か!」

(そうか、では、三居の候補者が獄主の……)
 コウトは鼻息を荒げながら、手元の書類を捲った。

 三居の候補者は、浅井高志。25歳。写真を見ると、なるほど美しい。
 首筋までの髪は艶やかで、男性にしては大きいアーモンド形の瞳。小さめの鼻と口は、女性にも引けを取らないほど艶やかだ。

 閨を共にしたらすぐに帰宅したらしいが、寵愛を得たことは確か。

 ちらりと獄主を見ると、今日はきちんと書類に目を通し、判を押している。
 顔つきも僅かに穏やかだ。

(身も心も、満ち足りておられるのか! なんて美しい)
 今日の獄主は銀の髪が一段と艶やかだ。コウトは頬を緩めてうんうん頷くと、目じりに浮かんだ涙を拭った。

「獄主、贈り物は何になさいます?」
「……ああ……薔薇だ」

(薔薇! なんとロマンチスト!)

「分かりました。三居に朝一番に届けます」
「……三居だと?」

 その声にコウトは身震いした。
 三居、と言った獄主の声はあまりに冷え冷えとしていた。見ると、先ほどの穏やかな表情はどこにもない。

「三居ではない。十居だ」
「は? 十居?」

 十居といえば、問題児である霧谷聡一朗の居だ。

 最初の説明の場でもふざけた態度を見せ、獄主にも咎津が無いと突き放された男。
 獄主の胸倉を掴んで、護衛の鬼に殺されそうになった男。それが霧谷聡一朗だった。

 信じられないといった顔をコウトが浮かべていると、獄主の顔が緩んだ。何かを思い出しているのか眉の根が緩み、少しだけ唇の口角が上がる。

「……薔薇と、作業用の手袋を数十枚送れ。品質は良いものを。………あと苺だ。熟れて、良いものを送れ」

 獄主はそう言うと、親指の腹で自身の唇を撫でた。口角が上がっているのは、やはり見間違いではない。

(わ、笑った……!)

 正に、地獄がひっくり返るほどの大事件である。

 冷酷、冷徹、鉄仮面。
 現獄主を現す言葉は、全て冷たい。それがどうだ、今の獄主の表情は温かみのある血の通った表情だ。

「これが終わったら、私は出る。贈り物は頼んだぞ、コウト」
「御意!」



________

 執務室で最低限の仕事を終えた獄主は、咎人らの作業場を訪れていた。

『地獄に堕ちた人たちがどんな仕事をしてるのか見たい。折角地獄に来てるんだから、余すことなく見てみたい』

 そう話す聡一朗の瞳は、一切の淀みが無く澄み渡っていた。全ての罪を清算して、輪廻転生へと移る咎人さえ、こんなに澄んだ瞳はしていない。

(地獄を見てみたいなどと言い出す候補者は、今まで居なかったな)
 獄主は自身の口元が緩んでいるのを感じ、唇に指を当てた。そこが緩やかに弧を描いているのが分かると、不思議な感覚に陥る。

(これが笑う、という事か)

 幼いころから感情の起伏が少なかった獄主は、笑う事が必要だと考える事もなかった。
 愛情を注いでくれない母、奔放で豪快な父に囲まれ、一層意固地になって感情を押し殺してきたようにも思う。

 聡一朗が嬉しいと嬉しい。笑うと嬉しい。
 嬉しい、という感情は幸せ。幸せ、という感情は胸が温かくなること。
 一つ一つの失った感情を拾っては、聡一朗の存在が大きくなっていく。


「聡一朗様! そろそろ降りて下さい!」

 聞こえてきた声は、ライトだ。

 獄主は歩を進めると、一際天井が高く掘られた一角に出た。ここには、巨大な鬼や魔獣が住んでいる。ここの鬼の世話をするのも咎人だ。
 巨大な鬼、魔獣を世話するのは危険も伴うので、咎人の中でも罪深いものがここの専属になる。

(まさか、こんな深部まで来ているとは)

 見れば、サイクロプスの下でライトが叫んでいる。

 サイクロプスは鬼の中でも最大で、身を起こせば数十メートルにも及ぶ。胡坐をかいて身を屈めても、その身体は十メートルを超える。
 その体躯に梯子を掛けて、角の掃除や歯磨きなどをするのが咎人の役目だった。

「でもライトさん! このおでき、めっちゃ痛そうですよ!」
 サイクロプスの巨大な首から顔を出した聡一朗は、袴を襷掛けした姿で、手には巨大な針を持っている。

「あなたが処理する必要はない! サイクロプスが暴れて落ちでもしたら、どうするんです!」
「あ~、なるほど……」

 聡一朗はサイクロプスの顔側にまわり、腰を落とした。サイクロプスの一つ目が、ギロリと聡一朗を睨む。

「なぁ、凄く痛いことはしない。少し針を刺して、膿を抜くだけだ。ところで名は何と言うんだ?」
 優しくサイクロプスに話しかける聡一朗に、ライトは半ば諦めたかのように声を放った。

「その鬼は、話せません。数万年まえは賢鬼でしたが、ある戦を境に暴れて手が付けられなくなり、言葉も発しなくなりました」
「そうか。じゃあ、後から口の中も見てやるな」
 聡一朗がニコリと笑うと、サイクロプスの大きな一つ目が見開き、緩んだ。



________

「ライトさん、バケツ取ってくれます?」
「聡一朗様……! 降りないなら、無理矢理降ろしますよ!」

 聡一朗は下にいるライトを見た。

 鬼の中でも一際体格が良い。良いどころじゃない。全身が鋼なのかと思うほど、筋肉が多くのパーツに分かれている。どこかの誰かのように、背中の筋肉が鬼になりそうだ。
 そんなライトが凄むと、腹の底がじわじわ冷えていくように感じる。多分これは、恐怖だ。


 聡一朗は感情に疎くなることがたまにあった。

 極端に恐いと思ったり、何かを感じたりすると、感覚が麻痺してしまうのだ。まるで、羽毛の中に突っ込まれたかのように、感覚も触覚もぼんやりと薄れてしまう。
 このせいで過去、無茶をやらかした事も多々あった。

「あ~……ライトさん、随分怒ってますね?」
「当たり前でしょう!? 早く降りて……」
「おお、獄主!」

 その声にライトはビクリと身を竦ませた。同時に感じた自身の主の気配に、跳び退きながら跪いた。
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